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プロの表現者として生きる道。東京生まれ東京育ちの宮澤悠太朗がSIMSと契約
2024.10.17
「映像の世界に憧れてスノーボードを始めたから、そういうライダーとして存在し続けたいんです」
スロープスタイルとビッグエアでオリンピックを目指し競技者として活動する傍ら、常にそうした想いを抱き続けてきた宮澤悠太朗。2019年を最後にオリンピックのスノーボード競技を司るFIS(国際スキー・スノーボード連盟)の大会から退き、憧れの世界に身を投じた。
それから4年の歳月を経て、言わずと知れた世界のカズこと國母和宏のお眼鏡にかなった者しか出演することが許されない超大作ムービー『STONP OR DIE』に出演。国内屈指の12名のライダーとして同作に名を連ねたのだが、それに相反するようにして、悠太朗はメインスポンサーを失ってしまった。
「次が決まっていたわけではなかったけど、自分のやりたいことはずっと変わらずにあったので、それに向かって活動を続けていました」
そしてこの夏、SIMS SNOWBOARDS(シムス スノーボード)から声がかかり、山梨・カムイみさかでボードの感触を確かめたうえで、今般のプロ契約に至った。
「ジェイク(バートン)の書籍を読んだことがあるので、SIMSがフリースタイルカルチャーを培ってきたブランドだということは知っていました。そうした歴史があるブランドだということはもちろん、(石川)敦士くんやテディ(クー)くんら自分が見てきたライダーたちが中の人としているのが大きかったですね。ライダーとしてやりたいことをメーカーに伝えるなど、コミュニケーションの部分がこれまで上手くとれてこなかったので、彼らの存在が決め手のひとつになりました。あと、自分がやりたい撮影活動に対してサポートしたいと言ってくれたことがうれしかったですね」
東京で生まれ育った悠太朗は、手つかずの大自然であるバックカントリーと対峙するプロスノーボーダーであり表現者として、ようやくスタート地点に立つことができた。目指すは幼少期から夢見てきた、世界の山々を自由に滑り倒すスノーボーダーだ。
「5年前にオリンピックを目指すことをやめたときから、映像を通して自分を表現する道を進んできました。ようやく、やりたいスノーボードに集中できる環境が整いそうです」
悠太朗の挑戦は、ここから始まる。
interview + text: Daisuke Nogami(Chief Editor)
photos: Yuta Tachibana