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【創刊10周年特別企画】ISSUE 5「夢への歩み」平野歩夢インタビュー〈第2章〉スキー連盟に属するスノーボーダーの葛藤
2026.08.11
「金メダル候補」として注目されていた平野歩夢。その裏では、世界トップレベルの実力を持ちながら、オリンピックを目指すための大会に出ることすらままならない現実があった。
プロスノーボーダーとしての活動と、スキー連盟の制度。そのねじれに翻弄され、歩夢は初めて「スノーボードにストレスを感じた」と振り返る。
それでも、夢を諦めるという選択肢はなかった。
※以下、2018年に綴った言葉をそのまま掲載
EPISODE 2
スキー連盟に属するスノーボーダーの葛藤
小誌ISSUE 3「スノーボードと仲間と絆」でも触れたのだが、2016-17シーズン、歩夢は平昌五輪の日本代表の切符を賭けてFIS(国際スキー連盟)が主催するワールドカップを転戦するつもりだった。それは、オリンピックにおけるスノーボード競技をFISがハンドリングしているからだ。
2016年2月にX GAMESオスロ大会で優勝を飾り、日本人初の同大会金メダルを獲得するなど名実ともに世界のトップに君臨していることを証明していようとも、オリンピック日本代表の座を射止めるためにはワールドカップに出場してFISポイントを獲得しなければならない。さらに言えばそれ以前に、SAJ(全日本スキー連盟)の大会に出てナショナルチームの一員に選出される必要がある。スノーボードの国際大会で世界の頂点に輝いても、スキーのいち競技として組み込まれているオリンピックに出場する基準を満たすことは叶わないのだ。
ここに大きな“ねじれ”が存在する。そのため、ソチ五輪後の2シーズンはプロ活動を優先するためにSAJのナショナルチーム入りを辞退していた。ナショナルチームに所属することでプロ大会とのスケジュール調整が難航したり、スポンサーの制約など、オリンピック出場の有無に関わらず歩夢をサポートしているブランドとの合意を得ることが難しくなってしまうからだ。そうなると、プロスノーボーダーとしての将来に関わる問題にまで発展してしまう可能性も十二分にあり得る。
そうしたことも踏まえ、歩夢は未成年のため両親が間に入ってSAJと折衝を重ねていた。
オリンピックから逆算すると2シーズン前にはワールドカップに参戦する予定だったため、SAJから強化指定を受けることが大前提となる。なぜなら、ワールドカップに出場するにはSAJの派遣選手でなければならないからだ。そのため、前シーズンにあたる2015-16シーズンに北海道・札幌で開催されたFISワールドカップとSAJ北海道スキー選手権に出場。これは明らかに、翌シーズンからナショナルチームの一員として平昌五輪出場を目指すという確固たる意思表示の表れだった。
だが、2016年7月に行われたSAJ理事会の発表によると、歩夢は例年どおりプロ活動を優先するためにナショナルチーム入りを辞退したと報道されたのだ。その際に、2017年6月に辞任しているが当時の競技本部長だった成田収平氏が「プロスノーボーダーとして強化に励む選手に(スキー連盟の)強化費を使う必要はない」といった趣旨のコメントを発表。この発言がいったい何を意味しているのか。
「平昌五輪の2年前くらいに(ナショナルチームに)戻るという意思表示をしていて、そのためにはこの大会に出る必要があるといった内容でSAJ側と詰めていたのに、いきなりこちらから辞退したという話にすり替わっていて驚きました」
こう語る英功さんはもちろんのこと、それを聞かされた歩夢にとっても、まさに寝耳に水だった。
その後、SAJの強化指定選手以外でも一定の基準をクリアしている場合は、ワールドカップへの出場資格が与えられるという特例が設けられた。その条件は、2015-16シーズンにWORLD SNOWBOARD TOUR(現WORLD SNOWBOARDING)が管轄するX GAMESやBURTON US OPENなどの国際大会のエリート(最上位)レベルで3位以内に入賞している者が対象。加えて、SAJ競技本部の指示に従うことや、SAJ強化指定選手に出場の優先権があることなどが記されていた。
先述したように歩夢はX GAMESオスロ大会で優勝しており、同じく辞退したとされていた平岡卓もBURTON US OPENで3位だったため、この基準はともにクリアしていることになる。まさに歩夢と卓の両名に対する救済措置だったということだ。
これで話はまとまったかと思いきや、さらにややこしい方向へ展開してしまう。2017年1月上旬にハーフパイプチームの未成年飲酒問題を受けて、その対象者たちの強化指定が解除された。これを受けてワールドカップへの派遣を強化指定選手に限るという決定がなされ、歩夢と卓が強化指定に追加されたという報道だった。
しかし、強化指定を受けた直後の1月中旬、スイス・ラークスで行われる毎年恒例のプロ大会、LAAX OPENがFISとの共同開催だったためにワールドカップとして位置づけられており、歩夢は卓とともにSAJから派遣されて現地入りしていた。だが、公式練習が始まる直前に大会に出られないとSAJ関係者から告げられたそうだ。その理由についてSAJからは公表されていないのだが、不可解極まりない話である。さらに、それ以降に残されていたワールドカップに彼らが派遣されることはなかった。
「あのときは、初めてスノーボードに対してストレスを感じてました。正直しんどかったですね。オリンピックってこんなに面倒くさいこともあるのかって……。オリンピックうんぬんの前に大会にすら出られなくて、自分を表現できるものが何もなかったから、ただただ悩み続けてたんです。そうしたら、オリンピックってこういうものなんだって割り切るしか選択肢がなかったんですよね。イヤだなって思う部分はたくさんあったけど、逆に言えばこういう理不尽なことも受け入れて将来につなげていこうって思えたキッカケでした」
2017年11月に19歳になったばかりだが、こうした逆境を糧に自らが羽ばたこうと考えた。小学6年から世界を舞台に戦ってきた歩夢は、その年齢を凌駕するほど強い魂の持ち主だ。
だが、話はこれですまされるものではなかった。英功さんは次のように憤る。
「昨シーズンは納得のいかない理由により、大会直前で出れなくなったり、出れるのか出れないのかわからない状態が続いたりと、多くの大切な時間が無駄になりました。ケガのリスクを考えると、難易度の高い技を修得するためにはたくさんの時間を費やして調整しなければならないのに、それができない状態でUS OPENを迎えてしまって……。恐れていたことが起こってしまい、やり場のない怒りを覚えました」
2017年3月に行われたBURTON US OPENで歩夢は重傷を負ってしまうことに。詳しくは後述するが、平昌五輪に向けて前進はおろか、開幕まで1年を切ったタイミングで大きなアクシデントに見舞われてしまったのだ。
「こうしたことで命を落としたり、生涯に渡って影響するケガにつながってしまう可能性がある競技だということを十分に理解してもらい、選手が安心して挑める環境をしっかりと作ってもらいたい。そう強く願います」
そもそも、なぜスキー連盟がスノーボード競技を運営しているのか。スノーボードの世界頂上決戦で優勝する実力を持つ者が、なぜ一筋縄でオリンピックの舞台を目指すことが許されないのか。この問題をひも解かないかぎり話を先に進めていくことが難しいので、少し触れておきたい。
スノーボードとスキーは雪上を滑走するという共通点を持ちながらも、そのバックグラウンドは完全に異なる。スノーボードは雪上でマニューバーを描きたいとサーフィンからインスピレーションを受けたことにより、世界同時多発的に開発が推し進められて誕生した。諸説あるが、日本に上陸したのは1970年代とされている。
スキーが初めて日本に伝えられたのは1911年。現在の新潟・上越市にて、オーストリアの陸軍少佐が雪の中を進む軍事訓練として兵士たちに紹介したことに始まる。1928年の第2回冬季オリンピックからスキー種目が誕生し、スノーボードは周知のとおり1998年の長野五輪から正式種目として採用された。こうして70年あまりの時を経て、IOC(国際オリンピック委員会)が当時スノーボードのコンテストを管轄していたISF(国際スノーボード連盟)を出し抜いて、オリンピックにおけるスノーボード競技のハンドリングをFISに委ねたことで、出自も文化価値もまったく異なるスノーボードとスキーが相まみえることになったというわけだ。
スキーヤーに支配されたオリンピックに賛同することができず、出場していれば金メダルが確実視されていたハーフパイプ王者だったテリエ・ハーカンセンが長野五輪をボイコットしてから20年。奇しくも、この年に歩夢は生まれている。そして、父である英功さんはプロを目指すほどサーフィンに熱中した学生時代を過ごし、夏になると波が少なくコンディションが厳しい日本海側で生まれ育ったからこそ、スケートボードパークを造ろうと考えた。サーファーである父のアイデンティティを受け継ぎながら、スノーボードよりも先にスケートボードと触れ合ってきた歩夢。
さらに話を戻すと、先述したハーフパイプチームの未成年飲酒問題が明るみになったとき、同時にスタッフによるセクハラやパワハラの問題も表沙汰になった。その背景には、“スノーボードは特殊”だと現場スタッフにすべてを任せきりになっている連盟の体質も問題視されるべきである。
それらを踏まえて、先ほど紹介した元競技本部長・成田氏の言葉の真意を探れば、このねじれの根幹が見えてくるのかもしれない。こうした環境で、歩夢を含めたスノーボーダーたちは幼少期に抱いた憧れの金メダルを目指し、全身全霊を傾けているということである。
「そういうことも受け入れていかないと、これまで頑張ってきたスノーボードがいきなりなくなってしまうようなものだったから」
text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)
CONTENTS
▶INTRODUCTION はじめに
▶EPISODE 1 オリンピック競技とスノーボード文化のはざまで
▶EPISODE 2 スキー連盟に属するスノーボーダーの葛藤
▷EPISODE 3 ケガの功名
▷EPISODE 4 考えて勝つ
▷EPISODE 5 4年前と同じ気持ちで
▷EPISODE 6 家族の想いを胸に
▷EPISODE 7 最後に後悔しないために
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本記事は、2018年発行『BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 5「WALK TO THE DREAM ──夢への歩み──」』より抜粋掲載。平昌五輪までの4年間、「金メダルしかない」と自らを追い込み続けた平野歩夢の歩みを追った一冊だ。2017年3月の重傷から復帰し、同年12月にはコンテスト史上初となるフロントサイド・ダブルコーク1440を成功させるなど、世界の頂を射程圏内に捉えていた19歳当時の葛藤と覚悟を、写真とデザインを交えながら全140ページにわたって描いている。

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※ISSUE 5は完売しました




