BACKSIDE (バックサイド)

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FEATURE

〈対談〉星野リゾート代表 星野佳路 × BACKSIDE編集長 野上大介【前編】「雪山時間の魅力」

2021.01.19

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強烈な寒波が雪を降り積もらせた2020年12月中旬。国内外でリゾートを運営する「星野リゾート」の代表を務めながら年間60日の滑走を目標に掲げるスキーヤー、星野佳路さんと、小誌編集長の野上大介も、この対談時が初滑り。ふたりは日が暮れても降り続ける福島の軽い雪に頬を緩めながら合流し、お互いが抱く「雪山時間の魅力」を語り合った。

 
星野佳路(右) / ほしのよしはる。1960年、長野県生まれ。星野リゾート代表。軽井沢に生まれ育ち、幼少期からスキーに触れて育つ。大学卒業後にアメリカの大学院に留学。帰国後、現職へ。トマム、アルツ磐梯、猫魔スキー場といったスノーリゾート、ラグジュアリーリゾート「星のや」、温泉旅館ブランド「界」などの施設を運営するリゾート運営会社を経営する一方、年間60日滑走を目標に掲げるスキーヤーとしての顔を持つ。
@skier1960
 
野上大介(左) / のがみだいすけ。1974年、千葉県生まれ。複数ブランドの契約ライダーとして活動していたが、ケガを契機に引退。2004年から世界最大手スノーボード専門誌の日本版に従事し、約10年間に渡り編集長を務める。その後独立し、2016年8月にBACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINEをローンチし、同年10月に創刊。X GAMESやオリンピックなどスノーボード競技の解説者やコメンテーターとしても活動中。
@daisuke_nogami

年間60日滑走に対するこだわり

―奇しくも初滑りのタイミングになりました。
 
星野佳路: 今年は夏に南半球へ行けませんでしたし、昨シーズンは雪不足でした。感覚的には1シーズン以上も雪から離れていた気分なんです。ですから昨晩、東京からクルマで来たときに雪がしんしんと降っている様子を見て正直すごく安心しました。今日も滑る前に地面を見ることがなく、雪の世界があるという嬉しさが込み上げてきました。
 
野上大介: 僕は今季号の校了作業などに追われていたのでまだ雪山で滑れていないんですが、明日は猫魔でご一緒させていただきたいと思っています。ただその前に1本くらいは滑っておかないとまずいなと思いまして(笑)。少し前に埼玉にある屋内ゲレンデに行き人工雪で滑ってきました。そういえば今日は撮影も兼ねていたと聞きました。シーズン1本目から撮影だったんですか?
 

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星野: そうです、シーズン1本目から撮影でした(笑)。星野リゾートでスポンサードを務める鬼塚雅さんが来ていまして、一緒に撮影することになりました。ただ私は膝のケガがあるので、テーピングとサポーターをし、雪上に出てからは少しずつ慣らしながら滑っています。1本目から撮影ということで、これは困ったなと思いながら、恥ずかしいことはできないし、しかし無理をするとシーズンを棒に振るかもしれないなと思い、抑え気味に滑りました。
 
野上: いつもの夏のスキーがないぶん、不安が大きかったのかもしれないですね。
 
星野: そうかもしれません。ニュージーランドへは12年続けて行っていましたからね。いつも7月20日前後から8月末まで現地に滞在します。2019年はそこからアルゼンチンに飛び、パタゴニアまで行ってきました。
 
野上: そのようにして年間60日滑走を実現されてきたんですね。
 
星野: 私の新シーズンは7月の南半球で始まりまして、帰国後の9月から11月までは仕事を中心に過ごします。12月から再びオンスノーでの日々が始まり、その生活が5月まで。そうすると60日滑走を達成できる生活リズムになるんです。しかし2019–20シーズンは、3月末に東京都による新型コロナウイルス感染拡大防止目的の外出自粛要請があり、以来、弊社でもキャンセルがすごく増えました。その前日まで53日滑っていましたが、滑っている場合ではなくなってしまいました。
 

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野上: 4月も滑れていれば60日滑走は達成できていましたね。
 
星野: そうなんですよね。
 

スキーヤーが手掛けるスノーボーダーの聖地

―星野さんは年間60日をスキーに充て、野上さんはスノーボードを仕事にまでしてしまいました。改めてスノースポーツの魅力を教えてください。
 
野上: 僕の場合は、高校時代にスケートボードをかじっていたのがスノーボードを始める要因になっています。雪上のスケートボードのような遊びがあることを知り、大学に入ったらオフシーズンはバイトをしながら冬のためにお金を貯め、滑りまくろうと仲間たちと決めていたんです。ストリートの雰囲気が漂うスノーボードやスノーボーダーにカッコよさを感じたし、モテそうだな、といった理由もありましたね。それにライディング中は単純に気持ちがいい。すべてのことから解放される瞬間といいますか。今は寝ても覚めてもオンラインの時代ですけれども、僕にとって唯一オフラインになれる瞬間がスノーボードをしているときなんです。
 

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―星野さんはリゾート再生の仕事があり、そこから改めてスキーと向きあわれた?
 
星野: 再生の仕事が先ですね。スキー自体は長野生まれなので幼少期からずっとしていました。しかし、大学卒業以降は年に数回程度。今のようなスタンスに変わったのは、2003年にアルツ磐梯、2004年にトマム、2006年に猫魔スキー場の再生事業に携わってからです。再生させるためには長期的なビジョンを創っていくことが大事だと思いました。そこで投資してくれるパートナーたちと世界中のリゾートを見てまわりました。最終的にはアメリカのファンドが投資してくれることになったのですが、そのとき私はなんとなく、学生の頃とはまったく違うリゾートの世界が生まれつつあると感じました。これから手掛けるリゾートの将来図を考えることはとても大事なことでした。自分自身、この視察の時間をとても楽しく過ごすことができました。といってもスキーをすることに難しい理屈は何もなく、天気も雪も最高で、そこを滑ると最高に気持ちがいい。それだけなんですけどね。
 

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野上: 星野さんが手掛けたアルツ磐梯では、早い段階でNIPPON OPENを開催したり、「スノーボーダーの聖地」をキャッチコピーに使われていました。ですが、ご自身はスキーヤーですよね。
 
星野: 経営戦略の立案には競合の考察が重要です。アルツ磐梯の場合は苗場や白馬、志賀高原といった強者がいますが、彼らの強みは伝統です。ファンも多い。アクセスがよく、規模もあり、スキー場の競争力となる条件が整っている。そのような強い競合に対し、アルツ磐梯のような新興スキー場は差別化を図らなければならない。この点において、私が狙ったのはスノーボーダーにターゲットを絞ることでした。なぜなら、伝統的なスキー場はスノーボーダーに冷たかった。それがすごくヒントになりました。
 
野上: アメリカからの輸入文化であるスノーボードを排除したゲレンデは多かったですからね。
 
星野: 何かに特化することで生まれた特徴は、ビジネス的に弱点にもなり得ます。ライセンス制を設けて、取得したスノーボーダーは受け入れるというスキー場もありました。スノーボーダーにしてみれば居心地はよくないですよね。そこで私たちは「スノーボーダーのためのスノーボーダーウェルカムのスノーリゾート」をコンセプトに掲げ、「スノーボーダーの聖地」としてアルツ磐梯を展開していきました。いわばスキーヤーを捨て、特徴を明確にしたわけです。
 

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野上: 日本の雪山文化においてスキーは正統派ですよね。100年以上の歴史がありますし。一方の日本のスノーボードは1970年代後半に始まって、まだ40年ほどの時間しか経過していません。でも、本流ではないからこその魅力が、僕が始めた1990年代頃のスノーボードにはありました。どこか規律を求めるような印象のあるスキーに対して、どう滑ってもいいという自由さを感じていたんです。個性を放ってこそスノーボーダーといいますか。そうした側面が長く日本の社会には受け入れられてこなかったと僕は思っているんですけれど、そのなかでアルツも猫魔もスノーボードに寛容なリゾートだという印象があります。イベントも多く開催されてきて、アルツでのNIPPON OPENは、ショーン・ホワイトや國母和宏ら世界トップレベルのライダーたちの滑りを間近に観られる貴重な機会でした。また、僕の前職時代には猫魔で「NATURIDING LAND」という自然地形を活かした3Dパークをプロデュースさせていただきまして、布施忠ら当時のYESグローバルチームを招いてのセッションイベントには500人を超える参加者が訪れてくれたんです。なので、アルツと猫魔は観ることと滑ることの両面での楽しみがあるリゾート、というイメージなんです。
 

会津磐梯エリアが有するポテンシャルの高さ

―国内外の多くの雪国、スノーリゾートを訪れてきたおふたりですが、福島、特に会津磐梯エリアの魅力をどう感じていますか?
 
星野: 東日本大震災直後の原発事故があるまでは、福島と長野はそう変わらないと思っていました。福島には海があるけれど内陸の会津まで来るとけっこう似ていて、米、蕎麦、果物、温泉と、楽しめるものが一緒なんです。けれど震災以降、福島だからこその魅力とはなんだろうと考え始ました。ひとつは会津の歴史。戊辰戦争以降、明治政府やそののちの政府になかなかサポートしてもらえないエリアだったからこそ、大内宿のような場所が残っていますし、高速道路も新幹線もコースから外れたからこそ、この地域らしい雰囲気が残っている。それがとても興味深い点なんです。
 

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野上: やはり雪が軽いですよね。裏磐梯に位置する猫魔は、ミクロファインスノーと呼ばれている通りの軽くきめ細やかな雪が魅力。内陸だから積雪量は海側より少ないもののドライスノーになるんでしょうね。昨シーズンも暖冬で雪は少なかったものの、「SCLOVER BIG AIR」という大会のときにはちょうど降雪があって、パウダーを味わうことができました。また、アルツのある表磐梯は晴天率のよさもポイント。それに、磐梯山と猪苗代湖を望みながら滑る醍醐味はアルツならではだと思います。ところで以前から噂を聞いているのですが、磐梯山の表であるアルツと裏の猫魔とで、各々のピークは歩いて15分ほどだとか。リフトが架けられない理由は何かあるんですか?
 

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星野: その噂は私も自分で流したりしているんですけどね(笑)。リフトについては、環境省をはじめとした各所からの規制があるために難しい部分もありますが、不可能ではないと思っています。むしろ一生懸命にトライしているポイントです。それに日本政府は今、日本の雪山観光をもっと世界へ広めていこうというプロジェクトを支持しています。さらに環境省が「国立公園満喫プロジェクト」を推進して、長く保護に重きを置いてきた国立公園の活用を考えていこうとしています。今よりもっと多くの人に国立公園を楽しんでもらおうとしています。
 
野上: 降雪が少なく延期になりましたが、本当はアルツも18日のオープンでした。もし両方のゲレンデを行き来できれば、アルツに滞在しながらリフトアクセスで猫魔へ行ける。1時間かけて磐梯山の表から裏へグルリと回らなくてすみます。
 
星野: 確かに、もっと便利に行き来できるようなカタチにしていく必要があります。アルツ磐梯のベースに雪がないときでも、猫魔の上部には雪が積もっているときがありますからね。国立公園の活用という話では夏がテーマになりがちなんですが、私にとっては雪山。スキー場。なぜなら、これが日本の強みだからです。観光庁が2020年度から開始した「国際競争力の高いスノーリゾート形成促進事業」では全国で18のエリアが制定され、会津磐梯エリアも支援対象地域に入れていただきました。いろいろな規制がある一方で変化の機運は高まっていますし、どこかでよいアレンジをしたいと思っています。
 

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〈後編へ続く〉
近日公開予定の対談後半では、これまで訪れてみて強く印象に残ったスノーリゾート、スノーボードやスキーと仕事をよりよく両立させるワーケーションの可能性、ふたりのこの冬の予定について語り合った。

photos: Akira Onozuka
edit: Takashi Osanai
special thanks: Hoshino Resort Alts Bandai, Hoshino Resort Nekoma

 

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