BACKSIDE (バックサイド)

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INTERVIEW

競い合うのではなく自分の滑りを追求し続ける18歳 竹内悠貴が語るフリーライドの可能性

2023.08.28

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多様化している若手スノーボーダーが歩む道のひとつとして、フリースタイルではなくバックカントリーフリーライディングを志してスノーボードを始める、という道が存在する。今回取り上げるのは、そうした道を歩んできたひとりの若手ライダー。日本でスノーボードが市民権を得るより前、1987年に「全日本スノーボード選手権」ダウンヒル種目にて優勝を果たし、1988年の時点で「BURTON US OPEN」に出場していた日本が誇るレジェンドライダー・竹内正則氏を父にもつニュージェネレーション・竹内悠貴だ。日本のバックカントリーシーンの草分け的存在である正則氏が、2003年より新潟・上越で運営している光ヶ原キャットツアーや(新潟)関温泉といった、パウダーフリークにはたまらない遊び場で幼い頃より父と滑り込んできた。大きな背中を追いながら、ピュアにスノーボードを楽しみ続けた結果として身についたフリーライドスキルは折り紙付き。2019年に日本で初めて開催された「FREERIDE JUNIOR TOUR(以下FJT)」ではグランドチャンピオンに輝くなど、確かな実力とともにシーンで存在感を放っている。光ヶ原では高校生時代からガイドを務めており、今後のフリーライドシーンを牽引していくであろう悠貴が、フリーライディングに込めたアツい想いを語る。

「ずっとフリーライドの世界が好きで、今はジャンプも表現に取り入れたいと思っています」

──幼い頃からフリーライドの世界で経験を積むという独自の道のりを歩んできましたが、まずはスノーボードとの出会いについて教えてください。

スノーボードは父の影響もあって、3歳くらいから始めました。物心つく前から関温泉や、父がキャットツアーをやっている光ヶ原でも滑っていたと思います。ゲレンデなのかバックカントリーなのかは全然気にせず、父についてずっと一緒に滑っていた感じでした。中学生くらいからはキャットツアーの手伝いが少しできるようになったり、フリーライドの大会に出場することも増えましたね。

──フリーライドの大会というと、バックカントリーフリーライド国際大会のジュニア部門がFJTですが、悠貴は国内で初めてFJTが開催された18-19シーズンのグランドチャンピオンに輝きました。当時はどのようにスキルを磨いていたのでしょうか。

その頃滑っていたのは本当に光ヶ原オンリーなくらい、毎日バックカントリーばかりでした。当時中学2年だったんですけど、SNSもあまり見ていなかったのでフリースタイルの映像が目に入ってくることもなく、フリーライドだけを楽しんでやっていた感じです。ゲレンデだとどうしても、ラインがたくさんついているじゃないですか。バックカントリーだったら、その日その斜面には自分たちが滑ったラインしかないし、ほかに誰もいない山を攻略していく感じが、すごく楽しかったんです。最初は光ヶ原の中にもスキル的に滑れない斜面もあったんですが、コンディションがいい限られた日には、初めての急斜面に連れていってもらえることもあって。急斜面だからスピードにも乗せられて、そのままハイスピードでスプレーを巻き上げた瞬間が気持ちよすぎたことを、今でも覚えていますね。中学生まではフリーライド一直線でまったくジャンプをしてこなかったので、表現の幅を増やすためにも、今は(長野)小布施クエストでジャンプの練習もしています。

──ジャンプなどのフリースタイルに興味を持ち始めたキッカケを教えてください。

中学生までは極端な話、360もろくにできなくて。でも、SNSでライディング映像を見たり、シュンくん(星野俊輔)のデカいBS360を見てカッコいいと思ったり、そういうところから影響を受けて、高校生になってから小布施クエストに通い始めました。1080を回したいんじゃなくて、でっかくカッコいい360やメソッド・トゥイーク、インディとかをフリーライディングの中で魅せられるようになりたいです。今までずっとフリーライディングばかりだった分、同世代のフリースタイルシーンで生きてきたライダーたちと比べるとジャンプは絶対負けていて。撮影するにしてもジャンプのスキルが上がれば表現できる幅も増えるし、カッコいいなって思います。

「いちスノーボーダーとして父のことをリスペクトしているし、自分もフリーライドの魅力をいろいろな人に伝えたいです」

──フリーライドシーンで活躍する経験豊富な先輩ライダーたちと小さい頃から接してきたことで得た、悠貴の強みはありますか?

やっぱり雪山での経験が豊富な分、父はもちろん、上の世代の人たちには、僕には想像もできないラインが見えていることが多いんです。そういう刺激的なライディングを生で見続けてこれたのは貴重な経験だと思っています。でも、個人的にはまだまだ経験が足りないと思っていて、例えば山を登っていくときにどのラインを滑ってどこで飛ぼうか、ということをもちろん考えるんですが、登り切って上に立つと、どのラインをとるべきかわからなくなることがあるんです。ここは経験の差が出るところなので、自分はまだまだだなと毎回思い知らされます。

──大先輩のライダーであり父親である正則さんからは、スノーボードについてどのような教えを受けてきたのでしょうか。

自然との調和について、教わったことがあります。バックカントリーで活動している以上、相手にしているのは自然。だから、しっかり自然を感じながら滑る、っていうことだと思っているんですが……。すごく感覚的な話で、例えば、いいコンディションにテンションが上がった状態でピークに立ったとしたら、周りの自然から見て自分ひとりだけ、波長が違うんですよね。そんな状態で滑り出してもライディングは上手くいかないから、ちゃんと落ち着かないといけない。父にはよく「まず落ち着きな」と言われます(笑)。ほかにも、フリーライドの大会前のフェイスチェックは父と一緒にやることが多いんですが、父の頭の中には風向きや日光の当たり方、前日降った雪の状態、降った向きなどがすべてインプットされているんです。その解像度の高さには毎回驚かされるし、正直勝てない(笑)。(新潟)ロッテアライリゾートでFJTが開催されたときは、フェイスチェックのあとに「南斜面、日が当たってペタペタだから気をつけなよ」って教えてくれたことがありました。でも、そのときは滑っている最中に若干ラインがズレて、南斜面に入ってしまって。入った瞬間に一気に詰まって、前につんのめりました。上部セクションでの滑りはかなりよかったのに、それで負けてしまったんです。実際入っていないのに雪面の状況まで把握していることには驚いたし、フリーライドは特に経験がものを言う領域だから、やっぱりいちスノーボーダーとして父のことはすごくリスペクトしています。

──これまで正則さんから受けた指導と自分のやりたいスノーボードがぶつかって、葛藤したようなことはありますか?

これまでスノーボードについて父に「ああしろこうしろ」って言われたことがまったくないんです。もちろん、僕が聞いたら答えてくれるんですが、基本的には周りの大人に混じって一緒に光ヶ原を滑るのがとにかく楽しくて、父を含めた先輩ライダーたちの背中を見て育ってきた感じです。今「スノーボードを辞める」って僕が言ったとしても、多分「わかった」としか言わない(笑)。全部僕に任せてくれている感じです。

 

 

──広大な山で自由にライディングを楽しむという、スノーボードの本質に小さい頃から触れてきた悠貴ですが、今はどのようなモチベーションでスノーボードと向き合っているのでしょうか。

スポンサーがつくまでは純粋にスノーボードを楽しむだけだったんですが、BURTON(バートン)のチームライダーとして活動し始めてからは、いい意味で責任を感じています。もっとスキルに磨きをかけていきたいし、自分やブランドのためだけでなく、応援してくれている方のためにも頑張りたい、という感じです。またライダーとして滑るからには、一般の方々にもフリーライドの魅力を伝えていきたいと思っています。わかりやすくでっかい山でドローンを使ったライディング映像を残したりして、フリーライドってどんなシーンなのか、そして、そのカッコよさの部分をぜひ伝えていきたいです。

「自分の滑りを追求し続けるのがフリーライド。そのシーンをもっと広げていきたいと思っています」

──同世代にはオリンピックを目指し、フリースタイルのコンペティションで活躍しているライダーたちも多くいる中、悠貴はここまで独自の姿勢でスノーボードと向き合ってきたと思います。フリーライドシーンに身を置く若手として、今の日本のスノーボードシーンをどう捉えていますか?

ずっと光ヶ原で滑っていたのであまり同世代との絡みがないんですが、やっぱりフリースタイルだとどうしても、若い世代のコンペティションシーンが注目されがちですよね。そういった中でも、(宮澤)悠太朗くんや(柿本)優空とかがフリーライドも取り入れて、表現の世界で楽しんでいる姿を見ると、やっぱり仲間が増えたように感じられてうれしいです。フリーライドを楽しんでいる人って今は上の世代が多いので、僕たちの世代や、もっと下の世代から、コンペティションに加えてフリーライドも楽しんでくれたらいいですね。コンペティションだとどうしても勝敗がはっきりして、「勝てないなら意味がない」って考えてしまうこともあると思うんですが、もしそれでもスノーボードが好きなら、フリーライドの世界を一度覗いてみてほしいですね。フリーライドは競い合うというより、自分がやりたい滑りを追求するものだと思っています。もちろんフリーライドにも大会はあるんですが、普段のライディングと違うのはゴールとスタートが決まっているっていう部分だけで、いつも頭の中にある「やりたい滑り」を100%出し切れば、自ずと結果がついてきます。セオリーどおりのラインで滑ってもダメで、ライダーの個性が出たラインで攻めたヤツが勝つんです。勝敗が明らかになる大会というフォーマットでも、スタイルを出すことが重要視されている、そういうフリーライドの空気感に触れれば、どんな映像を残して、どうやってカッコよさを表現するのかっていう、勝ち負けだけじゃないスノーボードにも興味が湧くと思います。

 

 

──フリースタイルのコンペティションシーンからフリーライドの世界に足を踏み入れ、映像を残すことに命をかける若手も存在します。現在18歳にして同世代の中でも飛び抜けたバックントリーでの経験を持つ悠貴は、どのようにフリースタイル出身のライダーたちと関わっていきたいですか?

僕がガイドをするので、フリースタイルをやっている同世代のライダーを集めて光ヶ原でジャンプセッションをやったら、絶対面白いことになると思うんです。今までフリースタイルのライダーと関わることが少なかったんですが、UZUMAKI(21-22シーズンに群馬・パルコール嬬恋リゾートで開催されたボウル×ジブイベント)ですごく刺激を受けたんです。それこそ優空と仲良くなったのもUZUMAKIなんです。あの場にきていたような同世代やもっと下の世代も集めて、フリーライドの世界に一歩踏み出してもらう機会を作りたい。そこで面白いセッションになれば、SNSや横のつながりで、競い合うものではなく自分の滑りを追求するフリーライドっていうシーンが、さらに広がっていくと思うんです。

──今の目標を教えてください。

フリーライドの経験値は全然足りていないので、もっと上手くなって、もっといろいろな山で滑って経験を積んでいきたいです。とはいえスノーボードはやっぱり楽しむことが一番だと思うので(笑)、楽しみながら、自分がカッコいいと思う滑りを追求していきたいと思います。

 
 

おわりに

現在、スノーボードに取り組む若い世代を見ると、オリンピックを目指しFIS(国際スキー・スノーボード連盟)が統括するW杯などのコンペティションに力を入れるライダーが多数を占める一方で、若くして裏山やストリートでの撮影に重きを置いているライダーもいる。若手ライダーの歩む道は多様化しているが、悠貴のような純粋にスノーボードを楽しむライダーがいるかぎり、一枚の板にまたがって縦横無尽に雪山を楽しむというフリースタイルスノーボーディングのマインドは、決して薄れることがないだろう。フリーライドの魅力を届けるべく裏山で表現を続ける悠貴の、今後の活動から目が離せない。

 
 
竹内悠貴(たけうち・はるき)
▷出身地: 新潟県上越市
▷生年月日: 2004年11月18日
▷スポンサー: BURTON、ANON、SNOWBOARDSHOP SWITCH、MAGIC TUNE、HIKARIGAOKA CAT TOURS、関温泉スキー場

text: Yuto Nishimura(HANGOUT COMPANY)

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