FEATURE
すべての滑りを楽しむ佐藤秀平にとって、道北はスノーボーダーの聖地。【創刊10周年特別企画】ISSUE 11「JAPOW PRIDE ──ニッポンの雪と山と文化を知る──」
2026.10.09
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北海道 / 道北
※2020年に綴った言葉をそのまま掲載
世界中のスノーボーダーが羨む“JAPOW”の最高品質
91ページで詳細について触れているのだが、オーストリア人のレルヒ少佐が、1911年に新潟・高田でスキー指導を行ったことが日本スキーの起源とされている。その翌年、1912年にレルヒ氏は北海道・旭川第7師団に赴任。軍隊に向けたスキー指導を行い、受講した軍人たちが北海道の各地に戻るとレルヒ直伝スキー講習会を実施するなどして道内に広まったことから、旭川が北海道における本格的なスキーを普及させる原点であったとされている。
高田ではシュテムボーゲンを中心に指導していたが、旭川の場合は急斜面ではシュテム・ボーゲン、緩斜面ではテレマークターン、さらにジャンプの技術も授けたそう。レルヒ氏は、このエリアの雪は水分が少なく、スキーに最適だと直感していたのだ。
旭川を中心とする道北エリアは内陸性気候のため、冷え込みは道内でもかなり厳しい。そのうえ、山々に囲まれた盆地地帯なので冷気が溜まりやすく、晴天に恵まれた朝などは強烈な放射冷却が発生。旭川でマイナス41℃という日本の最低気温を記録したことが、それを裏づけている。だからこそ簡単に雪玉が作れない、仮に腰まで埋まっても軽く動けてしまうほどのミクロファインスノーが降り注ぐのだ。
その代表的な雪山として、北海道の屋根と称される、日本最大の山岳自然公園である大雪山国立公園の西に位置し、道内最高峰(2,291m)を誇る旭岳が挙げられる。多くの外国人スノーボーダーやスキーヤーが訪れ、海外のフィルムプロダクションのクルーたちも撮影のために頻繁に足を運んでいる有名スポットだ。麓駅からロープウェイに乗って山頂駅にたどり着けば、そこには絶景のディープパウダーエリアが広がっている。
旭岳に限らず、旭川を拠点とすれば様々な個性を有するゲレンデにアクセスできるのも魅力。その旭川から1時間ほどクルマを走らせれば、国民的ドラマ『北の国から』の舞台として知られる富良野が存在する。また、車で3時間ほどかかるが、高級リゾートながらキャットサービスも提供している星野リゾート トマムの存在も忘れてはならない。
そうした地で、佐藤秀平や吉田啓介といった世界標準のスノーボーダーが輩出されたわけだ。
すべてを“楽しむ”男
佐藤秀平
1980年に北海道・旭川で開業した老舗スノーボードショップ「KONA SURF」の次男として生まれ、競技者としてオリンピックの舞台を目指し、現在はフィルミング活動を生業としている佐藤秀平。幼少期からスノーボードに親しみ、長年に渡り海外のシーンを体感してきた彼は、亡き父が作ったショップを継承しながらこの地で滑り続けている。

スノーボーダーにとって、ここは聖地。
大雪山は古くからアイヌ語で「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」という神聖な呼び名がある。大雪山系の旭岳や黒岳、そして南部に位置する十勝岳や富良野岳は、まさにその名にふさわしい景色と雪質を誇る雪山だ。北海道の中でも一段と気温が低いため、質のいい雪が大量に降り積もる。
「木がないから晴れてないと滑るのが難しくて」
冬の雪山を思い起こしながら佐藤は語り始めた。
十勝岳や富良野岳、旭岳の山頂付近は森林限界を超えているため、天候の悪い日に山に上がると視界が真っ白になる。しかし、降りしきる雪の中を滑っていると、大量の雪が周囲の音を掻き消し、静けさに包まれた幻想的な世界に。
「そんな時はなるべく木のあるエリアを狙って滑るんだ」
そうした山頂付近で太陽を遮るものが消えた暁には、真っ白な雪と青空のコントラストに包まれ、まるで天空にいるような気分にさせてくれるのだ。
本格的に撮影が始まる前のシーズン初頭は、これまでのケースだと海外のリゾートでパークを中心に滑ることが多かったという佐藤だが、最近は地元でコンディションを整えることが増えている。
「パウダーをがっちり滑って、思いきりフリーランできるのは富良野なんだ」
富良野のゲレンデを思い返してみて印象深いのは、遠くまで見渡せる景色だ。リフトに乗り、標高を上げて滑り出そうとするその瞬間、正面に広がる絶景に圧倒される。十勝岳連峰、芦別岳、富良野西岳が富良野盆地を囲むという大パノラマが眼下に広がっているのだ。壮大な景色を眺めながら、4km超のロングバーンをクルージングできるのだから、そのスケールの大きさに感動すること請け合い。ゲレンデ自体は傾斜の緩やかな場所も多く、初中級者に楽しめるバーンが豊富なのだが、少しサイドカントリーに入るだけで長い距離のツリーランが楽しめる。
また、冷たい空気が肌に刺さるような気温の低さだからこそ、放射冷却による幻想的なダイヤモンドダストを目にすることがよくある。このエリアならではの特徴だろう。
旭川から見ると東部に位置する大雪山黒岳も、晴れた日には大雪山系の山々を一望できる絶景スポットだ。
「ロープウェイで上ってからさらにリフトで流すんだけど、そのリフトの上から登っていくとアクセスがよくて」
ロープウェイで上りきった位置がゲレンデのベースとなり、リフトの降り場が黒岳の7合目付近となる。そこから山頂を目指してハイクアップする人が多い。バックカントリーになるので装備が必要だが、開けたバーンを滑ったあとにリフト乗り場へと戻れるので人気の高いスポットのひとつだ。
「十勝岳もめちゃくちゃ行きますね」
撮影でも行くことが多いという十勝岳は“山岳スキーのふるさと”と呼ばれるほど、北海道でもっとも古い歴史を持つ山である。以前ゲレンデがあったことから、樹林帯のない開けた山に降り積もったパウダースノーを求める人が多く、佐藤も雪のコンディションがよくなってくると山を歩く練習の場にしている。
「本格的に撮影が始まる前に、山を歩いて登ることもしておかないと」
滑り込むだけでなく、山を登るための準備環境も整っているようだ。子供の頃、学校が終わると部活のように毎日雪山に赴き、ライディングに明け暮れていた佐藤。
その少し前にあたる1990年代初頭、旭川エリアで日本のフリースタイルカルチャーが育まれていた。私自身もその時代に旭川でハーフパイプを始めた経緯がある。当時はプロツアーが盛んだったため、シーズン初めになるとその開幕地である旭川にプロスノーボーダーたちが集結していた。ハーフパイプで繰り出される技のカッコよさを目の当たりにし、私もプロになることを夢見て第一歩を踏み出したのだった。
「その時代、有名なライダーがたくさん旭川に来ていて。親父が大会(KONA SURF CUP)をやっていたから、それがキッカケでパイプをやりたいって思うようになった」
しかし時は流れ、現在の旭川エリアにハーフパイプは存在しない。そうした環境の変化を自身の転機と交えて話を続けた。
「ここ何年かは撮影クルーがめちゃくちゃ来るようになった」
ハーフパイプではなくバックカントリーで撮影を行うスノーボーダーたちが増え始めていた頃、佐藤はパイプで格闘していた。
彼がパイプでナショナルチーム入りを果たしたのは、周りの仲間たちから少し遅れてのことだった。國母和宏はトリノ五輪あたりから競技と両立してバックカントリーでの撮影を生業としていたし、同郷の吉田啓介や、バンクーバー五輪を終えた工藤洸平もまた、ソチ五輪出場を目指していた佐藤よりも早くから映像を介して自分たちのスノーボーディングを表現していた。
「オレがコンテストに出ているときには、みんなすでに撮影を始めていた。オレは遅かったうえにゼロからのスタートだったから焦ってたけど、周りの仲間たちが撮影のノウハウや(スノー)モービルの乗り方も教えてくれて。画を残すまでの過程をいい環境でできたと思う」
このエリアに住んでいたことも、さらなる後押しとなった。
「すぐに何でもトライできる環境が道北エリアにはあった。ゲレンデ内のパウダーもそうだし、山に登ることだったりすべてを近場でできるから。みんなが何時間もかけて行くスポットがめちゃくちゃ家の近所だったりして。(吉田)ケイスケと一緒に登って、こういうのはこうやって滑るんだとか、自分たちで撮り合いながら練習できたんだ」
山での撮影を中心とした、いわゆる表現者の世界にすんなりと活動をシフトできたのは、山の環境や仲間の助け、そして何よりも佐藤自身のベーススキルが高かったから。
「やっぱり絶対的にフリーランするんですよね。自分の親父とか一緒にやってた仲間の親たちはもともとサーファーで、そこからスノーボードをやり始めてて。そのオッちゃんたちはパウダーが好きだから、毎日のように“一緒にこっち行くぞ!”って山を登らされたりしてた」
「パウダー滑って、ジャンプ台を作って遊んで、そのあとにパイプ行くみたいなことを、ひたすら一日中やってた」
ハーフパイプからバックカントリーへプロとしての舵取りがあった時期、周りからはすんなりと順応できたように見えていた。それは、常にパウダーや不整地でも板に乗れるように幼少期から鍛えられてきた賜物だったのだ。
アメリカのオレゴン州マウントフッドで開催されていたスノーボードキャンプに、大人たちに混ざって参加していた小学生の佐藤の姿を覚えている。同世代のライダーたちよりも早いうちから海外に出て、いろいろな雪山を滑ってきた彼は改めて、地元・旭川についてこう断言する。
「スノーボーダーにとって、ここは聖地なんだ」
edit + text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)
interview + text: Yukie Ueda
CONTENTS
▶INTRODUCTION|はじめに
▶01|北海道 / 札幌 安藤健次インタビュー
▶02|北海道 / 道北 佐藤秀平インタビュー
▷03|北海道 / ニセコ 渡辺大介インタビュー
▷04|東北 / 北東北 杉本幸士インタビュー
▷05|東北 / 南東北 松浦広樹インタビュー
▷06|群馬 / 利根沼田 中山悠也インタビュー
▷07|新潟 / 魚沼 関口 敬インタビュー
▷08|新潟 / 妙高 小西隆文インタビュー
▷09|長野 / 白馬 美谷島 慎インタビュー
▷10|長野 / 北信 中山二郎インタビュー
▷11|岐阜 / 飛騨 太田宜孝インタビュー
▷12|西日本 / 近畿・中国 中尾正明インタビュー
▷OUTRO|JAPOW PRIDEからJAPOW FROM___へ。
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BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE
ISSUE 11 「JAPOW PRIDE ──ニッポンの雪と山と文化を知る──」
北海道・ニセコや長野・白馬を中心に大挙して押し寄せている外国人は、なぜ日本の雪山にこだわり続けているのか。それは、ここまで多くの人々が日常生活しているエリアに雪が大量に降る国がないから。米アラスカの僻地やカナダBC州の山奥には、もちろん大量に極上パウダースノーが降り注ぐ。しかし、それとはワケが違う。街があり、その近くに多くのゲレンデが点在し、ハイクオリティなパウダースノーが堪能できる。しかも、食事も温泉も人も最高。さらに言えば、リフト券が格安だ。これらが日本が世界に誇るべき価値なのである。これを言い換えれば、僕たちは世界中の雪を愛する人々が羨む環境に住んでいるということ。だからこそ、ニッポンの雪と山と文化を改めて知ってほしく、この一冊を編むことにした。世界一の豪雪大国に住むスノーボーダーの胸に、“JAPOW PRIDE”を刻みこんでもらいたい。

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