FEATURE
【創刊10周年特別企画】ISSUE 7「フリースタイル温故知新」〈第3章〉フリースタイルを創出したトム・シムスの意思を受け継いだ日本人
2026.08.25
クレイグ・ケリーがBURTONにもたらしたフリースタイル。その源流をさらに遡ると、ひとりの男に行き着く。スケートボードとサーフィンを雪上へ持ち込み、プロダクトだけでなく、チームやコンテストを通してフリースタイルスノーボーディングの原型を作ったトム・シムス。
そして現在、その意思を日本で受け継いでいるのが、奇しくも元BURTONライダーの石川健二である。SIMSの歴史を遡りながら、フリースタイルの原点と、その精神が今どう受け継がれているのかを探る。
※以下、2018年に綴った言葉をそのまま掲載
フリースタイルを創出したトム・シムスの意思を受け継いだ日本人
プロダクトはもちろん、フリースタイルの歴史を語るうえで、BURTONだけで完結することはできない。それは、BURTONよりも以前にブランドを創設し、世界でもっとも早くスノーボード“のような乗り物”を創造していた人物がいるからだ。トム・シムス氏、享年61歳。2012年9月、心停止による合併症を引き起こして帰らぬ人となってしまった。
そのシムス氏の意思を受け継ぎ、2015年からSIMS SNOWBOARDS JAPAN代表として日本展開を行っている男が本特集の主役。何を隠そう、彼は元BURTONに所属していたプロスノーボーダーである。奇しくも、クレイグ・ケリーがSIMSからBURTONへの移籍後に初めて開発したボードであるMYSTERY AIRがリリースされた1989年にスノーボードを始めている。往年のスノーボーダーであればご存知だろう。石川健二だ。
1990年代から2000年初頭にかけて、元祖スピンマスターとして活躍していた元BURTONライダーが舵を取るSIMSは、いったいどんなブランドに生まれ変わったのか。そのブランド運営を行いながら見えてきた、想像を遥かに超えるSIMSの歴史的価値。そして、自身が積み重ねてきたあらゆる経験をSIMSに注ぎ込む日々。
石川の言葉とともにフリースタイルスノーボーディングの歴史を紐解きながら、その現在進行形を探る。
EPISODE 1
トム・シムスが生み出したフリースタイルスノーボーディングの原型
1960年代に産声をあげたとされているスノーボードだが、その起源における諸説は2通り存在する。ひとつは、SNURFER(スナーファー: SNOWとSURFERを掛け合わせた造語)と呼ばれた子供用の遊具だ。1965年にアメリカ・ミシガン州のシャーマン・ポッペン氏が娘へのクリスマスプレゼントとして、子供用のスキー板を2本のボルトで留めて製作したボードで、そのアイデアをボウリングを事業としていたBRUNSWICK社に提供して開発されたものだった。
もうひとつは1963年、シムス氏が13歳のときに木工製作の授業で単板の底に滑走材となるブリキを貼りつけて作ったオリジナルのボードという説だ。
「トムは当時、ニュージャージー州のハドンフィールドに住んでいました。このときすでにサーファーでありスケーター、そしてスキーヤーでもあった彼は7年生(日本の中学1年)のときに図工の授業で、スキーとスケートボードを融合させた“スキーボード”を発明。これが世界初のスノーボードの原型とも言われてますね」
その後、最古のスノーボードブランドと言われているWINTERSTICKは、1972年にデミトリア・ミロビッチ氏によってアメリカ・ユタ州で設立され、1971年にはMOSS SNOWBOARDSの創始者である田沼進三氏がサーフボードのウレタンフォームとグラスファイバーを使用したプロトタイプとなるボードを製作し、新潟・妙高高原赤倉でテストしていたそうだ。
しかし、それ以前の1969年。シムス氏がスキーボードを発明してから6年後、彼らに先駆けて世界初となるフルサイズのボードを誕生させていたのだ。
「60年代にトムが作って乗っていた短いボードは、パウダーに向かないという弱点がありました。そこで、ニューハンプシャー州の大学に通っていたトムは、スキーのようにノーズキックを搭載した5フィート(約152cm)のボードをデザインしたんです」
まだスノーボードという言葉さえ存在しなかった当時。前出のミロビッチ氏も田沼氏もサーフィンからインスピレーションを受けて“雪上でマニューバーを描く”べく開発を始めようとしていたわけだが、シムス氏はオンスノーだけでなく“ストリートでマニューバーを描きたい”とも考えていた。そう、同時にスケートボードの開発も行っていたのだ。
「1965年、スケートボードにハマっていたトムは、SURFER MAGAZINEに掲載された9フィート(約2.7m)を超える長さのサーフボードに乗っている写真から大きな影響を受けたそうです。アスファルト上で、ロングボードで波に乗る感覚を再現するために、48インチ(約122cm)のロングスケートボードをデザインしました。それから10年後の1975年にSIMS SKATEBOARDSを立ち上げるんですが、世界初のロングスケートボードをラインナップに加えて発売を開始。30インチ(約76cm)、36インチ(約91cm)、48インチ(約122cm)の3サイズ展開で、その後、40インチ(約102cm)と44インチ(約112cm)のボードを追加しました」
13歳で夢見たスキーボードという乗り物は、ミロビッチ氏や田沼氏の発想とは一線を画し、サーフィンだけでなくスケートボードからの着想を得て開発されていた。70年代に入ると、シーンを牽引するトップスケーターとして活躍していたシムス氏。これは後に、SIMSブランドだけでなく、スノーボードシーンに多大なる影響を与えることになる。
ここで、シムス氏がスケートボード界にもたらした革命を駆け足で振り返っておきたい。ブランドを創設した1975年、ポリエステルサーフボードレジンとシリカ砂を使用し、現在のグリップテープが開発される以前にスリップ防止機能を備えたスケートボードを作っていた。同年、大きなウィールとデッキとの干渉を防ぐため、初めてデッキのボトムに凹みを採用。初期のスケートボードシーンにおいて革新的な発展を遂げることになる。
翌年の1976年、ドイツのGMN(George Mueller Nuremberg)とチームを組み、業界初となるスケートボード専用精密ベアリングの設計・製造を行う。これは瞬く間にスタンダードと化した。同年、後の80年代にシーンを席巻し、現在のスケートボードの基盤を築き上げたと言っても過言ではないブランド・POWELL PERALTAの創業者のひとり、ジョージ・パウエル氏と出会ったシムス氏は世界初となるレースボードのプロモデル“Tom Sims Model”を発表。これは、映画『LORDS OF DOGTOWN』でも有名なチーム・Z-BOYSのオリジナルメンバーであり、POWELL PERALTAのもうひとりの創業者、ステイシー・ペラルタ氏とパウエル氏が出会う前の話である。
さらに1977年には、世界初となる7層から成るメイプルラミネートのデッキを誕生させ、現代につながる革命を起こした。こちらも同年、キックテールのデザインに放物線を取り入れた世界初のテーパードキックを採用し、後ろ足のポジショニングが格段に向上してプールやランプでのパフォーマンスが飛躍的にアップ。
また、1978年には世界初のワイドボードを誕生させるなど、後にフリースタイルスノーボーディングの改革に強烈な影響を及ぼすスケートボードの黎明期に、シムス氏は多大なる功績を残していたのである。
「スケーターでありサーファーでもあったトムはサーフィン文化に憧れを抱き、1971年にカリフォルニア州サンタバーバラに引っ越します。そして1976年にSIMSカンパニーを立ち上げ、その年からスノーボードの製造もスタート。先行していたスケートボードをベースに、高性能なスノーボードの開発を目指しました。まずトムは、彼の仲間や若手のライダーたちを集めてチームを作ったそうです。マーケティングや開発、セールス、すべてにおいてみんなで協力体制を築きました。最初の工場をサンタバーバラのミルパス通りに作り、当時はスケートボード、サーフボード、スキーボードの設計、製作、テストに多くの時間を費やす日々を過ごしていたようです。冬になるとロサンゼルス近郊の雪山へ足繁く通い、当時はゲレンデでの滑走が禁止されていたのでハイクアップしながらテストを繰り返していました」
1969年に現在のスノーボード程度の長さの板に誰よりも早くまたがっていたことは前述したとおりだが、ブランド創設後はスケートボード同様、世界初のテクノロジーを生み出し続けることになる。

ブランド創設から6年が経過した1982年、世界初となるポリエチレン真空成形されたトウ&ヒールにパーツを有するバインディングシステムを設計。ボードコントロールを大幅に向上させた。同年、世界初となる金属製エッジを搭載する。ゲレンデ内でのコントロール性が飛躍的に上がり、別次元のレスポンスを提供。競技におけるパフォーマンスも格段にアップした。
1984年には、スケートボードのように足を好みの位置に動かせるようにしたいとシムス氏は考え、SIMS特有のホールパターンを備えた世界初の“ワンピースベースプレート”を設計。これにより、スノーボーダーたちは両足のスタンス角度を調整することが可能になった。
70年代から世界最高峰のスケートボードチームを抱えていたSIMSにはプロモデルを出している者もいて、この発想はスノーボードにも通ずるとシムス氏は確信していた。1985年、テリー・キッドウェルの名を冠した世界初のシグネチャーボードが誕生することに。そして、このボードはラウンドテールを有する世界初のフリースタイルボードとして、スイッチライディングを可能にしたのだ。さらに言えば、このボードはリバースキャンバー、いわゆるロッカーボードだった。2008年に最新テクノロジーとして紹介されていたことが記憶に新しいが、実はこの時代から存在していたということである。
同じく1985年、ジェフ・グレル氏が生み出したハイバックをヒールカップにどう取り付けるかがシムス氏の課題だった。バーモント州の大会で出会ったルイス・フルニエ氏とともに解決策を見つけることができ、世界初となる折りたたみ式ハイバックを市場に投入したのだ。ヒールエッジへのパワー伝達を高め、エッジ・トゥ・エッジの操作性に対する信頼度も大幅に改善。これを機に滑走可能なゲレンデが拡大していくのだった。
「トムの奥さんであるヒラリーから聞いたんですが、彼の情熱と執着心がスノーボーディングを前へ前へと推し進めていき、彼の先見性が今の業界全体やあらゆる世代のスノーボーダーたちの原型を作りました。だからこそ、トムはゴッドファーザーのひとりになるんじゃないか、と言ってましたね。フリースタイルの生みの親、そう言って過言ではないと思いますが、そのすべてはチームを作ることから始まったんです」
EPISODE 2
フリースタイルスノーボーディング誕生秘話
「これもヒラリーから聞いた話なんですけど、トムはスノーボードがオリンピック種目になることを早い段階から視野に入れてたみたいなんです」
時は1979年。この頃から、たくさんの若いスケーターたちがカリフォルニア州タホシティのゴミ集積場に雪が積もると集まり、スケートボードのランプを滑るイメージで練習に明け暮れていた。しかし、彼らはスケートボードのように板を上手く扱えていなかったそうだ。
この話をマイク・チャントリー氏から聞いたシムス氏は1981年、自身が手作りしたスワローテールボードをたくさん車に詰め込み、9時間ほどかけてタホシティへ向かった。そして、ゴミ集積場で滑っているローカルたちにボードを配ったのだ。そのローカルスケーターのなかに、テリー・キッドウェルやボブ・クラインらがいたという。
溝の高さはおよそ12フィート(約3.7m)あり、大雪が降った後は15フィート(約4.6m)にも及んだ。1本の滑りで4回ほどトリックを仕掛けることができたんだとか。
「マイク(チャントリー)に当時の話を聞いたんですが、トムが手作りで製作したスワローテールボードはかなり素晴らしくて、ライダーたちは見る見るトリックを繰り出せるようになったそうです。さらにフィンを調整することで、パウダーや圧雪、アイスバーンなど、あらゆるコンディションでのライディングが可能になった、とも言ってましたね。“トムが手掛けた新しいボードが彼らを通じて、フリースタイルスノーボーディングを大きく前進させたんだ”と、熱く語ってくれました」
そのゴミ集積場でのセッション中、シムス氏はフリースタイルスノーボーディングの未来を垣間見ることになる。それは、テリーが大きなバックサイドエアを華麗に決めた瞬間だった。
1983年3月、シムス氏は史上初となる世界スノーボード選手権「WORLD SNOWBOARDING CHAMPIONSHIPS」を開催したのだ。それ以前から当時スタンダードだったダウンヒルレースではなく、スケートボードのようにトリックで争い、チームで参加できる大会を常に思い描いていたシムス氏。時代の先を行き過ぎていたのかもしれない。どこのゲレンデも大会はおろか、彼らに滑走許可を与えることすらしなかったのだが、ついにタホシティからほど近いソーダ・スプリングスが一部での開催を許可したのだった。
そして同大会はダウンヒルレースに加えて、世界初となるハーフパイプ競技を導入した。シムス、チャントリー両氏はブルドーザーとショベルを使い、史上初のハーフパイプを作ったのだ。
「“誰もがみな、この発展途上にあったスノーボードに関われることに喜びを感じ、心から楽しんでいたんだ”、そうマイクは教えてくれました。当時のパイプの全長はハンパなく長かったけど、それを掘る苦労すら喜びだったのかもしれませんね」
周囲の人間もそうだったのだろうが、何よりシムス氏が一番の喜びを感じていたに違いない。1998年の長野五輪から正式種目としてハーフパイプ競技が採用されるわけだが、その15年も前から大きすぎる可能性に気づいていたのだから。
「SIMSのオリジナルチームのライダーであり、当時のデザインディレクターだったスコット・クルムっていう人間がいるんですけど、彼に話を聞いたらヒラリーと同じことを言ってました。チームライダーの編成を重視していて、いつかオリンピックスポーツになるということを早くから予見していたそうです。また、現代のスノーボード業界における永遠に変わることのない機能性を備えた製品がトムの指揮により生み出された、と。さらにスコットからコメントをもらっているので読み上げると、“トムと私は1981年にこの冒険を始めたんだ。私はSIMSの歴史を非常によく知っているよ。トムはとても近い存在だった。だからこそ、SIMSのデザインをするときに私は、常に真の歴史をデザインやグラフィックに表現してきたんだ。それは、人々に私たちがどこからやってきたのかを伝え、トムの意思を生かし続ける意味で、とても重要だったのさ。受け継がれているのはデザイン、グラフィック、テクノロジー、パフォーマンス、ボーディングライフスタイル。それがスノーボードでもスケートボードでも、トムは素晴らしいライバルであり、私たちは彼の競争心から常に学び続けてきたんだ” 。トムは本当に偉大な存在だったことがわかりますね。さらにスコットはこうも言ってます。トムがスノーボーディングに捧げたもっとも画期的な革新は、ハイバックバインディングを市場に投入したことと、テリー・キッドウェルモデルに採用したラウンドテール。こうしたテクノロジーが生まれた背景には、トムのルーツに本物のスケートボードとサーフィンがあったからであり、競技を発展させるうえで重要となるパフォーマンスを実現するために何が必要なのかを的確に理解していたからだ、と。これがトム・シムスブランドであり、SIMSが最高のスノーボードチームである理由なんだ、とも語っています。ここが革新的なターニングポイントだったということです」
クルム氏と同様に、前出のチャントリー氏もテリーのラウンドテールボードがフリースタイルスノーボーディングに革命をもたらしたと言っている。
「ここが超重要ポイントになるので、テリーにも話を聞いてみました。すると、世界スノーボード選手権のハーフパイプで優勝したら、どうやら彼のプロモデルを作ってやるとトムは約束していたそうなんです。そして1985年の大会で優勝して、テリーはニューモデル製作にあたってアイデアを考え始めます。そこで導き出した答えは、もっとスケートボードのように乗れてスイッチライディングが可能になれば、シーンに革新的な影響を与えることができるということでした。様々な形状をテストした結果、キックテールを搭載することにたどり着いたそうです。今となっては当たり前ですが、スイッチイン&スイッチアウト、スイッチライディングができるようになったことは、スノーボードが進化と発展を遂げていく過程において絶対的に必要だったと力説してくれました。1985年にリリースしたテリー・キッドウェルのプロモデルは、フリースタイルスノーボーディングを決定的に変えたんだ、と」
サーファーが作ったのではなく、サーファーでありスケーターだったからこそSIMSというブランドが生まれ、フリースタイルスノーボーディングが産声をあげたわけだ。さらに、チームを大切にしていたことから多くの仲間に恵まれ、その進化を加速させた。
そして忘れてはならない。60ページからの「クレイグ・ケリーが築いたフリースタイルの世界」でお届けしているように、BURTONのテクノロジーに革新をもたらしたのは故クレイグ・ケリーの存在である。しかし彼はそれ以前、SIMSチームに所属していた。フリースタイルスノーボーディングに革命をもたらす契機となった1985年のWORLD SNOWBOARDING CHAMPIONSHIPSに、クレイグはSIMSクルーの一員として出場していたのだ。

「ヒラリーが教えてくれた話だと、BMXに夢中だったクレイグは1980年代初頭に、地元のワシントン州を代表するマウントベイカーの周辺でスノーボードを始めたそうです。当時のゲレンデはスノーボードでの滑走が禁止されていたんですが、クレイグは瞬く間に上達していったみたいで、マウントベイカーのオーナーたちは彼にゲレンデでの滑走許可を与えることを決断しました。1984年頃、トムはクレイグの存在を知ることになり、カリフォルニア州からワシントン州まで会いに行きました。トムはクレイグの滑りを見た直後に、そのとき持っていた私物のボード、当時一番クールだった1500 FEをその場で彼に手渡したそうです。クレイグはトムと握手を交わしてSIMSチームに入ることに同意し、後に書面で契約を結びました。その後、ボードの設計や構造など、クレイグはたくさんのことをトムやSIMSから学び、スケート&サーフスタイルをバックグラウンドに持っていたテリーのライディングを見習うとともに、そこに自分のスタイルを加えていったみたいですね。2年近くSIMSとともに活動していて、チーム遠征やコンテストなどを通じて多くのことを吸収していったんだと」
スノーボーダーの聖地として知られるマウントベイカーの起源は、クレイグのライディングスキルの賜物だった。抜きん出た実力を誇っていたクレイグの才能はシムス氏と出会ったことで、さらに爆発したということなのだろう。
「スコットはこうも言ってます。“彼らマウントベイカー・ハードコア(クレイグ、ジェフ・フルトン、ダン・ドネリーで構成された伝説のチーム。後にマイク・ランケットやジェイミー・リンらが加入)は、SIMSチームがレイクタホでフリースタイルを生み出したように、ベイカーでその文化を醸成していたんだ。当時SIMSライダーだったクレイグはトムのもとで、ライディングはもちろん、競争心や闘争心が研ぎ澄まされていたよ。それは最終的にBURTONに持ち込まれることになったけど、彼なりのやり方でフリースタイルの道を切り拓いたんだ。クレイグはよき友だよ”」
フリースタイルスノーボーディングはこうして誕生し、そして確立していくのだ。
EPISODE 3
フリースタイル文化を生み出したSIMSを継承する男の覚悟
「ここまで細かいブランドとしての背景は知りませんでしたが、歴史を紐解いていくとSIMSはパイオニアブランドだったということを思い知らされたんです。スノーボードを始めたときから知ってるブランドだけど、今まではSIMSに関わることなんて想像すらできなかった。でも、年齢を重ねたうえでその話が舞い込んできて、調べれば調べるほど、この業界にとってものすごい重要な役割を担っていたということがわかってきたんです。そういう歴史あるブランドがマーケットから消えていく寂しさがある反面、自分がそんな伝統あるブランドの運営なんてできるのか? トムはすでにいないし。本来はトムに会ってしっかり話を聞いて、彼が考えているSIMSを踏襲したうえで世に発信しなければならないと思いますが、それはできない。だから、ヒラリーやスタッフ、彼の友人や仲間たちからいろんな話を聞いて回りました。そうしてあらゆることを理解していくなかで、自分に何ができるかわからないけど、これまで積み上げてきたものをSIMSにぶつけるのもいいんじゃないか、そう思えるようになったんです」
石川と言えば本特集の冒頭で述べているように、以前BURTONに所属していたプロスノーボーダーである。当時としては珍しかった1080などの高回転スピンを巧みに操り、猫のようにしなやかな着地で観る者たちを魅了。いち時代を築き上げたトップライダーだった。
当時を知らないという人のために彼の経歴を簡単に説明しておくと、1993-94シーズンにJSBA(日本スノーボード協会)のプロ資格を獲得するものの、1998年に初開催となる長野五輪ハーフパイプ競技の出場を目指すためSAJ(全日本スキー連盟)の大会に出場したことを受けてプロ資格を剥奪されてしまう。FIS(国際スキー連盟)ワールドカップで好成績を残してナショナルチーム入りを果たした後に再びプロ資格を取得し、1996-97シーズンにはJSBAのハーフパイプ年間王者に輝くも、翌シーズンに開催された長野五輪への出場はならなかった。しかし、NOKIAのテレビCMに出演するなど、その人気は絶頂に達していた。
2001年になるとBURTONを去り、日本人スノーボーダーとして初となるNIKEとのアスリート契約を締結。同年、ライダー業の傍らでボードブランド・SAVANDERをプロデュース。鈴木伯をチームに招き入れて一大旋風を巻き起こした。
2004年に現役を退くとともにVOYGER LINKを設立。2008年にはSAVANDERを休止し、古巣BURTONとタッグを組んでBBCC(Burton Basement Cosa Nostra Committee)プロジェクトをローンチ。VIONG(ボード)とDOVIET(アウターウエア)を2シーズンに渡り展開。その後、SAVANDERを再始動させ、2015年よりSIMS SNOWBOARDS JAPANの代表に就任している。
「BURTONとSIMSは歴史上から見ても対照的なブランドじゃないですか。だからSIMSをスタートさせた当初、違和感はありましたね。でも、時間の経過とともにチームライダーも増えていってSIMSに触れ続けているうちに、その違和感は薄まっていきました。アメリカのSIMSクルーとも毎年のように会うようになって、昔話やトムのことを聞いたりしていると、自分もクルーの一員になったんだっていう実感が芽生えてきて。80年代からライダーだったテリーに会う機会があり話を聞いて、90年代からライダーのマーク・フランク(モントーヤ)からもいろいろ教えてもらいました。マーク・フランクは僕と同じ時代に滑っていたライダーだけど、テリーは草創期のライダーということもあって、ふたりの話をまとめるとSIMSが歩んできた流れみたいなものが見えてきたんです。僕は1989年にスノーボードを始めてるから、BURTON時代のクレイグ・ケリーしか知らない。始めた当初は歴史のことなんて考えもしなかったから、今まで空白だった部分が埋まったような感覚ですね。スノーボードの起源から今に至るまでが全部つながったような。すべてが見えた感じがします」
プロスノーボーダーとして積み上げてきたライディング力、プロデューサーとして培ってきたブランディング力、ディベロッパーとして磨きをかけてきたプロダクト開発力。それに加え、亡きトム・シムスから受け継いだSIMS魂。
「自分がライダーを経験してきたうえで開発に携わってるから、すべてを理解したなかでアクションに移せることは、すごくプラスになってると思います。SAVANDERを立ち上げた当初はライダー目線で作るプロダクト開発に集中してました。とにかく、よりパフォーマンスを向上させる板づくり。X-TRAIL JAMなどの大会に出てたから、自然な流れでしたね。決して一般目線ではなかった。当時のトムじゃないけど、ライディングの進化を想像しながらプロダクトを開発することが面白かった時代。イメージしていた感覚と、実際に乗ったときの感覚の誤差が少ないほど喜びを感じました。それなりに滑れてたからなのか、そういう感覚のズレは開発していてあまりなかったですね。意外とイメージどおりのボードに仕上がるんだな、という手応えを感じてました」
当時のトップライダーでもあったシムス氏がスケートボードのようなスノーボードをイメージしながら、その動きに必要なプロダクトを開発してきたことでフリースタイルスノーボーディングは産声をあげた。そして、シムス氏が想像していたようにオリンピック競技と化し、その時代を牽引してきた石川がバトンを受け継いで日本におけるSIMSをハンドリングしている事実。これは偶然なのか、必然だったのか。
「トムが当時思い描いていたSIMSのイメージに近づけるかどうかはわかりません。でも、これまでの歴史を紐解いて理解できたことを踏まえて、自分が築き上げてきたものすべてを全力で投入して、SIMSらしいブランドにしていきたいと思ってるし、その方向で動いています。チームはもちろん、スタッフもですね」
21世紀に突入するとSIMSは経営が悪化。一時、日本マーケットからの撤退を余儀なくされていたことから、経験年数の浅いスノーボーダーはブランドの存在すら知らないのかもしれない。しかし、フリースタイルスノーボーディングを生み出したのは紛れもなくSIMSである。ここ日本では空白の期間があったものの、シムス氏の意思を受け継ぐということには、フリースタイル文化を継承する覚悟までもが含まれていたということなのだろうか。
「このカルチャーを守っていくうえでも、“あの時代はよかった”っていうような話が出る流れにはしたくない。そう考えると、プロダクトの開発はものすごく重要だと思っています。ここでいうプロダクトとは、お客さんにとってのもの。もちろん、ギアの進化は大事だと思いますが、これ以上を求めたら別物になってしまうんじゃないか、っていう懸念もあります。例えば、ボタンを押したら自動的にストラップが締まったりするような時代が来たら、なんか違うような気がするんです。その時代に生まれた子たちからしたらオッサン扱いされるかもしれないけど、そうなってほしくない思いが強くて。ボードの場合、芯材は基本的にウッドじゃないですか。ウッドに代わるマテリアルって、これまでにもほかのメーカーも含めていろいろ試行錯誤してきたはずなのに、結果ウッドが今も主流。ボードはフレックスが命だから、ああいう感じでしなる素材っていったら、やっぱり木や竹になるんです。そういう意味で、これ以上の進化を求めなくても十分楽しめる時代だと思います。あと、パイプやパークみたいに整備されたハードなアイテムで競技する場合、かなりシビアなボードコントロールが求められるので、スペックも自ずと決まってくるんですよね。身長や体重、足のサイズなどによって最適なスペックを導き出せると思います。でも、昔みたいに競技性が強い一般スノーボーダーは減ってきてるし、そういった意味でも開発ロジックというか、ハードギアの進むべき方向は変わってきてるんじゃないですかね。フィーリングを重視したモノづくりに」
「ウッドコアは木をカットして成型しているので、当然ながらそれぞれで密度や重さが異なります。だから、厳密に言えば同じモデルでもすべてバラバラ。極端には違わないにしても、ふたつとして同じボードは存在しません。でもそれって、一本一本のクセを自分のものにするっていう楽しみ方があると思うんです。それぞれのボードに個性がある。だって機械じゃないから。ウッドを使うよさって、そういう部分にもあると思いますね」
フリースタイル文化はギアの進化とともに醸成されてきた。その進化はフィールドやライディングを著しく発展させたが、プロと一般との隔たりは大きくなりすぎたような気がしてならない。だからこそ、軽量化や反発性などの性能向上ばかりでなく、一般スノーボーダーがフリースタイルに楽しめるための新たなる進化がこれからの時代には必要なのかもしれない。

EPISODE 4
仲間とともにシーンを変えていくフリースタイル精神
アメリカ東海岸で誕生したリーディングカンパニーであるBURTONは、ニューヨーク出身で聡明なバートン氏の印象も手伝ってか、品質の高いプロダクトと有能なライダーを多数抱えるエリート集団というイメージが強い。ベタな例えかもしれないが、ここ日本のプロ野球に置き換えて考えると、いささか読売ジャイアンツを彷彿とさせる。
かたやSIMSは西海岸にルーツを持ち、東のBURTONとはライバル関係にあったブランド。雪上でのスケートボードを夢見ながら自由を追求し続けてきたバックグラウンドには、ストリートを席巻していたスケーターたちの心を虜にしていったことからも反骨心の強さがうかがえる。語弊はあるかもしれないが、阪神タイガースに位置づけられるような気がしてならない。
かつての巨人の主力選手が阪神の監督を務めていたら……日本中が放っておくわけがないことは想像に難くないだろう。元BURTONのプロスノーボーダーがシムス氏の意思を受け継ぎ、日本におけるフリースタイル文化を継承したうえで、SIMSのブランド運営やプロダクト開発を行っているわけだ。こうした稀有なポジションに立っている石川の胸中やいかに。
「正直なところ難しい部分ではあるんですが、プロダクトに関しては前述したとおり、時代は変わっていくものだからその時々にフィットさせたカタチでSIMSらしさを取り入れて、いい方向へ進化させていきたいと思ってます。あと、やはりSIMSらしくトータルブランドに戻したいと考えているので、来シーズンからブーツを展開する予定です。でも一番大事なのは、やはりチームの存在。トムもSIMSを立ち上げたときにチームを作ることから始めたわけじゃないですか。そこはとても共感できる。実際にチームの存在がトムのアイデアをより具現化していったわけですし、チームがあったからこそ今に引き継がれている事実がありますから。SIMSらしいチームづくりをしていきたい。例えば、テリーにプロモデルを作ってあげたような関係性は大切だと思います。僕が現役だったとき、BURTONチームの存在は大きかったし、メーカーとライダーとの関係性が明確でした。でも、国内では昔でいうX-TRAIL JAMやTOYOTA BIG AIRのようなエンターテインメント性の強い大会は減ってるじゃないですか。オリンピックを目指す道筋ははっきりしていて大会も多いけど、それを目指さないライダーや世代はどうしたらいいのか。露出するメディアも限られてきているなかで、ライダーの価値を計るうえでのバロメーターとなるものが少しずつ見えなくなってきてると思うんです。でも、SIMSも含めて自分が考えるブランドイメージは、どんな時代でもチームは不可欠。コアユーザーが減ってきている時代のなかでライダーの存在価値が見えづらくなってますが、当時のトムが抱えていたチームと同じようなイメージでできるかぎり、彼らとの関係性を続けていきたい。だから、ライダーたちがモチベーションをキープできるような活動をサポートしていきます」
86ページで綴ったように、シムス氏はブランドを立ち上げる際、まっさきにチームを結成した。当時のアメリカ西海岸といえば、カリフォルニア州サンフランシスコを中心に、ベトナム戦争の影響から反戦を掲げ、愛と平和を訴えた若者たちが生み出したヒッピー文化が盛んだった。自由を求める動きが活発な場所であり、サーフィンやスケートボードもその一部だったのだろう。先出の映画『LORDS OF DOGTOWN』の舞台はサンタバーバラから車で2時間足らずで行けるベニスビーチであり、Z-BOYSがチーム結成された時期とSIMSブランドがスタートを切ったタイミングは完全に重なる。
「これは聞いた話ではないんですが、恐らく同じ志を持った仲間が必要で、ひとりで楽しむものじゃないってトムは考えていたんだと思います。みんなで“YEAH!”ってセッションする感覚というか。大会を始めたのもごく自然なことだっただろうし、進化していく過程で仲間たちとともに、これやってみようとか、みんなで楽しみながらフリースタイルスノーボーディングを構築していく作業に価値を見出してたんじゃないですかね。僕たちもそうでしたけど、スノーボードを始めたばかりの若かった頃は、ショップに行くと同じ価値観を持った仲間たちが集まってきて、スノーボードについて語り合うことが楽しかった。そういう仲間が自然と集まったのか、トムが集めたのかはわからないけど、とにかく広めたかったんでしょうね。自分が創り上げたスノーボードという遊びをシェアするために」
今から40年以上前、雪上をスケートボードのように駆りたいという想いとともに、“遊ぶ道具”と“遊び方”が同時に生まれ、それが進化し続けて現在に至る。その原点にはサーフィンがあり、スケートボードも含めた横乗りの遊び方が発展していく過程において、他スポーツと比較しても道具の役割が大きかったことは間違いない。だからこそ、その道具を作るブランドに仲間が紐づき、メーカーとチームとの関係性は今もなお続いているのだ。
「トムが思い描いていたようにオリンピック競技になって、そこでひとつの節目を迎えたんだと思うんです。オリンピックは競技として最高峰なわけじゃないですか。可能性という意味でトリックやプロダクトの進化も踏まえて考えてみると、行き着くところまで行き着いた感じがします。そうしたときに、ライダーもそうだし趣味で関わってる人たちも含めて、より本質に近い遊び方に向かっていくんじゃないかと思うんです。ライダーが歩むプロセスを考えてみても、大会を転戦していた若い時期があったとしても、どこかのタイミングでバックカントリーやストリートでの撮影の道に進み始めるじゃないですか。昔、自分が現役だった頃は本質とかあまり考えたことがなかったけど、気がづけばバックカントリーに足が向かっている自分がいて、何でだろうって今振り返ってみると、そこに本質っていうか、スノーボードのあるべき姿があったんだと思うんですよね。(布施)忠も昔は大会に出てたわけだし、(佐藤)秀平もそう。(石川)敦士だってあれだけ大会に出てたしストリート中心だったけど、自然とバックカントリーに足を運ぶようになりましたから」
石川は現役時代、ケガに苦しめられてきた。SAVANDERを立ち上げてすぐに訪れたフランス・ティーニュのパークで肩鎖関節脱臼を引き起こしてしまう。この時点で30歳を迎えていたこともあり、手術に踏み切ることができなかった。長期に渡り、シーンから姿を消すことのほうが怖かったのかもしれない。
その後、X-TRAIL JAMの出場権を獲得するも公開練習中、テイクオフした瞬間に脱臼。これを契機として、現役に未練を残したまま引退を余儀なくされてしまうことに。「チクショウ、不甲斐ない。オレのプロ生活って何だったんだ」とは、本人が改めて本インタビュー中に漏らした言葉である。だからこそ、チームライダーたちを支えていきたいという気持ちが人一倍強いのだ。
「そこを、今だからこそブランドとして追求していきたいと思ってます。バックカントリーでフリースタイルを表現することを。僕たちはこれまでライダーたちの活動を見続けてきてるので、ハイクアップでアプローチできる限界はわかっています。ピーク・トゥ・ボトムでターンを刻むライン系の滑りだけではなくて、忠がやってるのはフリースタイルだから、これまで見たことのないようなポイントを見つけて作品を残していく活動に注力してます。だから、今までになかった日本の地形をライダーたちのパフォーマンスで魅せていくためにスノーモービルを使って、歩きではまわれない広大なロケーションを求めてポイントを目指すんです。そして、日本とは思えない写真や映像をプロモーションに使っていく。さっきの話じゃないけど、日本での撮影もある程度やり尽くした感があると思います。だから、北米ではスタンダードなモービルを日本に持ち込んで新しいムーブメントを起こそうということで、忠がいたからこそ始まったBOONDOCKINGというプロジェクトを、昨シーズンからSIMSが先導するカタチでやってます。新しいフィールドを開拓して、今までになかったロケーションで画を残していく活動。それをSIMSだけじゃなくて、賛同してくれるメーカーも巻き込んでやっていきたいと思ってるんですよね。業界を盛り上げていくっていう意味でも。こうした活動を5年、10年と続けていくことで、そこを目指したいと思うスノーボーダーが増えていく可能性があるじゃないですか。今のSIMSはそういった本質にどっぷり浸かってるライダーたちが多いから、オリンピックを目指すわけでもなく、若いうちからこうした活動の意義に気づいたライダーがいるとしたらサポートしていきたいですね」
ブランドとしてチームをサポートすることはもちろん、その延長線上には過渡期を迎えているシーンを開拓しようと目論んでいるわけだ。それは石川の挑戦であり、シムス氏の願いでもあるのかもしれない。再び息を吹き返したSIMSが、フリースタイルスノーボーディングの未来を変える日も近い。
石川健二
生年月日: 1971年7月28日
出身地: 北海道旭川市
text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)
CONTENTS
▶CHAPTER 1 BURTONのプロダクトでたどるハードギア42年の歩み
▶CHAPTER 2 クレイグ・ケリーが築いたフリースタイルの世界
▶CHAPTER 3 フリースタイルを創出したトム・シムスの意思を受け継いだ日本人
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BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE
ISSUE 7 「BURTON, SIMS, AND CRAIG KELLY ──フリースタイル温故知新──」
BURTONとSIMS、そしてクレイグ・ケリー──。フリースタイルスノーボーディングがどのように生まれ、ライダーとプロダクトが互いに影響を与えながら進化してきたのか。その系譜を、貴重な写真や当時を知る人物たちの証言とともに紐解いた一冊。1977年から2018年までのBURTONのハードギア42年史をはじめ、クレイグ・ケリーが築いたフリースタイルの世界、トム・シムスの思想とSIMSの歴史を収録している。

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