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弊誌 ISSUE 3「スノーボードと仲間と絆」第1章【全文公開】
2018.10.10
代官山 蔦屋書店にて弊誌初となる実店舗販売がスタートしたことを受け、2016-17、2017-18の2シーズンに渡り発刊してきたISSUE 1~6のうち、写真集であるISSUE 6を除いた5号分の第1章に綴った全文を日替わりで公開。
STONP
世界に挑んだ男たちの絆
小誌創刊号「Kazu Kokubo ──國母和宏という生き様──」で触れているが、カズが世界のトップレベルで滑り続けてきた原動力のひとつとして、自ら旗を振るSTONPの存在がある。日本人として世界中のスノーボーダーたちと肩を並べ孤軍奮闘してきたなかで、島国・日本のスノーボード文化に対する違和感を強烈に感じてきた。2010年7月、自身が世界のトップを目指すだけでなく、“日本のシーンを世界レベルへ誘う”ことも同時に志そうと決意する。その理由。それは、愛する母国をナメられることが何よりも嫌いだから。遠回りをしてでもその目的を果たすためには、本気で世界を目指す日本人スノーボーダーたちを束ねる必要があった。パーティーもするし、バカ話もする。ただし、滑りに関しては一切の妥協を許さないクルー。遊びではあるのだが、“STONP OR DIE(立つか、ヤラれるか)”の精神で身を削ってきた5年間。そこで育まれた仲間たちの物語がここにある。
EPISODE 1
STONPが変えた男の人生
“日本のシーンに革命を起こす”
すべてはカズのこの想いから始まったSTONP。小誌創刊号を読んでくれている読者諸兄姉には言うまでもないだろうが、彼は高校生の頃から単身でスノーボードの本場であるアメリカに乗り込み、欧米人に比べると日本人が苦手とされている“自己表現”を主体とするスノーボードに取り組んできた。そして、世界のトップへ登り詰める過程において日本を俯瞰して見たときに、一抹の不安を覚えることになる。
自国を顧みずともアメリカを拠点に順風満帆なスノーボード人生を築き上げていたにも関わらず、いてもたってもいられなかったのだろう。バンクーバー五輪の直後からムービー撮影に勤しむ傍ら、BURTON US OPENで初優勝を飾るという超多忙なシーズンを終えても休むことなく、STONPのローンチを急いだ。
「すごいタイミングでカズから電話がかかってきたんですよ。“フランスに行こうと思うんだけど”って。それがSTONPの始まりになるんですけど、その電話では特に説明はなかったですね」
STONPをスタートさせるにあたり、カズが最初に声をかけた男。それが堀井優作だった。
「スノーボーダーって山にコモったり、室内ゲレンデとか、こう群れる習性みたいなのがあって、それがいきすぎると変なバイブスが入って、妙な文化みたいなものができてくる。そういうのをずっと見てきて、“スノーボードってもっと自由やし”って考えていたら、競技志向がまったくなくなってしまったんです。それからはかなり自由にやるようになったんですけど、それがストリートでもパウダーでも何でもよくて、例えばジーパンで滑ったり、ノーグローブで滑ったり、ハイバックを外したりでもいい。そういう、僕が思うカッコいいシーンはアメリカにしかないと思ってたんです。めちゃくちゃオシャレやし、すごくスタイリッシュで。そういうスタイルを地でいってるスガちゃん(菅沼宙史)っていうSIGNALのオリジナルライダーがたまたま自分の身近にいたこともあって、彼に影響されてもっと自由なスノーボードがしたいと思うようになったんです。自分たちで撮影してビデオを作る活動をしていくにあたって、もっと高いレベルで写真や映像を残してくれるフォトグラファーやフィルマーと活動しなければと考えてたんですよ。ライダーとしてやっていくためにも、もっと高いレベルで物事を考えないといけないなって。そのタイミングでSTONPの話があって」
表現を軸としたライディング活動にあたるうえで世界水準と比較したときに、日本のスノーボードシーンは環境が整備されていない。国内レベルで日本人に向けた映像作品を作るのではなく、世界レベルのモノサシで考えた場合の話だが、日本で流通しているブランドの多くは海外ブランドであり、大半の日本人ライダーたちはその日本支社や国内のディストリビューター(販売代理店)との契約になるため、ライダーへの投資額の差が大きいのだ。スケートボードのように街中で滑れるわけではなく、移動費、滞在費、ヘリ、スノーモービル……など、撮影活動には当然ながら莫大なコストがかかる。
「オレがそうだったらめっちゃやる気が出ると思ったので、ムービーでパートを獲ったヤツにはSTONPから活動費を出してました。ただお金を渡すだけだったらどうでもいい使い方をするヤツはいっぱいいるだろうけど、そうじゃなくて、オレたちは滑ることにお金を使うのがベストだから。それでまたいい滑りをして、活動費を出してもらえたら最高ですよね。オレも昔、メーカーとは契約金よりも、好きなだけ動けるように活動費を重視した契約をしてました。スノーボードをするうえで、お金の心配をすることなく動き回れて、雪を追いかけて滑りたいところでライディングできることが、本当の幸せだと思うから」
ただ仲間を募って世界のスノーボードシーンに対して殴り込みをかけたのではなく、資金面でも大きなサポートをしていたカズ。
「コイツのためだったら死んでもいい。大袈裟かもしれないけど、それくらいに思ってます。すべてのキッカケにカズの存在があって、今の自分がこうしてスノーボード中心の生活を送れているのは、彼がチャンスを与えてくれて、それに乗っかることができたからなんです」
同時期にSIGNALからシグネチャーボードをリリースすることが許されていた優作は、STONPの活動を通して一躍、世界に名乗りを上げることになる。アメリカ・ミネソタ州を中心に活動するBALD E-GALとの撮影や、AIRBLASTERのインターナショナルチームへの加入、そして、DEELUXEからシグネチャーブーツを世界中へ向けてリリースするなど、彼を取り巻く環境は一変。コンテストでの輝かしいリザルトがあるわけでもなく、高回転スピンを操るわけでもないが、優作が有する唯一無二のライディングスタイルやライフスタイルが世界レベルで認められた証だった。
「最初はSTONPとしてサポートしてました。2作目(『STONP OR DIE』)で優作くんはめっちゃいい映像を残して、それでメーカーからのサポートを得られるようになったじゃないですか。だから、そこで優作くんをサポートしてた分をほかに。ずっと同じライダーをサポートし続けるというわけではなく、ある程度の足場が固まったら、次の若手に資金を回す感じでやってました。世界へ飛び出すキッカケを作ることがSTONPの目的だから」
当初、カズは自ら黒幕となり、STONPというアミュレット(お守り。ここではデッキパッドを指す)をツールとして、日本国内に点在していた世界を目指すイケてるライダーたちを線で結ぼうと試みた。
「年も違うし、フィルムプロダクションも違う。その垣根を越えて、いきなりフィルムプロダクションとして集めるのには無理があったから、デッキパッドを軸としてトリップすることから始めました。滑りが上手いのはもちろん、世界に目を向けてるライダーであることがメンバーを選ぶ際の基準でしたね。あとは、一緒にいて楽しそうなヤツ」
スノーボードは本来、もっと自由な“遊び”だったはずだ。しかし、いつからか大会でのリザルトや、スポンサーを意識したマーケティング活動ばかりが重視されるようになり、さらには世界との壁を常に意識している日本のシーンがあった。そのアンチテーゼとしてSTONPは誕生している。
「今や数少ない本当のスノーボーダーの在り方を映像で表現したい」
こうしたカズの考えから、あらゆるライダーを巻き込んだトリップを主体とした、世界中の山々で繰り広げられる自由な遊びであり本気の滑りを映像化し、本質的なスノーボーディングを処女作である『“S”TRIPPERS & POWDER JUNKIES』で表現した。
「あの頃はシーズンの流れ方が今と違ってたじゃないですか。当時はまだ、毎年秋口になるとビデオプロダクションが挙ってDVDを発売して競い合ってるような時代。でも今やDVDは激減して、オンラインでの配信が中心になっている。STONPの最初のトリップは、エピソードごとにYouTubeで配信するなど、かなりイケてるやり方でしたよね。“コレだ!”って思いました」
優作が言うように、STONPは質の高いライディングだけでなく、プロモーションのやり方にも長けていた。結果、一気に日本のシーンを呑み込むことに。
だが、これはあくまでもほんの序章にすぎない。優作が世界に名を轟かせることになった2作目『STONP OR DIE』をもってして、本格的なジャパニーズシーンに対する革命が巻き起こる。そして、かけがえのない仲間たちが集ったのもこのときからだった。
つづく
ISSUE 3 SNOWBOARDING, FRIENDS, AND THE BOND ──スノーボードと仲間と絆── A4サイズ / フルカラー / 日本語・英語 / 148ページ
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