FEATURE
【創刊10周年特別企画】ISSUE 2「フリースタイルスノーボーディングの本質」〈第4章〉バックカントリーを極めた末の原点回帰
2026.06.18
CONTENTS
Yoshinari Uemura
▶EPISODE 1 偶発的に出会った生涯の乗り物
▶EPISODE 2 “上手くなる”と誓った先に見えたプロへの道
▶EPISODE 3 あらゆる時代の滑り方が融合されたスタイル
▶EPISODE 4 バックカントリーを極めた末の原点回帰
▷EPISODE 5 フリースタイルスノーボーディングの本質とは?
Kohei Kudo
▷EPISODE 6 幼少期に育まれたフリースタイルマインド
▷EPISODE 7 ライディング&エディットに垣間見えた古き良きスタイル
▷EPISODE 8 競技スノーボードに足りないフリースタイル力
▷EPISODE 9 ライディングスタイルに映し出される生き方
※以下、2017年に綴った言葉をそのまま掲載
EPISODE 4
バックカントリーを極めた末の原点回帰
「山全体を滑りたいと思うようになりました。それまでは北海道でもほとんど札幌国際で滑ってたんですけど、ニセコで居候しながら滑るようになって。パークとかジブをメインでやってた海外のライダーたちが、いきなりバックカントリーを滑り始めたっていう世界的な流れもあったから、とにかく大きい山を滑りたくてアラスカへ行きたいと思うようになりましたね」
ウィスラーやニセコ以外にも、同じ年にプロになった同年齢の吉村成史と一緒に、新潟や長野でも滑るようになる。そのあまりにも違うライディングスタイルに衝撃を受け、湿雪のパワーを感じながら複雑な地形を攻略していくことで、繊細かつアグレッシブなライディングを自分のものにしていった。また、撮影で北米や南米、ヨーロッパなど、世界各国の雪山を経験してきた。ウエは「人や環境に恵まれてきた」と口癖のように言うが、自ら能動的に行動してあらゆる状況下で滑走スキルを磨いてきたことで、みるみるうちに山滑りを体得していったのだ。
「あの斜面を何ターンでどういうラインで滑ればいいのかとか、なんとなく想像できました。それまではパークやパイプばかり滑って、ブッ飛んだりグルグル回したりしてたから、それとシンクロさせてナチュラルヒットやクリフでジャンプするようになった。パウダー着地の難しさや、着地したら木があるような状況だったり、キッカーのようにリップがないから踏み切りが難しいナチュラルヒットでのスピンとか、いろんな意味で滑りの幅が広がりましたね」
こうして1999年3月、ついに彼の地を訪れることになる。かれこれ10年以上前にインタビューした際に、「今となってその映像を観ても、けっこうエグいところを攻めていた」と振り返ってくれていたのだが、そのフッテージが収録されている『INTRODUCTION』(ONE FILMS / 1999年)を改めて観ることにした。そこには、超絶すぎるスティープな斜面に攻撃的なラインを刻むウエが映し出される。現在のように、スパインでトリックを繰り出すようなマウンテンフリースタイルは誕生していなかった時代。当時9年目というスノーボードのキャリアで、かつ初となるアラスカでのあの滑りは常軌を逸していたと言えるだろう。
「アラスカでのビッグマウンテンライディングは本当に衝撃的でした。あのタイミングであのような経験ができたことは、とてもラッキーだし、ライダーとして大きな節目だったと思う」
その後、マウンテンライディングに注力する傍らで、スロープスタイルの大会にも参戦するなどオールラウンドなライディングスタイルで活躍を続け、BURTONのボード開発にも携わるなど、マルチな才能を発揮。2007年には日本人スノーボーダーとして初となるシグネチャービデオ『UE_SNOWBOARDER』(ONE FILMS)を発表するなど、プロスノーボーダーとして順風満帆な日々を送っていた。
しかし、この時点で35歳という年齢に差しかかっていたウエ。当時のチームメイト、國母和宏など若手ライダーの台頭が著しいなか、次のように話してくれていたことを思い出した。
「パイプ、レール、硬いゲレンデ、バックカントリーなど、いろんなところで滑ってきたけど、それぞれで上手い人たちがたくさんいました。上手い人だらけだった。彼らのように上手くなりたいって思いでいつも滑ってましたね。若いライダーも増えてきて、そういう子たちに“ウエさん、もう下手だよな”って思われたくないし、そう思われないようにやってきた」
「(若い世代の成長に焦りを感じるか?との問いに)そういう感覚はなくなってきましたね。まったく同じことをやらなければいけないとは思ってません。もちろん、上手くはなりたいけど」
「それこそ30歳を超えてるわけだから、900とか1080にこだわるんじゃなくて、もっと発想力だったり、これまでに経験してきたもので表現できるようになりたいと思ってます。ある意味、若いときにどれだけやってきたかってことになるのかもしれないけど、結局そのライダーの持つ、人としての在り方に関係してくるんでしょうね。だからこそ、楽しむことが大事」
これらの言葉にこそ、フリースタイルスノーボーディングの本質が宿っているように感じてならない。プロの世界においてトリックだけで勝負し続けていれば、体操競技などと同様にピークが過ぎれば引退を余儀なくされるだろう。一般に置き換えて考えてみても、フリーライディングを軽視して技ばかりを求め続けていれば、すぐに限界が訪れるに違いない。そんなメッセージが込められているように、改めて感じた。
年齢も踏まえると、第一線で活躍する日本人フリースタイラーとして、前例のない領域に足を踏み入れようとしていたウエ。表現者として、はたまたボードのプロデューサーとして、常にシーンを牽引する立場にあったわけだが、2013-14シーズンに大きな転機を迎えることになる。プロになった大学時代から20年近くに渡りサポートを受けてきたBURTONと、一定の距離を置くことになったのだ。
「今も大切なパートナーであることに変わりはない。ただ、プロとして常に第一線で活躍していくためには、何らかの限界が訪れるときがくる。そういう意味では、改めて今後のスノーボードライフを考える時期だったのは確かですね。これから歳を重ねてもスノーボードを楽しむことは可能だし、そうありたいと思ってます。ただ、自分はプロとして滑り続けることを第一に活動してきたし、それを維持するためには、やはりライダーとして何らかの変化を求められるのは避けられない」
最初は動揺したとのことだったが、すぐに行動に移し、自身がプロデュースするボードブランド・UMLAUTが誕生。「これまで自分がやってきたこと、そのすべての流れがひとつになった」とは当時の本人談だが、このプロジェクトは一流のベテランスノーボーダーがパフォーマンスに優れた新しいボードブランドを立ち上げたという単純な話ではなく、植村能成というスノーボーダーの集大成となる表現方法だった。
「プロとしてブランドから求められるものがあるじゃないですか。自分を高めたいっていうのはもちろんあるけど、メディアも含めて、やはりプロとしてすごい滑りをしてる人が注目されるし、そういう人に価値があるんだと思います。でも、今は違う。すごい滑りで表現することだけがスノーボードじゃなくて、純粋に楽しみながら、その面白さを伝えることが大事なんじゃないかと思うようになってきて。デカいジャンプ台を飛べなければスノーボードをやってる意味が見出せなかったような時代もあったと思いますが、そういうことじゃなくて、自分がどういう風に表現すれば、いろんな人にスノーボードを楽しんでもらえるのかって考えたら、普通にゲレンデを滑ってるだけで十分に楽しめるんだってことを伝えたい。だから、UMLAUTを始めてからはほとんどゲレンデで滑るようになったんです」
発展途上にあったフリースタイルスノーボーディングを開拓しながら進化してきたウエは、その過程にあったライディングスタイルに対して、すべて本気で取り組んできた。それは、ゲレンデでの地形遊びに始まり、ハーフパイプ、ジビングやグラウンドトリック、巨大キッカー、マウンテンフリースタイル、そして、いまだトッププロの聖地であるアラスカのビッグマウンテンライディングに至るまで、すべての面白さや魅力を熟知している。そのうえで、ゲレンデに戻ってきた。年齢的な言い訳でも、プロとしてあぐらをかいているわけでも決してない。
ここから、植村能成という表現者としての最終章が幕を開けるのだ。
text: Daisuke Nogami(Chief Editor)
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ISSUE 2
「THE ESSENCE OF FREESTYLE SNOWBOARDING ──フリースタイルスノーボーディングの本質──」

スノーボードは、もっと自由でカッコいいものだったはずだ。
道具や環境が進化した現代だからこそ、自然地形を活かし、本能の赴くままに遊ぶ面白さを見つめ直したい。
ISSUE 2で特集した植村能成と工藤洸平の生き様を通して、その本質を探る。




