BACKSIDE (バックサイド)

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FEATURE

【創刊10周年特別企画】ISSUE 5「夢への歩み」平野歩夢インタビュー〈第3章〉ケガの功名

2026.08.13

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ソチ五輪で銀メダルを獲った15歳の少年は、その日から「楽しむ」ことができなくなっていった。
 
世界のトップに居続けるために、誰よりも練習し、新しいトリックを身につけ、結果を求め続ける。それでも気持ちは追いつかず、「何のために滑っているのか」さえわからなくなっていた。
 
そんな平野歩夢を強制的に立ち止まらせたのは、平昌五輪まで1年を切った2017年3月に負った大ケガだった。

 
※以下、2018年に綴った言葉をそのまま掲載
 
 
EPISODE 3

ケガの功名

「悩んでたっていうか、まったく楽しめてなかったですね。ずっとトップにいなきゃいけないと思い続けていて、そのためには本当にやるべきことがいっぱいありすぎました。それに気持ちがついていかなくて」
 
2014年2月11日。ソチ五輪で銀メダルを獲得し、冬季五輪の日本人最年少メダリストになったあのときから、歩夢はもがき苦しんでいた。オリンピックの金メダルが夢から目標に変わったことで、自らを追い込み続けてきたのだから。
 
「目の前には常に大会があって、やれることはやってるし、みんなよりも練習してきたはずなのに、気持ちだけが置いていかれてるような感じでした。だけど考えてる時間もないし、とにかく滑って(新しい技を)覚えていくしかなかったですね」
 
ソチ五輪の翌シーズン、2015年1月のX GAMESアスペン大会でキャブ・ダブルコーク1440を披露。これは、ソチ五輪でイウーリ・ポドラチコフが金メダルを獲得した際に放ったウイニングトリックであり、彼以外ではショーン・ホワイトにしかできなかった大技を世界で3人目として成功させた。
 
同年12月のDEW TOURでは、クリップラーにジャパングラブを入れるという斬新なアイデアから生み出したシグネチャートリックを解禁。強烈な個性とスタイリッシュな表現力を持ち併せていたため、世界中から大きな賞賛を浴びたのだ。
 
2016年2月のX GAMESオスロ大会では、キャブ・ダブルコーク1440をファーストヒットで繰り出せるまでに完成度を高めてきた。以外にもスイッチ・ダブルバックサイドロデオを決めるなどして、先に述べたようにX GAMES史上初の日本人金メダリストに輝くことに。
 
そして、ワールドカップを転戦することが許されなかったシーズンに当たる、2017年1月のX GAMESアスペン大会ではバックサイド・ダブルコーク1260を繰り出し失敗するも、公式練習中に成功するシーンを目の当たりにすることができた。同年3月のBURTON US OPENではフロントサイド・ダブルコーク1260を披露するなど、シーズンごとに高難度なニュートリックを引っさげて転戦していたのである。
 
「年々、パイプで勝つために必要な滑りのレベルがものすごく高くなってきていて、自分が想像していた憧れの舞台からはどんどんかけ離れていったんです。でも、これはこれで新しい時代であって、オレたちの世代がこれまで誰もやってこなかった高いレベルにいるわけだから、そこで“オレのスノーボードをどうやって魅せていくか”っていう風に考え方を変えることができてからは、少しだけ気持ちがラクになりました。でも、向き合わなければいけない滑りのレベルがさらに上がっていったから、オリンピックを目指すことに対しても相当な覚悟を持って臨まなければいけなかった。だから常に気持ちは不安定なままで、すごく落ち着かない状態で滑り続けていたんです」
 
トリックが高難度化すればするほど表現力が失われていく傾向にあることは否めない。それは回転方向に逆らったアクションが難しくなるため、言い換えればスピンの向きに従った動きでないと成功させることが困難なため、他者との差をつけづらくなることで個性が死んでしまうからだ。複雑難解を極めたトリックを成功させるだけでなく、さらにカッコよく決めなければスノーボードじゃない。成績の浮き沈みもあったにせよ、そうしたことを含めて歩夢は苦悩していた。
 
ここで改めて、ソチ五輪を終えてからの3シーズンの戦績を駆け足で振り返ってみたい。2014-15シーズンは、X GAMESアスペン大会でCABダブルコーク1440を世界で3人目として成功させたと先に述べたが、ジャッジに嫌われてしまい6位だった。これには多くの関係者の間でも物議を醸したわけだが、以降はこの大技を封印してBURTON EUROPEAN OPENで2位、BURTON US OPENでは3位と表彰台を射止めるも、X GAMESアスペン大会で2位、BURTON US OPENで優勝を飾った卓に一歩譲る格好でシーズンを終えた。
 
2015-16シーズンを迎えると、高難度スピンとクリップラー・ジャパンという表現力を重視したトリックとのバランスが非常によく、DEW TOURで2位、LAAX OPEN(旧BURTON EUROPEAN OPEN)で優勝、X GAMESオスロ大会でも優勝と、破竹の快進撃を見せた。
 
そして、2016-17シーズン。X GAMESアスペン大会とBURTON US OPENの2戦にしか出場することが許されず、結果は、それぞれ9位と7位。到底納得のいく順位ではなかったわけだがBURTON US OPENでのそれは、この時点で正確無比とされていた大技キャブ・ダブルコーク1440での大クラッシュにより重傷を負ってしまい、途中棄権となったうえでの結果だった。
 
「ケガをしてしまったUS OPENのときもそうなんですけど、これまで積み上げてきたものに対して自信を失ってました。自分の気持ちとスノーボードとがまったく一致してなくて。気持ちはすごく下がってるのに、スノーボードではものすごく高いところを見続けていないと戦えないような状態だったから」
 
この3シーズン、リザルトは決して悪くなかった。しかし、世界の頂点しか見ていない歩夢にとっては不本意だったのかもしれない。それによりさらに自らを追い込んでしまい、精神的にはどん底にいた。さらに追い打ちをかけるようにして、肝臓や左膝の内側側副靭帯の損傷。絶体絶命の窮地に立たされてしまったのだ。
 
「振り返ってみると、ソチ(五輪)のときは“よし、今日はやるか!”ってノリみたいな感覚で楽しめてる部分があったんですけど、最近までは頭の中がごちゃごちゃになってて、好きなことをやってるはずなのにまったく楽しめてない自分がいて……。でも、US OPENでケガしたことによってスノーボードから離れてみたら、考える時間がたくさんあったんですよね。滑れないからこそただただシンプルに自分自身を見つめ直して、“何を求めて、何を受け入れて、これから先を目指していくのか”ってことを考えていくうちに、心が整理されて気持ちがリセットできたんです。それまで自分が感じていた苦しいものから少しずつ解放されていって、オリンピックに対しての目標だったり想いが明確になって新たなスタートを切れた感じですね」
 
世界最高難度のキャブ・ダブルコーク1440を決めたのにジャッジに嫌われたX GAMESアスペン大会のときも、同トリックをファーストヒットで決めて日本人初の優勝を飾ったX GAMESオスロ大会のときも同じように、常に苦しめられた3年間だった。
 
「気持ちの整理がつかずにスノーボードをしてるのが一番しんどかったですね。“今日もスノーボードしなきゃ”って、何のために滑ってるのかもよくわからずに突っ走ってきた部分もあったから」
 
「あっという間だったとは自分には思えない。(この3年間は)長かったですね」
 
筆者は以前、世界最大手のスノーボードメディアであるTRANSWORLD SNOWBOARDINGの日本版(現在は休刊)に従事していたのだが、ソチ五輪の直前に歩夢にインタビュー取材を行っていた。そこで、7歳のときにトリノ五輪をテレビで観て憧れを抱いたオリンピックという舞台に立とうとしている心境について、次のように語ってくれていたことを思い出した。
 
「夢みたいな感じで、あっという間でした。“あれ、もう?”みたいな(笑)。目の前にあることに取り組んできたら、いつの間にかここまで来てました」
 
「どんどん楽しくなってきましたね。小さい頃はお父さんに怒られながら滑りたくない日も滑って、学校に行きたくても行けずにスノーボードに行って、そのままスケートをして……。イヤなこともたくさんあったけど、今は自分で考えて海外でも練習できるようになったから、徐々に楽しさが増していったというか」
 
15歳の誕生日を目前に控えていた歩夢はこのように答えていたのだ。中学3年で迎えたソチ五輪で銀メダルを獲得し、同日に行われていたスキージャンプの高梨沙羅選手がメダルを逃したこともあり、歩夢と銅メダルを獲得した卓へのすさまじい取材攻勢が行われた。どのテレビ番組でも報じられていたので覚えているという読者諸兄姉も多いと思うが、「緊張しなかった」「楽しかった」という人並み外れたコメントの数々。
 
「前回(オリンピックに)出たときは楽しめたっていう感覚が強いです。あのときはああだこうだと考えずにいけたから。その気持ちに戻って(平昌五輪に)出たいですね」
 
ケガの功名とはよく言ったものだ。逆境に立たされていたはずの歩夢は、不死鳥のごとく完全復活を遂げることになる。

text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)

 
 
CONTENTS
INTRODUCTION はじめに
EPISODE 1 オリンピック競技とスノーボード文化のはざまで
EPISODE 2 スキー連盟に属するスノーボーダーの葛藤
▶EPISODE 3 ケガの功名
▷EPISODE 4 考えて勝つ
▷EPISODE 5 4年前と同じ気持ちで
▷EPISODE 6 家族の想いを胸に
▷EPISODE 7 最後に後悔しないために
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本記事は、2018年発行『BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 5「WALK TO THE DREAM ──夢への歩み──」』より抜粋掲載。平昌五輪までの4年間、「金メダルしかない」と自らを追い込み続けた平野歩夢の歩みを追った一冊だ。2017年3月の重傷から復帰し、同年12月にはコンテスト史上初となるフロントサイド・ダブルコーク1440を成功させるなど、世界の頂を射程圏内に捉えていた19歳当時の葛藤と覚悟を、写真とデザインを交えながら全140ページにわたって描いている。
 

 
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※ISSUE 5は完売しました

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