BACKSIDE (バックサイド)

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FEATURE

【雪を愛する人と、雪国の未来】雪山を入口に、村とつながる。異なる距離から秋田・東成瀬村に関わるスノーボーダーたち

2026.09.18

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秋田県の南東部に位置する、人口約2,100人の東成瀬村。この村と、雪を愛する人たちとの間に、新しい関係をつくることはできないだろうか。
 
連載第1回では、備前博和村長に話を聞いた。そこで語られたのが「関係人口」という考え方だった。
 
冬の間だけ暮らす。仕事をしながら村と関わる。何度も通う。そうした人たちも含めて、村の未来に関わる仲間になれないか。
 
では実際に、外からやってきた人は、どのように東成瀬村との関係を築いているのだろう。今回話を聞いたのは、ふたりのスノーボーダーだ。
 
ひとりは、鹿島建設に勤め、成瀬ダム建設に携わる小倉精太さん。もうひとりは、秋田県横手市で生まれ育ち、東京での生活を経て東成瀬村へ移住した奥山秀さん。
 
ひとりは、村民ではない。もうひとりは、この村に暮らしている。ふたりが東成瀬村とつながるまでに歩いてきた道も、村との距離も違う。
 
ふたりのスノーボーダーがどのようにして、東成瀬村とつながっていったのか。探っていきたい。

雪山に惹かれた人、雪国を選んだ人

小倉さんが仕事で東成瀬村へやってきたのは2022年のことだった。
 
「私は鹿島建設で働いています。主にダムの建設を仕事にしていて、2022年、建設中の成瀬ダムに来ました」
 

成瀬ダム建設に携わる小倉精太さん。仕事で東成瀬村を訪れたことをきっかけに、村の人たちとの関係を深めていった
photo: YUI

 
それ以前にも、岩手県奥州市の自宅から秋田県側へ向かう際、東成瀬村を通ることはあった。紅葉や温泉を目的に訪れたこともある。だが、当時の小倉さんにとって、この村はどんな場所だったのかと聞くと、答えは短かった。
 
「ただの通過点ですね」
 
それが、成瀬ダムの仕事に携わったことで変わっていく。
 
「ダム建設って、住む場所だったり、食料だったり、ガソリンだったり、いろいろなものを地元の企業や個人の方に協力してもらいながら進めていくんです。それで地元の方と関わるようになりました」
 
そしてもうひとつ、小倉さんをこの土地へ引きつけたものがあった。雪山だ。
 
小倉さんは、年間約50日滑るスノーボーダーであり、BACKSIDEの読者コミュニティ「BACKSIDE CREW」の有料会員「FRESHFISH」でもある。僕自身、小倉さんから東成瀬村を紹介される以前から、その名前を何度も聞いていた。正確には、村の名前ではなく「ジュネス栗駒」の名前だった。
 

仕事で訪れた東成瀬村で、小倉さんを惹きつけたもうひとつの存在がジュネス栗駒だった
photo: Hiroyuki Numakunai

 
CREWの集まりで、小倉さんはコースマップを開きながら、パウダーや地形の面白さを熱っぽく話していたことが印象に残っている。かつてゲレンデガイドの仕事に携わったことがある僕は名前だけは知っていたが、ほかのメンバーの多くにとっては、ほとんど馴染みのないゲレンデだった。
 
仕事で偶然やってきた村で、人と出会い、雪山に魅了される。これまで各地のダム建設に携わってきた小倉さんにとっても、東成瀬村にはほかの土地とは違う印象があったそうだ。
 
「工事をやっている業者と、村の地元の方々との距離感がすごく近い。それは印象的でしたね」
 
いっぽう、奥山さんと東成瀬村との関係は、小倉さんとはまったく異なる。秋田県横手市で生まれ育ち、小学3年生の頃からスノーボードを始めた。ジュネス栗駒や近隣のゲレンデで滑って育ち、父親は東成瀬村出身でもある。
 
高校卒業後に東京へ出て、スノーボード業界で約8年間働いた。しかし、好きなスノーボードを仕事にする傍らで、ある思いが強くなっていった。
 
「この業界にいればいるほど、自分が滑り手として楽しめなくなるなっていう感じはありました。一番楽しいときに滑れないのも目に見えていたし。それだったら、オレは滑りたいなって」
 
業界を離れた奥山さんが選んだのは、エレベーターの設置や入れ替えを行う仕事だった。親方のもとで10年間経験を積み、11年目に独立。ひとり親方になってからは、仕事を調整しながら雪山へ向かうようになった。
 
「仕事は可能な限り前倒しして、休める環境を作っていました。『明日、天気よさそうだから、ちょっとオレ、滑りに行ってくるね』って(笑)」
 
仕事が変わっても、奥山さんの生活の中心にはスノーボードがあった。
 
「滑っていないときが大変なら大変なほど、滑りに行ったときが楽しい。純粋に雪の上に立っていることが楽しいんです」
 
そんな奥山さんは、東京で暮らしながら、いつかこの街を離れることも考えていた。東成瀬村への移住が具体的になったのは、東京生まれ東京育ちの妻と横手へ帰省したときだった。
 
「栗駒山荘の温泉に入りに行ったときだと思うんですけど、帰りの道中で『この辺に住めたら、すごく生活しやすそうだよね』って妻と話していて」
 
幼い頃から知る雪山があり、父親の故郷でもある。村を走って空き家を探し、東京に戻ってから役場へ電話した。
 

2025年9月に東成瀬村へ移住した奥山秀さん。オフシーズンは須川湖キャンプ場、オンシーズンはジュネス栗駒で働いている

 
「移住も視野に入れつつ、空き家がないか聞いたんです」
 
もともと東京を離れることは夫婦で話していた。父親の故郷であること、幼い頃から知る土地だったこと、妻もこの場所での暮らしを望んだこと。移住の理由はひとつではない。
 
ただ、スノーボード業界を離れ、仕事を変え、独立しても変わらなかった思いがある。
 
「プレイヤーでいたい」
 

仕事の形を変えても、奥山さんの生活の中心にはスノーボードがあり続けた

 
その生き方の延長線上に、雪のある東成瀬村で暮らすという選択があった。
 
小倉さんは、仕事で偶然やってきた村で雪山に魅了された。奥山さんは、滑り手であり続ける生き方の先で、この雪国に戻ってきた。しかし、雪が好きだからといって、それだけでひとつの土地との関係が生まれたわけではない。


雪山から、人との関係が始まった

小倉さんにとって東成瀬村が単なる「雪のある場所」ではなくなっていった背景には、そこで暮らす人たちとの出会いがあった。
 
平日は村で仕事をし、週末になると奥州市の自宅へ帰る。東成瀬村へ移住したわけではない。それでも、仕事を通じて村の人たちとの付き合いは深くなっていった。
 
「この辺の集落の飲み会とかにはかなり声をかけていただいて、一緒に飲んだり、行事に参加したりしています。彼らの本音も聞けるし、我々の本音も言える。これまでのダム建設の現場と比べても、地元の方々との距離はだいぶ近いと思いますね」
 
そんな関係のなかで、小倉さんには村が抱えている現実も見えるようになった。
 
「ダム建設も終盤に入って、工事によって生まれていた活力が減っていく現実があります。完成後の不安や、なんとかしたいという話も村の人たちからよく聞いています」
 
いっぽうで、小倉さん自身は、この村にすでにある魅力を感じていた。
 
「ジュネス栗駒は滑っていてすごく楽しいゲレンデだし、それ以外にも村の人たちがまだ気づいていない魅力がたくさんあると思います。これからはダムも新しい観光資源になる。それを発信したいというのが、ここを推す理由ですね」
 
ジュネス栗駒の雪や地形が面白いから、誰かに伝えたい。それだけではなくなっていった。そこで暮らす人たちと付き合い、話を聞くうちに、村が抱えていることまで自分事になっていた。その先で、小倉さんは東成瀬村とBACKSIDEをつないだ。
 
「BACKSIDEの読者って、滑りだけで生きている人は多分少なくて。自分の楽しみでもありつつ、各々の経験だったり、雪に対する喜びだったりを誰かに伝えることにモチベーションを持っている人が、すごくたくさんいると思うんです」
 

村の人たちとの距離が近づくにつれ、ダム完成後への不安や村が抱える課題も身近なものになっていった
photo: YUI

 
小倉さん自身も、そのひとりだった。
 
「自分もそうです。だからこそBACKSIDEにお願いして、こういう企画を進めることができました」
 
奥山さんは、まったく地縁のない土地に飛び込んだ移住者ではない。父親が東成瀬村出身で、幼い頃からジュネス栗駒で滑っていた。移住後も、村には父親を知る人たちがいた。だから、奥山さんの経験を「外から来た人でも簡単に地域に溶け込める」という話にすることはできない。
 
それでも、実際にこの村で暮らすようになって感じたことがあるという。
 
「とにかく、自分でできることでも人に頼ったほうがいい。お隣さんに頼ったほうがいいんです。それは、コミュニケーションの手段として。そうすると、『あいつのほうが知ってるから』とか『こいつのほうが詳しいから』って、人をつないでくれるんですよ」
 
自分だけで完結させない。人に頼ることで、次の人との関係が生まれる。
 
「地域全体で(移住者を)助けようとしてくれるっていうんですかね」
 
奥山さん自身には父親を介した地縁があった。しかし、東京生まれ東京育ちの妻には、同じようなつながりがあったわけではない。それでも、この土地で暮らしていくうえで大切なことについて、奥山さんの答えはシンプルだった。
 
「この村に来てくれる人には、とにかく地域との関わりを持ってもらいたいですね」
 
小倉さんは、仕事を通じて村の人たちと出会った。奥山さんは、もともとあった地縁を起点に、暮らしのなかで新しい関係を重ねていった。
 
入口は違っても、ふたりに共通していたのは、人との関係を持つことで、東成瀬村がただ雪山を滑るための場所ではなくなっていったことだった。


住むことだけが、村とつながる方法ではない

奥山さんは東成瀬村に家を買い、ここで暮らすことを選んだ。雪山の近くに住めば、好きなだけ滑れる。スノーボーダーにとっては理想的な暮らしにも聞こえる。
 
しかし、雪国で暮らすことと、雪山へ滑りに行くことは、まったく別物だ。
 
「冬は光熱費ですよね。あとは、どうしたって雪かきです。普通に降ったら、出勤前に除雪して、帰ってきて車庫に車を入れる前にまた除雪して。ハイシーズンにがっつり降ったら、2日に1回くらい雪下ろしすることもあります」
 
灯油代もかかる。雪が降れば、滑る前に生活のための除雪がある。
 
「リゾートマンションではないので、どうしたって除雪はしなきゃいけないですね」
 
それでも奥山さんに、この村で暮らしてみたからこそわかった雪の魅力を聞くと、答えは明快だった。
 
「本当に雪国のスノーライフ。どこでも遊べるんですよ」
 
ゲレンデだけが遊び場ではない。家の裏にも雪があり、村のなかを走れば滑りたい斜面がある。
 
「どこでも村全体がフィールドです」
 

雪山へ滑りに行くことと、雪国で暮らすことは違う。奥山さんは東成瀬村で、その両方を日常として経験している
photo: YUI

 
雪は、暮らしを大変にするものでもあり、遊びを生み出してくれるものでもある。奥山さんは、その両方がある東成瀬村で生活している。
 
対する小倉さんは、東成瀬村に移住していない。仕事がある平日は村で過ごし、週末になれば奥州市の自宅へ帰る。住民票も東成瀬村にはない。
 
それでも、村の人たちと向き合い、ジュネス栗駒を滑り、この村が抱える課題を知り、BACKSIDEへとつないだ。小倉さんは、こうした関わり方もあっていいのではないかと話す。
 
「住民票をここに置かなくても、何かの役割とか、何かのやりがいを村に対して持って、それを細く長くでもいいからやり続ける人が増えていくと、すごくいいかなって思います」
 
村と関わることは、必ずしも移住することと同義ではない。そして、その「役割」は、雪かきのような労働だけを意味するわけでもない。
 
小倉さんが挙げたのは、子供たちに雪の楽しさを伝えることだった。
 
「肉体労働は、極端に言えば誰でもできる。でも、雪の楽しさを教えることは、本当に雪を好きな人じゃないとできない。その魅力を知らないので」
 
スノーボーダーは、雪から多くのものを受け取ってきた。滑る楽しさ。仲間との時間。旅をする理由。雪を追いかけたことで生まれた経験や、人とのつながり。
 
そうしたものを持っているからこそ、雪国と関われることがあるのかもしれない。
 
小倉さんは、BACKSIDEの読者についてこう話していた。
 
「雪に対する愛情なり経験値っていうのを、それぞれの立場で発信していけたら、よりスノーボードのカルチャーは、いい方向に向かっていくのかなと思います」
 
奥山さんのように、雪国に暮らしの拠点を移す人がいる。小倉さんのように、住民ではなくても、その土地と関わり続ける人がいる。どちらかが正解なのではない。
 
雪を愛して生きてきた自分たちだからこそ、雪国と築ける関係がある。その形は、決してひとつではない。


連載第1回で備前村長が語った「関係人口」という言葉が、ふたりの話を聞いたあとでは少し違って見える。
 
それは、移住するか、しないかという二択ではない。
 
暮らす人がいる。仕事で通う人がいる。雪山を滑り、人と出会い、その土地のことを気にかけるようになる人がいる。
 
関わり方も、距離も、それぞれ違っていい。
 
大切なのは、その土地をただ消費するのではなく、人と関わりながら、自分なりの距離で関係を続けていくことなのかもしれない。
 
小倉さんの言葉を借りれば、「細く長く」。雪山を入口に、村とつながる。
 
その先にどんな関係が生まれるのか。東成瀬村で始まったこの試みを、これからも追いかけていきたい。

 
小倉精太(おぐら・せいた)
1974年、埼玉県鴻巣市出身。鹿島建設に勤務し、2022年より成瀬ダム建設に携わる。岩手県奥州市を拠点に年間約50日滑るスノーボーダー。BACKSIDE CREW「FRESHFISH」メンバー。
 
奥山 秀(おくやま・しゅう)
1982年、秋田県横手市出身。小学3年生からスノーボードを始める。スノーボードやスケートボード関連商品の輸入・販売会社に勤務するなど東京での生活を経て、2025年9月から東成瀬村に暮らす。

interview + text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)
top photo: YUI

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