BACKSIDE (バックサイド)

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FEATURE

【創刊10周年特別企画】ISSUE 2「フリースタイルスノーボーディングの本質」〈第6章〉幼少期に育まれたフリースタイルマインド

2026.06.22

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※以下、2017年に綴った言葉をそのまま掲載
 
 
FEATURES

フリースタイルスノーボーディングの現在地を探る

工藤洸平

 
ここ数年、この物語の主人公を見ていて強く感じることがある。ライディングスタイルはもちろん、映像やアートを介した表現方法にも、あの頃の“ニオイ”を感じて仕方ない。1990年代初頭、フリースタイルスノーボーディングの礎が築き上げられた時代に漂っていた、あの本質的なニオイだ。
 
工藤洸平、26歳。1990年に北海道・札幌で生まれ育った彼は、その当時をリアルタイムでは知るよしもない。彼がベビーカーに乗っていた頃、アメリカ西海岸のスケーターたちがスノーボードに乗って雪上を駆り、前出の植村能成が友人に借りたボードに初めて乗り、こうした積み重ねでニュースクールムーブメントが巻き起こったからだ。
 
その“スケートライク”だったスノーボードからさらなる発展を求め、インゲマー・バックマンによる伝説の巨大メソッドが放たれた1996年、洸平は6歳でスノーボーダーになった。1998年に長野五輪が開催されると、国際スポーツ化の加速とともにその人生を歩むことになる。周知のとおり、バンクーバー五輪に出場した元日本代表選手でもあるのだが、次のように口を開いた。
 
「オリンピックとかワールドカップじゃなくて、最初からムービースターになりたかった」
 
なるほど。こうした思考が根底にあるからこそ、洸平にあのニオイを感じたのだ。その理由が気になるとともに、フリースタイルスノーボーディングの原点をたどるうえで、ジェネレーションが異なる彼の言葉にも耳を傾けないわけにはいかない。
 
表現者を目指す過程にあったオリンピックを経て今日に至った洸平のスノーボード観とともに、フリースタイルスノーボーディングの現在地を探る。
 
 
EPISODE 6

幼少期に育まれたフリースタイルマインド

 

 
「そこが原点だと思ってやってるんですよね」
 
スムースな滑りから繰り出される、オリジナリティに溢れた伝統的なスタイル。そして2016年秋にリリースされた、自身の映像プロダクション・K FILMS最新作『KANIDOURAKU』の作風は、アクションを全面的に打ち出す近年のムービーとは一線を画し、ライダーたちのライフスタイルまでをも絶妙に表現した、90年代初頭を彷彿とさせる編集がなされているように感じた。それを手掛けたのも洸平自身である。
 
しかし導入で綴ったように、その時代を洸平は体感していない。スノーボードを始めて間もない頃に長野五輪が開催されていたこともあり、競技スノーボードのほうが馴染み深いように感じるのだが……?
 
ここで少しだけ、洸平がこの世に誕生する前の話を。時は1980年代後半。クレイグ・ケリーは国際大会の常勝ライダーだったのだが、競技の成績でしかライダーの優劣を判断できなかった時代に、映像や雑誌での露出に広告価値があることを示し、それをメーカーサイドに認めさせた。ここから表現に重きを置いた現在のシーンへの系譜となっているわけだが、1998年の長野五輪よりオリンピック種目として採用されて以来、競技化の加速が著しい。特に日本は、自己主張よりも調和を重んじる国民気質も相まってか、表現よりも順位を競うスノーボードのほうが受け入れられやすいのだろう。だからこそ、なおさら疑問符が付くのだ。
 
「オレの世代だったらFORUMの『TRUE LIFE』(MACK DAWG PRODUCTIONS/2002年)くらいから始まってる感じなんですけど、子供の頃から、“ジェイミー・リン、ブライアン・イグチはめっちゃヤベーんだよ!”って父親に言われながら、DVDになる前のVHSの映像を観させられてたのが(スノーボードを)始めたキッカケなんですよ。だから、ヨーロピアンが作るキレイなムービーよりも、アメリカっぽいガシャガシャした感じのほうが好きで。スピード感が伝わる映像のほうが、スケートボードとかスノーボードっぽいなっていうのが昔から僕のなかにありますね。子供の頃からそういうのを観て育ってきたし、カズ(國母和宏)とか中井(孝治)くんを見てやってきたし、だから……」
 
これが冒頭の言葉につながるわけだ。リアルタイムでは知らずとも、その時代をスノーボーダーとして歩んできた父からの影響、そして國母和宏や中井孝治ら、よき先輩ライダーがいたことでスノーボーダーとしての価値観が育まれていった。
 
「もともと父親が(スノーボードを)めっちゃ好きだったんですよね。小さいときにはロデオを教えてもらってたくらい(笑)。実家には『UPPING THE ANTE』(MACK DAWG PRODUCTIONS/1993年)とか『R.P.M.』(FALL LINE FILMS/1994年)とか、いまだに古いビデオもたくさんあって、そういうのも全部観てきました。父さんからの影響はデカいですね。中井くんの世代(中井は1984年生まれ)の人たちと一緒にスノーボードができたことも大きい。彼らはそういう部分をすごく大切にしてるし、日本のカルチャーのなかにニュースクール要素を取り入れてる感覚だから、また面白い“味”になっていくんじゃないですかね。あの時代のスノーボードがベースにあるので、それに逆らったことはやっちゃいけないなってオレは思ってます」
 
幼少期に話を戻すと、6歳でスノーボードを始めた洸平少年は、小学校が終わると、地元にある小さなゲレンデまで友達と歩いて通っていた。そこで、フリーライディングとジャンプに明け暮れる日々を過ごす。小学4年の頃にはムービースターになることが目標となり、ジャンプ好きだった父の影響もあってか、今はなきTOYOTA BIG AIRのスタート台が洸平の目指すべきステージとなっていた。
 
「TOYOTA BIG AIRに出るためには当時、プロ資格が必要だったんです。プロになるためにはパイプで勝たないといけないから、真駒内(当時のハーフパイプのメッカ)に行きました。そのときに、中井くんや村上(大輔・史行)兄弟、カズたちがいて、彼らの滑りを見たときの衝撃がデカすぎて。それまで中井くんたちのことは知らなかったんですけど、オレもあんな風に飛べるようになりたいっていう強い気持ちが芽生えて、パイプをやり始めたんです。通い始めてから少し経つと、ソルトレイク五輪で中井くんがいきなり5位!みたいな。いつも練習で見てた中井くんがテレビで大変なことになってて、めっちゃ興奮しましたね。本当に憧れの存在でした」
 
こうして、洸平の目標は追加された。ムービースターになりたいという想いを胸に秘めながら、オリンピックを目指すことになる。だが、それはパイプ専門ライダーになるということでは決してなかった。
 
「それからは、ずっとパイプをやってましたね。でも、中井くんたちがバックカントリーに連れていってくれたりして、一緒に滑ってました。最初にサムライ(真七人侍/SEVEN SAMURAI)のメンバーに声がかかったときは、ずっと観てたビデオだったのでめちゃくちゃ嬉しかった。しかも、中1くらいのときだったと思うんですけど、今考えたらあり得ないですよね。だって、360くらいしかできないときに“オマエも勉強だ”って連れていってくれたんですよ。ある程度上手い子を面倒みるんだったらわかるんですけど、まったく何もできないときからいろいろ連れ回してくれたからこそ、今の自分があると思う。中井くんと大輔くんにはホント感謝しかないです」
 
オリンピックを目指してパイプの練習に精を出す傍らで、ムービースターへの道も着々と歩んできた洸平。中学1年から競技と撮影をこなすスノーボード生活を送ってきたなかで、次のような思考が芽生えてきた。
 
「ブライアン・イグチとかの世代のライダーたちってみんな、パイプも含めていろんな滑りをやってたじゃないですか。オレも同じで、オールラウンドに滑りたいんですよね。考え方は人それぞれだし、ジャンルごとの頂点を目指してやる方法もあると思うんですけど、オレはパイプもやるし、レールもやるし、バックカントリーもやりたい。それがスノーボードだと思うんです。だから、オリンピックを目指してたときでも、レールだったりジャンプだったり、いろんなことをやってましたね。バンクーバー(五輪)に出れるって決まったときは、パイプがめっちゃ嫌いになってたんですよ。大会ばっかでパイプしか滑れない状況が続いてたから、その直後はずっとレールをやってました(笑)。オレの考えとしては、フリースタイルのすべてをやっていきたいんです」
 
バンクーバー五輪の時点で、競技に特化したライダーが世界的に増えていた。滑りは上手いが個性がない。ウエのインタビュー「フリースタイルスノーボーディングの本質を探る」で語られていたように、本能的に培われたスキルではなく、人工物での反復練習で習得したトリックにオリジナリティは投影されづらいのだろう。もちろん、難度の高いトリックを操らないと勝てないという時代背景もあるのだが、みなが似通った滑りをしているように映ってしまい、そこにカッコよさを見出せない。だが反対に、ポイントを稼ぐエアの高さや回転数、正確性に重点を置いてトレーニングしているため、コンテストでは強い。2010年のバンクーバー五輪の時点では、表現者と競技者の双方が拮抗している状態だった。
 
こうして迎えたバンクーバー五輪は、惜しくもセミファイナルで涙を呑むことになる。これだけを聞いていると、洸平がパイプに集中していないから負けたんだと、揚げ足をとる人もいることだろう。勝つためのスノーボードと、カッコよく魅せて勝つスノーボード。一般的なスポーツであれば前者でしか測るモノサシがないのかもしれない。しかし、フリースタイルスノーボーディングの世界は違う。それを貫き通した結果だった。
 
カナダ・ブリティッシュコロンビア州サイプレスマウンテンのスタンドから洸平の勇姿を見守っていたのだが、セミファイナル敗退直後、筆者のもとに駆けつけてくれた。そこには、うっすらと涙を浮かべながらも充実した面持ちの洸平がいた。だからわかる。負けてしまった悔しさとともに、己のスタイルを貫いた充実感。こうして洸平のスノーボード人生は、次なるステージへと昇華していく。

text: Daisuke Nogami(Chief Editor)

 
 
CONTENTS

Yoshinari Uemura

EPISODE 1 偶発的に出会った生涯の乗り物
EPISODE 2 “上手くなる”と誓った先に見えたプロへの道
EPISODE 3 あらゆる時代の滑り方が融合されたスタイル
EPISODE 4 バックカントリーを極めた末の原点回帰
EPISODE 5 フリースタイルスノーボーディングの本質とは?
 

Kohei Kudo

▶EPISODE 6 幼少期に育まれたフリースタイルマインド
▷EPISODE 7 ライディング&エディットに垣間見えた古き良きスタイル
▷EPISODE 8 競技スノーボードに足りないフリースタイル力
▷EPISODE 9 ライディングスタイルに映し出される生き方
 
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ISSUE 2
「THE ESSENCE OF FREESTYLE SNOWBOARDING ──フリースタイルスノーボーディングの本質──」

 

 
スノーボードは、もっと自由でカッコいいものだったはずだ。
道具や環境が進化した現代だからこそ、自然地形を活かし、本能の赴くままに遊ぶ面白さを見つめ直したい。
ISSUE 2で特集した植村能成と工藤洸平の生き様を通して、その本質を探る。

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