INTERVIEW
大会ではなくセッションを通じて開花した20歳 岡嶋翔空が“自分らしい滑り”で下剋上に挑む
2023.09.11
大会で勝つために高難度なトリックの習得が必須とされる現代スノーボードシーンにおいて、コンペティションに出場するライダーたちの進化スピードは目覚ましい。特に日本人の若手ライダーの中には、“世界初”と言われる大技を習得したライダーも存在する。そうした華々しい舞台で活躍するライダーが存在するいっぽうで、競技の世界で求められるスノーボードと、自身が楽しいと感じるスノーボードとの間に乖離を感じる若者が存在するのも事実。今回取り上げる岡嶋翔空(とあ)も、その葛藤に苛まされてきたひとりだ。悩み続けていた彼は21-22シーズンの後半に一度、ライダー活動から引退を考えた。しかし、自身の心に燃えたぎっていた熱きフリースタイルマインドは、そう簡単に鎮火できるものではない。2022年4月に群馬・パルコール嬬恋リゾートで開催され、あらゆる世代やジャンルの垣根を越えたことでシーンに一石を投じたセッションイベント「UZUMAKI」によって巻き起こった渦が、翔空の生き方を大きく変えたのだ。観た者にその記憶を強烈に植えつけるようなライディングを目指し下克上を目論む熱き男の、今の想いを探ってみた。
「滑るのが怖くなって、引退することも考えていました」
──まずはスノーボードとの出会いについて教えてください。
最初は5歳くらいのときなんですが、家族に連れられてちびっ子ゲレンデみたいなところで遊んでいたとき、スノーボードをやっている人たちを見て僕が「何あれ!」と言ったことがキッカケらしいです。両親もハマって、そこからは家族にとってのレジャーのひとつとして、冬の間は毎週末、家族で岐阜県のゲレンデに行くような生活をしていました。小学5年あたりからはフリースタイルの大会に出始めるようになり、ギア選びとかも含めてお世話になっていたモリヤマスポーツ一宮店で当時ライダーを務めていた杉浦宗平さんにパークでの滑り方を教えてもらったり、(山梨)カムイみさかに連れて行ってもらったりして、練習を重ねていました。宗平さんにジャンプを教えてもらいながら、最初は弟の大空(だいあ)と一緒にハーフパイプとスロープスタイルのどちらにも出場していたんですが、中学校に入るタイミングでハーフパイプに専念することを決めてからは、練習のために(岐阜)高鷲スノーパークのハーフパイプばかり滑っていましたね。
──コンペティションに出場するようになってからは、どんなモチベーションでスノーボードと向き合っていたのでしょうか。
当時はもちろん、オリンピックに出たいという気持ちは強かったし、単純に新しい技を初めてメイクしたときの達成感が心地よくて楽しいから、滑っていたところもあります。中学3年の冬、JSBA(日本スノーボード協会)の地区予選大会を勝ち抜いて全日本スノーボード選手権大会への出場権を獲得したんですが、地区予選のときの持ち技はFS720までだったんです。全国で戦うんだからFS900をメイクできるようになりたいと思ってから猛練習を重ねて、1ヶ月くらいで900をモノにしたこともありました。新しい技をメイクする、そのために練習を重ねていたんです。ただ、高校2年の夏にカムイみさかでコモっていたとき、同世代のライダーたちに追いつけていないことに気づいた瞬間があって。平野流佳くんや重野秀一郎との持ち技のバリエーションやレベルの差が、もう追いつけないところまで来ているように感じたんです。そこから21-22シーズンまでは、ずっと悩み続けながら滑っていた感じです。
──周囲とのレベルの差を感じながら、スノーボードとどのように向き合ってきたのか教えてください。
当時は正直、滑るのが怖いとすら感じていました。時間をかけて黙々と新しい技に挑戦するのは好きだったんですが、勝つために求められる技のレベルはどんどん上がっていく。それに対して自分のスキルを急に上げることはできず……。同世代の中にはすぐレベルアップしていくライダーもいて、自分が取り残されていると感じながら滑るのは、やっぱり楽しくなかったんです。勝てないプレッシャーにも悩まされ、大会に出ていた最後の21-22シーズンの終わりには、ライダーとしての活動から引退しようとも考えていました。もともと写真や映像を撮るのが好きだったので、これからはカメラマンという立場でスノーボードと関わっていこうと思っていました。当時は誰かに相談するのも苦手で、ひとりで悔し泣きする日もあるくらい、悩んでいましたね。
「UZUMAKIではじめて自分の好きな滑りを認めてもらって、自信がつきました」
──21-22シーズンで引退を考えていたとは思えないほど、UZUMAKIではエネルギッシュなライディングで存在感を放っていたと思います。UZUMAKIにはなぜ参加し、どのような刺激を受けたのでしょうか。
お世話になっているINDRES FORMATIONという映像プロダクションのカメラマンを務めているアツシさんという方から、オフィシャルで入るからとりあえず遊びに来いよ、と誘ってもらったのがキッカケです。ライダーとしての自分はここで最後だ、というくらいの気持ちで臨んでいました。イベント前の造成も見学させてもらっていたんですが、できあがったファーストヒットのデカいスパインを前日に見たときには、マジで気合い入れてやってやろう、残してやろう、っていうスイッチが入って。来ていたゲストライダーもアツかったし、前日の夜からかなり緊張していました。当日イベントが始まってから1時間くらいは、アイテムの流し方とかあまりつかみきれなくてしっくりくる滑りができなかったんですが……。なんとか映像を残そうと思ってコースの下部、ライダーズレフトにあったジブと沢地形っぽい形が合体したセクションに突っ込みながら、最後飛び出してアイテムに当て込むようなラインをとったら、その滑りを(國母)カズくんが見てくれていて。スタート位置まで戻ったときに「さっきのあのラインヤバかったね」と声をかけてくれたんです。この言葉が、今の僕を形作ったキッカケの中でもっとも大きくて。このときを境にして、21-22シーズンの残りのイベントでは、これまでだと考えられないような経験をいくつもさせてもらえました。いろいろなライダーやブランドマネージャーの方と話す機会にも恵まれて、自分が自分じゃないみたいでしたね。
──トップライダーに認められたことで、イベントにかける思いもよりいっそう深くなったことだと思います。UZUMAKIでは縦横無尽なラインどりが魅力的でしたが、どのようなことを意識してライディングを楽しんでいたのでしょうか?
自分のラインに対して自信が持てたので、そこからはさらにスイッチが入って、より自分らしいスノーボードができたと思っています。緊張が解けたこともあって、コースの全体を使ってやろうというマインドで滑っていました。最初はオーディエンスが多いライダーズレフト側ばかり狙っていたんですが、ライダーズライトの誰も滑っていないボウルエリアにラインが見えてきて。そのラインに入ったときは気温も上がってきて板が走らなくなっていたんですが、ハーフパイプをずっと滑っていたのでパンピングは得意なほうで、スピードに乗せてガンガン遊ぶことができました。UZUMAKIが終わる頃には、ライダーを辞める選択肢は完全になくなっていました。(工藤)洸平くんにも「あのメランのラインよかったよ」って声をかけてもらえたりして、はじめて誰かに、自分の好きな滑りを認めてもらえたんです。やっぱりスノーボードが好きな気持ちは変わらないので、もっと楽しもうと思うことができるようになりました。
「大会に出ずとも、ライダーとして活動していくためにすべきことをやっていきたいと思います」
──UZUMAKIをキッカケに、道は違えどライダー活動を続けていくと決心したわけですが、スノーボードとはどのように向き合っていたのでしょうか。
大会に出ない分、22-23シーズンは新しいことへの挑戦の連続で、正直あまり結果を残すことはできませんでした。SNSも投稿できていないですし、ヤバい滑りのフッテージを残すこともできなくて……。ただ、ストリートやバックカントリーでの撮影など、これまでやったことのない経験をいろいろ積むことはできました。大会を回っているときは種目も違ったのであまり兄弟で一緒に滑ることはなかったんですが、22-23シーズンは大空と滑ることも多かったんです。改めて一緒に撮影をしてみて、今の自分のスキルが撮影に臨むには足りていないことを、かなり思い知らされましたね。この夏に(米オレゴン州)マウントフッドに行ったのも、スノーボードをもっと全体的に頑張りたいと思ったからなんです。実際に何度か行ったことのある大空から海外のライダーとセッションした話を聞いたり、クォーターパイプでライダーたちがセッションしている映像をSNSで見ていたので、今の自分が求めるスノーボードがフッドにあるだろうと思っていました。
──マウントフッドのサマーキャンプはどうでしたか? 海外で活躍するライダーとのセッションを通じて受けた刺激などあれば教えてください。
ブレイク・ポールの滑りはヤバかったですね。ほかにもマイルズ・ファロンと一緒に滑ったり、マイク・ボグスとは去年くらいからSNSでずっとやりとりしていたんですけど、今回初対面なのにすごくフレンドリーに接してもらったり……。とにかく楽しかったです! 彼らと一緒に滑っていて感じたのは、ライダーとしてキメるところをしっかりキメてくるスキルがいかに重要か、ということ。デカいジャンプの跡地みたいな地形で遊んでいたとき、得意なR地形でもあったのでここで残してやろう、と狙ったタイミングがありました。でもやってみたら、全然思っていた動きができなくて。そのとき一緒に滑っていたライダーたちはみんな写真や映像をしっかり残していたので、悔しかったですね。この先ライダーとして生きていくために、自分がやっていかないといけないことが見えた瞬間でした。
──これからの翔空にとって課題だと感じた部分を教えてください。
課題はめちゃくちゃあるんですが、とにかくスノーボードそのもののスキルをもっと磨かないといけない。撮影のフィールドにいつ呼ばれても魅せられるくらいのスキルを身につけていく必要があると思っています。ストレートジャンプもジブも全然上手くないから、このオフシーズンは(神奈川)湘南ブラッシュでジブの練習をしたりもしていて。いろいろなところを滑って、ジブもジャンプもパイプも、スノーボードを全部楽しめるようになる必要があると感じています。
──今の目標を教えてください。
昔試写会に遊びに行ったときに、誰かが「〇〇の映像観るの、めっちゃ楽しみ!」と話している声が聞こえたことがあるんです。これってすごく大事だと思っていて、僕もいちスノーボーダーとして、たとえばマイク・ボグスがSNSでアップする映像をすごく楽しみにしています。そういう、自分が出す映像を誰かに「楽しみだ」と言ってもらえるライダーになりたい。そのためには常に新しいモノを追い続けて、ヤバいフッテージを残し続けられるライダーでありたいです。何をもって「ヤバい」とするのか、その部分は今も悩んでいるんですが、滑り続ける中でその答えを見つけていきたいと思います。
おわりに
新しい技を習得したときの達成感は、フリースタイルを愛するスノーボーダーなら誰しもが共感できるものだろう。コンペティションと向き合ってきたことによって磨かれた翔空のライディングは、日本が世界に誇るトップライダーが集結したUZUMAKIというフィールドによってその存在感を解き放たれたのだ。勝つためではなく楽しむために、誰かの記憶に残る滑りを目指して、これからスノーボードと向き合っていく翔空。彼の今後の動向に注目したい。
岡嶋翔空(おかじま・とあ)
▷出身地: 愛知県一宮市
▷生年月日: 2003年8月15日
▷スポンサー: NITRO、GREEN TF、FRUIT WAX、モリヤマスポーツ一宮
text: Yuto Nishimura(HANGOUT COMPANY)