BACKSIDE (バックサイド)

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FEATURE

【創刊10周年特別企画】ISSUE 1「國母和宏という生き様」〈第9章〉高すぎる意識とスキルが招いた「失われた自信と求められる価値」

2026.06.12

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世界の頂点に立ちながら、自信を失っていた。改めて読み返すと、この章で描かれているのは成功者の物語ではなく、滑り続ける理由を探し続けた男の葛藤である。その苦悩を乗り越えたからこそ、彼は今なお世界のトップとして君臨している。彼の生き方は机上で学べるものではない。「國母和宏という生き様」そのものが、スノーボードという横乗り文化が育んだ、稀有な哲学である。
 
INTRODUCTION はじめに

▶EPISODE 1 “世界のカズ”を築き上げた「幼き夜の大冒険」

▶EPISODE 2 好きなことに本気で打ち込み勝ち取った「史上最年少プロ」
EPISODE 3 競い合った先に見えた「グローバルライダーとして生きる道」
EPISODE 4 言葉の壁を越えて“本場”で学んだ「プロフェッショナルの流儀」

▶EPISODE 5 世界を相手に孤軍奮闘する中で掲げた「日本を変える存在になる」
EPISODE 6 日本中からバッシングされた男が「本当に伝えたかったこと」

▶EPISODE 7 北米文化に挑み続けたサムライがたどり着いた「世界の頂」
EPISODE 8 仲間とともに苦難を乗り越えて成し遂げた「國母和宏の夢」

▶EPISODE 9 高すぎる意識とスキルが招いた「失われた自信と求められる価値」
 

※以下、2016年に綴った言葉をそのまま掲載
 
EPISODE 9

高すぎる意識とスキルが招いた「失われた自信と求められる価値」

“立つ”のか“ヤラれる”のか。そのギリギリの瀬戸際にあるライディングにしか、彼らは興味がなかった。5年間に渡りクルーが一丸となり、こうしたアグレッシブな滑りを追究し続け、日本スノーボード界に革命を起こしたわけだ。これがSTONPであり、映像作品『STONP OR DIE』(初年度のみ『”S” TRIPPERS & POWDER JUNKIES』)である。
 
2015年9月5日。ブラックミュージックの聖地として知られる東京・渋谷の老舗クラブ「HARLEM」が揺れた。STONP最終作となる『STONP OR DIE』のプレミアが行われたのだ。これまで長きに渡って様々な映像プロダクションの試写会を見てきたかぎり、ストリートやクラブシーンから、さらにスノーボードをやるのか疑わしいキレイめな女子に至るまで、スノーボーダーだけではない人種のるつぼと化したプレミアに初めての感覚を味わった。シーンの垣根を越えてスノーボードのカッコよさが届けられたという証だ。そんな絶頂期に幕を下ろすことになったSTONPとは、いったい何だったのか?
 
「この5年間は、ただの5年じゃない。滑ること、撮ること、プロモーションをすること。それら全部を自分たちでやらなきゃいけなかったから、思い立ったらすぐに行動しないと間に合わない、詰め込みまくった5年間でした。オレらの作品には、“気持ちよく”滑ってる映像は少しでいい。それはSTONPで出す映像として考えたときに、ちょっと違うなって。攻めの滑りこそがSTONPとしての理想であり、最初からそんなイメージでやってきた。STONPを好きでいてくれる人たちは、徐々に落ち着いていくオレらの滑りなんて見たくないと思うし、オレたちだって見せたくない。クルー全員が、それぞれ理想とするパフォーマンスができる期間というのもかぎられていて、それがやっぱり5年という時間だったと思う。また、日本のライダーたちには、STONPをあくまで通過点としてとらえてほしかったんです。ダラダラ続けてると、おそらくSTONPに出ること自体が目標になっちゃうから。そうなると、STONPから海外へ出ていきたいと思ってるヤツらの足を引っ張ることにもなりかねない。だからこそ、長くやる必要はないって感じてましたね」
 
“日本のシーンを変える”ことがカズの夢であり、“日本のシーンに革命を起こす”ことがSTONPとしての使命。だから、絶頂期に終わらせた。だが、その活動はシーンに対するものだけではなかったようだ。STONPを通じてカズが仲間たちに与えたかった強い想い。それは──。
 
「日本のシーンを変えたいっていうのと同じくらい、アイツらにスノーボードでいい思いをさせてやりたいって気持ちが強かったんですよね。むしろ、そっちのほうが大きかったくらい。共感できる仲間がスノーボードでいい思いをできれば、ってことしか考えてなかった。STONPとして絶対に見せてこなかったのは、オレらが苦労してたり切羽詰まってるところ。お金に余裕があったわけじゃないけど、いい海外トリップにもめっちゃ行ったし、クルマを買ってバンツアーもやった。今はスノーボードで潤ってる人が少ないからこそ、そういうのを見た一般の人たちがスノーボードを始めたいっていうキッカケになればいいですよね」
 
「もともと儲けようなんてつもりでやってないし、最後の2年くらいは切り詰めてやってました。でも、その分を最終作のプレミアに回すことができた。全国各地から出演ライダーを呼んで、かなり大掛かりなパーティーを仕掛けたのも、最後くらいはみんなにいい思いをさせてあげたいって気持ちがあったから。やっぱり地に足の着いた夢のあるスノーボードを語るためには、ライダー自身がそういった経験を重ねていくことが大切だと思うんです」
 
現在の日本では、滑りだけで食っていけるプロスノーボーダーの数は減少の一途を辿っている。肩書だけのプロ資格保持者、メーカーからの物品提供を主としたライダー契約を結んでいるスノーボーダーはごまんといるが、カズが言うように滑ることで潤っている人間は少ない。プロとしての誇りや意識を仲間たちに提示し、さらにはシーンにも還元させようとしていたのだ。
 
「可能性は見えたんだと思う」
 
STONPクルーが今後のスノーボード人生を過ごしていくうえで、どう変わったと思うか?と尋ねた際の答えだ。
 
こうしてひとつの時代が幕を下ろすと、カズはSTONPのボスという立場から、いちプロスノーボーダーへと戻っていった。世界トップのムービースターという立場に君臨している彼が掲げるネクストステージとは、いかなるものなのか。
 
「自分のなかでは、まだまだトップとは言えないんだと思います。そもそもオレは、常に世界のトップライダーたちに中指を立て続けてきた自負がある。それこそ15歳の頃から、自分ならトップのヤツらと対等に渡り合えると思ってたし、そのためには自分の滑りを絶えず形に残していかなきゃダメだって肝に銘じてきたから。これまでにいろんな後悔も重ねてきました。あらゆる段階で、“なんだよ、まだオレってこんなかよ?”って自分に対して憤りを感じながら、自分をなかなか認めてくれないシーンに対してもフラストレーションを感じてきました。それに、オレはジャンルに関係なく、そのすべてに対してライバル視してますから。キッカーでジャンプをやってるライダーにはジャンプで負けたくないし、パイプをやってるヤツにも負けたくない。パウダーでのジャンプだって、ビッグマウンテンでラインを刻むことだって負けたくない。それら全部がスノーボードだと思ってるし、自分からジャンルなんて作りたくもない。そんな気持ちがあるからこそ、今までも満足できなかった。だから、ずっと滑り続けてきたんだと思ってます」
 
この気持ちを胸に、15-16シーズンはUNION BINDING COMPANYのチームムービー一本に絞って、撮影に臨んだ。ひとつの作品だけに集中できるシーズンは、カズにとって初めてだった。
 
「100%の力をひとつの映像作品に注げるのはUNIONチームムービーが初だったから、これまでやってきたことを越えたかったし、ネクストレベルへ自分を持っていくつもりで、かなり気合いを入れてやってたんですよね。だから、それなりにヤバいスポットを攻めてたんだけど、2月頭にケガしちゃって……。1ヶ月以上滑れない期間があって、最終的には自分が納得できる映像を残せなかった。そのショックがデカすぎて、“あれっ?”って感じでしたね。自分は今までずっとレベルアップし続けてきてたんだけど、いつもより気合いを入れてるシーズンだったにも関わらず、例年と同じくらいのレベルで終わっちゃって。身体もボロボロになって、気持ちも疲れてて、“もうこれ以上は上に行けないのか?”って不安に……いや、自信がなくなってました」
 
小誌「BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE」を創刊するにあたり、一冊すべてを通してカズを題材に制作したい意向を伝えるため、2016年6月上旬に彼と会った。そこにはいつもどおり笑顔のカズがいたのだが、来シーズンの活動や方向性に話が及ぶと、「いやー、どうしていいかわからないんですよね」と魂が抜けたように語っていたのが印象的だった。5月中旬までアラスカで撮影を続けていたため、疲労からくるものなのだろうとは思っていたものの、様子がいつもとはまったく違っていた。その理由がこれだったのだ。
 
「(3年)前にケガしたときに覚えた身体の調整方法でやってきてて、万全の状態だった。それなのに今回の結果に至ったから、もう限界なんじゃないかって。スノーボードをこのまま続けていかないと家族を支えられない状態じゃないし、だったらもう、家族とゆっくり暮らしていくのもいいのかなって気持ちが……」
 
12年前から彼を見てきて、以前から将来のビジョンについて尋ねることに少し億劫になっている自分がいた。これまでのキャリアを鑑みたとき、スパッと“辞める”道を選びそうな気がしていたからだ。絶頂期に幕引きしたSTONPもそう。プロデュース力に長けているし、とても賢い。新たなる人生設計があるのではないかと勘ぐっていたからだ。
 
だが、それを完璧に裏切ってくれる回答を得ることができた。その理由は、やはりカズの原点にあったのだ。20年近くに渡って、彼らとともに歩み続けてきたスノーボード人生なのだから。
 
「すげぇ悩みました。悩みまくったけど、解決できたのは、昔からずっと一緒にやってる仲間の存在でした。村ちゃん(村上大輔)は家も近いんだけど、今は第一線から退いてスポーツ店でスノーボード用品を売ったり、自分でパイプのスクールを開いて子供たちに教えてたりしてる。でも、ライダーをやってきた人たちはライダーであり続けることが一番の目標、っていうか理想だと思う。でも、それができる人は環境に恵まれてたり、本当に求められてる人じゃないとできない。だけど、オレは自分から辞めるって言わないかぎり、今の時点では求められてるし、そういう環境にいられるわけだから。今まで見てきた、続けたくても続けられなくなった人たちのことを考えると、自分は身体が動かなくなって滑れなくなるまで、人から求められなくなるまで滑り続けよう、って気持ちになりました」
 
カズは誰かのためには滑ることは決してしない。これまでも、2012年のBURTON US OPENでのウイニングランを除いて、自分のためだけに滑り続けてきた。それは、両親から学んだ自分に対する厳しさや、アメリカの本場で培ったプロ意識をもってして、世界トップの滑走力を身につけるために必要な信念だった。だが、高すぎる意識とスキルによる摩擦が生じて、滑り続ける道を閉ざそうとしていたところに、カズを支えてきた幼馴染らの想いがそれをこじ開けたのだった。
 
カズはいつでも毅然たる態度で振る舞い、己のビジョンを明確に語り、常に自信に満ちあふれている男だ。そのための努力は人の何十倍、何百倍もしてきた。だからこそ、その反動が大きすぎたのかもしれない。「めっちゃ(精神的な)浮き沈みは激しいですね」と自己分析するカズ。こうした葛藤に苦しんでいる最中、小誌が創刊した当日(2016年10月28日)にジャパンプレミアが行われた『STRONGER』の自身のパート映像がUNION本社から届けられた。
 
「やりたいことの理想がめっちゃ高かったから、撮影してるときはずっとダメだと思ってたんですよね。ケガしちゃったこともあって、その理想を下げざるを得なかった。こんなレベルで(映像を)残したところで……ってずっと思ってたんですけど、ムービーを見たら“あれ? 意外にいいじゃん”って」
 
高すぎる意識は、時として自信を喪失させ、自身を見失ってしまうものなのかもしれない。しかし言い換えてみれば、だからこそ周囲の想像をはるかに超えるスピードでプロスノーボーダーとして進化し続けてきたわけだ。
 
さらに周囲からの期待値について言及するならば、カズを求める価値は年々高まっている。16-17シーズン、CAPiTAより自身初となるプロモデルのボードが、さらには、adidas SnowboardingとCAPiTAのコラボ商品として、コーチジャケットとシューズのシグネチャーモデルがリリース。日本やアジアマーケットを意識したプロモデルとはわけが違う。全世界に流通される、世界標準でのシグネチャーモデルなのだ。
 
「グローバルライダーのひとりとして、シグネチャーモデルを世に出して恥ずかしくないってメーカーが認めてくれたことが、すごく嬉しかった。シグネチャーモデルを出してる日本人ライダーも何人かいるけど、オレはスノーボーダーとして海外で育ってきたと思ってるんですよね。未熟な頃から向こうで活動して、そこで叩き上げられて、ようやく認められて。その結果として海外のブランドから全世界に向けてプロモデルを出せるってことが、オレのなかでは大事だから。日本でずっとやってて有名になって(シグネチャーモデルを)出すっていうのとは、まったく意味が違う」
 
世界中がカズを求めている証である。その大きすぎる期待値を理解しているかぎり、彼がその歩みを止めることはない。求めるものが高すぎるが故に失いかけた自信を取り戻した先──國母和宏の目に、次なるフェイズはどのように映っているのだろうか。
 
「もし、そこまで行ければ、ずっと滑り続けられるだろうなって。でも、そこにたどり着くためには、これからも休んでるヒマはないってことに気づきました。これまでのスノーボードの歴史を振り返っても、オレが数えるとしたら数人しかいない。いつまでも名前が残っていて、いつまで経っても求められるスノーボーダーっていうのは。レジェンドって呼ばれた人たちはたくさんいるけど、それはその当時の滑りが評価されたレジェンド。でも、テリエやジェイミー、イグチとかは、昔も評価されたうえで、今もなお求められている。彼らのスタイルには憧れますね」
 
これまで、誰かに“憧れる”という表現は一切聞いたことがなかった。コンテストの頂点を極め、ムービーでも世界中のスノーボーダーからの大きな支持を集めた男にとっても、この“夢”は壮大な目標に映っているのかもしれない。しかし、具体的な表現に置き換わったことを踏まえると、ついに、その崇高なるステージが射程圏内に入ったということなのだろうか。
 
「誰もが認めるすごいビデオパートを獲ったところで、そこにたどり着けるかっていったら違うと思う。自分がなりたくてなれるものじゃないから」
 
滑りだけではない、人格者としての器が求められるということだ。
 
カズが言うように、北米からはジェイミー・リンやブライアン・イグチが、北欧からはテリエ・ハーカンセンという伝説のライダーが輩出された。彼らは筆者と同世代のライダーたち。カズは年齢こそひと回りほど下になるのだが、スノーボーダーとして生きてきた時代背景は重なる部分が多い。だからこそ、現在のフリースタイルスノーボーディングに求められる価値を熟知しているし、日本からそうしたレジェンドライダーが生まれない理由は、今となっては何もない。その壁は、カズ自身がぶち壊してきたのだから。
 
こうした想いを胸に、自ら手掛けたシグネチャーボードに跨って、16-17シーズンも大雪原で暴れることを誓ってくれたカズ。
 
「燃えるような何かを求めてますね」
 
彼の辞書に“限界”という言葉は存在しない。いや、存在はしていたが、そのページは破り捨てた。日本人スノーボーダー・國母和宏の飽くなき挑戦は、まだまだ続く。

text: Daisuke Nogami(Chief Editor)

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本記事は2016年発行『BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 1「KAZU KOKUBO ──國母和宏という生き様──」』より抜粋掲載。誌面では全9章にわたり、國母和宏のスノーボード人生を収録している。紙媒体ならではの写真表現や誌面デザインとともに、その時代の空気感も感じとってもらえれば幸いだ。
 

 
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