FEATURE
【創刊10周年特別企画】ISSUE 1「國母和宏という生き様」〈第8章〉仲間とともに苦難を乗り越えて成し遂げた「國母和宏の夢」
2026.06.11
世界の頂に立った國母和宏が中心となり、仲間たちとともに日本のシーンを動かした。ローカルに根づき、一般スノーボーダーとコミュニケーションを図りながら、日本と世界の距離を縮めていく。改めて読み返すと、現在のバックカントリー、ストリート、コンテストシーンで日本人が注目されている理由が、この章には詰まっている。
▶INTRODUCTION はじめに
▶EPISODE 1 “世界のカズ”を築き上げた「幼き夜の大冒険」
▶EPISODE 2 好きなことに本気で打ち込み勝ち取った「史上最年少プロ」
▶EPISODE 3 競い合った先に見えた「グローバルライダーとして生きる道」
▶EPISODE 4 言葉の壁を越えて“本場”で学んだ「プロフェッショナルの流儀」
▶EPISODE 5 世界を相手に孤軍奮闘する中で掲げた「日本を変える存在になる」
▶EPISODE 6 日本中からバッシングされた男が「本当に伝えたかったこと」
▶EPISODE 7 北米文化に挑み続けたサムライがたどり着いた「世界の頂」
▶EPISODE 8 仲間とともに苦難を乗り越えて成し遂げた「國母和宏の夢」
▷EPISODE 9 高すぎる意識とスキルが招いた「失われた自信と求められる価値」
▷OUTRO
※以下、2016年に綴った言葉をそのまま掲載
EPISODE 8
仲間とともに苦難を乗り越えて成し遂げた「國母和宏の夢」
「撮影のときも大会のときも、STONPのヤツらの想いを背負って滑ってるつもりです。そういう仲間がいるからこそ、ひとりでやってるよりも頑張れるんだと思う」
2010年の夏に始動したSTONPが2年目のシーズンを迎えた頃に聞き出した言葉だが、世界の頂に登り詰めた背景には彼らがいた。
「オレがやってることに賛同してくれるし、滑りもそうだけど、人としても尊敬してくれてるから。アイツらが慕ってくれてるからこそ頑張れるし、裏切れないって気持ちは強いですね。これまでやってきたことを簡単には変えられない。スタイルを貫き通さないとアイツらに悪いから。だから、世界中のどこへ行ってもやり方は変えません。そして、オレが日本人としての壁だったりっていうのを全部なくして、アイツらにもできるんだっていうことを示したい」
「日本を変える存在でありたい」と心に決めたとき、そのためにはひとりでやっても意味がないということを知っていた。だから、オリンピックや撮影に追われ疲弊しきっていた身体にムチを打ってまで、自ら黒幕となり、STONPというアミュレット(お守り。ここではデッキパットを指す)をツールとして、日本全国に点在していたイケてるライダーたちを線で結ぼうと試みた。
「自分のことだけを考えて滑るんだったら、世界レベルで上に行く自信はもちろんある。だけど、日本からオレだけが出ても、そんなに変わらないと思います。(布施)忠くんがあそこまで世界のシーンに影響を与えたのに、日本はイマイチだった。今までの日本になかったような衝撃を与えるためには、オレひとりじゃ無理なんです。ひとりじゃできないようなことをやらないと、今の日本のシーンは変わらない」
バンクーバー五輪の前にはすでにこのように語っており、すぐに行動に移した。自らが選りすぐったメンバーとともに活動をスタートさせ、ライディングだけでなくプロ意識やライフスタイルに至るまでを彼らに示唆し、その傍らでメンバーから背中を後押しされたことで世界との壁を取り払い、そして、かけがえのない仲間たちをその舞台へと誘う。
それはすぐに結果として表れた。北米で高い支持を受けているSNOWBOARDER MAGAZINE誌から、日本を特集した一冊が発刊。カズが11ページに渡るインタビュー記事とともに表紙を飾ると、工藤洸平、戸田聖輝、テディ・クーらのショートインタビュー記事、そして中井孝治や村上大輔らがグラビアに掲載された。彼らは全員STONPクルーである。その波及効果も生じて、角野友基や車団地クルーも取り上げられるなど、日本のシーンがスノーボードの聖地で大きく報じられたのだ。これほどまでの露出は史上初のことであり、スノーボード界に大きなインパクトを与えた。
こうしてカズ本人だけでなく、日本のシーンも世界から一目を置かれるまでに至ったわけだが、プロデュース業に注力する傍らで、世界トップに君臨するプロスノーボーダーとしての真価が問われる大切なシーズンを控えていた。順風満帆かのように思われていたが、実のところ、厳しい現実を突きつけられていたのだ。
「スノーボードをやめようかってくらい追い込まれてた。このときは数年かけて大会と撮影を両立させてきてたから、次の1年は撮影だけに費やしたいってずっと(所属ブランドと)話してたんですよね。『STANDING SIDEWAYS』でいい感じになってきてて、さらにいいフルパートを獲りたかったから。でも、そうはいかなくて……。大会にも出なきゃならないけど調子が悪くなってきてて、それでも無理に出たら成績が悪くて、さらに気分も落ちてっていう悪循環にはまった。何年かごとに(撮影か競技の)どっちかに集中しないと置いてかれるんですよね。両方ともすごいレベルが上がってきてたから、常に両立させていくのは難しかった」
DEW TOURで9位、X GAMESで13位、3連覇がかかっていたBURTON US OPENでは、決勝の舞台で演技をキャンセル。謝罪の意を込めて手を合わせながらボトムを直滑降で下りてくると、観客席にビブを投げ捨ててその場を去ってしまった。
「とにかく楽しくなかった。だけど滑らなきゃいけないし、(映像や大会での)結果を残さなきゃいけない。1年間ずっと滑りたくなかったですね。でも一度落ちたら、またこのポジションまで上がっていくことの難しさは自分でもわかってたから、なんとか両方ともこなそうと思ったんだけど、それができなくて崩れていった。身体がついていかなかった」
「ボロボロだった」と本人が言うように疲労困憊の状態。ジャパニーズ・スノーボーダーとして世界中で認められるために、さらにはジャパニーズ・シーンをよりよい方向へ持っていくために、すべてをひとりで背負い込み、すべての時間を費やしてきたのだから。それらに対する結果は残したが、自身の活動についての方向性が認められることはなかった。
「常に新しい何かに興味を持つってことが大事だと思うんです。ライディングはもちろん、スノーボードのすべてにおいて。ただ、ずっとそうやっていくことは難しい。ここ1、2年は、肉体的にも精神的にもリセットを欲してたと思うし、チャージも必要でした。だからこそ、新しいスポンサーからサポートを受けて、より自由なスノーボードができる新たなる環境を作る必要があったんです」
國母和宏、電撃移籍。日本中、いや、世界中にそのビッグニュースが流れた。幼少期から所属していたスノーボード界のトップブランド・BURTONを去り、メジャースポーツ界でも名を馳せるビッグブランド・adidas Snowboarding、それとは対照的なスノーボード界のコアブランド・CAPiTAとの契約を果たしたのだ。
「BURTONとは12歳の頃からずっとともに歩んできて、スノーボードを楽しませてもらったし、いい経験や素晴らしい思いもたくさんさせてもらいました。いろいろ迷いはあったけど、今後、自分が新しい環境でもっと活躍することで、BURTONにも恩返しできるんじゃないかと思ったから、移籍することに決めた」
「スノーボード人生のなかで、こんないい話をもらえることは、今後二度とないんじゃないかって思った」
古巣への恩義を忘れず、高い評価を得たうえで、新しい環境を手に入れたのだ。
「ブランドも新しくなって、新しい目標ができて、自分のなかのスノーボード観がすべてリセットされて、新しいシーズンが始まるから……。まったく新しい感覚ですね。なんか、やっと戻ってきたって感じがしました。オリンピックを楽しんではきたけど、納得できる結果は残してない。まだできる可能性はあるから、パイプをメインに滑って、そっちのほうを狙おうかなって思ってますね」
12-13シーズンが本格的にスタートする目前、OAKLEYが制作したムービー内でこのように語っていた。2014年に開催されるソチ五輪を目指す決意を露わにしていたのだ。またしても、撮影と競技を両立させる茨の道を選んだカズ。
しかし、気持ちはリセットできたものの、身体は正直だったのかもしれない。2013年2月、バックカントリーでの撮影中にエアの軌道が少しズレてしまい、着地を受けるような格好でマッシュに落ち、自らの膝で顎を砕いてしまう。
「移籍前の1年と移籍後のケガするまでの間は、身体が全然ついていかなかった。ライディングで勝負できなくなってたっていうか……」と振り返るカズの言葉を聞きながら、このケガを契機に当時、次のように語っていたことを思い出した。
「まだケガしたばかりだから何とも言えないけど、オリンピックに関しては“もういいかな”っていう感じはしてます。もちろん、いつでも(オリンピックを)狙える滑りはしてるつもりだけど、実際、そのときになって何を一番に優先するかはわからないってこと。ちょっと前にアメリカのTRANSWORLD SNOWBOARDINGが主催する“RIDERS’ POLL AWARDS”に行ったんだけど、そこでベストライダーやベストビデオパートの授賞式を見てたら、それを狙いたいって気持ちが大きくなって。迷いはあったけど、顎と膝のケガが重なったこともあるし、オリンピックに費やす時間をそっちの目標に注いでいこうっていう気持ちになってきました」
これが驚異的な復活劇の序章だった。ケガの功名とは、まさにこのことなのかもしれない。横乗りスポーツの本場であり冬場の拠点としているカリフォルニアにて、専門的なリハビリ施設でトレーニングを積んだことにより肉体が進化。「ケガがなかったら、今の状態にたどり着くのも遅くなってたかもしれない。すべてがいいタイミングでしたね」とは本人談だが、当時24歳。20年間に渡って、ハードに横向きで乗り続けてきた男の身体を見直すには、絶好のタイミングだったということなのだろう。
翌13-14シーズンには完全復活を遂げ、STONPはもちろん、CAPiTAのムービー撮影を中心に活動。それらの成果は14-15シーズンに花開くわけだが、CAPiTA作『DEFENDERS OF AWESOME 2 – STAY BAD ASS』では錚々たるライダーが名を連ねるなかでトリを飾り、世界各国で9誌のスノーボード専門誌の表紙を飾るという、またしても偉業を成し遂げた。フィジカルを見直したこと、これまで履き続けてきた二足のわらじの一足を脱いだことにより、表現者としての才能が爆発したのだ。
だが、カズの進化の理由はこれだけではない。移籍直後、自らに課したテーマがあった。
「今季(12-13シーズン)は“学ぶ”シーズンだと思ってる。そのためにも、まずは自分自身でスノーボードのプランを完璧に立てないと。いつ大会のための練習をして、どのプロダクションといつどこで撮影して、さらに誰と一緒に行動するのか。そういったすべての動きを自分自身でコントロールするのは初めてなんですよ。すべてをひとりで決断して、それをどう組み立てて、いかに新しい経験を積み重ねていくか。今は、それらすべてをとても楽しみにしています」
チームマネージャーがいた時代は、ある意味ブランドの支配下にあった。これはビッグブランドであれば当然のことであり、そうすることでライダーは本業である滑りに集中できる。その甲斐あって世界の頂に到達したわけだが、滑りを極めた先に自らをプロデュースすることにより、新たなる人間力が身についていったような気がしてならない。
それは、STONPの活動に表れていたように感じる。そして、自らが掲げた“夢”を達成することにもつながっていたのではないか。
「それまで、オレ自身があまり日本各地でいろいろ動いたことがなかった分、実際に日本全国のファンと触れ合うことで、自分たちへの支持を実感できたことは、本当によかったと思ってます。やっぱり現場でのコミュニケーションは大事ですからね。試写会の会場を提供してくれたショップの人たちとも直接話すことで、お互いを理解し合える。そういった信頼関係を築いたうえで、そのショップの人にDVDを販売してもらうということはとても意味があるし、自分たちの気持ちが込められている作品だけに、お互いの顔を見ながらお客さんに手売りしていくっていうスタイルも合ってるんだと思います」
滑りで魅せることはプロとして当たり前であり、そのライディングをグローバルで認めさせることはプロとしての実力である。それをDVDやインターネットを通じて発信するだけではなく、STONPとしての想いを自らの足で全国各地に届けてきた。世界屈指のトッププロでありながら、インディーズバンドのようなローカルに根づいた活動に重きを置いてきた。2012年より4シーズンに渡り、クルーが一丸となってバンに乗り込み、数え切れないスノーボーダーたちと会話をしてきたわけだ。
先にも綴ったように、日本のシーンは世界から認められるようになった。だが、それだけでは志半ばだったのかもしれない。やはり、プロスノーボーダーはスターにならなければならないからだ。プロにとってファンの獲得は重要であり、彼らの憧れとして存在する意義は大きい。だからこそSTONPの活動を通して、一般スノーボーダーたちに夢や希望を与え続けてきた。これを持ってしてようやく、カズが数年前から思い描いてきた“日本のシーンを変える”という大きな夢が実現したのではないか。
グローバルに考えて、ローカルに行動する。ここまで綴ってきたことを総じて、プロスノーボーダー・國母和宏が“グローバル人材”であると断言できる理由だ。
text: Daisuke Nogami(Chief Editor)
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本記事は2016年発行『BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 1「KAZU KOKUBO ──國母和宏という生き様──」』より抜粋掲載。誌面では全9章にわたり、國母和宏のスノーボード人生を収録している。紙媒体ならではの写真表現や誌面デザインとともに、その時代の空気感も感じとってもらえれば幸いだ。

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