FEATURE
【創刊10周年特別企画】ISSUE 7「フリースタイル温故知新」〈第1章〉BURTONのプロダクトでたどるハードギア42年の歩み
2026.08.21
スノーボードのプロダクトは、ライダーが進化させたのか。それとも、道具がライダーを進化させたのか。
1977年、ジェイク・バートンが100本ものプロトタイプを作り始めてから、2018年にSTEP ONが登場するまで。ボード、バインディング、ブーツは劇的な進化を遂げ、そのたびに滑り方や遊び方も変わってきた。
反対に、ライダーたちが新しい滑りを追い求めたからこそ、生まれたプロダクトも数え切れない。
2018年に発行したISSUE 7「フリースタイル温故知新」では、BURTONのハードギアを通して、その42年間をたどった。創刊10周年を迎えた今、当時の誌面とともに改めて振り返る。
道具とともに滑りが進化し、滑りとともに道具が進化してきた──。その系譜から、第1章を始めたい。
※以下、2018年に綴った言葉をそのまま掲載
はじめに
今号の表紙が撮影された1992年、僕は初めてスノーボードにまたがった。その動機は、雪上でスケートボードのようなアクションがしたかったから。あれから四半世紀あまりが経過し、近年は原点回帰の兆しが垣間見られる。“雪上でマニューバーを描きたい”という想いからスノーサーフィンが誕生し、世界同時多発的に開発が推し進められたことでスノーボードが確立。こうした起源に立ち返るためか、現在はベテランスノーボーダーを中心に、スノーサーフや雪板などが新たなるカルチャーとして形成されている。
しかし、90年代初頭に世界中で巻き起こったニュースクールムーブメントは、80年代後期にスケートボーダーが雪上を席巻しはじめたことに端を発し、その結実としてフリースタイルスノーボーディングが築き上げられた。さらに、最古のスノーボード“のような乗り物”はサーフボードではなく、スケートボードから多大なるインスパイアを受けて生み出されていたのだ。
1992年冬、現在と比べればプロダクトの性能に雲泥の差はあったものの、カカトが浮いてしまうブーツを履きながら、とにかく飛びたかった。そして、憧れのトップライダーたちの魂が宿ったボードに搭乗しながら、少しでも彼らに近づきたくてライディングに明け暮れていたあの頃。フリースタイルを再燃させることに大義を見出し創刊した弊誌だけに、その原点をたどり、現代に通ずるスノーボーダー精神を探ることにした。
フリースタイルスノーボーディングを生み出す原動力となったひとりの伝説の男、そして、その男とともにアメリカ東西のライバル関係が進化させた道具たち。BURTONとSIMS、そしてクレイグ・ケリー。フリースタイル温故知新──道具とともに滑りが進化し、滑りとともに道具が進化してきた系譜をたどる。この一冊を通じて、あなたのスノーボードライフがより面白くなるはずだ。
BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE
編集長 野上大介
BURTONのプロダクトでたどる
ハードギア42年の歩み
1970年代から製品化されるようになったスノーボードプロダクトの変遷を探るうえで、現在までの系譜をたどるとなると、1977年に創設されたBURTONのギアを題材として紐解いていくのが妥当だ。なぜなら、ボード・バインディング・ブーツのハードギアすべてを取り揃えており、今なお業界をリードする先進的な開発を行っているからだ。100本のプロトタイプから昨今話題のSTEP ON®が誕生するまで──ハードギア42年の歩みをたどることにする。

1977
100本のプロトタイプ
1977年、ジェイク・バートン氏は1978年の夏までかけて100本の異なるプロトタイプのボードを製作していた。最初はソリッドアッシュタイプ、そして2番目はスティームベントラミネートタイプ。スティームベントプライウッドタイプは彼の3番目のボードとなり、4番目はコアのないファイバーグラスタイプを作った。5番目はファイバーグラスをラッピングし、ハンドシェーピングのフォームコアを採用したサーフボードのような板を開発。最後にホリゾンタルラミネートのメープルハードウッドを使用したスケートボードライクな板を製作した。初期のプロトタイプから後期にかけて、サーフボードスタイルからスケートボードスタイルのコンセプトへ移行していくのが見受けられる。サーフボードのコンセプトが上手くいかなかった理由として、雪の中に隠れている石に当たったとき、すぐ壊れてしまうことが原因だったとバートン氏は語る。ボードと同時進行で、この年にバインディングストラップを開発し始めた。満足できるボードができるまで販売には至らなかったそうだ。そして、当時のライダーはバートン氏ひとりだった。
1978
最初のプロダクト開発
この年の夏、いよいよ最初のプロダクト開発に取りかかることに。バートン氏が悩み抜いた末に決めたスタイルは、水平にラミネートされたメープルハードウッドのスケートボードタイプだった。そしてオプションとして、滑走時のボードバランスを改良するためにロープを搭載することに。彼が当時追い求めていたテクノロジーは、ワイドな形状のボードだった。
1979-1980
グラフィックデザインを施し販売開始
ボードの販売はスタートさせていたものの、世間では初期のスノーボードに対する認知度がほぼ皆無に等しかった。バートン氏は本当に多くのプロトタイプを作り続けてきたわけだが、この年にようやく納得のいく新たなデザインのボードが完成。それに続く格好で、シルクスクリーン技術を駆使した斬新でクールなグラフィックデザインもこの年から始まった。翌年も1979年に発案したボードを作り続け、販売する努力を怠らなかった。
1981
ブランド名が確立
現行のブランド名であるBURTON SNOWBOARDSというネーミングが誕生。この年のボードは、これまでよりもワイドに仕上がっている。セールスが少しずつ軌道に乗ってきたのだが、まだ十分な販売数は確保できていなかった。どうすれば人々がスノーボードに興味を持ってくれるかを試行錯誤しながら、毎日のように研究室にこもりプロトタイプを作り続けた。
1982
コンテスト初開催
US OPENの先駆けとなるNATIONAL SNOWBOARDING CHAMPIONSHIPSが初開催となり、少しずつ人々がスノーボードというスポーツに興味を持ち始める。そして、メンズスラロームライダーのダグ・バウトンが、バートン氏をのぞいて初のチームライダーとして加入した。
1983
スワローテール登場
初代THE PERFORMERの販売がスタート。ヒールストラップが装備されたこと、そして、大きめのスワローテールが施された長めのパウダーガンタイプのボードを選択できることが特徴的だった。それと同時期にスニーカーのようなスノーボード用シューズの製作を開始。この年にメンズのスラロームライダーであるアンディ・コフランや、ダウンヒルライダーであるクリス・カロル、そしてマーク・ハインガートナーがチームライダーとして加わった。後にアンディは、バートン氏とともにボード開発に携わるようになる。
1984
ソール材にP-TEX初採用
キャンバータイプで3フィンシステムが搭載されたTHE COMPETITION PERFORMERに、青色のP-TEXをソールに初めて使用。このボードにはメタルエッジを追加できるオプションが採用されていた。NATIONAL SNOWBOARDING CHAMPIONSHIPSが始まってから競技人口が増加。この当時はまだフリースタイルという言葉は生まれていなかったものの、ジャンプをしたり自由なラインを刻むスノーボーダーが現れ始めた。この年からハイバックの研究がスタートするも、完成には至らず。
1985
現代スノーボードの原型
今もなお生産拠点のひとつであるオーストリアにて、初となるラミネート加工を採用したTHE PERFORMER ELITEの生産を開始。このボードが現代スノーボードの原型とも言える構造をしており、メタルエッジが搭載された。この年にNATIONAL SNOWBOARDING CHAMPIONSHIPSからUS OPENへと名称を変更している。
1986
ハイバック誕生
プロダクトのラインナップが増えると同時に、オプションも増加。この年に初めてTHE CRUISERをリリースし、テクノロジー面の向上によりブーツを発表。1984年に研究が始まったハイバックが初めてリリースされたのもこの年だった。シーンの潮流としてレースが中心だったわけだが、フリーライディングが脚光を浴びるようになった年でもある。
1987
バインディング&ブーツの原型
この年は1988年に巻き起こるフリースタイルシーンへの架け橋となる時代だ。完全なるビギナーモデルとしてTHE WOODYがリリースされたわけだが、THE CRUISERよりもお手頃な価格でバックヤードでも簡単に乗ることができ、しかも小さなスワローテール仕様だったため、パウダーでも滑ることが可能な万能ボードだった。THE BUCKLE BINDINGがこの年に登場。当時のバインディングとブーツは硬かったのだが少しずつ柔らかくなっていき、それに伴って品質が向上していく。
1988
フリースタイル元年
フリースタイルシーンが確立。この年のUS OPENからハーフパイプが競技として採用されるなど、フリースタイルがメインストリーム化していく起点となる時代だった。AIRはフリースタイル向けに、SAFARIはダウンヒルやスラロームなどのレース用として開発された。しかし、どちらも高速での滑走を目的として作られている。グラフィックに関しては、SAFARIのプリントはとても印象的。この年から今日に至るまで、グラフィックにはとても興味深いデザインが採用されてきた。3ストラップバインディングがこの年に登場。最上部のストラップはオプションだった。チームライダーだったジェフ・ブラッシーやマイク・ジャコビーは、翌年移籍してくるクレイグ・ケリーからこの時点で多大な影響を受けていた。
1989
クレイグ・ケリーが電撃移籍
この年のビッグニュースとして、クレイグ・ケリーの移籍が挙げられる。彼はSIMSのライダーだった。SIMSのオーナーであるトム・シムス氏がブランドを売却しようとしており、研究開発ラボを一時クローズしていたことにクレイグは憤りを感じていた。そのタイミングでもともとクレイグと知り合いだったバートン氏は、彼をBURTONに誘うことに。もちろんSIMSとしては喜んでいられるはずがない。クレイグと契約を結んだBURTONを訴えたのだ。そのため、BURTONはクレイグの初となるシグネチャーボードを「MYSTERY AIR」と名づけた。それ以前からクレイグは、すでに非公式でボードの開発に携わっていたそう。また、この時期はチームライダーを増員していた。カタログに初めてチームライダーの一覧を掲載したのもこの年である。
1990
フォワードリーンの調整が可能に
1989年にリリースされたチームムービー『CHILL』でクレイグ・ケリーがジビングを披露したことにより、多くのスノーボーダーがそれに憧れた。ジェフ・ブラッシーも同ムービーの出演ライダーであり、彼が世界的に名を馳せたのもこの時期である。クレイグの移籍問題についてはようやく決着がつき、彼のBURTONチーム入りが公式発表された。このときクレイグが開発に携わっていたFREESTYLE BINDINGやFREESTYLE BOOTは、フリースタイルシーンに多大なる影響を与えることに。このバインディングにはハイバックはもちろん、初めてフォワードリーンアジャストメントが付き、ブーツで特筆すべき点はライナーがとても快適になったことだ。
1991
若手スノーボーダーの参加でシーンが拡大
1990年から1991年にかけて、ハーフパイプのサイズが大きくなる。この年にリリースされたMICRO KELLYは、若者や身体が小さな大人に向けて作られているボードだったのだが、グラフィックはクレイグ・ケリーのシグネチャーモデルと変わらず、紫や黒などの色が加えられていた。たくさんの若手スノーボーダーがゲレンデでこのMICRO KELLYに乗っている姿を見ることができるなど、ついにバートン氏が望んでいたようにシーンが拡大し始めていたのだ。当時まだ若かったテリエ・ハーカンセンは、このMICRO KELLYに乗って練習に明け暮れていた。

1992
第一次ジビングブーム
1990年のページで触れたように、クレイグ・ケリーがフッテージに刻んだジビングをマネするスノーボーダーが増えたため、その人気に拍車がかかった。ブーツの最新テクノロジーである2-TONGUEの効果でこれまで以上にトゥイークがやりやすくなり、1992~93年の間にライダーたちが表現できるエアトリックの幅が一気に広がったのだ。AIR 5.1や2-TONGUE FREESTYLE BOOTの開発にはジェフ・ブラッシーやテリエ・ハーカンセン、そしてキース・ウォレスが関わっていた。
1993
スタンス設定の革命
この年のトレンドと言えば、そのすべてがジビングやトゥイークだったと言っても過言ではない。その理由として、バインディングやブーツの進化、そしてボードの改良が挙げられる。1991~92年頃は蛍光色が好まれていたが、この年に入るとブラックやダークカラーが人気に。そして、5ホールバインディングシステムが3Dディスクシステムに生まれ変わった年でもある。これにより、以前に比べると細かいアングルや幅を選択できるスタンス設定が可能になったのだ。そのおかげで、ライダーたちはハーフパイプで高く宙を舞い、あらゆるスタイルで技が繰り出せるようになった。
1994
ツインチップ時代到来
ツインチップボードが1994年に誕生、一大ムーブメントを巻き起こす。若者たちは自分のディレクショナルボードをツインチップに削ってまでして乗るほどの熱狂ぶりだった。この大流行により、ほとんどのスノーボーダーたちがスイッチライディングやスイッチトリックの練習をするようになる。バインディングのオプションとしてLO-BACKが人気を集めたことにより、ジビングのアクションに対して効果的であることが広まった。このTWINはブライアン・イグチやジム・リッピーらが開発を手がけたことでも有名だ。
1995
フリースタイルシーンをテリエが牽引
THE 152はテリエ・ハーカンセンのために作られたボードだ。ただ単に、彼がこのサイズのボードがほしいと言っていたからである。デッキしか写っていないのに恐縮だが、ソールに叫び声が聞こえてきそうな猫が描かれていたのを覚えているという読者諸兄姉もいるかもしれない。実のところ、あれはスプロキングキャットといって、ロケットのようにジャンプをし、確実にランディングする猫を想像して、テリエ自身を表しているデザインだったそうだ。この年、初めてベースレスのバインディング・CONTACT BINDINGが登場。ジェフ・ブラッシー、ジェイソン・ブラウン、スティービー・アルターズが開発に関わっていた。
1996
ロングセラーモデル・CUSTOM生誕
すべてのプロダクトが改良されていくに伴って、ライダーたちのスキルは高まる一方。ジョー・カーティスとデイブ・ダウニングは、さらにハイエンドな素材を用いたボードをほしがった。それは、プロモデルとしてラインナップされなかったためCUSTOMと名づけられた、オールラウンド仕様に開発されたボードだ。バインディングでは、軽量かつレスポンス力に優れたX-BASEと銘打たれたカーボンベースプレートが誕生し、ライダーたちのパフォーマンスをさらに飛躍させることに。テリエ・ハーカンセン、ジョー、デイブらがこれらの開発に携わっていた。
1997
マウンテンフリースタイルの幕開け
ヨハン・オロフソンはSUPERMODEL 62にまたがり、伝説と化したムービー『TB5』(STANDARD FILMS作)に出演。ビッグマウンテンにフリースタイルを融合させる新しいライディングスタイルを開拓したのは、まさに彼だった。それ以降、プロライダーによるバックカントリーでのライディングが、これまで以上に巨大化していくことに。このSUPERMODEL 62はビリー・ベーコン、クレイグ・ケリー、ジェイソン・ブラウン、そしてヨハンによって開発された。さらに、キッズ専用ボードとしてCHOPPERがリリースされたことで、たくさんの子供たちがスノーボードに参加できるようになった。CUSTOMに続いてロングセラーを誇るブーツ、RULERの初代バージョンはこの年にリリース。
1998
軽量化時代に突入
FL PROJECTはブライアン・イグチとともに開発され、大幅な軽量化に成功したことでこれまで以上に高さのあるエアが可能に。重量を減らすことができたのはコア素材に特有な構造のFL木材を使用したからだ。この年のCUSTOM FREESTYLEにはハイバックやヒールカップを調整する機能が搭載され、ボード同様に軽量化されたブーツ・VIKINGが登場した。
1999
ステップインという新たなる選択肢
BALANCEはテリエ・ハーカンセンのボードシリーズとして知られ、パイプライディングで優れたパフォーマンスを発揮するテクノロジーが詰め込まれた。この年にSTEP INシステムが初登場。ブーツの脱着スピードに革命をもたらすことに。ジェイソン・ブラウン、ジョー・カーテスがこのSTEP INを使用していた。
2000
スノーボード史に残る名グラフィック
プロダクトの開発が元になっているわけではないが、ジビングが再燃。新たに練習に取り組むライダーが増加していた。SEVENは共同開発で作られたものであり、もっと真剣にスノーボードに向き合いたいと願う若者向けに生み出されたものだ。この年にリリースされたBALANCEは、1998年に雪崩事故で帰らぬ人となってしまったジャミール・カーンに捧げるために、マイク・パリロがグラフィックを描いて作られた特別なボードである。子供用として開発されたXS FREESTYLEやKIDS MOTOは、その枠を越えて高い品質を誇った。

2001
日本人初のプロモデル誕生
NUやMISSION GT、そしてIONなどプロダクトの機能性が高まったことで、ライダーたちはこれまで以上にバックカントリーフリースタイルを楽しむようになっていく。ハイバックにウイングが付いたため、よりカービングターンの性能が向上し、それがバックカントリーブームを後押しするキッカケにもなったのだろう。NUは日本人ライダーの吉村成史(Naru)と植村能成(Ue)のために作られたプロモデルである。
2002
初心者用ボードがジビングボードを生み出すヒントに
CUSTOMを軸にDRAGONやBALANCEのような硬めのボードが主流だった当時、パークやジビングを楽しむためのCONTACTというカテゴリーが登場し、JUSSI、SEVENとともにDOMINANTがラインナップされた。今まで乗っていたボードよりも少し短めを選び、ソフトフレックスでファンなライディングを楽しもうという新しい流れを作り出した。開発裏話として、ジェレミー・ジョーンズやデイブ・ダウニングらが初心者用のLTRボードをとても気に入ったため、それをベースとしてDOMINANTが作られたのだ。
2003
バインディング&ブーツはフレックスを選べる時代
FISHはこの時代において、様々な形状の板を作り上げるうえで先駆けとなったクイバー(サーフ用語で、所有するボードラインナップのこと)ボードである。このボードのおかげでパウダーライディングの人気に火がついた。ボード開発者のJGとテリエ・ハーカンセンがこの開発に携わっており、彼らは昔のBACKHILL専用のシェイプがパウダースノーに最適であることを知っていたため、それをモダンバージョンに変えて世に出したのだ。P1はとても快適かつ、ハードかミディアムでフレックスの選択が可能。IONも同じく、好みに応じてハードかミディアムのフレックスを選ぶことができた。
2004
キャップストラップが初登場
ジェフ・アンダーソン、JPソルバーグ、ギギ・ラフ、ロメイン・デ・マルチ、ダニー・デイビスらが乗るUNINCに大きな注目が集まった年。CUSTOM XはCUSTOMをベースに軽さを追求し、高速滑走を実現するためのソール、そして最高仕様の素材を用いて作られた。US OPENで見事2位を獲得した國母和宏が乗っていたボードだ。彼のエアの高さはすべてのライダー、そして観客に大きな衝撃を与えた。MISSION GREEDに初のキャップストラップが採用され、足を見事に固定してくれるトウストラップとして大きな話題となった。
2005
スピードレースによるブーツ改革
芯材にアルミニウムハニカムという超軽量コアを採用した、とてもアグレッシブなT6はおもにテリエ・ハーカンセンのために作られていたが、ニコラス・ミューラーに愛用されるボードでもあった。MALOLOはJGとテリエにより、FISHとCUSTOMを掛け合わせるイメージで開発。この頃からクイバーボードが増え始める。頑丈なCARTELはチームライダーたちのお気に入りバインディングとなった。そして、ブーツにはSPEED ZONEが採用され、ボトムだけを締めることもできれば、トップのみをフィットさせることも可能に。バインディングを履いたままでもシューレースの調整ができる優れものだ。
2006
BURTON初の日本人シグネチャーボード
布施忠がROSSIGNOLからBURTONへ移籍。オールラウンドで世界水準のライディングスキルを誇る彼は、日本人で初めてBURTON最高峰のグローバルチーム入りを果たす。さらに日本人初となるシグネチャーモデルを発表すると世界中で人気を博した。彼の功績により、世界中のスノーボーダーが日本人ライダーを注目するようになった。
2007
インサートホール革命の夜明け
FORUMからBURTONへジェレミー・ジョーンズが移籍。彼はクレイグ・ケリーのように、プロダクトに関するフィードバックを積極的に行うライダーだった。その後、彼は自身のプロモデルであるJEREMYの開発に携わり、レイトモデルにはTHE CHANNELを採用することに。これが後のBURTONの成長に大きな影響を与える。CO2にはメッシュハイバックを搭載し、快適性とレスポンス性の両立に成功。この年から多様なデザインのハイバックが見受けられるようになる。
2008
ESTがボードフレックス&足裏感覚を変える
フリースタイル専用ボードのX8は日本で絶大なる人気を誇ったため、その後、日本バージョンのX8が作られることに。THE CHANNELが搭載された初年度であり、一般的なベースプレートを必要としないためボードのフレックスを最大限に活かすことができるESTバインディングを取り付けることが可能になった。この年から一部を除いたほとんどのボードラインに、THE CHANNELが採用されている。
2009
原点回帰
人々は雪上でのサーフライドを求めるようになり、スノーサーフに注目が集まり始めた時代。バインディングを必要としないNOFISHが登場し、昔のスタイルが戻ってきた。ライダーたちはさらに自由な乗り方を模索していたのかもしれない。このボードはJGとチョロ・バーンズが開発した。
2010
多様化するベンド構造
スノーサーフからスノースケートへとトレンドは移り変わる。V-ROCKERはパウダーで浮力を得やすい形状をしており、スケートボードのような乗り心地を味わうことができる。FLYING Vはディープパウダーの中でも、ノーズやテールに浮力を得ることができる構造だ。MALAVITAはCARTELよりも優れていると高評価を獲得し、チームの中で信頼度No.1バインディングと化した。
2011
パークブームの火付け役
スロープスタイルなどパークライディングの人気が高まる。そのキッカケのひとつを作ったのが、ユシ・オクサネンが開発に貢献したPROCESSというボードの登場だ。東日本大震災の直後に行われたUS OPENでは、2012モデルのCUSTOM Xに搭乗した國母和宏が優勝して2連覇を飾った。
2012
未来型バインディング&レトロブーツ
テリエ・ハーカンセンはハイエンドで反応に優れたバインディング、DIODEの開発に携わった。高機能ブーツが主流のなか、スタイルを追求するプロダクトのひとつとしてRED WINGレザーを使用したソフトフレックスのROVER LIMITEDが登場。また、チームムービー『STANDING SIDEWAYS』で國母和宏がオープニングパートを獲得、極上フッテージの数々に世界中が驚嘆する。
2013
フリーライドボードの新たなるカタチ
フリーライディングの新たなシェイプを追究するFAMILY TREEシリーズが登場。その探究心はシェイプに限らず、サステナビリティへの取り組みやコアの軽量化を加速させる。FAMILY TREEのCHEETAHはクイバーボードの発展形であり、これまで作り上げてきたすべての技術を受け継いでいると言っても過言ではない。開発者はJGとテリエ・ハーカンセンである。
2014
サステナブルなプロダクト開発
EASY LIVINはダニー・デイビスによって開発され、UNINCに代わる存在価値を示した。ブーツにはBURTONエクスクルーシブのテクノロジーであるReBounceクッションが採用され、これまで以上に足裏近くにクッションを配置。また、Bluesign®認証プロダクトなど、サステナビリティを意識した活動が強まっていく。
2015
ダックスタンス推奨ボード
最初にOFF-AXIS SQUEEZEBOXを採用したPARKITECTはツインシェイプのボード。ダックスタンス時に最大限のパフォーマンスが発揮できるよう調整が施されている。ジェレミー・ジョーンズとイーサン・デイスが開発に携わった。
2016
異なるカルチャーとのコラボ
通常ラインの商品とは一線を画する、COALITION(コーリション: 合同)カテゴリーに注力していたシーズン。スノーボードの異なる側面を魅せることで、ブランドとして拡大していく意思を示した。グラフィックデザインは違うのだが、このボードのテクノロジーはPROCESSと同じ。CUSTOMが20周年を迎え、Boa®ブーツが増加した。
2017
クレイグ・ケリーの魂が現代に
1993年にリリースされたCRAIG KELLY AIRに採用されているノーズとテールの形状に修正を加え、1994年のCRAIG KELLY AIRからグラフィックデザインを採用。それらをNUGに反映させたボードがCK NUGである。
2018
バインディング&ブーツの新時代
研究開発チームが6年の歳月をかけて生み出したのが、このSTEP ON®。簡単かつスピーディな脱着を実現したこのシステムは、5人のチームがひとつの部屋に閉じこもり、業界に革命を起こすべく何かを作り出さなければならない、というコンセプトから誕生した。
text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)
CONTENTS
▶CHAPTER 1 BURTONのプロダクトでたどるハードギア42年の歩み
▷CHAPTER 2 クレイグ・ケリーが築いたフリースタイルの世界
▷CHAPTER 3 フリースタイルを創出したトム・シムスの意思を受け継いだ日本人(前編)
▷CHAPTER 4 フリースタイルを創出したトム・シムスの意思を受け継いだ日本人(後編)
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BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE
ISSUE 7 「BURTON, SIMS, AND CRAIG KELLY ──フリースタイル温故知新──」
BURTONとSIMS、そしてクレイグ・ケリー──。フリースタイルスノーボーディングがどのように生まれ、ライダーとプロダクトが互いに影響を与えながら進化してきたのか。その系譜を、貴重な写真や当時を知る人物たちの証言とともに紐解いた一冊。1977年から2018年までのBURTONのハードギア42年史をはじめ、クレイグ・ケリーが築いたフリースタイルの世界、トム・シムスの思想とSIMSの歴史を収録している。

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