FEATURE
相澤亮が創造した「UZUMAKI」を國母和宏が広げて全スノーボーダーをひとつに
2022.04.28
結論から言おう。過去最高のイベントだった。そう断言できる。
90年代初頭に爆発的ムーブメントを巻き起こし、オリンピック種目になるなど30年近くの時を経て、フリースタイルスノーボーディングは過渡期を迎えている。技がすさまじく高難度化したことにより、大会で上のステージを目指せる者は限られてしまった。それと並行するようにして道具は進化とともに多様化し、滑りのカテゴライズ化が著しい昨今。各ジャンルのレベルは加速度的に高まっていき、同じスノーボードのはずなのに、カービング、パウダー、パーク、ジブ……など、それぞれの滑り方やフィールドに固執する傾向が強くなっている。
元来スノーボードの醍醐味とは、一本の板にまたがるだけでどんなポイントにもアプローチでき、その先でいかに自分らしく自由に滑るか。そこにすべてが凝縮されていた。だからこそ、ジャンルの垣根など作らずに何でも楽しもうぜ、というフリースタイルマインドを掲げてメディアとして活動し続けているわけだが、初開催となったイベントでそのような美しい光景を目の当たりにさせられたのだ。
さる4月9、10日に群馬・パルコール嬬恋リゾートで行われた、“ボウル×ジブ”をコンセプトに造成された特設パークが舞台のセッションイベント「UZUMAKI」である。
このイベントを創造した人物は、競技者として第一線で活躍できるスキルを身につけ、横乗り文化でもっとも大切とされている自己表現力をその技術をもって磨いている22歳、相澤亮である。
「初級者とか上級者といったレベルに関係なく楽しめる場所を作りたかったというのが、まずひとつですね。それと、ジブとかカービングとかライディングのジャンルを問わず、イケてる人たちを混ぜ合わせかったというのもあります。さらに、世代を超えたスノーボーダーたちをひとつにつなげることができたらアツいなぁ、という思いで開催しました」
このように亮が語るとおり、まさしくそうなった。おそらく10歳に満たない小学生から50代のレジェンドライダーまでが一堂に会したのだ。先述した現況の中、オリンピックを目指すキッズやジュニアたちはSAJ(全日本スキー連盟)の大会で上位を目指し、ベテランたちはバンクドスラロームでタイムを競い合うといったように、二極化が激しくなる一方であるにもかかわらずである。
こうして、これまで交わることがなかった世代の融合に成功した大きな理由として、ボウル×ジブという新しいコースを創造したこともそうだが、その造成の指揮者に“掘り師”として小松吾郎をアサインしたことが挙げられる。
「ジブを置くことにはこだわりましたね。まずはボウルを造ったんですけど、最後にカズ(國母和宏)くんのアイデアで正面クォーターを付け加えたりして、かなりいい感じにできあがったんです。でも、そこにジブを加えることで幅が広がるのかなと考えていました。ジブがなくても十分楽しめるし、つけることで流れが悪くなるかもしれないとも思ったんですけど、結果としてはこれまでなかったような新しいカタチで広がっていった感じはします。
そのボウルを造るにあたって、オペレーターと僕だけでいいコースを造るのは難しいのではないかという話になったんです。ボウル造りと言えば(小松)吾郎さんしかいないので、力をお借りしたいと思いお願いしました」
日本の先人たちが生み出したボウルカルチャーに亮のアイデアが加わり、その文化を醸成させた吾郎を招き入れたことで、ベテランライダーたちも渦に巻き込んだというわけだ。亮と同世代の若手フリースタイラーたちがキレのいい動きを魅せる中、90年代初頭に名を馳せたレジェンドライダー、バブルスこと丸山隼人が何本も繰り返し滑っている姿を見ていると、フリースタイルシーンの新しい未来が見えたような気がした。
そして、亮が巻き起こした渦がここまで巨大化したのは、その中心にカズがいたからにほかならない。亮がSNSに投稿しているように、小学生の頃から憧れの存在だったカズ。それと同じように、カズが世界のトップに登りつめていく過程を見てきた若手フリースタイラーたちが一緒にセッションしたいという想いを胸に、全国各地から集まってきたということは間違いなく言える。
加えて、日本のフリースタイルシーンを牽引するカズや工藤洸平の存在が、亮ら20代と吾郎ら40代の世代の結びつきを生み出した。これも渦が巨大化した要因のひとつだろう。
「僕が見てきたのはカズくんたちの世代だったので、そのもうひとつ上の世代の人たちと(イベントを)作れるっていうのは、本当に素晴らしい経験でした。(スノーボードに対する)深さが全然違うというか、これまでのシーンを作ってきてくれたレジェンドなんだと改めて痛感させられました。僕が主催ということにはなってますけど、周りの人たちの力がすごかった。場所を提供してくれたのはパルコールだし、コースを造ったのは吾郎さんだし、運営には(稲村)樹くんが入ってくれたし、カズくんや洸平くんらゲストのおかげでイケてるイベントになったし、それを発信できるのはカメラマンのおかげなので、本当にみんなで創り上げたイベントなんです」
亮自身も自らが起こした渦に巻かれ、最高の経験を積んだということだ。そうした世代が融合したことによりあらゆるアイデアがコースに詰め込まれ、その結果として亮が冒頭で述べたようにレベルや世代やジャンルを問わずに楽しめる空間ができた。
「フリースタイルのすべてを魅せることができるコースを造ったつもりです。そこで、カービングだったりジブだったりといった、あらゆるジャンルの滑り手が刺激を与え合い、それぞれがインスパイアされるような環境を作りたいという思いがありました。たとえばジバーの人たちが、吾郎さんやカズくんの滑りを見て得られる気づきって大きいと思うんですよね。それぞれのジャンルで尖っている人たちのスノーボード観を大きく広げることができるんじゃないか。そう考えていました」
2日間に渡って開催されたUZUMAKI。滑れば滑るほど創造力を掻き立てられるため、取材中にもかかわらず何本滑ったことか(笑)。当初は若手ライダーが多く参加すると聞いていたので、彼らの親のような年齢の筆者はドロップインしづらいんだろうなと想像していたが、まったくそんなことはなかった。ライダーレベルの猛者ばかりでなく、初中級レベルのスノーボーダーにまで亮が巻き起こした渦が届いていたからだ。
レベルを問わずラインが選べるからこそ、初中級者からプロレベルまでが楽しめる。そして、ライダー同士が互いの滑りを見ることで刺激を与え合う。さらに、一般スノーボーダーたちは自分たちも楽しめるフィールドで滑るプロたちのパフォーマンスを目の当たりにすることができる。
これまで数多くの大会やイベントに顔を出し、以前務めていた海外メディアの日本版でも多くのイベントを主催してきた立場として、繰り返しになるが言わせてほしい。UZUMAKIは過去最高のイベントだった。そう断言できる。
text: Daisuke Nogami(Chief Editor)
photos: Yui