BACKSIDE (バックサイド)

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FEATURE

「好きなことで循環させるほうが続くから」──中山二郎が北信の森とスノーボードに託す未来。【創刊10周年特別企画】ISSUE 11『JAPOW PRIDE』

2026.10.23

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長野 / 北信

※2020年に綴った言葉を一部編集して掲載
 
 

山々に囲まれた歴史と伝統あるダイバーシティなスノーエリア

全国最多のゲレンデを有する長野県の中でもひと際多く、もっとも雪が降る地域が、ここで紹介する北信エリアだ。山々に囲まれているこのエリアは、地方中心地の長野市を拠点にすれば、それこそ朝目覚めてから天気予報をチェックし各ゲレンデの状況次第であらゆるライディングを楽しむことができる。それはまるで、サーファーが波情報アプリを見て行動するかのように。それでいて、パウダーライディングやパークライディング、カービングターンに至るまで、多様な遊び方に適したゲレンデが選択できる、まさにダイバーシティに富んだスポットなのだ。
 
そうした好環境が功を奏し、標高2,000mを超える山々を有する志賀高原と北志賀高原を合わせると、2018-19シーズンの延利用者数が白馬の154万人に次ぐ145万人を記録。また、パウダーゲレンデとして人気を誇る野沢温泉はいちゲレンデながら同年42万人の集客を誇るなど、外国人を含めた多くのスノーバムたちから愛されているエリアと言えるだろう。
 
そんな国内有数のスノーエリアで“滑る”という文化が浸透し始めたのは、日本にスキーが伝来したとされる翌年、1912年(明治45年)に当時の飯山中学(現・飯山高校)の体育教師によりスキーが伝えられ、その後、瞬く間に長野全土に広まったとされている。
 
そう、それこそスノーボードが日本に普及した際、そのメッカのひとつとされていたエリアが北信に存在する。1990年代初頭、筆者が人生初の山にコモるというライフスタイルを過ごした地でもある。2004年に閉鎖してしまったが、北志賀高原の奥地にあった小さなゲレンデ、北志賀ハイツ(後にスノーボードワールドハイツに改名)だ。
 
1980年代、この遊びが少しずつ感度の高かった人々を中心に浸透していく過程において、多くのゲレンデが滑走禁止としていた。そうした中、北志賀ハイツはリフトが3本しかない小規模ながらスノーボーダーを受け入れ、その噂が雑誌や口コミなどで全国に知れ渡り、フリースタイルスノーボーディングのメッカと化したのだ。記憶の限りだが、1993年の時点でハーフパイプはもちろん、カーブレールなどパークアイテムも充実していた。現在では、当時からパークで名を馳せていたX-JAM高井富士がカルチャーを継承し、国内最大級のパークを完備し、人気を博している。
 
こうした思い出の地であり歴史ある、北信エリアの現在進行形を探っていきたい。
 
 

“遊び続ける”ことで森を守る男
中山二郎

「信州の森から考える“自然との共存”と、LOHAS な提案」というキャッチコピーを掲げ、県産材を使ったスノーボードやウッドコアを製造・販売している中山二郎。生まれ育った北信エリアを滑り込んできたからこそ、長野の森を守りたいとこの活動を続けており、そして、その森の中を滑り続けている。そんな彼が見てきた地元・北信エリアを深掘りしていく。
 

 

世界に誇るスノーエリアで、滑り続けるために。

長野・戸隠には父が建てた山小屋がある。私にとって、第二の故郷のような場所だ。父は戸隠のゲレンデ営業が始まった頃からこの山に魅了され通い続け、リタイアした現在は定住している。しかし、私はこの山でスノーボードをする機会が少なかった。照れ臭さもあったのか、家族で過ごすこの地をスノーボードのフィールドとして割り切れなかったような気がする。ここ10年ほど日本を離れたことでようやく戸隠で滑るようになり、このエリアの魅力を再発見したところだ。
 
北信エリアの山で育ち、雪が積もればリフトに乗り、スキーを履いて小学校へ通っていたという中山。この年代の多くがそうであるように、彼もまた子供の頃からスキーを履きレースをしていた。東京から通っていた私とは違い、生粋の長野ローカル。2本の板は幼少期の中山の移動手段も担っていた。それはゲレンデを滑るだけのものではなく、時に森の中や道路の脇など、自由に移動するための道具だったのだ。
 
雪と山に囲まれる暮らしで欠かせなかった乗り物は、兄の影響もあり17歳の頃、スノーボードに替わった。
 
「始めたときは上手くいかなくて転んでばかりだったけど、めちゃくちゃ楽しくて」
 
それは生活に必要な道具から、人生に必要な遊び道具に変化していく序章だった。そして、すぐにのめり込むことになる。
 
「広いんで、北信は。いろんなとこに滑りに行きますね。前の日や当日の朝、降雪情報をもとに行く場所を選びます」
 
ホームである峰の原は長野の中でも内陸に位置する。決して積雪が多いエリアではないが、気温が低いためとにかく雪が軽いそう。
 
「ほかのエリアに滑りに行くと、特に野沢温泉なんかは雪が重く感じる。志賀高原はその中間という感じかな」
 
山づたいだと近く感じるが、実際には山と山との距離が離れているため、長野は地域によって雪質に大きな違いがあるという。
 
「基本、海がないから雪は軽い」と中山が言うように、隣県の新潟のように湿気を含んだ大量の雪が降り積もるというイメージはない。そのうえで海に近い山と内陸のそれとでは、雪の降り方からその質までもが異なるそうだ。
 
「量を求めるなら斑尾や野沢温泉が多く積もるし、内陸の志賀高原でも奥志賀と、北側にある熊の湯や横手ではかなり違いますね」
 
斜面の方角によっても変わるが、海からの距離が雪の質や量に大きく影響を及ぼしている。
 
その特徴は雪質のみならず、植生にも影響しているのだ。
 
「長野でも豪雪の地域に行くと木の間隔が広い。例えば、野沢温泉のブナ林がそう。僕の住んでるエリアや志賀高原なんかはタイトで。“こんな狭いところ滑るんだ”って言われるくらいだけど、狭くてもけっこう滑れるし、面白さもあるよね」
 
確かに、太いブナの木の森の中を気持ちよくターンしながら滑る光景も、カラマツが綺麗に立ち並ぶ林を小動物になったような気分で駆け抜ける感覚も、長野の山を思い浮かべることができるのだ。
 
「同じ長野でも降雪量の違いで、育つ木の種類が変わってくる。そうすると景色も変わる」
 
それもまた、北信エリアの情緒ある魅力のひとつなのかもしれない。斑尾山の麓に隣り合わせる、北西斜面のタングラムスキーサーカスと北東斜面の斑尾高原。近年、ツリーやパウダーゾーンが開放されている。
 
「斑尾側がエリア内にパウダーゾーンなどのスポットを作るため、夏の間に木を切って整備し始めたのがもう10年以上前かな。エリアを広げてコースを作ってるから、面白くて」
 
自己責任になるがコース内に区分されているため、重装備をせずに滑れる。そうした動きがタングラム側にも広がっているようだ。
 
「最初の頃はこうしたルールがなかったから、パトロールと戦うことも多かったよね」
 
以前は滑れなかったエリアが開放されるようになった背景には、外国人を含めてパウダーを求めるニーズが増加している影響があるのだろう。
 
「いい場所だったんだよね、長野は。雪のよさは世界でも有数なんだ」
 
それが国境を越えて伝わり、外国人が多く訪れるようになり、彼らのパワーやマネーも加わって変化してきているようだ。
 
「北海道もいいけど、長野は山の数が圧倒的に多い。アルプスって言われるような山から、野沢や志賀みたいな違うタイプの山もある。日本のメインストリーム。だから海外からも来ますよね」
 
そうした国外からの変化も受け入れながら、中山は長野の木を使ってスノーボードを作り、森や自然を守る活動へつなげている。
 
「日本の木を使っているボードに乗るってことが気持ちよかったり、チョイスのひとつにそういうものがあることが大事。業界自体が山や自然からお金をもらっているから、そこに何か還元できればいい」
 
木曽にある小学校で、木曽檜を利用してスノーボードを作るという特別授業をしばらくの間行っていたそうだ。
 
「学校を壊すときに出た廃材でスノーボードを作れないか、っていう相談を受けたんです。担任が同じ世代のスノーボーダーだったこともあり、じゃあ作ろうよって。その作ったボードでゲレンデに滑りに行くっていう授業をやったんですよね」
 
そのときに中山たちは初めて雪板を作ったそうだ。そして、五明淳と戸隠のパウダーの日に試してみると。
 
「いい感じで滑れて、ヤベーみたいになっちゃって」
 
その表情はまるで少年のようで、学校帰りに2本の板で森の中を滑っていた中山少年の姿が思い浮かんだ。
 
「あっちゃん(五明淳)はあのまま追究して雪板を作り続けてるし」
 
「各地でスノーボードを作る人も増えてきていて、いろんな土地の木が使われている。地元の木を自慢するように『すげーだろ』って言い合ってるのって、なんかいいなと思う」
 
そう微笑んだ。
 
長野で生まれ育ったことが、現在の活動と深く関係しているのだろう。
 
「スノーボーダーは森の中を滑ることが多いから、木という材料が身近だったり、そういうものに触れる機会が多かったかな」
 
「スノーボードを続けていれば、森が整備されることにつながっていたり。僕らがスノーボードをやめると、いいこともやめることになっちゃうから。滑る口実でもあるしね。好きなことで循環させるほうが続くから」
 
忙しくても1時間だけは峰の原のゲレンデを滑り、ときに雪板で遊ぶ。
 
「雪板は近所でやるのがラクでいいよね」
 
中山のフィールドは昔と変わらず、この山にあるのだ。ただその道具は、1本の板になったり、もっと短い板になったり。子供の頃には想像しなかった、地元の木を使った板になっている。

edit + text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)
interview + text: Yukie Ueda

 
 
CONTENTS
▶INTRODUCTION|はじめに
▶01|北海道 / 札幌 安藤健次インタビュー
▶02|北海道 / 道北 佐藤秀平インタビュー
▶03|北海道 / ニセコ 渡辺大介インタビュー
▶04|東北 / 北東北 杉本幸士インタビュー
▶05|東北 / 南東北 松浦広樹インタビュー
▶06|群馬 / 利根沼田 中山悠也インタビュー
▶07|新潟 / 魚沼 関口 敬インタビュー
▶08|新潟 / 妙高 小西隆文インタビュー
▶09|長野 / 白馬 美谷島 慎インタビュー
▶10|長野 / 北信 中山二郎インタビュー
▷11|岐阜 / 飛騨 太田宜孝インタビュー
▷12|西日本 / 近畿・中国 中尾正明インタビュー
▷OUTRO|JAPOW PRIDEからJAPOW FROM___へ。
 
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BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE
ISSUE 11 「JAPOW PRIDE ──ニッポンの雪と山と文化を知る──」

 
北海道・ニセコや長野・白馬を中心に大挙して押し寄せている外国人は、なぜ日本の雪山にこだわり続けているのか。それは、ここまで多くの人々が日常生活しているエリアに雪が大量に降る国がないから。米アラスカの僻地やカナダBC州の山奥には、もちろん大量に極上パウダースノーが降り注ぐ。しかし、それとはワケが違う。街があり、その近くに多くのゲレンデが点在し、ハイクオリティなパウダースノーが堪能できる。しかも、食事も温泉も人も最高。さらに言えば、リフト券が格安だ。これらが日本が世界に誇るべき価値なのである。これを言い換えれば、僕たちは世界中の雪を愛する人々が羨む環境に住んでいるということ。だからこそ、ニッポンの雪と山と文化を改めて知ってほしく、この一冊を編むことにした。世界一の豪雪大国に住むスノーボーダーの胸に、“JAPOW PRIDE”を刻みこんでもらいたい。
 

 
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