FEATURE
【創刊10周年特別企画】ISSUE 2「フリースタイルスノーボーディングの本質」〈第3章〉あらゆる時代の滑り方が融合されたスタイル
2026.06.17
CONTENTS
Yoshinari Uemura
▶EPISODE 1 偶発的に出会った生涯の乗り物
▶EPISODE 2 “上手くなる”と誓った先に見えたプロへの道
▶EPISODE 3 あらゆる時代の滑り方が融合されたスタイル
▷EPISODE 4 バックカントリーを極めた末の原点回帰
▷EPISODE 5 フリースタイルスノーボーディングの本質とは?
Kohei Kudo
▷EPISODE 6 幼少期に育まれたフリースタイルマインド
▷EPISODE 7 ライディング&エディットに垣間見えた古き良きスタイル
▷EPISODE 8 競技スノーボードに足りないフリースタイル力
▷EPISODE 9 ライディングスタイルに映し出される生き方
※以下、2017年に綴った言葉をそのまま掲載
EPISODE 3
あらゆる時代の滑り方が融合されたスタイル
日本スノーボード界に黒船が襲来した。いや、日本だけでなく、そのムーブメントは世界中を瞬く間に駆け巡った。
アラフォーよりも上の世代であればご存知だろう。むしろ、このムーブメントがあったからこそ、スノーボーダーとしての歩みを始めたという人も多いはずだ。そう、ニュースクール時代の到来である。
「大学2年で大会に出始めた直後くらいに、『THE HARD THE HUNGRY AND THE HOMELESS』(MACK DAWG PRODUCTIONS / 1992年)ってビデオを観たんですよ。ツインチップのボードなんて見たことない時代だったから、“ノーズが短くて、ノーズとテールが同じようなカタチしてるぞ!?”って。あの、スケートボードっぽい動きに衝撃を受けましたね」
アメリカ西海岸のスケーターたちがスノーボードにまたがり、雪上でスケートボードの動きをトレースすることで派生したこの新しい潮流は、スノーボードの人気を急激に押し上げた。先述したが、筆者はこのシーズンにスノーボードを始めることになる。サーフィンやスキーの延長線ではなく、スケートボードのアクションやファッションがスノーボードに投影された時代だ。
「ノーズとテールを切り落として、60cm以上のワイドスタンスにしたかったから、ボードにバインディングを固定するビスを通すための穴を開けて(規格外だから)、それでパイプの大会に出てました。プロ1年目だったその頃、グラウンドトリックの全盛期になったんですよ。このときにオーリーっていうのを初めて知った(笑)。それまでは、すべて脚力まかせで飛んでた感じで。グラウンドトリックで板の反発を活かしていろんな動きができるってことを覚えてから、スノーボードがさらに面白くなりましたね」
それを知らないでプロになったのだから驚きを隠せないが、厳密に言えば、パイプでのテイクオフの動作とフラットバーンでのオーリーとでは、動き自体が異なる。ノーズを持ち上げたり、勢いよく後ろ足で踏み切るような動きをパイプではしないので、オーリーを知らずとも、自然とテールで弾いて高さを生み出す動きを習得していたのだろう。その頃からパイプでのエアは高く、そのエアを“フンワリ感”と表現しているメディアが多かったことからも、ナチュラルなハイエアであったことを証明している。
「この頃はジブだったりグラウンドトリックとか、新しい滑り方が出てきたときで、フェイキーで滑ることが当たり前になった時代。それまでは、スケートをやってる人くらいしかスイッチで滑ってるのを見たことがなかったですね。とにかく板の扱い方がすごく変わって、フラットバーンでもスピンするようになった。テリエ(ハーカンセン)が『RIDERS ON THE STORM』(FALL LINE FILMS/1992年)のラストパートで、あり得ないくらい板の反発を利用してグラブしながらスピンしてるのをビデオで観たときには、“そんなことできるんだ!”って衝撃を受けました。ノーリーのバックサイド360インディだったんだけど、あれが初めて観たフラットバーンでのスピンだったと思います。それまでにも(ブライアン)イグチが180して180返すような動きはしてたけど、それとはちょっと違う。あのあたりからスノーボードが一気に変わって、フラットバーンで900とか、これまでじゃ考えられない動きになっていった」
日本では“グラトリ”という略称で親しまれ、いちジャンルとして確立。グラウンドトリック専門のハウツー本が販売され、全国各地のゲレンデでそれに特化した集団をよく見かける。当時のグラウンドトリックとは価値観やアクション自体も異なるのだが、現在に至るまでの系譜をたどってみると、その火付け役となったのは、あの名作『ROADKILL』(FALL LINE FILMS/1993年)だった。
1976年型のキャデラックでアメリカ各地の雪山を巡るロードトリップが作品のコンセプトなのだが、実のところ、コロラド州ブリッケンリッジを訪れた際、まともなパークがなかったための苦肉の策として生まれたのがグラウンドトリックだった。さながらスケートボードのようなアクションに、スノーボード独自のプレスなどのバタートリックをフラットバーンで融合させたものだが、当時は日本でもスケートボードが流行していたことも手伝い、緩斜面で繰り広げられるスケートライクな華麗なるライディングを目の当たりにした第2次ベビーブーム世代が飛びついた。それは、世界中のストリートカルチャーを出自とする若者に伝播し、一大ムーブメントを巻き起こしたのだ。
こうしたゲレンデで巻き起こっていたブームを尻目に、ウエはプロとしてパイプの大会を転戦する日々を過ごしていた。
「プロ1年目から常に決勝に残るくらい、それなりに成績は残してました。毎週のように全国各地で大会があった時代で、本州にはフェリーで行ってたから、土日は大会やって、月曜にフェリーに乗って火曜に(北海道に)着いて、水木滑って、金曜にはまた出るみたいな(笑)。それを2シーズンくらい繰り返してたら、パイプを練習するのがイヤになっちゃって……」
ウエは大会を転戦するだけでなく、プロ1年目からビデオ撮影や雑誌のシューティングに呼ばれるほど注目の若手ライダーだった。フリーライディングで培った滑走力は、パイプのトランジションを駆け抜けることで研ぎ澄まされていき、ジビングやグラウンドトリックを融合させながら己のスタイルを確立していく。ただ、大会で競い合うことが性に合わなかった。
「もともと、大会で成績がどうのこうのっていうのが好きじゃなかったんですよ。やるからには絶対に勝ちたいと思ってやってたけど、移動ばっかでたいした練習にもなってないような気がして。大会に出て有名になれば、雑誌社とかから撮影に誘ってもらえるだろうと思ってて、それが目標だったのかもしれない。大会で成績を残すよりも、雑誌に出ることのほうが嬉しかったですね。でも、日本にいたら大会に出ないなんてプロとしてあり得ない時代だったから、海外で滑ることに決めたんです」
フォトグラファーやフィルマーから“撮影しに行くよ”という話があったたことも背中を押し、特に情報を仕入れることもなく渡ったカナダ・ウィスラーでは、当時のトップライダーたちが集結していた。小松吾郎、高橋信吾、太田寛介らがいたわけだが、いい意味で予想を裏切られることになる。
「『R.P.M.』(FALL LINE FILMS/1994年)の後くらいだったから、ジブとかやってる人が多いのかと思って行ったら、誰ひとりやってなかった。超高速で地形を使いながら滑ってる姿を見て驚きましたね。北海道で滑ってるとスピードは出せるんだけど、雪質も含めて直線的な動きになりやすいんですよ。だけど、ウィスラーは迂回路がたくさんあったりしてゲレンデの構成が複雑だから縦横無尽に滑る感じで、しかも山がデカいから滑り方がまったく違った。パイプくらいの壁でブッ飛んで回したりとか。自然地形を活かして超ハイスピードで滑るフリーライディングの世界に魅せられて、3シーズンくらい毎年行ってましたね」
北海道で培ったフリーライディング力と、パイプやジブで鍛え上がられたフリースタイル力が、ウィスラーという自然地形の宝庫で融合され、ウエは日本のトップにのし上がった。1996年には国内で2誌の表紙を同月に飾り、ヨーロッパの専門誌にライディング写真が掲載、BURTONグローバルチームの撮影にも招聘されるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いとは、まさにこうしたときに使う表現なのだろう。
「そういう時代だったんです。今みたいに、たくさんの選択肢があって好きなものを選ぶんじゃなくて、フェイキーで滑ることが珍しい時代にひたすら滑り込んで、パイプの大会を毎週のように転戦したり、ニュースクール風なトリッキーな動きにハマったりとか、とにかくいろんな滑りを経験してきた。日本でジビングが流行ってた頃にウィスラーへ行って、ハイスピードで地形を活かして滑るフリーライディングにも自然と慣れることができた。デカいナチュラルのジャンプとかロードギャップとか、そういうのも体験できたから、日本に戻ってきたときは、どんなロケーションでもイケる手応えはありましたね」
常に時代の最先端をいってたわけですもんね?と返すと、「最先端っていうか、常にスノーボードと一緒にリアルな時代の流れを体感しながら、上手くなりたかっただけ」という答えが。
この頃のフリースタイルスノーボーディングの世界は、凄まじい勢いで進化し続けていた。毎年のように新しいトリックが誕生し、それに比例するかのように繰り出されるアイテムは巨大化・複雑化の一途をたどり、ハーフパイプ競技は1998年の長野五輪から正式種目として採用されることになった。
だがウエは、オリンピックには見向きもせず、本格的にバックカントリーへと自らのステージを移行することになる。
text: Daisuke Nogami(Chief Editor)
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ISSUE 2
「THE ESSENCE OF FREESTYLE SNOWBOARDING ──フリースタイルスノーボーディングの本質──」

スノーボードは、もっと自由でカッコいいものだったはずだ。
道具や環境が進化した現代だからこそ、自然地形を活かし、本能の赴くままに遊ぶ面白さを見つめ直したい。
ISSUE 2で特集した植村能成と工藤洸平の生き様を通して、その本質を探る。




