BACKSIDE (バックサイド)

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FEATURE

【創刊10周年特別企画】ISSUE 4「スタイルこそすべて」山根俊樹インタビュー〈第3章〉自由のために戦う生き方

2026.08.04

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競技で世界レベルの実力を証明し、撮影という原点へ戻った山根俊樹。しかし、それは終着点ではなかった。彼がスノーボードを通してたどり着いたのは、「どう滑るか」ではなく、「どう生きるか」という問い。そして、その答えが「FIGHT FOR LIBERTY」だった。
 
※以下、2017年に綴った言葉をそのまま掲載
 
 
EPISODE 3

自由のために戦う生き方

「昔のスノーボーダーたちのほうが盛り上がってたと思うんですよね。オレの中で震える瞬間っていうのが、昔のシーンにはたくさんあったような気がして。そして時代は流れていって、昔と今は違うからっていう理由からなのか、みんな何もアクションを起こさずに落ち着いていくじゃないですか。オレは、それじゃダメなんじゃないかって思うタイプなんです。みんなはそれでいいと思ってるから落ち着いてるのかもしれないけど、オレは続けられるものなら続けていきたいし、昔の価値観のほうがいいと思ったらそれを伝えていきたい。そういうのを言い続けることだったり、自分が身を投じている世界を拓き続けていくことって難しいと思うんですけど、オレはやれなかったとしてもやりたいっていう考え方なんです。だからやり続けるしかないと思ってるし、ずっと燃え続けていたい。STARILL FILMのときもオレが入ったタイミングは人数が減り始めていて、クルーとしては落ち目だったと思うんです。それでも根本は何も変わらず楽しみながら進化していくっていうのが、オレにとってのスノーボードだなと感じて。“オレたちマジで超楽しんでるよ。昔と何も変わらずにね”って。誰かにやらされてるわけではなく、オレのスノーボードはこうだっていうのを伝えていかないと、自分自身が潰されちゃうと思ったんです。それで、“FIGHT FOR LIBERTY”っていうスローガンを掲げて活動するようになりました」
 
これは、TBAで2位になったことで群がってくる大人たちを見てきたなかで、スノーボードに対する考え方が変わったと前章で述べていたが、その話の流れで発された言葉である。
 
「酒とか飲みながら、“お前、海外でも通用するからもっと上に行っちゃえよ。余裕っしょ”みたいな感じで軽いノリで言ってくる人がいたんですけど、そういう舞台の大きさとか関係なく、本気になれる瞬間や場所っていうのは人それぞれあるわけじゃないですか。オレの中で、そいつが言ってるような大舞台に出なきゃいけないっていう考え方は違うんだって歪みが生まれちゃって、じゃあ楽しいスノーボードって何なんだ?って深く考えるようになりましたね」
 
それを求めた結果、FIGHT FOR LIBERTY(以下FFL)という表現方法であり、生き方にたどり着いた。
 
「自由のために戦え」と訳されるこのフレーズは、世界の喜劇王として知られるチャールズ・チャップリン氏が監督、制作、脚本、そして主演を務めた映画『独裁者』(1940年作)での名台詞だ。この映画は、アドルフ・ヒトラーの恣意的な独裁政治を批判した作品であり、独裁者のヒンケルとその政治姿勢に反対するチャーリー(どちらもチャップリン氏が演じている)が将兵の間違いにより立場が入れ替わってしまい、チャーリーが兵士たちの前でスピーチすることになる、という内容。
 
このスピーチが感動的で有名なわけだが、とある人材紹介会社のテレビCMにその一部が採用されたことがあり、このように紹介されていた。「これだけは伝えたい。絶望してはいけない。自由は決して滅びることはない。君たちは機械ではない。家畜でもない。人間なんだ! 君たちには力がある。モノを発明する力が。幸福を生み出す力が。君たちには力がある。人生を自由で美しく、素晴らしい冒険に変える力が! 戦え! 自由のために」
 
これはほんの一部にすぎないのだが、映画のラストを飾る約6分間のスピーチから俊樹はインスパイアされたのだった。そして、彼が表現者として生きていく礎であるFFLは、次のような思想から成り立っている。
 
「スノーボードにどっぷりハマることで、スノーボード以外のことも深く考えるようになりました。滑りのスタイルって、その人の生き方がそのまま反映されていると思うんです。だから、スノーボードが上手くなりたいんだったら、いろんなことを考えたり感じたりしないといけない。これから自分が生きていくうえで、いいことも悪いこともたくさんあって、人間なんていろいろ嘘をついたり、人を利用したりもするじゃないですか。本心を隠して仮面をかぶって、誰かが決めた“何か”に従って生きていたりもする。これまでの自分もそうだったし、そこに立ち向かわずに逃げてきたからこそ、こういう風に考えるようになったのかもしれません。当時、大人と話していて思ったのが、子供っていろんな夢を持つじゃないですか? それなのに大人は、子供を無理矢理にでも自分たちの世界に引き込んで、自分たちの都合がいいようにしてるとしか思えなかったんです。もちろん、いい大人もたくさんいるけど、悪い大人に対して、オレは負けた側だって思っちゃったんですよね。18~20歳くらいの頃は、こんなことをすごい考えてオチてました。そんなことを考えてたら、“このままスノーボードをやめて死んでしまったら、こんな腐った人生はないぞ”って思うようになって。スノーボードでは勝ち負けなんて興味ないんですけど、自分との戦いと、社会や常識との戦いでの勝ち負けにはこだわってて、そこだけは負けたくないって気持ちが強いんです。だから、何も隠すのはやめてすべてを見せてやろうと思うようになって、まっすぐに生きている様を周囲にさらけ出せるのが理想だという結論に至りました。それで何か自分を奮い立たせてくれるものを探してるときに、このチャップリンの言葉に出会ったんです。どこかでモヤモヤが消えて、絶対に負けないっていう踏ん切りをつけることができたからこそ、今、こんなにアツくなってるんだと思います」
 
最初はステッカーを配ることから始めた。こうした想いを抱えながらたったひとりで、いちスノーボーダーであり表現者としてのメッセージを届けるために。
 
「ライダーたちはみんな、ブランドやチームのステッカーを板に貼って主張してるわけじゃないですか。その中にひとつだけわからない主張があったら、絶対に人は“なんだそれ?”ってなると思うんですよね。そのことに食いついてくれたら言葉として伝えられるわけだから、より想いを届けやすいかなって。だから、その年からはいろんな人と接するようにして、カッコいいと思った人にはこっちの都合で恐縮なんですけど、ステッカーを渡す活動を始めたんです」
 
このように“自由”を求める道を歩み始めたわけだが、そのためには休んでいるヒマなどない。自らその道を切り拓いていくことに価値を見出し、そのためにも自らを追い込んだ。
 
「北海道でSALOMONのチームシューティングをしたときの話なんですけど、フィルマーがしっかりといて、撮影場所に関してもロケーションに詳しい中井くんや(吉田)啓介くんたちが決めてくれて、オレたちはついていくだけだったんですよね。カメラマンも当たり前のようにいて。すべて用意されてる状況で、こんなの(滑りに対して)本気出せて当たり前じゃんって思ったとき、不安に襲われたんです」
 
中学時代、大人に混ざって経験してきたことを繰り返しているような錯覚に陥り、焦りを覚えたのかもしれない。とは言え、プロスノーボーダーとしてライディングだけに集中できる環境を手放す理由などなく、それに勝るものなど決してないはずなのだが。
 
「SALOMONのシューティングをやりながら、仲間を集めて自分たちでも撮影をするようになりました。世界を目指すことも有名になることにも興味はあるし、ライディングだけに集中できればいいスノーボードライフが送れることは間違いないと思うんですけど、自分たちで何かを起こすことのほうに興味があるんです。ゼロからイチを作れる人間にならないと納得できない。そういう想いが強くなってくると同時に、海外に出て活動しないとダメなんじゃないかと思うようになりました」
 
2016年の春、イーサン・モーガンやイエガー・ベイリー、トア・ランドストロムらタレント揃いのBATALEONにインターナショナルライダーとして招かれ、そして、先に述べたステッカーをほしがる有能な仲間たちと巡り合ったことで、抽象的なメッセージを発信するだけでなく、映像や写真を通じてFFLの世界観を形作っていくことに踏み切ったのだ。
 
世間一般のビジネスマンに例えれば、やり手のフリーランサーと言ったところか。ただし、効率を優先して他人を蹴落としてでも目的に向かって突っ走る“やり手”のビジネスパーソンとは異なり、泥臭く、本質にこだわり、回り道をしてでも己のスタイルを貫く“やり手”のスノーボーダー。それが山根俊樹である。
 
「自分でもわかってるんですよね。オリンピックとか大会に出て結果を残したほうが出世が早いわけじゃないですか。その後でも自由にできるわけだし。そういうのをわかってるから、オレは今歩んでる道を選んだんです。あっちの道はみんなが通ってるわけだし、ひとりくらい通らなくてもいいんじゃないかと思って。それで突き抜けられなかったらそれまでだし、もし突き抜けられたとしたら、そういうヤツが一番カッコいいとオレは思えるから」

text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)

 
 
CONTENTS

Tadashi Fuse

EPISODE 1 命と引き換えに教えられた生きる道
EPISODE 2 世界を認めさせた自己表現力
EPISODE 3 新たなるステージへ
EPISODE 4 スタイルを変えることなく絶対にあきらめない
 

Shuhei Sato

EPISODE 1 遊びながら競い合った少年時代
EPISODE 2 オリンピックという大舞台を目指す決意
EPISODE 3 プロ活動と引き換えに手に入れた滑走力
EPISODE 4 オリンピックはスノーボードの一部
 

Toshiki Yamane

EPISODE 1 鮮烈すぎる中学デビュー
EPISODE 2 華やかな舞台よりもリアルな現場を求めて
▶EPISODE 3 自由のために戦う生き方
▷EPISODE 4 自由だからこそ全力で滑る意義
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本記事は、2017年発行『BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 4「Style is everything──スタイルこそすべて──」』より抜粋掲載。創刊10周年特別企画では、本号の中核を成す布施忠、佐藤秀平、山根俊樹の3つのストーリーを全12回にわたり公開していく。スノーボードにおける“スタイル”とは何か。紙媒体ならではの写真表現や誌面デザインとともに、2017年当時の日本のスノーボードシーンの空気感も感じとってもらえれば幸いだ。
 

 

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