FEATURE
【創刊10周年特別企画】ISSUE 1「國母和宏という生き様」──好きなことに本気で打ち込み勝ち取った「史上最年少プロ」
2026.06.05
11歳で当時の史上最年少プロ資格を取得した國母和宏。しかし、本質は記録ではない。幼少期から大人たちと同じ土俵で滑り、負ければ悔し涙を流し、ただひたすら上手くなりたいと願った。その頃に培われた負けん気とプライドが、現在のカズの佇まいを形づくっている。
▶INTRODUCTION はじめに
▶EPISODE 1 “世界のカズ”を築き上げた「幼き夜の大冒険」
▶EPISODE 2 好きなことに本気で打ち込み勝ち取った「史上最年少プロ」
▷EPISODE 3 競い合った先に見えた「グローバルライダーとして生きる道」
▷EPISODE 4 言葉の壁を越えて“本場”で学んだ「プロフェッショナルの流儀」
▷EPISODE 5 世界を相手に孤軍奮闘する中で掲げた「日本を変える存在になる」
▷EPISODE 6 日本中からバッシングされた男が「本当に伝えたかったこと」
▷EPISODE 7 北米文化に挑み続けたサムライがたどり着いた「世界の頂」
▷EPISODE 8 仲間とともに苦難を乗り越えて成し遂げた「國母和宏の夢」
▷EPISODE 9 高すぎる意識とスキルが招いた「失われた自信と求められる価値」
▷OUTRO
※以下、2016年に綴った言葉をそのまま掲載
好きなことに本気で打ち込み勝ち取った「史上最年少プロ」
カズは小学校に入学するとハーフパイプを始めることになる。ここであらかじめ触れておくと、カズと筆者は同じシーズンにスノーボードを始めた。北海道と本州の違い、そして年齢差はあれど、同じ時代をスノーボーダーとして生きてきたわけだ。だから理解できることも多い。カズは94-95シーズンからハーフパイプを滑っていたことになるのだが、新潟や長野のゲレンデではパイプはおろか、コースでさえも小学生程度のキッズが滑っている場面に遭遇したことがない。
「小1でパイプを滑るようになって、同じくらいの頃から大会にも出るようになりました。初めて出た大会で緊張したか? そこまでは覚えてないけど、かなり人が出てたような記憶があります。その頃は大会が多かったから」
「大人ばっかだったけど違和感はなかった」と付け加えてくれたのだが、スノーボードを始めた頃から父やその仲間と一緒に滑ってきたカズにとって、ボードに跨がれば大人と子供の境界線はなかったのだろう。
それは、次のエピソードからも窺い知ることができる。
父の勧めで、カズは同時期から器械体操も始めていた。芳計さんがスノーボードに役立つと考えてのことだったそうだ。
「父さんの知り合いがスクールをやっていたので始めさせてくれました。オレはスノーボードのためにとかはまったく考えてなくて、単純に体操にハマってた感じです。大会にも出てましたね」
体操スクールともなれば同世代もいるだろうから、大人に混ざって滑っていたスノーボードと比較してもらうと、「同じでしたね。(体操の)どの大会に出ても上手いヤツはたくさんいたし、スノーボードでも手の届かない人も当時はいたし、それと同じかな。年齢はまったく関係ありませんでした」
母・由香里さんに聞いたところ、「体操一本に絞ったらどうかと先生からけっこう言われていた」とのことなので、かなりの実力だったようだが、幼い頃から年齢差を言い訳にすることなく同じ土俵で勝負し、自分の立ち位置を冷静に分析できていたのかもしれない。
遊びの延長線上で大会に参加することは自然の流れなのだろうが、芳計さんがカズのターニングポイントについて教えてくれた。奇しくも、筆者も同じ日に同じ場所で滑っていたのだ。1998年3月14日、長野・白馬乗鞍で開催されていた「第16回JSBA(日本スノーボード協会)全日本スノーボード選手権大会」である。カズはハーフパイプ種目のユース部門に出場。当日は雨と雪が混じり合った大粒の湿雪が断続的に降り続いており、その後、雨に変わった。
「ボトムに湿雪が溜まっている上に雨が降って、全然板が走らない状態だった。そういうときは板を走らせるためにペーストや粉末のワックスを塗るじゃないですか。でも、オレたちはそれができなかった。そしたらアイツ、あまりにも板が走らなかったみたいでドロップインした直後に、悔しそうな表情でオレのほうを見たんだよね。板が滑らなくて何もできず、そのまま下りてきて、半べそかきながらものすごく悔しがってたんだよ。その悔しがってる姿を見たとき、コイツはそういう姿勢でスノーボードに取り組んでいるんだってことを理解しました」
芳計さんは思い返しながら、悔しそうな表情を滲ませた。カズが小学3年時の出来事だ。当時24歳だった筆者でもスピードが出せないほどの状態だったのだから、9歳の少年には厳しいコンディションだったに違いない。しかも、一般男女が終わったあとにユースが行われていたので、その状況は最悪だったはず。同じユース部門に出場していたのは中学生や小学校高学年のスノーボーダーがほとんどだったが、ただただ涙を流した。
当時はJSBA主催のアマチュア大会や草大会が毎週のように行われていた時代。地元からほど近いテイネのハーフパイプでともに滑っていた、5歳年上の中井孝治や村上大輔らとあらゆる大会を転戦していたようで、涙を流した全日本選手権にも彼らは出場していた。
「最初は大会で会うくらいだったけど、中井くんや村ちゃん(村上大輔)、フミオ(村上史行)と大会以外でもパイプで練習してるときに会うようになって、たまに一緒に滑ったりしてました」
この頃から集中してハーフパイプを滑るようになると、形状のクオリティが高かった札幌市内に位置する真駒内(現在は廃業)に通うようになった。ここには、中井や村上兄弟はもちろん、原田将臣、佐藤晃洋、清原勇太らもいた。この7人が、2000年代の日本スノーボード界に旋風を巻き起こすことになるクルー、真七人侍である。
「小4くらいから一緒に滑ってるのかな。出会ったときのことはしっかり覚えてないけど、それまではずっと大人と一緒に滑ってたから、年は一番下だけど世代が近い分、負けたくないって気持ちは強かったですね。この頃はスノーボードをやってる子供が少なかったから、ほとんどみんな知り合いでした。たまにデカい大会があると、旭川で滑ってた(佐藤)秀平とかとも顔を合わせたりしてて」
この時代を振り返って、学校や友達を含めたカズの生活にとってスノーボードに対する比重を尋ねてみたところ、「めっちゃ大きかったですね」と即答した後、こう言葉を続けた。
「とにかく上手くなりたかった。そして、プロになることを目標にしていた時期。その頃はプロって響きがとにかくカッコよくて、プロ資格っていうものに憧れてました。デカい大会に出たいっていうのと、上手くなりたいって気持ちが強かったのかな、そのときは」
きっと、小学3年のときに流した悔し涙がバネになっていたのだろう。筆者はその後も、カズと同じ大会に2度出場していた。2000年1月に真駒内で行われた「第8回スクランブルUSAカップ」では、予選1本目から圧倒的な高さを誇っているキッズがいた。それが、当時11歳のカズだった。
そして、同年3月に長野・白樺湖ロイヤルヒルで行われた「第18回JSBA全日本スノーボード選手権大会」のユース部門でカズは優勝したのだが、11歳の少年のあまりの上手さに会場内がどよめいていたことを記憶している。大会中、選手たちの控室としてレストハウスが開放されていて、そこで坊主頭の少年が20代の出場選手たちの尻を蹴りまくっていたことを強烈に覚えているのだが、それも実はカズだった(笑)
99-00シーズン、ヤンチャすぎる11歳、小学5年生の和宏少年は見事プロ資格を取得。その名は全国に駆け巡った。当時としては史上最年少での快挙である。
こうして翌シーズン、スノーボード界の最大手ブランド・BURTONとスポンサー契約を締結。小学6年、12歳の冬。プロスノーボーダー・國母和宏として第2の人生がスタートしたのだ。
text: Daisuke Nogami(Chief Editor)
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本記事は2016年発行『BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 1「KAZU KOKUBO ──國母和宏という生き様──」』より抜粋掲載。誌面では全9章にわたり、國母和宏のスノーボード人生を収録している。紙媒体ならではの写真表現や誌面デザインとともに、その時代の空気感も感じとってもらえれば幸いだ。

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