INTERVIEW
グローバルに羽ばたく片山來夢の真髄を編集長が紐解く対談【後編】「BURTONの支えがあってこそ」
2024.01.16
こうして順風満帆なライダー人生を送っているかのように見える來夢だが、ここに至るまでは苦悩の連続だった。ソチ五輪ハーフパイプで、日本スノーボード界初のオリンピックメダルを獲得した平野歩夢と平岡卓ら同世代のライダーたちから遅れをとり、その後を追うようにしてスポンサーを獲得。その後、邁進し続けてきた結果が今である。
歩夢と卓の背中を負うことで急成長してきた前編のストーリーに引き続き、後編では、憧れを抱いていた國母和宏との出会い、そして、海外での活動を支えてくれているBURTON(バートン)チームとの関係性やブランド力に迫る。
前編「歩夢と卓がいたから」
「バックカントリーとパイプの両方を滑るというリズムがすごくいい感じ」
編集長: オリンピックが持つ強大な影響力が來夢を狂わせてしまい、純粋に楽しむスノーボードではなく“勝つため”のスノーボードになってしまったことで苦しめられたわけだけど、以前からオリンピックは通過点と位置づけていたわけじゃない。そうした逆境でも北京五輪の舞台を目指した理由はなんだったの?
來夢: やっぱりカズ(國母和宏)くんの存在が大きかったからですね。これまでのスノーボード界で一番、コンペと撮影を両立させた人だと思っています。カズくんのことを子供のときに知って、ずっと見続けてきました。そんなカズくんを超えてみたいという気持ちがあったんですけど、コンペのレベルが進化していくと撮影との両立は無理だとまわりのみんなは言っていて。そう言われれば言われるほど、挑戦してみたかったんです。
編集長: なるほど。カズが自ら培ってきたライディングスキルや世界中のバックカントリーを滑ることで得てきた経験を、若手ライダーたちに伝承するべく立ち上げたムービープロジェクト『INK MOVIE』が平昌五輪の翌シーズンにリリースされるわけだけど、來夢も出演しているよね。そのときカズが「來夢が(バックカントリーでの撮影を)やりたいってオレに直接言ってきて。アイツ、めっちゃいいですよね」って言っていたことを覚えているんだけど、どういう経緯だったの?
來夢: 平昌五輪が終わった次のシーズン、ナショナルチームで動いていたんですけど、「DEW TOUR」に出るために(村上)大輔くん(全日本スキー連盟ハーフパイプコーチ)と(米コロラド州)ブリッケンリッジにいたんです。(平野)歩夢はその年、スケートボードに注力していたので(DEW TOURには)出ていなくて。そのとき「RIDERS’ POLL」(スノーボード界のアカデミー賞のような栄えある授賞式)がブリッケンリッジで行われていて、大輔くんと見に行ったんです。そこで、カズくんがRIDER OF THE YEARに輝いて、『KAMIKAZU』(國母和宏のシグネチャー映像作品)がMOVIE OF THE YEARを獲得したんですよ。そこでカズくんと初めて会うことができて、もう今しかない!という想いで、「一緒にバックカントリーで滑ってもらえませんか?」とお願いしました。そのときは(2018年)12月中旬くらいだったんですけど、「1週間後に2週間くらい北海道来なよ」と誘ってもらえたんです。あのときの出会いが、自分の中で大きなターニングポイントだったと思います。
編集長: その北海道で初めて、本格的なバックカントリーでの撮影を経験したわけだ。
來夢: そうですね。(吉田)啓介くんも昔はパイプの大会に出ていたから軽く喋ったことはあったんですけど、ほぼはじめましてくらいな感じで再会しました。カズくんも啓介くんもバケモンみたいな……。小学生のときに歩夢や卓に対して思った、あの気持ちがまた蘇ってきたんです。
編集長: 競技者として北京五輪を目指す傍らでカズの胸に飛び込みスタートを切った、表現者としての道。來夢がカズに憧れを抱いていたように、バックカントリーでの撮影活動とコンペティションの両立は実際にどうだった?
來夢: そのシーズン(2018-19)の「BURTON US OPEN」で2位になったんですけど、バックカントリーとパイプの両方を滑るというリズムがすごくいい感じでした。スタイルを出すことの難しさだったりカッコよさを表現することが、難易度の高い技をやるよりも難しいってことに気づかされた大会でもあったので、ものすごく得るものが大きかったですね。モチベーションも高かったし、コンペとバックカントリーをセパレートして捉えていませんでした。あのときはコンペもバックカントリーで滑ることと同じように楽しめていたんです。
編集長: 目の前で見ていたから覚えているよ。ファーストヒットから巨大メソッドを繰り出して、バック・トゥ・バック1260を含む高難度ルーティンを織り交ぜるという、まさに表現力と技術力をかけ合わせたような滑りはカッコよかった。
「全面的にサポートしてくれているBURTONとともに、夢に向かって突き進んでいく」
編集長: その後はさきほど話してもらったようにオリンピックという魔物に苦しめられるわけだけど、そこからダニーに誘われて本格的な撮影活動に移行したことによって救われたんだよね。競技者から表現者へと転身するうえで、何か一番難しかった?
來夢: ボードが変わるのが難しかったですね。INKの活動を始めた頃はずっとCUSTOM Xに乗ってバックカントリーで滑っていたんですけど、細くて硬い板だから、パウダーターンもランディングもかなり苦戦していました。そのときはよくわかっていなくて、(ジャンプするまでの)アプローチはいいんですけど、ランディングで全然立てませんでした。もちろん、技術が足りないこともあったと思いますけど。
それで2020年くらいから、バインディングとブーツは変わらずCARTELとIONを使っていましたけど、ボードをHOMETOWN HEROに変えたんです。圧倒的にスピードが出るし、当然ですがパウダーでも浮くようになっているし、それに最初は驚きました。このときギアの違いにより、滑りにここまで差が生まれることを知って、プロダクトに対する興味が深まりましたね。
編集長: 対談前半のほうで、幼少期にBURTONはプロダクトのラインナップが豊富だからスキルアップに役立ったって話してくれたじゃない。先日「RIDER SUMMIT」を取り上げさせてもらった(記事はこちら)ときに來夢からもコメントをもらったけど、リーディングブランドのBURTONだからこそ、プロダクトの面で支えられていると感じることはある?
來夢: 実際にものづくりをしている海外の人たちに直接、自分の意見を伝えられる機会をBURTON JAPANが作ってくれていることは、本当に重要ですね。そうした場で「こういう板に乗ってみたいんだけど」と自分の要望を伝えると、実際にそういうボードができてくるんです。とても柔軟に対応してくれるところが好きですね。
それは、ウエアにも同じことが言えます。AKはどちらかと言うと機能性に優れていて大人っぽい感じがするんですけど、そのような高い機能性を若者寄りのイメージを持つANALOGにも搭載してくれて。そのうえで、形やデザインに対してライダーの意見をしっかり聞いてくれるんです。これまでありそうでなかった展開に、期待させられますね。
編集長: ANALOGは昔から好きだったんだよね。カズからの影響はもちろん、ANALOGを身にまとっていたダニーらBURTONチームの存在は來夢にとってどのようなもの?
來夢: ダニーの存在もそうですけど、ミッケル(バング)らあの年代の人たちから受ける影響は大きいですね。
編集長: ミッケルはカズと同世代で幼い頃から一緒に切磋琢磨してきているもんね。ほかに海外ライダーで影響を受けている人はいる?
來夢: ベンですね。ベンは1個上と歳が近いことも大きいかもしれません。一緒に滑っていて「こいつウマっ」と刺激を受けるし、スノーボードに対する考え方がすごく賢いです。コンペティターあがりとは思えない山の使い方をするし、ただ飛ぶのではなくて、人があまり想像できないようなラインで飛びながら、それにふさわしいトリックチョイスをする。昔のビデオに出ている人たちみたいなラインどりにも上手さを感じますが、トリックが高難度化していく過程にある現代のスタイルが掛け合わさっている滑りもオレは好きですね。
編集長: 冬の拠点をアメリカに移したことでフリースタイルの本場でより認められ、SLUSH THE MAGAZINEにロングインタビューが掲載されたり、NATURAL SELECTION DUELSにも日本人として初参戦。怒涛の快進撃だけど、來夢のスノーライフはどう変化したの?
來夢: 3年くらい前に(オレゴン州)マウントフッドに行ったとき、アメリカのカルチャーを強く感じました。ものすごく有名なライダーたちがたくさんいるのに、すぐそばには一般のお客さんたちも普通にいて、その目の前でヤバい滑りがあちこちで起きているんです。そして、山から下りれば当たり前のように遊んだりしていて。カルチャーというよりも、「コイツらものすごくスノーボードを楽しんでいるんだな」というのを目の当たりにしました。
日本の場合、コンペは強いですけど、型にハマりすぎてしまうというか、そこが北米とのものすごい違いだなと感じていたので……。もともと海外でやりたいという気持ちが強かったんです。自由を探究し続けるバックカントリーフリースタイルの世界観を作ってきた北米のカルチャーに触れたかった。実際にアメリカでは日本で見たことがないようなすごい斜面がたくさんあるんですけど、あそこ滑りたいって言ったら(スノー)モービルで連れていってくれて、15分後にはドロップみたいな世界です(笑)。モービルを運転するのはものすごく大変なので、海外ライダーたちに助けられています。
そんなロケーションで滑っているのでハードなラインが多く、ボードを折ってしまうこともありますけど、日本に頼んでいたら1週間くらいかかるところを、BURTONはアメリカがベースなのですぐに対応してくれます。もちろん、ボードだけの問題ではなく、バインディングやブーツ、ウエアなどすべての面で言えるので安心して活動できますね。チームマネージャーもいて、アメリカにかぎらず世界中の雪のあるところへ行ってもしっかりサポートを手配してくれるので、そういうところがBURTONライダーの特権なのかなと感じています。
編集長: 最後に、これからのビジョンについて聞かせてもらえる?
來夢: 自分のムービーを作ってみたいですね。INKでも試写会をやらせてもらったんですけど、いろいろな人たちが楽しんでくれて、どんどんヤバい滑りを続けていけば、こんなに人を盛り上げられるということを知りました。先輩たちがやってきたことは本当にすごいと実感させられると同時に、それを海外の舞台でも日本のクルーたちが暴れて盛り上がるようになっていけば、また違ったステージに行けるのかなと思っています。
今はまだまだ修行段階です。でも、ようやくスタート地点に立てたと思っているので、ここからが大変だなと感じています。自分のやりたいことを全面的にサポートしてくれているBURTONとともに、夢に向かって突き進んでいきたいです。
片山來夢(かたやま・らいぶ)
interview + text: Daisuke Nogami(Chief Editor)
eye catch photo: Aaron Blatt