FEATURE
【創刊10周年特別企画】ISSUE 3「スノーボードと仲間と絆」岡本圭司×角野友基 “時空と世代を越えたふたりの絆”
2026.07.06
ひとつのトリックが、時空と世代を越えてふたりをつないだ。
世界初の大技に込められていたのは、勝利への執念だけではない。
幼き日の出会いから積み重ねられた、岡本圭司と角野友基の絆を紐解いていく。
※以下、2017年に綴った言葉をそのまま掲載
時空と世代を越えたふたりの絆
KEIJI OKAMOTO × YUKI KADONO
2015年2月22日。アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルスに位置するローズボウルにて、当時18歳の日本人ライダーが偉業を成し遂げた。
1994年から開催されている歴史あるビッグエア大会・AIR+STYLEの大舞台で、角野友基が世界初となるスイッチバックサイド・トリプルコーク1620を成功。スノーボードの歴史を動かすと同時に、ひとりの男の命を救った特別な一日となった。
記憶に新しいだろう。表彰台の頂に上った彼が掲げるボードのノーズには、「RIDE FOR KEIJI」という手描きのサインが。同月7日、バックカントリーでの撮影中に起こってしまった大事故による脊髄損傷と闘っていた、岡本圭司に捧げられた大技だったのだ。
「あかん。ホンマに感動した」と長野の某病院でつぶやいた彼と、およそ9,000km離れたふたりの心が通じ合った瞬間。この時空を越えた絆を語るためには、これまでの彼らの関係性を紐解かなければならない。
ここに、そのストーリーを記す。
EPISODE 1
憧れのお兄ちゃんからライバルに

「このお兄ちゃん、すごいねんで。頭で滑ってくれるでー」
ふたりの地元である兵庫にあった室内ゲレンデにて、友基が教わっていたインストラクターが紹介してくれた面白いお兄ちゃん。これが、後に“お笑い系テクニカルライダー”と称される圭司との出会いである。圭司が22歳、友基が8歳の頃だった。
「友基が初心者のときにレッスンを受けてたんですよ。オレはこの室内ゲレンデのローカルだったので、仲がよかったインストラクターに頭で滑らされて(笑)。それから友基が、“頭のお兄ちゃん、頭のお兄ちゃん”って近寄ってくるようになったので、それ以来の付き合いですね」
圭司は19歳からスノーボードを始めたのだが、21歳の頃に一度だけ滑ることをやめている。就職活動のためだ。就職先は決まったものの、それが本当に自分のやりたいことなのかと自問自答しながら語学留学のためニュージーランドへ渡り、そこで「ホンマに自分のしたいことはスノーボードなんじゃないか」と気づかされた。
それからは、朝10時から夜の9時までバイトに明け暮れ、仕事が終わるとすぐに室内ゲレンデへと足繁く通って深夜までライディング。そういう生活を週6日のペースで続け、ジャンプやジビングのスキルを磨いていったそうだ。その矢先に、友基と出会っていたということになる。
「その頃の圭司くんはライダーってわけじゃなくて、大学に行きながらスノーボードをやってるような感じだったと思います。それでそのときに、上から下まで頭で滑ってくれて(笑)。それから何年かは会ってなかったんですけど、オレが11歳くらいのときに白馬五竜でスロープスタイルの大会があって、それに出たときに圭司くんがジャッジか何かで来てたんですよ。そこでめちゃくちゃひさしぶりに会って、“おひさしぶりです!”って挨拶して。でも、特に連絡先を交換するわけではなかったので、そのときはそれで終わったんです」
このことを圭司はあまり覚えていないようだが、彼らはすぐに再会を果たすことになる。日本で初めてダブルコークを成功させた圭司と、スイッチバックサイド・トリプルコーク1620を世界で初めて大会で決めた友基の礎を築き上げた名所として知られる、日本が世界に誇るジャンプ練習施設の本拠地・神戸キングスでの再会だ。
「通っていた室内ゲレンデがクローズしてしまって、神戸キングスに行き始めたんですよ。そしたら、友基が小学校の高学年くらいになったときに来たんですよね。“おお、あんときの子やん”ってなって。お父さんに送ってもらって来てて、“ケイジくん、ケイジくん”って人懐っこかったから一緒に滑るようになった感じですね。バックサイド360くらいができるレベルやったと思うんですけど、まだ全然下手くそでした。あまり覚えてませんが、10歳ちょっとくらいやったと思います」
「その頃は野村和平・周平の兄弟とめっちゃ仲良くて、神戸キングスの存在を教えてもらったんですよ。そしてキングスに行ったら圭司くんもいて。それからはずっと、“ケイジくん、ケイジくん”みたいな感じでついていくようになりました」
この頃の圭司は、飛ぶ鳥を落とす勢いでシーンに頭角を現していた。友基が小学5年だった2007年12月に東京ドームで行われた、今はなき冬の風物詩とまで謳われた国際大会「X-TRAIL JAM」のストレートジャンプ種目に初出場した圭司。その前シーズンには、NIPPON OPENでトリプルバックフリップにチャレンジして多大なるインパクトを与え、2007年夏のNEW ZEALAND OPENのスロープスタイルで入賞するなど、満を持して挑んだ東京ドームの舞台で彼は魅せた。
あのトラビス・ライスと、当時としては最高難度トリックのひとつだったダブル・バックサイドロデオなどで競演したことにより会場を揺らし、同大会で日本人最高位の5位となっただけでなく、もっともオーディエンスを沸かせたライダーに贈られるMOST IMPRESSIVE RIDER賞も獲得。冒頭で述べた“お笑い系テクニカルライダー”というキャッチコピーが付けられていた岡本圭司の名は一躍日本中へ、いや、世界へまで轟いたのだ。
そうした時代から、圭司と友基の本格的な付き合いが始まっている。当時の国際大会では、ハーフパイプで國母和宏が世界のトップレベルで争ってはいたものの、スロープスタイルやビッグエア競技において、そのレベルで対等に戦える日本人ライダーはいなかった。そのポジションを圭司が虎視眈々と狙っている状況だったわけだ。
「練習でめっちゃピリピリしてるのに絶対ついてくるんですよね。何回も同じトリックを繰り返しやってるから、キングスでの練習はけっこうナーバスになるんですけど、そういうイライラしてるときでも、友基は絶対についてきて一緒に滑ろうとするんです。“もう、しつこいな!”って思うくらいやったんですけど、そのうち慣れてしまって。練習中はあまりにもストイックになりすぎてるから楽しい要素も入れていかないといけないので、練習が終わったあとにHYWODのメンバーと勝負するんです。そうすると友基も入ってくるんですけど、負けるからジュースをおごらされるっていう(笑)。容赦しなかったですね。だからやめときやって言っても、“勝ちたいから”って言って何回も何回も挑戦してきました」
「最初は相手にされてなかったんですよ。オレが勝手についていってただけなので、ただのしつこいガキって思われてただけやと思います。ちょうどHYWODの1作目のときで、そのDVDも買ってました。“ケイジくん、ケイジくん”って、ひたすら追っかけてましたね」
2007年、“スノーボードに対して妥協を許さない人たちと、もっと上を、世界を目指したい”という想いを胸に、圭司が中心となってHYWODが結成された。西日本からスノーボードを盛り上げたいという意図も含まれていたため、横田真央人、田中陽、上村好太朗という中部地方から西に出自を持つライダー3名が名を連ねていた。フォトグラファーやフィルマーも擁する、いちメディアとしての機能も併せ持つ集団だった。
そんな彼らをひたすら追いかけていた友基少年。「自分がプロスノーボーダーになれるなんて思ってもいなかったし、ただ無我夢中で楽しいことをやってただけ」とは当時を振り返っての友基の言葉だが、彼の才能が開花するまでにそれほどの時間を要さなかった。
「“おー、また来てるのか。じゃあ一緒に滑ろう”みたいな感じで、ずっとキングスで滑ってました。オレはライダーとしてピークのときで、バックサイド1080とかダブルコークの研究をめっちゃしてるときやったんですけど、そのときに友基も入ってきて一緒にやり始めたんです。それくらいからアイツ、異常に上手くなり始めたんですよ。オレたちが3年くらいかけてやってきたことを1年以内にモノにしていくような感じで」
「小6のときに初めてTHE SLOPE(日本で行われていたスロープスタイル大会)に出たんですよ。“ユウキもウマなったよな”って言ってくれて、その大会の映像をHYWODのボーナスとして使ってもらえました。そのままオフシーズンもずっとキングスで一緒に滑ってて、シーズンに入ると3月くらいからHYWODの撮影に参加できるようになって、月山に行ったり、(HAKUBA)47で滑ったり。そこからはかなり濃かったですね。ずっと一緒に滑ってました」
中学1年、13歳から本格的なムービー撮影をスタートさせたわけだが、もちろん、大会が活動の中心にあった。このシーズンに再びTHE SLOPEに出場し、日本人ライダーが2グループに分かれて行われた予選を2 位で通過してベスト8に進出。ここからはノックダウン方式で行われたのだが、初戦で友基は圭司と対戦することになった。
「どんどん上手くなってるときだったんですけど、“オマエにはまだ負けへんから”とか圭司くんが言ってくるんですよ。そのときは負けちゃいました」
「オレがバックサイドロデオ900で、アイツは決死のバックサイド1080でコケたんです。直接対決したのはあのときが最後ですね。“これはすぐに抜かれるな”って、そのときに感じました」
そして翌年の同大会。友基はバックサイド・ダブルコーク1080を引っさげて優勝を飾る。14歳の若武者が、世界へ向けての第一歩を踏み出した瞬間だった。
text: Daisuke Nogami(Chief Editor)
CONTENTS
▶はじめに
STONP 世界に挑んだ男たちの絆
▶EPISODE 1 STONPが変えた男の人生
▶EPISODE 2 “STONP OR DIE”が育んだ絆
▶EPISODE 3 世界一への道のりを支えた仲間の存在
▶EPISODE 4 仲間とともに生きる道
Keiji Okamoto × Yuki Kadono 時空と世代を越えたふたりの絆
▶EPISODE 1 憧れのお兄ちゃんからライバルに
▷EPISODE 2 ふたりの想いが起こした奇跡
▷EPISODE 3 絶望から救ったアイツの存在
▷EPISODE 4 親子のように強い絆
Ayumu Hirano × Taku Hiraoka 滑りで夢を語り合うメダリストたちの絆
▷EPISODE 1 同じ夢を目指して交わった人生
▷EPISODE 2 メダリスト誕生秘話
▷EPISODE 3 認め合いながらしのぎを削る葛藤
▷EPISODE 4 逆境から羽ばたく戦友同士の絆
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本記事は、2017年発行『BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 3「SNOWBOARDING, FRIENDS, AND THE BOND ──スノーボードと仲間と絆──」』より抜粋掲載。創刊10周年特別企画では、本号の中核を成す3つのストーリーを全14回にわたり公開していく。紙媒体ならではの写真表現や誌面デザインとともに、2017年当時の日本のスノーボードシーンの空気感も感じとってもらえれば幸いだ。

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