BACKSIDE (バックサイド)

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INTERVIEW

競技者から表現者への華やかな転身。長澤颯飛が仲間とともにこだわるフリースタイルの美学

2023.06.05

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2022年10月22日に東京・原宿にて開催された、工藤洸平率いるNOMADIK(ノマディック)初となるチームムービー『GYPSY』の試写会。その中でスタイリッシュなストリートライディングを披露し、堂々たる存在感を示したのが、弱冠20歳の長澤颯飛である。額から血を流すような衝撃的なクラッシュシーンもさることながら、スイッチFSボードスライド・プレッツェル270オフなど、難易度とオシャレさを兼ね備えたトリックチョイスが光るパートとなっていた。
さらに、大盛況のうちに幕を閉じたGYPSYの試写会から1ヶ月も経たないうちに、次は東京・渋谷に位置する代々木公園にて開催された「東京雪祭SNOWBANK PAY IT FORWARD 2022」にて、彼は男子優勝の座を手に入れる。22-23シーズン目前のタイミングで全国から東京にスノーボーダーが集い、巻き起こっていた熱狂の渦の中心に颯飛のライディングがあったのである。
コンペティションシーンに出自を持つものの、仲間との出会いによって、うちに秘めたフリースタイルマインドが爆発。ストリートで身を粉にしながら戦う、表現者としての颯飛が誕生した。ライディングはもちろん、滑る際に身にまとう服も含めて、スタイルにこだわりたい。若き表現者、長澤颯飛のこだわりを探る。

「みんなと同じことだけやる、っていう部分に楽しみを見出せなかったんです」

──2022年のオフシーズンにその存在感を増し、22-23シーズンもスタイリッシュなライディング映像をSNSに投稿していた颯飛。まず、スノーボードとの出会いについて教えてください。

最初は親がやっていたのについて行く感じで始めたんですが、もう物心つく前からスノーボードにハマっていたらしいです。(長野)湯の丸高原のスノーボードスクールで初めてレッスンを受けて、シーズン中はしばらくそこをホームにして滑っていました。8歳くらいからスノーヴァ溝の口(神奈川の室内ゲレンデ。2020年閉館)でレッスンを受けたりするようになって、そのころは平日は毎日、学校が終わったら溝の口に行って練習、土日はキングスやクエストに行く、っていう生活でした。最初のころはコーチに「ターンをしっかりやってからジャンプに進んだほうがいい」と言われていたこともあって、テクニカルをずっと練習したんですが、当時溝の口には宮澤悠太朗くんとか大塚健くん、飛田流輝くんたちがいて。となりで滑っているのを見て、こんな風にフリースタイル系をやりたいと、すごく憧れを抱いていましたね。

──その後コンペティションに出場するようになってからは、どのような目標でスノーボードに取り組んでいたのでしょうか。

ちょうどスロープスタイルがオリンピック種目になって、まわりが自然とオリンピックを目指す流れになっていて……。気づいたら自分も、オリンピックを目指す、という道に乗っていた感じです。だからそのときは「オリンピックに出たい」って言っていたけど、今振り返ると、多分まわりに流されていたのかな、という風には思いますね。けっこう違和感があって。例えば、ダブルコークを練習するってなったときも「普通の軸はイヤだ」だとか言って、めっちゃ変な軸でやったりしていました。レッスンを受けてみんなと同じ技をするだけっていうのは、全然楽しくなかったんです。特に自由なスノーボードを知ってからは、コンペティションのシーンはすごく窮屈に感じていました。大会で、いかにほかと違う、自分のカッコいいと思うものをルーティンに組み込んだ「大会っぽくない滑り」をするか、みたいなことばかり考えていましたね。

──スノーボードの中でもコンペティションではない、いわゆる映像表現の側面に興味を持ったキッカケや、その過程を教えてください。

ストリートを知ったのは、海外のライダーがあげていた映像でした。THE DUST BOXの一番最初の作品を観たときに、めっちゃカッコいいなと思って。衝撃を受けたことを覚えています。ただ、DUST BOXを観ているだけのときは「ちょっと自分には遠い世界だな」と思っていたんです。そんなときに、(相澤)亮くんの滑りにすごく後押しされました。その時期の亮くんは大会にもバリバリ出てた時期だったんですが、ニュージーランドでミニパイプをスタイリッシュに流している映像とかもSNSにあがっていて。大会をやりながらもこういう自由な滑りを表現している姿勢に、影響を受けました。

 

 

「ヤバさよりも、いかにカッコつけるかにこだわっていきたいと思っています」

──21-22シーズンが、NOMADIKの『GYPSY』撮影のシーズンだったと思います。コンペティションのシーンから撮影活動へ転向した背景について、教えてください。

実はそれより前のシーズン(20-21)に、亮くんと(大村)優生くんのトリップに連れて行ってもらったことがあるんです。亮くんたちは北海道でDC(ディーシー)の映像を撮るってなっていたタイミングだったんですが、夏にスノーヴァ羽島(岐阜の室内ゲレンデ。2021年閉館)で滑ったりしているときに、亮くんが「一緒にストリートできたらいいね」っていう話をしてくれて。即答で「やりたいっす!」っていう感じで(笑)、ついていきました。ストリートの撮影はこのときが初めてで、映像もほとんど出ていないんですが……修行の1年があったんです。ストリート1年目ということもあったし、ずっと憧れていたフィールドに挑戦できる、みたいなところがあったから「やってやるぞ」っていう感じだったんですけど、やっぱりストリートは難しくて。自分のできなさに、すごいショックを受けた1シーズンでした。思いどおりのことは何もできなかったですね。

──その修行の1年の中で、どのようなキッカケでNOMADIKにジョインすることになったのでしょうか?

(工藤)洸平くんとはもともと何回かは会ったことがあって、少し話したことがあるくらいの関係性だったんですが、修行の20-21シーズンの最後、4月くらいに、NOMADIKの(小野崎)海琳ちゃんや(浅谷)純菜ちゃん、(大久保)勇利くんたちが北海道でストリートの撮影をしていて。そこに亮くんと自分も呼んでもらったんです。洸平くんに生で滑りを見てもらう機会はこれまでほとんどなかったので、ガッカリさせられない、という思いで臨みました。大所帯での撮影だったうえに、順番は自分が最後だったので、残ったセクションでいかにカッコよく滑るかを考えるのが難しくて……。そのときは一発魅せ場を作りたかったこともあって、けっこうデカくてクイックなセクションを選びました。内心ビビっていたんですが(笑)、クイックでもあたふたした無駄な動きがないように滑ることを意識していましたね。この撮影だけは、そのときのベストを尽くすことができたかな、と思っていたら後日、洸平くんからインスタでDMが来て。「NOMADIK入らない?」って誘ってもらったんです。

──NOMADIKクルーとして迎えた21-22シーズン、『GYPSY』の撮影ではどのようなことを意識していたのでしょうか?

ストリート1年目は特に、「ヤバいことしてやるぞ」みたいなマインドが強くて。そこに固執していたんですが、亮くんに「颯飛のよさはそこじゃないよ。カッコよく滑るほうがいい」みたいなことを言ってもらえたことがあって。そこから意識が変わり始めたんです。めっちゃヤバいスポットを攻めるけど、そこでカッコつけられなかったらあんまり意味がないんじゃないかな、って。2年目のGYPSY撮影の年は、自分が魅せられるスポットで、いかにカッコよく自分の滑りを表現するか、ということを意識していました。

──颯飛の考える「カッコいい」とは?

最近自分と亮くんは、スノーボードの映像よりスケートボードの映像の方をよく観ていて。滑り方に限らず、撮り方とかもスケートの映像を意識して撮影しています。そういう映像を観て「いいな」と思えるカットって、ヤバいスポットで一発!というよりかは、小さいスラッピーとかでスタイルも服も髪型も全部がカッコいい、みたいなほうなんです。そういうスタイルが、自分が求めている理想形。GYPSYの撮影に臨んでいるときはそれをやらないでどうするんだ、っていう思いでしたね。

──GYPSYの撮影やほかのNOMADIKクルーとの撮影を経験して、刺激を受けた部分はありますか?

2022年の5月に行った、(富山)立山での撮影には圧倒されました。本格的な山を登る経験も初めてだったんですが、洸平くんとか(國母)カズくんが行くスポットのスケールがデカすぎて。もうめっちゃ地球を滑ってる、っていう規模感だったんです。やっぱりヤバいな、っていうのは感じましたね。立山で自然地形を滑ってからは、ストリートだからといって人工物に固執しすぎるのも違うのかな、ということを思うようになりました。ストリートはレールだけみたいなイメージだったけど、レールに繋がるラインの中にグラトリを入れたっていいし。立山の撮影を経て、視野が広がったように感じています。

「自分たちのこだわりをスノーボーダーだけじゃない、一般層にも届けたいです」

──22-23シーズン、各地でUKIYO(浮世)のプロダクトを少なからず目にする機会がありました。アパレルから始まり、来シーズンにはボードもリリースするなど、急成長中のブランドについて教えてください。

もともと亮くんがブランドを始めようとしていたタイミングで、自分にも声をかけてくれて。そこから一緒にやっていくことになったのがUKIYOです。スノーボーダーっぽいブランドというよりかは、街でも着られるようなイメージを持ったブランドを目指しているというか。業界だけじゃなく、スケートシーンだったり、東京のシティなイメージを持った業界とかにも認めてもらえるようなブランドにしたいな、という風に考えています。スノーボードだけにとらわれない感じです。スケートボードのブランドは一般層にもすごくウケがいいし、多くの人が知っていると思うんです。スケートがカッコいい、みたいなイメージってすごい浸透しているじゃないですか。「それ、スノーボードでもできないか?」と目論んでいます。雪の上か、そうじゃないかっていうだけで、やっていることは一緒。だから自分たちがブレなければ、本当にすごいカッコいいブランドになるんじゃないか、そう思って活動しています。そういう意味で言うとスノーボード業界発で、ライダー自らがブランドをやって成功している身近な例として洸平くんのNOMADIKがあるから、すごく勉強になっています。

──服作りに関しては初心者の状態でのブランド立ち上げだったと思います。どのような活動から始まっていったのでしょうか。

古着だとサイズ感とかもあって、なかなか自分にパチっとハマる服を探すのも大変じゃないですか。なら自分で作れるのが一番、というところからブランドがスタートしたんですが……。工場に頼むにしても、何者でもない状態だと難しいじゃないですか。だからとりあえず、亮くんが持っていたミシンを借りて、YouTubeでミシンの使い方を調べて服を作るところから始めました。そうしたら意外と、着れるレベルのジャケットを作ることができて。そこがUKIYOの活動の原点です。僕の場合は滑るときに着る服がモチベーションに直結しているので、そこまで含めてスタイルだと思っています。

 

 

──今後の目標について教えてください。

スノーボーダーとしてもブランドをやっている人間としても、まだまだ中途半端なので、もっと自分の価値を上げていく必要性を感じています。スノーボードだけじゃなくてライフスタイルも含めて、“カッコいい”って言ってもらえるようなスノーボーダーを目指したいです。スノーボードのスタイルでいうと、ストリートで表現している僕たちの滑りを、もっと一般層にも伝えたいと思っています。カッコいい人たちはたくさんいるのに、その価値観がスノーボード業界だけで終わってしまうのは、やっぱりもったいない。服はもちろん、髪型や板にもこだわってやっている、このコアな部分を届けたい。届けるためには、自分自身がもっと滑りで魅せないといけないな、とも感じています。

 
 

おわりに

かけがえのない仲間と出会い、踏み出した自己表現を追求するスノーボードの世界。挫折のたびに学び、シーズンを重ねるごとに成長と挑戦を続ける、颯飛のこれからが楽しみになるインタビューだった。ライディングスタイルはもちろん、滑るときに身にまとう「戦闘服」のチョイスにも、ライダーのスタイルが表れる。だからこそ、ライダーたちのこだわりが詰まったスノーボードムービーを観ることは面白いのである。自身の思う“カッコいい”に忠実にスノーボーダーとしての人生を歩む、長澤颯飛の次回作に期待したい。

 
 
長澤颯飛(ながさわ・はやと)
▷出身地: 神奈川県川崎市
▷生年月日: 2002年7月27日
▷スポンサー: UKIYO、NOMADIK、UNION、ムラサキスポーツ八王子、FOOT LAB

text: Yuto Nishimura(HANGOUT COMPANY)

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