BACKSIDE (バックサイド)

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FEATURE

【創刊10周年特別企画】ISSUE 3「スノーボードと仲間と絆」平野歩夢×平岡卓 “滑りで夢を語り合うメダリストたちの絆”

2026.07.13

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2014年のソチ五輪で日本スノーボード界の歴史を動かした平野歩夢と平岡卓。
歩夢の兄・英樹の存在を介して交わったふたりの人生は、やがて世界の舞台で互いを意識し合う関係へと変わっていく。

 
※以下、2017年に綴った言葉をそのまま掲載
 
 

滑りで夢を語り合うメダリストたちの絆

AYUMU HIRANO × TAKU HIRAOKA

 
改めて振り返りたい。2014年2月11日、ロシアのローザフートル・エクストリームパークにて、日本スノーボード界の歴史が動いた。
 
ソチ五輪ハーフパイプ種目において、平野歩夢が銀メダル、平岡卓が銅メダルを獲得。同オリンピックにおいて日本人選手として初のメダル獲得だったこと、歩夢が日本における史上最年少メダリストに輝いたことも重なり、このニュースはまたたく間に全国を駆け巡った。
 
当然、世界中のスノーボード界にも大きな衝撃を与え、彼らは追う側から追われる立場へ。その後も、それぞれが世界最高峰の舞台で表彰台の頂に上るなど、オリンピックメダリストの名に恥じない戦績を残している。
 
世界のトップを夢見てひたむきに滑り続けてきた小中学生時代から、メダリストとして迎え撃つハーフパイプ種目のトップランカーとなった現在に至るまで、歩夢と卓は常にとなり合わせだった。ピョンチャン五輪開催までカウントダウンが始まっている今。“戦友”である彼らの心の内を探ることにした。
 
 
EPISODE 1

同じ夢を目指して交わった人生

 

 
歩夢と卓の関係性に迫るうえで必要不可欠な重要人物がいる。歩夢の兄であり卓の親友、英樹の存在だ。歩夢の3学年上にあたり、卓とは同級生。当時、いち早く頭角を現したキッズライダーだった。
 
2007年秋、小学6年生だった英樹の活躍を受けて、小学3年生の歩夢も含めた平野家を、以前勤めていたスノーボード専門誌で特集。2006-07シーズン、今はなきNIPPON OPENのキッズジャムで英樹が優勝を飾り、2位に卓、4位に歩夢という順位だった。翌年2008年3月に行われた同大会では卓が優勝、2位に英樹、3位に歩夢。このように、彼らは小学生時代から切磋琢磨を繰り返していたのだ。
 
「オレが大会に出始めた小2のときにはすでに英樹も出てて、ずっとライバルのような感じでした。北海道の真駒内で大会に出たときにいて、“こんなヤツおるんや”って。小学生時代は勝ったり負けたりしてたんですけど、中学生くらいからは、その世代では自分が一歩出てた感じやったと思います」
 
卓は当時をこう振り返る。東の平野、西の平岡という勢力図だったのだろう。奈良で生まれ育った卓は6歳のときにスノーボードを始め、愛媛にあった室内ハーフパイプや岐阜・高鷲スノーパークへ足繁く通って腕を磨き、2009、2010年とJOC(日本オリンピック委員会)ジュニアオリンピックで優勝するなど、中学生になると頭ひとつ抜きん出た存在だった。
 
その頃の英樹は、2008年12月に開催された国内最大規模の国際大会として名を馳せていたX-TRAIL JAMに13歳で初出場。日本人予選で敗れはしたものの、大観衆に臆することなく東京ドームという大舞台で華麗に宙を舞った。しかし、このシーズンに英樹は腰を痛めてしまい、思うような活動ができずに苦しんでいる状況だった。
 
「英樹とは同い年なので、ずっと同じ大会に出てました。小さい頃から歩夢も一緒にいて、明らかにおかしかったんですよね。年齢と技術が合ってないというか、“絶対に上手くなるやろうな”と思って見てました」
 
日本最大級のバーチカルを有することで全国的に有名な、新潟・村上に位置する日本海スケートボードパーク。この施設は、英樹と歩夢の父が設立や運営に携わっている。そこで、幼少期から兄弟そろってスケートボードに励み、冬になるとハーフパイプでしのぎを削っていた。
 
「いつも一緒にいてくれるライバル! でも、いろんなことを教えてくれるから、いてくれないと困っちゃう」と10歳の歩夢は英樹に対するコメントを残しているのだが、三男の海祝も含めて兄弟でボードスポーツに明け暮れる小中学生時代を過ごす。4歳からスケートボードとスノーボードを始めていた歩夢は、10歳の時点ですでに完璧なフロントサイド900を操り、2009年のASIAN OPEN(NIPPON OPENから改称)キッズジャムで圧勝すると、一般の部にも出場してギャラリーを大いに沸かすまで成長していた。
 
「この頃はまだ、オレと卓が話すタイミングはそれほどなかったですね」
 
歩夢が言うように、この時点でのふたりには距離があった。その関係性が近づくのは、お互いが世界の舞台に立つようになってからのことになる。
 
「中3のときに、初めて世界レベルの大会に出ました。NEW ZEALAND OPENだったんですけど、そこで2位になったんです。そのあとのジュニアワールド(世界ジュニア選手権)でも優勝できて。いきなり結果を出せた感じでしたね」
 
BURTON NEW ZEALAND OPENで躍動した卓は、キャブ1080やフロントサイド900など高さのあるスピントリックを決め、7つ年上にあたるソチ五輪金メダリストのイウーリ・ポドラチコフに次いでの準優勝。表彰台の常連だったルイ・ビトーを3位に従えての結果だった。14歳のスーパーキッズが日本から登場したと、世界各国の専門メディアが報じていた。これは2010年夏の話である。
 
同シーズン、2011年3月にアメリカ・バーモント州ストラットンで開催されたBURTON US OPENのジュニアジャムに初出場した歩夢は12歳で優勝を飾り、本選への出場権を獲得。ファイナル進出とはならなかったものの、初となる世界の大舞台で13位という成績を残した。
 
このとき、歩夢にターニングポイントが訪れる。敗戦ライダーの中から選りすぐりの実力者のみが滑走を許されるポーチャーラン(ファイナル中のインターバルに演出として滑ること)の機会を得て、目の肥えたオーディエンスを熱狂させたのだ。大人顔負けの高さで空中遊泳する小学生ライダーの噂は、世界各国のスノーボードシーンを駆け巡った。
 
この年、英樹と卓もUS OPENに出場していた。英樹は見事7位となり、卓は歩夢と同様にセミファイナルで敗退となったのだが、この頃から、少しずつふたりの関係が近づいていく。卓15歳、歩夢12歳の冬だった。
 
「このときくらいから出る大会がほとんど同じだったので、海外では一緒に生活することが多かったですね。そこには英樹もいて、卓と同い年で仲もいいから、その流れもあって最初の頃はオレが夕食の皿洗いとかやらされてたんですよ。オレが年下だからって、“オマエやれよ”みたいな感じで。有無も言わさずだったから、“なんでオレがこんなことしないといけないんだろう”ってイライラしながらやってました(笑)。卓からしたら、最初は“英樹の弟”って目でしか見てなかったんだと思います」
 
なるほど。中3と小6の兄弟が海外へ渡り、しかも兄の友達がいる状況を想像してみてほしい。うんうん、わかる。決してイジメのような話ではなく、兄弟同士のコミュニケーションの一環だったのだろう。
 
「“歩夢も出るんかぁ”くらいの感じやったですね」。US OPENのジュニアジャムで優勝し、本選出場を決めた歩夢の存在に焦ったかどうか質問した際の回答なのだが、ここに卓らしさが非常によくうかがえる。ミスター・マイペース。ここではそう表現させてもらうことにする。
 
その翌シーズン、2011年のBURTON NEW ZEALAND OPENでは、卓が4位、歩夢が5位。2012年のBURTON US OPENでは、卓が6位、歩夢はセミファイナル敗退。國母和宏の3連覇に大きな注目が集まっていたため影を潜めてしまっているが、このとき卓は伝統の一戦で上位入賞を果たした。また、歩夢はジュニアジャムで2連覇を飾り、本選ではNOKIA ROOKIE AWARDを獲得。年齢を超越した爆発力のある巨大エアが高く評価されていたのだ。
 
そして、2012年のBURTON HIGH FIVES(NEW ZEALAND OPENから改称)では歩夢が優勝し、卓は6位。DEW TOURでは卓が3位、歩夢が5位など、両者の争いは拮抗してきた。英樹はケガの影響により、一歩遅れをとってしまった格好に。
 
「みんなでゲームして、負けたヤツが皿洗いをするようになりました。卓とオレが交互にいい成績を出すようになったくらいから、対等な関係になったような気がします。ずっと一緒に行動してたっていうのもあると思いますけどね」
 
「海外の大会を回るようになってから歩夢もすぐ出るようになって、いきなりいい結果を出してました。お互いに切磋琢磨してたような感じですね」
 
卓は17歳に、歩夢は14歳になって間もない頃。年下の歩夢からすれば兄の同級生に“並んだ”という感覚であり、卓はそれほど意識していなかったのかもしれないが歩夢のことをすでに“認めていた”という話なのだろう。
 
この同シーズンにあたる2013年1月、世界有数のトップライダーのみが招聘される世界最高峰のコンテストとして周知されている、X GAMESアスペン大会のインビテーションを受けた両名。
 
「ふたりでX GAMESに招待されるようになってからは、コミュニケーションもだいぶ増えました。ずっと一緒に生活してたから、卓の性格も自分なりに把握できてきて。それぞれタイプが違ったんですよ。英樹がいたっていうのもあるけど、オレは日本での練習を海外に持ち込むような感覚でいて、自分の中ではハードにやってました。卓には卓のやりたいことや練習のやり方があって、オレにはオレでやりたいことがある。それが全然違うものだから、一緒に生活はしてるけど、滑るときは別々でしたね」
 
「歩夢とオレしか海外の大会に出てなかったから、お互いに自分たちの練習に集中してて、そのうえで意識するような関係なんですよ。海外のライダーもたくさんいる中で、自分たちの技術を追求することだけに集中してました。それ以外のことは気にしないでやってこれたから、ある意味、いいマインドやったと思います」
 
こうして、性格もライディングスタイルも異なる後のメダリストたちは、世界を舞台に羽ばたくための助走距離をそれぞれが測っていた。

text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)

 
 
CONTENTS
はじめに
 

STONP 世界に挑んだ男たちの絆

EPISODE 1 STONPが変えた男の人生
EPISODE 2 “STONP OR DIE”が育んだ絆
EPISODE 3 世界一への道のりを支えた仲間の存在
EPISODE 4 仲間とともに生きる道
 

Keiji Okamoto × Yuki Kadono 時空と世代を越えたふたりの絆

EPISODE 1 憧れのお兄ちゃんからライバルに
EPISODE 2 ふたりの想いが起こした奇跡
EPISODE 3 絶望から救ったアイツの存在
EPISODE 4 親子のように強い絆
 

Ayumu Hirano × Taku Hiraoka 滑りで夢を語り合うメダリストたちの絆

▶EPISODE 1 同じ夢を目指して交わった人生
▷EPISODE 2 メダリスト誕生秘話
▷EPISODE 3 認め合いながらしのぎを削る葛藤
▷EPISODE 4 逆境から羽ばたく戦友同士の絆
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本記事は、2017年発行『BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 3「SNOWBOARDING, FRIENDS, AND THE BOND ──スノーボードと仲間と絆──」』より抜粋掲載。創刊10周年特別企画では、本号の中核を成す3つのストーリーを全14回にわたり公開していく。紙媒体ならではの写真表現や誌面デザインとともに、2017年当時の日本のスノーボードシーンの空気感も感じとってもらえれば幸いだ。
 

 
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