COLUMN
20人のレジェンドたちが受け継いできた、フリースタイルスノーボード史を知る【創刊10周年特別企画】ISSUE 9「フリースタイル史を紡ぐ20人の足跡」
2026.09.11
誰かの滑りを見て、カッコいいと感じる。刺激を受ける。マネしてみる。でも、まったく同じにはならない。自分なりに考え、試し、少しずつカタチを変えていく。その滑りを見た次の誰かが、また影響を受ける。
そうやってフリースタイルスノーボーディングは進化してきた。
創刊10周年特別企画として振り返ってきたISSUE 8「THE GRAB ──自分らしく、カッコよく──」を締めくくる際、そんなことを書いた。そして次なるISSUE 9を7年ぶりに開いてみて、驚いた。
そこには、その歴史がそのまま刻まれていたからだ。
2019年春に発行したISSUE 9のタイトルは、「20 TRACKS OF THE GREATEST RIDERS ──フリースタイル史を紡ぐ20人の足跡──」。フリースタイルスノーボーディングの歴史を創ってきた20人を選び、それぞれの足跡を写真と言葉でたどった一冊である。
表紙から背表紙を介して裏表紙まで、パウダースノーに刻まれた20本のトラックを配した。直線的なラインもあれば、緩やかな弧を描くものもある。それぞれが異なるラインを描きながら、ときに交差し、フォールラインへ向かっていく。
それは、これから紹介する20人が歩んできた歴史そのもののように、僕の目には映った。
最初のトラックを刻んだのは、テリー・キッドウェルだ。1981年、スケートボードで培ったスキルを雪上に持ち込み、米カリフォルニア州タホシティでバックサイドエアを繰り出した。マックツイストやハンドプラント、540、バタートリックを操り、フェイキーライディングの重要性を説いた。フリースタイルスノーボーディングの草分けである。
テリーに影響を受けたノア・サラスネックは、スケートボードの動きをさらにオンスノーで応用した。スケートボーダーとしても頭角を現していた彼が映像作品で魅せたスケートライクな滑りは、現在へとつながるフリースタイルの原型となったと言って過言ではない。
滑りだけでなく、スノーボーダーとしての生き方も多様化していく。それまでの既成概念をブチ壊し、コンテストだけでなくセルフプロデュースを含めて、新しい生き方を示した存在。それが、ショーン・パーマーだった。
いっぽう、コンテストで圧倒的な成績を残していたクレイグ・ケリーは、1992年に競技から退く。彼が選んだのは表彰台の頂点ではなく、ビッグマウンテンのピークだった。フリーライディングを追究し、その姿を映像や写真を介して表現することでプロとして生きる。現在につながる、プロスノーボーダーという在り方の礎を築いた。
そのクレイグが競技から退いた90年代初頭から、テリエ・ハーカンセンはハーフパイプの圧倒的王者として君臨。そのうえで長野五輪をボイコットし、THE ARCTIC CHALLENGEなど、スノーボーダー主体の場を作ってきた。競技スノーボードを否定したのではなく、フリースタイルの主導権をライダー自身が持つという価値観を守り続けてきたのだ。
クレイグと同じく米ワシントン州マウントベイカーで育ったジェイミー・リンは、自らのアートや音楽と同じ美意識をライディングスタイルにも取り込み、スノーボードをカルチャーとして押し広げた重要人物だ。
ジェイミーと同い年のブライアン・イグチも、クレイグから大きな影響を受けた。スケートボード、サーフィン、スノーボードという3Sのバックグラウンドを融合させ、トリックを織り交ぜながら山を流れるように滑るスタイルを追究。90年代後半には、よりよい雪を求めてジャクソンホールへ移住した。
フリースタイルは新しいトリックを生み出しながら、その舞台も広げていった。
ピーター・ラインはミスティフリップやバックサイド・ロデオ540など3Dスピンの可能性を広げ、FORUM SNOWBOARDS(フォーラム スノーボード)を立ち上げた。JPウォーカーはパークのレールトリックを街中のハンドレールで再現しながら、ストリートスノーボーディングを開拓。同時に、のちの高回転化への入り口となるダブルコークを生み出した。
そのダブルコークをハーフパイプで応用したのが、デビッド・ベネデックだった。彼はライディングだけでなく、映像プロダクション「ROBOT FOOD」での映像表現をはじめ、写真、デザイン、編集を通して、スノーボードをどう表現するかという可能性そのものを広げていった。
誰かが新しいカタチを生み出し、それを見た誰かが進化させたうえで、別のカタチで表現する。その連鎖は、日本にも届いた。
1997年、布施忠は映像作品『WHISKEY』でデバン・ウォルシュの滑りを目にする。日本では見たことのない飛距離と高さ。その映像に闘争心をかき立てられ、カナダ・ウィスラーへ渡った。
バックカントリーで経験を積み、2004年には世界的な映像作品でデバンに続くパートを獲得する。同年、BURTONグローバルチームに招聘され、日本人初となるシグネチャーボードをリリース。そして2006年、日本人ライダーを世界の舞台へ送り出すためHEART FILMSを立ち上げた。
そのトラックをさらに先へと伸ばしたのが、國母和宏だ。10代から世界を転戦し、ハーフパイプではオリンピックやX GAMESといった最高峰の舞台で戦いながら、同時に映像や写真の世界でも存在感を示してきた。競技者と表現者、その両方で世界に認められた日本人スノーボーダーである。
しかし、彼が残した足跡は、自身の滑りだけではない。世界で戦い、撮影し、トップライダーたちと時間をともにするなかで得た経験を、次の世代へつないできた。自分が切り拓いた道を、あとに続く日本人ライダーたちが世界へ出ていくための道へと変えていったのだ。
日本のフリースタイル史にも、確かにトラックは受け継がれている。そして同じような連鎖は、世界各地で起こっていた。
フィンランドの小さなホームマウンテンでトリックを繰り返していたエーロ・エッタラは、JPの滑りにインスパイアされ、ムービースターを夢見た。やがてジャンルを問わない世界トップクラスのスキルを身につけ、自らが次世代に影響を与える存在になっていく。
ギギ・ラフはコンテストの結果ではなく映像による自己表現を追究し、ニコラス・ミューラーは大会で勝つこと以上に、自分の滑りが映像で評価されていることに気づいた。
スノーボードの本場・アメリカでは、イグチの後輩格であるトラビス・ライスがバックカントリーでのスロープスタイルを創造し、現在は「NATURAL SELECTION TOUR」という、世界中のスノーボーダーたちが夢見る大舞台を作り上げている。フリースタイルスノーボーディングの舞台そのものを変えた。
ショーン・ホワイトはコンペティションを世界的な舞台へ押し上げ、ダニー・デイビスは高難度化が進む時代に、回転数ではなくスタイルで勝てることを示した。そしてマーク・マクモリスは競技の最前線に立ちながら、バックカントリーで己を表現し続けた。
20人の歩んだ道は、決して同じではない。コンテストを選んだライダーがいる。そこから離れたライダーもいる。バックカントリーへ向かったライダーがいる。街へ飛び出したライダーもいる。
映像を作ったライダー、ブランドを作ったライダー、大会を作ったライダー、次世代が滑るための場所や道を作ったライダーたち。
そのすべてがフリースタイルスノーボーディングだった。
2019年、ISSUE 9の冒頭にこう綴った。
「パウダースノーに刻まれたトラックのように、20人のレジェンドたちはそれぞれが個性を放ちながらスノーボード史に足跡を残し、そして交わりながら、僕たちが愛してやまないこの世界を創り上げてくれた」
7年ぶりにこの一冊を読み返した今、その意味が当時よりもよくわかる。フリースタイルスノーボーディングの歴史は、ひとりの天才が作ったものではない。誰かが新しい滑りを見せる。それを見た誰かが刺激を受ける。マネをして、自分なりに解釈し、新しいカタチへ変える。そして、その姿がまた次の誰かを動かす。
20本のトラックは、それぞれ違う。だからこそ、面白い。そして、それらは交わりながら今につながっている。僕たちが今、当たり前のように楽しんでいるフリースタイルスノーボーディングも、その先にある。
僕自身も、1993年にリリースされたFLF作『R.P.M.』でジェイミーの滑りに魅了され、人生を大きく動かされたひとりだ。あれから30年以上が経った今も、誰かの滑りに刺激を受け、自分なりのカタチを追いかけることは変わらない。
フリースタイルスノーボーディングは、そうやって受け継がれていく。
text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)
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BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE
ISSUE 9 「20 TRACKS OF THE GREATEST RIDERS ──フリースタイル史を紡ぐ20人の足跡──」
競うためではなく“自由”に滑るために誕生したスノーボードは、その価値に魅了されたスノーボーダーたちがバトンをつなぎながら、フリースタイル文化を醸成させてきた。飽くなき探究心により、ライディングの可能性を提示するだけでなく“アート”として発信することがプロとしての生業となった。いっぽうでオリンピックの正式種目として採用されると、トリックの高難度化が急がれると同時にメジャースポーツと化したが、抗うようにして守り続けてきた価値観がある。こうした現代のシーンは、この本で紹介する20人のスノーボーダーたちが深く関わって創り上げられた。彼らに最大の敬意を表し、この一冊を贈る。2019年春発行。





