BACKSIDE (バックサイド)

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INTERVIEW

現シーンの礎を築き上げた名作『ROADKILL』初視聴の大学生インターンが編集長を直撃【Vol.3】

2023.08.22

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1993年に発売された不朽の名作『ROADKILL』を初めて観た弊メディアでインターンを務める21歳の大学生・近藤碧音が抱いた疑問を、彼の親世代にあたる編集長・野上大介にぶつける本連載企画。収録されているトリックやライダーのファッションについての話をVol.1Vol.2で取り上げてきたわけだが、Vol.3では、この映像作品が制作された90年代前半のスノーボードシーンについても話が及んだ。当時大学生だった編集長を魅了し人生を狂わせたほどの名作であり、この時代を知るスノーボーダーにとって語らずにはいられない存在であるROADKILLから、現役大学生スノーボーダーが感じ取った現在のスノーボードシーンとの違いとは。フリースタイルスノーボーディングが確立してから2世代目に突入した今だからこそ、ベテランの方たちにはその歴史を振り返ることで等身大だから興奮できたスノーボードを思い出してほしい。そして、当時を知らない世代のスノーボーダーたちは現シーンの起源をたどることで、今なおライダーたちが追い求めている映像を介した自己表現の原点を理解してほしい。

 
 

そもそもROADKILLはなぜ流行った?

インターン・近藤碧音(以下、アオト): そもそもこの『ROADKILL』のコンセプトってなんですか? 当時、なぜそんなに流行ったんでしょう?

編集長・野上大介(以下、野上): スノーボードとこういうロードトリップって切っても切り離せない関係にあるよね。コンセプトとしては、キャデラックリムジンを乗り回すクールなトリップを演出しながら、フリースタイルのメッカでもあったカリフォルニアをベースにスノーボードのすべてを楽しむ、っていうことかな。それが当時の日本人の若者に強烈に刺さって、オレみたいにハマった人が増えたんだよね。当時はスノーボードで滑走できるゲレンデやコースが限られていた時代。少しずつリゾートに進出していく過程においてこの作品が起爆剤となり、スノーボードは市民権を得たんだと思う。もともとスキーヤーの聖地だったゲレンデにスノーボーダーというやんちゃな不良たちが現れたわけだから、最初は相当嫌われていたんだろうな。

アオト: 確かにレイクタホとかベアマウンテンとか、カリフォルニアのゲレンデが多いですね。フリースタイルが西海岸で流行っていたのはなぜですか?

野上: もともと西海岸はトム・シムスが立ち上げたSIMS(シムス)の発祥の地。80年代にフリースタイルシーンを牽引していたのはSIMSであり、SIMSはスケートボードも展開していた。カリフォルニアのスケーターたちが雪上に進出してきた背景があるから、スノーボードでもよりフリースタイル気質な土壌が形成されていたんだろうね。ちなみに80年代当時、ジェイク・バートン率いるBURTON(バートン)のお膝元だった東海岸はアルペンが中心で、レース気質が強かったって言われているよ。

 
 

ジビングよりもR地形で飛ぶのが流行っていた? パークはなかったの?

アオト: R地形で飛ぶような動きが多かったんですが、逆にジビングのフッテージは比較的少ないように感じました。当時、パークっていうのはなかったんでしょうか。

野上: いつの時代も最先端のカルチャーを創り出すライダーたちが集まるベアマウンテンでのフッテージとかもROADKILLにはたくさん出てきているけど、やっぱりパークの数は今と比べて圧倒的に少ないよね。日本だと、当時オレがコモっていた(長野)北志賀ハイツ(のちのスノーボードワールドハイツ。現在は廃業)っていうところが日本のフリースタイル発祥の地とされているんだけど、そこのパークはいち早くアメリカのカルチャーを取り入れていてカーブレールなんかもあったし、すぐ近くの高井富士には車が埋めてあってジブアイテムにしたりしてたな。情報が少なかったからほかのエリアまでは詳しく把握していなかったけど、パークはあるところにはあるけど、ほとんどないのが当時の状況だったと思う。

アオト: そもそもR地形で飛ぶことが流行っていたんですか? けっこうスケートボードの映像も差し込まれていて、特にランプで遊んでいるシーンが多かったんですよね。

野上: フリースタイルスノーボーディングの産みの親とされていて、スケートボードも上手かったテリー・キッドウェルっていうライダーがいるんだけど、彼は雪上の壁地形をバーチカルに見立てて、そこで仲間たちとセッションをしていたらしいんだよね。当時スケートボードもバーチカルが主流だったし、コンペティションシーンもフリースタイル種目はハーフパイプしかなかった。そういうことを考えると、やっぱりトランジションが主流だったんだろうね。当時のオレの感覚でも、パークなんてほとんどないからフリースタイルに遊ぶなら飛べる地形、すなわちR地形を探すしかなかったし。パイプも含めて自然とトランジションを滑る機会が今以上に多かったからこそ、当時のスノーボーダーは全体的に遊べるような、“板に乗れている”人が多かった。
 

TerryKidwell

BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 9「20 TRACKS OF THE GREATEST RIDERS ──フリースタイル史を紡ぐ20人の足跡──」より、天然クォーターパイプでメソッドを繰り出すテリー・キッドウェル(左/1986年)

 
アオト: ROADKILLのライダーたちも地形を攻めまくってましたもんね。

野上: 飛びたい、回したいなら地形を探すしかなかったから、新しいゲレンデに行くとリフトの上から常にポイントを探してたね。リフトに乗っている間はめっちゃ忙しいんだよ(笑)

 
 

ジャンルにとらわれず、いろんな滑りをしているのが印象的だった

アオト: 今だとハーフパイプのコンペティションに出る人はパイプライディングしかしないし、映像でもストリートの人はストリートだけ、バックカントリーの人はバックカントリーしか滑っていないように僕の目には見えていて。一方でこの時代のライダーたちは、この映像の中だけでもいろいろなライディングをしていると思いました。この違いはどこからくるのでしょうか。

野上: なかなか難しいところなんだけど、今は各ジャンルで求められるライディングレベルが高すぎて、それぞれに特化しないと世界で名を馳せることが難しくなってしまったことが理由のひとつかな。90年代のハーフパイプのコンペティションでは、ROADKILLにも出演してるテリエ(ハーカンセン)がチャンピオンだったし、ブライアン・イグチもジェフ・ブラッシーもパイプの大会に出場していた。彼らはそのうえで、こういう映像作品にも出演していたんだよ。

アオト: みんなもうフリースタイルを全部やっていた感じなんですね。

野上: そうだね。一本の板でなんでもできるヤツがカッコいい、っていう思想が強かったかな。

アオト: 確かにオールジャンルに魅せられる、(相澤)亮くんみたいな人って今でもカッコいいですもんね!

 
 

レジェンドライダー、テリエ・ハーカンセンの当時の活躍について

アオト: ROADKILLみたいなフリースタイルスノーボーディングってアメリカで生まれたと思うんですけど、テリエってノルウェー出身ですよね? 当時からすでにアメリカで撮影するくらい、知名度はすごかったんですか?

野上: BURTON US OPENっていうプロ最高峰の大会が1982年から2020年まで続いていたんだけど、さっきも言ったとおり、90年代のハーフパイプ王者は間違いなくテリエ。コンペティションシーンで頭角を現す中、ROADKILLみたいなスケートボードの流れを汲むムービーにも出演していたわけだから、事実上のトップライダーであり表現者でもあった、ということだと思う。1998年の長野オリンピックはボイコットしたんだけど、もし出ていたら間違いなく金だったと断言できるくらい向かうところ敵なしだったよ。
 

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BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE ISSUE 6「THE ART OF METHOD ──美しき自己表現法──」より、1990年に撮影されたテリエ・ハーカンセンのメソッド(左)。当時のレベルや環境でこのハイエアを生み出せたのはテリエのみである。右ページを飾っているのは、北京五輪でトリプルコークを成功させた平野歩夢の点数が低かったことに対して怒りをあらわにした解説者、トッド・リチャーズ。テリエ不在の大会での勝利ほどむなしいものはないと、長野五輪で思わされたひとりだ

 
アオト: 僕がスノーボードですごく面白いなと思うところのひとつが、最近始めたばかりの僕でも、まだこういうフリースタイルの起源にいるライダーたちに会えることなんですよね。昨シーズンはテリエを生で見ることができたし、そういう可能性があるのはほかにはない面白さですよね。

野上: 多く見積もってもスノーボードの歴史ってまだ50年とちょっとしかない。オレたちがどんどん盛り上げていかないとね。

 

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野上大介(左): 1974年生まれ。BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE 編集長。日本でフリースタイルスノーボーディングが形成され始めた92-93シーズンにスノーボードと出会う。
近藤碧音(右): 2001年生まれ。2022年度よりBACKSIDEにてインターンとして活動中。20-21シーズンにスノーボードを始める。スノーボードの歴史やライダーの生き方に興味津々な大学生。

text: Yuto Nishimura(HANGOUT COMPANY)

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