BACKSIDE (バックサイド)

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FEATURE

【創刊10周年特別企画】ISSUE 3「スノーボードと仲間と絆」岡本圭司×角野友基 〈第2章〉“ふたりの想いが起こした奇跡”

2026.07.07

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世界へ向かう角野友基と、自らの道を切り拓く岡本圭司。
一度は距離を置いたふたりの時間が、「RIDE FOR KEIJI」と刻まれた一本のボードを通じて再び重なっていく。

 
※以下、2017年に綴った言葉をそのまま掲載
 
 
EPISODE 2

ふたりの想いが起こした奇跡

圭司がスノーボードと本気で向き合い始めたのは大学を卒業してからになるので、23歳を迎える2004-05シーズンにあたる。そこから週6日のペースで室内ゲレンデに通い、その後は神戸キングスに足繁く通ってライディングスキルに磨きをかけてきたことは前述したとおりだ。その結果、わずか3シーズンで国際大会の舞台でトリプル・バックフリップにトライできる技術を習得し、4シーズン目には東京ドームの大舞台でトラビスと渡り合えるほどの滑りを身につけていたということになる。
 
私事で恐縮だが、筆者も大学時代に4年間ライディングに明け暮れ、圭司と同じように就職活動をして内定はもらったものの、その職に就くことなく滑る道を選択した。そうした経験を踏まえると、彼の上達スピードが尋常ではないということを深く理解できる。しかも、ライディングレベルは筆者の時代とは比べものにならないくらい高いのだから、なおさらだ。
 
友基は若かったから、乾いたスポンジの如く様々なことを吸収して……という言葉で片づけるのは安直な話である。圭司は「好きなことだったから苦労した覚えはない」と言うが、ここまで急激にスキルアップするためには生半可な気持ちでは不可能であり、並々ならぬ努力なくして成し得ることはできなかったはずだ。そうした環境に友基は自ら飛び込んでいた。もちろん、確かな才能もあったのだろう。しかし、これ以上ない境遇に身を置いていたことも事実である。
 
だが、友基が世界へ向けての階段を登り始めるとともに、ふたりの関係は一定の距離を置くことに。
 
「友基が12歳くらいから15歳くらいまではずっと一緒にいました。ニュージーランドも一緒に行ってるし、大会も一緒に回ってたし、撮影も一緒だし、オフはキングスで一緒に練習してるし。オレが大会に出るのをやめてちょっと経ったくらいに、アイツが北京で開催されたAIR+STYLEに出たんですよ。上手くいったら決勝に残れるかどうかのレベルだったんですけど、そのときいきなり(バックサイド)トリプル(コー
ク1440)を立って。そこら辺からじゃないですかね。オレの手を離れていったのは」
 
2012年12月。友基は16歳のときに、2回目の出場となったAIR+STYLE北京大会で優勝を飾った。ビッグエア種目における日本人の優勝は、古くは2001年に東京・有明で行われた「AIR FLY」という国際大会で柳沢景子が表彰台の頂に上がっているのだが、男子では全大会を通じて史上初の快挙。その年の夏にニュージーランドで一度成功させてはいたものの、オンスノーでは一切練習をしていなかったバックサイド・トリプルコーク1440を決めての結果だった。当時、このトリックは間違いなく世界最高難度。マーク・マクモリスとトースタイン・ホーグモが同年1月にX GAMESで成功させ、世界中のライダーたちが挙って練習に明け暮れている最中、コンテストでの3人目の成功者は16歳の日本人ライダーだったのだから、出場ライダーはもちろん、世界中のスノーボーダーが驚嘆したわけだ。
 
「北京で勝ってからの友基は、ほとんど海外の大会を回るようになってましたね。東京の高校に通うために引っ越してたし、オレも同じ時期に会社を立ち上げたりして忙しくなってたから、ほとんど連絡をとらなくなって。基本的に友基は東京でオレは関西にいて、シーズン中も友基は海外でオレは白馬っていう感じやったから、撮影とか試写会でたまに会うくらいの感じでした」
 
その後の友基は、オリンピックに照準を合わせて参戦していた2013年のFIS(国際スキー連盟)ワールドカップ・スロープスタイルで初優勝し、そのシーズンの種目別優勝を飾る。2014年に初出場したX GAMESアスペン大会のビッグエアで銀メダルを獲得すると、ソチ五輪のスロープスタイルでは8位入賞。2015年のX GAMESアスペン大会ビッグエアでも銅メダルを獲得するなど、世界の舞台で着実に力をつけていった。
 
このように海外を転戦する超多忙な高校生にはしっかりとしたサポート体制が整っており、圭司は友基のことを案じながらも、己の道を切り拓くことに努めていた。2012年からスタートしているスノーボードフェス「MIXJUICE FESTIVAL」の運営や、2014年にはスノーボードの専門番組「NO MATTER BOARD」のMCを務め、同年にオープンした大阪キングス、さらには、国内からコンテストが失われつつあったことを危惧して開催の準備を進めていた「COW DAY」など、ライダー活動に加えて裏方としても精力的に動いていたのだ。
 
プロスノーボーダーとして世界的に知名度と実力を高めていた友基、そして、プロとして活動する傍らでシーンを活性化させることに邁進していた圭司。
 
「なんか知らんけど、大会中のあと1分でドロップするってときに、いつもメールとかしてくるんですよね。“かましてくるわ”って」とは圭司の言葉だが、離れてはいても精神的には深くつながっていたのだろう。
 
そして、ふたりの関係を再び大きく動かす転機が訪れることに。2015年2月7日、バックカントリーでの撮影中に圭司が大事故を引き起こしてしまった。それから10日後に自身のブログで、“脊髄を損傷して下半身が動かなくなってしまいました”と公表。スノーボード業界だけでなく、一般社会にまで激震が走ったわけだが、その決断に至る前、圭司は友基に連絡をしていた。
 
「親と奥さんはもちろん知ってたんですけど、スポンサーや仲間に話す前に、友基にだけ伝えたんです。実はオレ、こういうことになったからって。自分にとっては弟みたいな感じやったから。それがちょうど(AIR+STYLE)ロサンゼルスの前やったんですけど、大会前にアイツから連絡があって、“オレが優勝するの無理やと思うやろ。でもオレ、絶対に勝つから”って言ってきたんです。そのときは脚がまったく動かなかったんですけど、“オレが勝ったらケイジくんの脚、絶対に動くから”って」
 
「“言葉”って難しいじゃないですか。誰でも言えることだし、思ってなくても言えることだし、そのときは海外にいたから伝えられたとしても電話だったし。“ケイジくん、頑張って”ってみんなから言われると思うんですよ。それをオリンピックのときに痛感して……。“ユウキ頑張って”っていろんな人からめっちゃ言われて、ホンマにその人がそう思ってるのかどうかもわからなくなるくらい、何ヶ月もの間ずっと言われ続けてたんです。“そんなに言われなくても頑張るし!”みたいな感じになった時期もあって、オレはそれを学んだ立場として、圭司くんに対しては言うべきじゃないな、と思いました。“手術やろうけど麻酔入ったら一瞬やから。とりあえず、また連絡するわ”みたいな感じで電話を切って、その後にLINEで、“しんどいやろうけど、ちゃんと大会観ててな”って、『RIDE FOR KEIJI』と書いたボードの写真と一緒に送ったんです。オレにできるのはこれしかなかったから」
 
事実、友基は自身のSNSに「RIDE FOR KEIJI」とペイントしたボードの画像とともに「多くは語りません。俺ができることはこれぐらい。がんばれ!!(原文のまま)」と投稿していた。
 
2015年2月21日。ビッグエア伝統の一戦であり、ロサンゼルスでは初開催となったAIR+STYLEの大舞台で、友基は世界初となるスイッチバックサイド・トリプルコーク1620を成功。世界中の強豪を相手に圧勝した。大会会場のカリフォルニア州に位置するローズボウルと、圭司が入院していた長野県内の病院とが完全に通い合った瞬間だった。
 
「オレは動けなかったからずっと上を向かされてたんですけど、奥さんがケータイで見せてくれてたんですよ。めっちゃ泣きました。すげーなって。“勝つ”って言って勝てることってあるんやなって」
 
ほとんど感覚がなかった腰のあたりがブルブルと震えているのがわかったそうだ。しかも、本人は見ることができなかったとのことだが、動かなかったはずの足の親指が奇跡的に動いた──。
 
そして、大会を終えた友基から次のようなメールが届けられた。
 
「今日はみんなと一緒に滑ってるような気持ちだったから、勝てる気がしてた。ケイジくんと一緒に勝ち取った優勝やからな」
 
およそ2週間後の3月6日。「RIDE FOR KEIJI」と掲げられたボードに乗り続けていた友基は、またもや世界中を震撼させることになる。コロラド州ベイルマウンテンで行われたBURTON US OPENスロープスタイルにおいて、バックサイド・トリプルコーク1620からスイッチバックサイド・トリプルコーク1620を成功させるという、またしても世界初となる驚異的なルーティンを決めたのだ。この年で34回目を数えた同大
会としては2010、2011年のハーフパイプで連覇を果たした國母和宏に続いて2人目、2002年から行われていた同種目では日本人として初優勝。
 
もちろん、友基の実力であることは間違いない。しかし、兄のような存在である圭司への強き想いが自らを鼓舞し、また、大きすぎる勇気をもらった圭司からの並々ならぬ感謝の想いがシンクロした結果だったのかもしれない。

text: Daisuke Nogami(Chief Editor)

 
 
CONTENTS
はじめに
 

STONP 世界に挑んだ男たちの絆

EPISODE 1 STONPが変えた男の人生
EPISODE 2 “STONP OR DIE”が育んだ絆
EPISODE 3 世界一への道のりを支えた仲間の存在
EPISODE 4 仲間とともに生きる道
 

Keiji Okamoto × Yuki Kadono 時空と世代を越えたふたりの絆

EPISODE 1 憧れのお兄ちゃんからライバルに
▶EPISODE 2 ふたりの想いが起こした奇跡
▷EPISODE 3 絶望から救ったアイツの存在
▷EPISODE 4 親子のように強い絆
 

Ayumu Hirano × Taku Hiraoka 滑りで夢を語り合うメダリストたちの絆

▷EPISODE 1 同じ夢を目指して交わった人生
▷EPISODE 2 メダリスト誕生秘話
▷EPISODE 3 認め合いながらしのぎを削る葛藤
▷EPISODE 4 逆境から羽ばたく戦友同士の絆
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本記事は、2017年発行『BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 3「SNOWBOARDING, FRIENDS, AND THE BOND ──スノーボードと仲間と絆──」』より抜粋掲載。創刊10周年特別企画では、本号の中核を成す3つのストーリーを全14回にわたり公開していく。紙媒体ならではの写真表現や誌面デザインとともに、2017年当時の日本のスノーボードシーンの空気感も感じとってもらえれば幸いだ。
 

 
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