BACKSIDE (バックサイド)

BACKSIDE (バックサイド)

https://backside.jp/10th-anniversary-archive_08/
44562

FEATURE

【創刊10周年特別企画】ISSUE 1「國母和宏という生き様」〈第6章〉日本中からバッシングされた男が「本当に伝えたかったこと」

2026.06.09

  • facebook
  • twitter
  • google

2010年当時、多くの人は服装や発言だけを見ていた。しかし16年の歳月を経た今、この章を読み返すと見えてくるものがある。國母和宏が貫こうとしていたのは反抗ではない。スノーボーダーとしての矜持だった。ミラノ・コルティナ五輪後に交わした言葉も含めて読むと、その意味はより深く胸に響く。
 
INTRODUCTION はじめに

▶EPISODE 1 “世界のカズ”を築き上げた「幼き夜の大冒険」

▶EPISODE 2 好きなことに本気で打ち込み勝ち取った「史上最年少プロ」
EPISODE 3 競い合った先に見えた「グローバルライダーとして生きる道」
EPISODE 4 言葉の壁を越えて“本場”で学んだ「プロフェッショナルの流儀」

▶EPISODE 5 世界を相手に孤軍奮闘する中で掲げた「日本を変える存在になる」
▶EPISODE 6 日本中からバッシングされた男が「本当に伝えたかったこと」
 

▷EPISODE 7 北米文化に挑み続けたサムライがたどり着いた「世界の頂」

▷EPISODE 8 仲間とともに苦難を乗り越えて成し遂げた「國母和宏の夢」

▷EPISODE 9 高すぎる意識とスキルが招いた「失われた自信と求められる価値」

▷OUTRO 
 
 

※以下、2016年に綴った言葉をそのまま掲載
 
EPISODE 6

日本中からバッシングされた男が「本当に伝えたかったこと」

「カッコいいスノーボードを伝えたい。一般の人でもわかると思うんですよね。パイプしかやってないヤツの滑りと、そうじゃないオレたちの滑りを。バックカントリーとか、いろんなところを滑ってるかどうかまではわからないかもしれないけど、本当に楽しんで滑ってて、イケてる滑りは伝わると信じてます」
 
バンクーバー五輪を前にして、このように語っていたカズ。1998年の長野五輪からオリンピックの正式種目と化したハーフパイプ競技は、バンクーバー大会で4回目を数えた。……と、オリンピックについて話を進めていくにあたり、少しだけおさらいをしておきたい。
 
正式種目として採用されるにあたり、当時スノーボード界の競技運営を行っていたISF(国際スノーボード連盟。2002年に解散)が出し抜かれ、FIS(国際スキー連盟)がその運営権をIOC(国際オリンピック委員会)から受託するという不可解な事態が起こった。これに対し、スノーボードの歴史や文化を軽視した行為であると納得できなかったテリエ・ハーカンセンがボイコット。この時代のテリエは誰もが認めるハーフパイプ競技の王者であり、彼が出場しない時点で、スノーボード界にとってオリンピックは世界最高峰の舞台ではなかったのだ。
 
しかし、世代が入れ替わるごとに当初のわだかまりは薄まっていくのだが、それとは反比例するように競技化が加速。国によって価値は異なるだろうが、メダルという名誉をかけてトリックの高難度化が急がれた。その結果、勝つためには複雑難解な技が求められるようになり、そこに個性を投影することが難しくなる。結果、多くの者が似通った滑りを披露するようになり、フリースタイルという本質と矛盾する格好に。それは現在にも通ずる話なのだが、この話を聞けば冒頭のカズの言葉をより深く理解できるはずだ。
 
「パイプだけやってるヤツとそうじゃないヤツの滑りって、カッコいいの基準が違うんですよ。パイプの上から下まで全部回して……それってすごいことだけど、オレの中でカッコいい滑りっていうのは、マックツイストでブッ飛びながらスローに回して、ジャパングラブで反って、そしてアーリーウープでブッ刺して……」
 
“難易度”よりも“表現力”こそがフリースタイルスノーボーディングである、このようにカズは言っているのだ。「競技で求められる“勝つ”滑りと、撮影で必要とされる“魅せる”滑りとの間に違いはない」と断言するように、魅せる滑りで勝つことがカズの美学である。
 
こうした価値観は、高校時代から単身で本場のスノーボードシーンに乗り込み、その最前線で格闘しながら培われたものである。21歳という若さだが、すでに日本のスノーボード界を背負って立つ存在。国を代表するアスリートという意識よりも、スノーボーダーとしての生き様を世界中に発信したい気持ちのほうが圧倒的に上回っていた。
 
「出るからには勝ち負けにもこだわってます。カッコいい滑りっていうのは、もちろん勝てる滑りじゃないといけないから」
 
こうした想いを胸に、いざ決戦の地・バンクーバーへ。だが、成田空港でテレビ局のカメラに撮られた映像がお茶の間に流れると、國母和宏の名が指名手配犯かのように全国に波及……いや、世界中を駆け巡った。例の服装問題だ。
 
この騒動を簡潔に振り返っておくと、日本選手団が着用する公式服のネクタイを緩め、シャツの裾をベルトの外に出し、スラックスを腰穿きしている映像を観た視聴者から、JOC(日本オリンピック委員会)やSAJ(全日本スキー連盟)に苦情が殺到。それを受けたSAJは、カズに対してオリンピック村への入村式の参加自粛を言い渡し、緊急の記者会見を開いた。そこで記者の質問に対して思わず出た「ちっ、うっせーな」という“ぼやき”がテレビ各局のマイクに拾われ、その直後の「反省してまーす」と間延びした発言が多くの人を逆上させたことで、さらに批判が強まった。SAJはカズの競技への参加辞退を求めたが、橋本聖子団長の意向により出場するに至る、という流れだった。
 
一般論として“ダラしない”服装に映っただろう。だが、高校生の大半は腰穿きをしているわけで、それをダラしないとする大人と、それがカッコいいと思う若者。テレビに出ているコメンテーターなどを見ていても、しっかり正装をする人もいれば、あえて着崩している人もいる。ダメージデニムがカッコいいのかカッコ悪いのか……要は好みだ。ただ、日本社会に埋め込まれた文化的コードとして、目立つことや人と違うことが“恥ずかしいこと”とされている。だから叩かれた。しかも、日本国民の多くが注目しているオリンピックだったのだから、なおさらだ。
 
しかし、事をさらに大きくしてしまったのは、入村式の自粛や記者会見を行ったことにあるような気がしてならない。実際に炎上したのは腰パン以上に、その会見でのカズの発言だった。
 
「あの報道が出るまでは、服装のことをSAJからは何も言われてなかったんですよね。取材のときは(ネクタイを)締めろよって言われてたから、それには従ってたし。報道があってからも、オレは叱られてもなければ注意も受けてなかった。だから、記者会見で“叱られたのか”とか“入村式の辞退には納得してるのか”って聞かれても、“いや、ちげーし!”とは思いました」
 
連盟の指示に従っていたはずのカズはマスコミの餌食となり、話はドレッドや鼻ピアスにまで広がった。さらには、国民の税金にまで発展。JOCがSAJに対してどのような指示を出していたのかまではわかりかねるが、SAJによる指導のもとでの行為に対して謝罪しろと言われても、ああなって仕方ないのではないか。自分にウソがつけない実直な男だからこそ、あのような発言が飛び出したのだ。
 
成田空港で行われた公式の囲み取材では、連盟の指示に従って服装を正していたカズだったが、それ以外のシーンをすっぱ抜かれたのが、みなさんがご覧になった映像である。だがカズは、ただ単に着崩していたわけではない。6年あまりの時を経て、改めて次のように語ってくれた。
 
「スノーボーダーとしてクソ真面目すぎたんだと思う(笑)。ピシッとネクタイを締めたりするのは、なんかいつもとは違う方向に自分を持っていってることだと思うから、オレはスノーボーダーらしく振る舞っただけ。あれが一番の正解だったと思うし、それがスノーボーダーだから。だから叩かれたけど、別に何とも思わなかったですね」
 
「批判を受けるってわかっててああいう服装で行ったわけだし、オリンピックの本番に対しての気持ちは、最初から最後まで変わりませんでした」
 
後半はバンクーバー五輪の直後にインタビューしたときの言葉だ。カズは自分流のカッコよさを貫いた。それは服装だけでなく、マスコミによる執拗な質疑応答に対してもそうだった。
 
筆者はトリノに続き、バンクーバーにも取材のため乗り込んでいたわけだが、会場に到着すると公式練習中のカズが目に飛び込んできた。滑り終えたタイミングを見計らってスタンドから大声で呼びかけると、両手を掲げながら笑顔の彼が。騒動が常軌を逸していただけに心配していたのだが、そこにはいつものカズがいた。
 
予選は1、2本目ともにパーフェクトな演技を披露し、セミファイナルを飛ばして、一気にファイナル進出。その滑りは群を抜く美しさだった。スムースすぎるバック・トゥ・バック1080、時空を止めるかのようなマックツイストを含めたトリックはもちろん、ランディングからボトムランに至るまで、滑らかなフリーライディングを見ているかのよう。この時点では、メダルの行方を左右するとされていたダブルコークは温存する形をとっていた。
 
そして、ファイナル1本目。ラストヒットにフロントサイド・ダブルコーク1080を組み込むルーティンで勝負に出た。フロントサイドグラブ→マックツイスト→フロントサイド1080→キャブ1080まではパーフェクト。ラストヒットを固唾を呑んで見守っていた。完璧なテイクオフから放たれたフロントサイド・ダブルコーク1080は、ハーフパイプの壁とボトムを結ぶトランジションに着地すると、雪面に詰まるような形で前のめりに激しく転倒。「オレにとっては完璧でした。絶対に立ったと思った」とは後日談での言葉。あえて言わせてもらう。立っていたらメダルは確実に獲れていた。そう断言する。
 
運命の2本目。1本目の転倒で顔から流血しながらも、同じルーティンを寸分狂わず完璧に決めてきた。そして、ラストヒットのダブルコークはグラブ時間を短くすることで回転力を微調整するも、転倒こそしなかったが着地を完璧に決めることはできなかった。しかし、守りに入ってメダルを狙いにいくことなどせずに、2本とも攻め抜いた結果として8位入賞。順位には納得いくはずもないだろうが、信念と己のスタイルを貫いただけに、その表情には一点の曇りもなかった。
 
「結果がどうであれ、最初から最後まで自分の滑りを貫き続ければ、まわりもそれに応えてくれる。やっぱり、スノーボードは結果がすべてじゃない。自分の信念を曲げなければまわりの人たちはついてきてくれるんだ、っていうことを確信できました」
 
彼の滑りを観ていた国民は、批判の矛先だったカズに対して、少なからず期待感を抱いたことだろう。賛否はもちろんあった。けれど、彼が伝えたかった“カッコいいスノーボード”は、賛成派や擁護派の人間には届けられたに違いない。
 
「とりあえず、撮影に戻りたいって感じでしたね」
 
オリンピックはあくまで大会のひとつにすぎない。加熱しすぎた報道が落ち着きを取り戻すとともに、カズは世界中に点在する裏山へ、プロスノーボーダーとして戻っていった。

text: Daisuke Nogami(Chief Editor)

___
 
本記事は2016年発行『BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 1「KAZU KOKUBO ──國母和宏という生き様──」』より抜粋掲載。誌面では全9章にわたり、國母和宏のスノーボード人生を収録している。紙媒体ならではの写真表現や誌面デザインとともに、その時代の空気感も感じとってもらえれば幸いだ。
 

 
【バックナンバーのご購入はこちら】

https://backside.theshop.jp/items/24215009

RECOMMENDED POSTS