INTERVIEW
編集長が人生でもっとも再生した映像作品『R.P.M.』を現役大学生が初視聴【Vol.3 カルチャー編】
2023.09.20
等身大の目線でトリック習得までの道のりをレクチャーしてくれるハウツー系動画から、息を呑むようなビッグマウンテンライディングの映像に至るまで、スノーボードのムービーは今やSNSで気軽に、無料で視聴できるものとなった。しかし、DVD全盛期もそうだが、スノーボードがオリンピック種目となり市民権を得るよりも前のVHS時代は、もちろんそうはいかない。競技ではなく自由に滑ることに重きが置かれていた当時、動画に飢えていたスノーボーダーたちは、限られた感度の高いプロダクションが制作した何千円もするVHSテープを買うしか術はなかったのだ。でもそこには、まだマイノリティだったフリースタイルスノーボーディングの“すべて”が収録されていた。
そこで、時代は変われど現代のフリースタイルスノーボーディングを形作ったと言っても過言ではない90年代前半のムービーが、今の若者にどのような影響を与えるのか、検証してみることに。弊メディアでインターンを務める大学生・近藤碧音が初視聴した、FALL LINE FILMS(以下、FLF)制作『R.P.M.(以下、RPM)』が題材だ。本作が発表された1994年当時に雪上を駆けていた者ならば、必ず一度は観たであろう名作である。当時大学生の頃、この映像の中で躍動するジェイミー・リンに心奪われ、スノーボードに人生を捧げることになった編集長・野上大介に、初視聴の現役大学生が抱いた疑問をぶつけてみた。現代の若者に、当時の最先端はどう映ったのだろうか。
『R.P.M.』視聴はこちらから
このウエア、どこのブランド?
インターン・近藤碧音(以下、アオト): 『ROADKILL』(RPMの前に発表されたFLF制作の映像作品。詳しくはこちら)のときよりもウエアがしっかりしてきたと思いました。RPMでは特に、マイク・ランケットが着ていたウエアがプロダクトとしてけっこうしっかりしているように見えたし、今に通ずるデザイン性を感じたんですが、当時はどんなウエアブランドが流行っていたんですか?
編集長・野上大介(以下、野上): あの時代からBURTON(バートン)はクオリティが高いウエアを作っていて、テリエ・ハーカンセンやブライアン・イグチといった現在のレジェンドライダーたちがBURTONを着ていたよ。マイク・ランケットが着ていたのはSESSIONS(セッションズ)。ジェイミー・リンも着ていて、94-95シーズンに彼のシグネチャーモデルが初めて出るんだけど、オレもそれは予約して買ったなぁ。一般に発売される前のシーズンに、ライダーたちはそのプロダクトを身につけてテストしているわけだから、RPMの中でジェイミーが着ているウエアがまさに、彼のシグネチャーモデルの初代にあたるんだよね。
アオト: そのとき買った初代モデルって、今でも持っているんですか?
野上: 今となっては取っておけばよかったと思うけど、次のシーズンのモデルを買うために売っちゃった(笑)。当時は学生で金もないのに毎年ギアを買い替えるのが当たり前だったから、ボードもウエアも迷わず売っていたね。
アオト: なんかその軽さがスノーボーダーっぽいですね(笑)
野上: あとは、このビデオのスポンサーになっているSMPっていうブランドが流行ったり、この頃からオシャレなウエアがいろいろ出始めたって感じかな。(映像を観ながら)あ、オレこのSESSIONSの黒のトレーナーも持ってたな……。ネットがないからショップを何軒もハシゴして、すげぇ探したんだよね。
アオト: ウエアを着て滑っているライダーがROADKILLよりRPMのほうが多かったのも納得です! 当時って日本だと、どういう格好で滑るのがカッコいいとされてたんですか? ウエアも普及していたんですかね。例えば、ジェイミーの格好で僕がカッコいいと思ったのは、ダボっとしたカラーパンツにスウェットみたいなスタイル。でもジェイミーもウエアで滑っているときもあるし、どんな格好が流行っていたんでしょうか。
野上: ジェイミーのシグネチャーが発売される前までは、ほとんどウエアは着ずに滑っていたね。真冬のニュージーランドでも(笑)。普通のスケーターっぽい感じで、普段着のバギーパンツとかぶっといの穿いていたし、ジェイミーのノーグローブスタイルもマネしていた。とはいえさっきも言ったとおり、この頃からオシャレで、かつクオリティもそこそこなウエアが出始めたから、自然とそっちに移行していった感じかな。
アオト: ブランドやモデルが限られていると、人と被るようなことも多かったですよね?
野上: そうかもね。だから最初は古着とかで個性を出していたのかな。
この頃のパークってどんなだった?
アオト: ほかにもROADKILLとRPMの違いで言うと、パークの雰囲気が変わったな、と感じました。ほぼ今の形に近いようなキッカーとかフラットダウンレールがあったんですが、パーク文化が広まっていった時期なんですか?
野上: この頃の日本はパークの黎明期だね。ここからパークが急速に広まっていくことになった。RPMを撮影しているシーズンは、オレが(長野)北志賀ハイツにコモっていたシーズンなんだけど、そのときすでにフラットレールはもちろん、カーブレールとかもあったんだよ。ハイツの近隣にあった(長野)高井富士には車のビートルが埋まっててコスれるようになっていたり。北志賀エリアは日本のフリースタイル発祥の地だから、当時から感度が高いスノーボーダーが集まっていたね。
アオト: RPMでも埋まってましたけど、日本でも車を埋めてたんですね(笑)。今ほしいな……。めっちゃコスってみたいっす!
野上: でしょ、コスりたいよね。オレも前職時代にパークをプロデュースさせてもらって、(福島・星野リゾート)アルツ磐梯のパークにビートルを埋めたなぁ……。
アオト: 昨シーズンはアルツにバスが埋まっている写真を見ました(笑)。当時から車をコスることには、みんな憧れを抱いていたんですね。車の角とか、ブラントで抜きたいなぁ……。
フィルミングの進化について
アオト: 映像の撮り方についても気づいたことがあります。ジャンプと太陽を被せて逆光で撮ったり、下からアオるようなアングルとか……。フィルミングのレベルが全体的に上がっているように感じました。
野上: ROADKILLの時代はスケートライクな滑りが主流だったけど、日進月歩で進化していた時代だから、RPMではスノーボードオリジナルのエッセンスが入ってきたって話は前にもしたよね(記事はこちらから)。言うまでもなく、ジャンプに関してはスケートボードよりもスノーボードのほうが圧倒的に飛べる。インゲマー・バックマンが放つ衝撃的なデカさのバックサイドエアがシーンに衝撃を与えるのが2年後の1996年になるんだけど、1994年あたりからジャンプの“デカさ”を際立たせるフィルミング方法が開発されていったんだと思う。
アオト: 僕も映像を撮るのが好きなんですけど、RPMの撮り方はけっこう好きなものが多かったですね。それこそジェイミーのシーンはすごくキレイでした。あと、ナイターゲレンデで滑っているフッテージもありますよね? カメラにつけたライトだけで撮っているっぽいんですけど、それもカッコよかったですね。
野上: ナイター照明はないし、おそらく勝手に入り込んで滑っていたんだと思うよ。スケートボードの映像だと当然夜のフッテージもあるわけだから、そこからインスピレーションを受けて、彼らも夜のカッコいい映像がほしかったんだろうね。
“プロスノーボーダー”としての生き方が確立された背景
野上: FLF制作の作品でもMACK DAWG PRODUCTIONS制作の作品でも、この頃はビデオの影響力がものすごく強くて、出演しているライダーたちが身につけているギアがめちゃくちゃ売れる時代だったんだ。まさにオレがジェイミーのTシャツを血眼になって探していたような感じ。あとは雑誌に出て表紙や誌面を飾ること。ブランドにとって、それが最大のプロモーションだったわけ。DRAGON(ドラゴン)もそんな時代に生まれたブランドで、RPMに映っているクリス・ローチが着けているシーンで話題になったんだけど、ちょっとこのシーン(5:17~)見てほしい。
アオト: これは……?
野上: 世界中のスノーボーダーがここで、「あれ、DRAGONのバンドの下に違うブランドのバンドがあるじゃん!」ってなったんだよね。DRAGONのゴーグルがめちゃくちゃほしかったから探したんだけど、恐らくこの時点ではまだ日本に入ってきてなくて。最近になってストレートシックス(DRAGONの輸入代理店)に確認したら、当時はSCOTT(スコット)のゴーグルを流用していたみたい。クリスのシーンを観たときはSMITH(スミス)の上にバンドをつけているように見えたけどね。そんなことが巷で話題になるように、ジェイミーやクリスが着用していることによる効果は実際にすごかったんだと思う。結果、広告塔としてのプロスノーボーダーという生き方が生まれたんだ。今は当たり前と思われているこの仕組みは、RPMよりも以前にクレイグ・ケリーっていう伝説のライダーが作ったんだよ。
アオト: 僕も今年、このデザインのバンドがついたゴーグルを買いました! このカクカクしたフォントがめちゃくちゃカッコいいなと思って。ジェイミーが使っていたということは、野上さんもこの頃買ったんですか?
野上: もちろん買ったよ。当時のスノーボーダーたちにとってスノーボードムービーは、ライディングはもちろん、ファッションの教科書でもあった。ここからすべてを吸収していたんだよ。
『R.P.M.』視聴はこちらから
野上大介(左): 1974年生まれ。BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE 編集長。日本でフリースタイルスノーボーディングが形成され始めた92-93シーズンにスノーボードと出会う。
近藤碧音(右): 2001年生まれ。2022年度よりBACKSIDEにてインターンとして活動中。20-21シーズンにスノーボードを始める。スノーボードの歴史やライダーの生き方に興味津々な大学生。
photos: Yuto Nishimura(HANGOUT COMPANY)