BACKSIDE (バックサイド)

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INTERVIEW

スノーボーダー・平野歩夢がスケートボードで東京五輪挑戦に至った背景に迫る

2021.08.04

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2018年11月、「スケートボードがオリンピックの正式種目になった以上、スルーするわけにはいかない」と東京五輪への挑戦を表明して以降、二刀流ライダーとして大きな注目を集める平野歩夢。あれから2年半あまりかけて道なき道を切り拓き、東京五輪スケートボード・パークの大舞台に立つ日がいよいよ明日に迫った。
歩夢が平昌五輪スノーボード・ハーフパイプで2大会連続銀メダルを獲得したことは周知の事実。その軌跡を追った2018年2月発刊の弊誌ISSUE 5「WALK TO THE DREAM ──夢への歩み──」内で、当時からすでに二刀流の決意を語っていたのだ。同号は完売しているため、当時の歩夢の思考を多くの人々にシェアしたいと考え、最終章のみを無料公開することにした。
こうした想いの延長線上に二刀流ライダーとしての挑戦がある。

最後に後悔しないために

「今までどおりにやって金メダルが獲れるなんて、そんなワケないだろって(笑)。何かにストレスを感じながらでも自分が求めるものを追いかけていかないと、そんなに大きなものを手にすることなんて100%無理だろうなって。そう思えるようになってからは、だいぶ変わりましたね」
 
幼き頃、学校に行きたくても行けずにスノーボードやスケートボードの練習に明け暮れた日もあった。勉強についていくことができずに劣等感にさいなまれることもあった。ツラいこともたくさん経験してきたはずだが、その延長線上でさらなる高みにたどり着くことは到底できない。15歳2ヶ月のときにソチ五輪で銀メダルを獲得した歩夢は、冷静にこう分析していた。
 
このように気持ちを入れ替えられたことが大きかったのだと、改めて言葉にした。
 
「常に“何かやらなきゃ”って思うようになって自分をめっちゃ追い込んで、ネガティブ思考に陥った時期もありました。それを解決するまでにかなりの時間がかかったけど、ここまでやってこれたのもソチ(五輪)で銀だったからだと思うんです。自分の負けず嫌いな性格が思いきり出た感じですね」
 
もしも、あのとき金メダルを獲っていたら──。ISSUE 3「スノーボードと仲間と絆」でその可能性について言及していたので、改めて振り返りたい。ソチ五輪で金メダルを獲得したイウーリ・ポドラチコフは当時の最高難度トリックとされていたキャブ・ダブルコーク1440を成功して優勝を飾った。
 

AyumuHirano_SochiOlympics

Sochi 2014 Winter Olympics at Rosa Khutor, Russia in 2014.
photo: Chris Wellhausen

 
しかし、その大技の直後、次のヒットに繋げるにはハーフパイプの長さは十分に残っていたにもかかわらず、彼は飛ばなかった。セミファイナルまでは6回飛んでいたのだが、ファイナルでは5ヒット目にキャブ・ダブルコーク1440を決めると6ヒット目をキャンセルしたということだ。リスクを回避したのではないかと大手専門メディアからツッコミが入るなど、疑念が残る結果だったわけだが。
 
「あのときは銀でよかったかなって」
 
まだ上がある。そう思って突き進んできたからこそ得ることができた、確かな手応え。この4年間で大きな進化を遂げたのだ。
 
2017年3月に大ケガをしてしまいスノーボードから一旦離れ、自分と向き合う時間ができたことで気持ちの整理がついたと語っていたが、それまでの3年間はすべてを投げ打ってまでもトリックの修得に躍起になっていた。何のために、誰のために滑っているのかすらわからなくなるほど自らを追い詰め、そうした精神的苦痛の代償としてルーティンの幅を増やすことができた。4年以上の歳月をかけて取り組んできた大技を、平昌五輪が行われる普光フェニックスパークのハーフパイプ内で想定される5ヒットのうち4ヒットで繰り出す準備はできており、ファーストヒットでは歩夢の専売特許である圧倒的な高さを誇るバックサイドエアを放つつもりだ。
 
「世の中の人たちに自分のことを知ってもらうキッカケだったり、ハーフパイプの世界で誰が頑張ってるのかってことに目を向けてもらう機会はオリンピック以外では少ないと思うから、そういうチャンスがある以上はギリギリの歳になるまで、4年に一度は参加したいと思ってます。そこで自分の土台を築き上げて、その先のことを考えられればいいかなって。今回のオリンピックもそうですけど、今できることと今残せるものに集中力を高めて取り組んでいきたいですね。自分の滑りだけは正直に表現したいから、納得できるものをオリンピックで出し切りたい。金(メダル)を獲ることにこだわるんじゃなくて、自分がやりたいルーティンだったり魅せたい滑りをオリンピックの舞台で表現したいんです。そのうえで、自分が誰かに憧れてここまでやってこれたように、今頑張ってる子供たちに夢を与えることができればうれしいですね」
 
歩夢の理想とする滑りをカタチにできたとき、自分自身を乗り越えることができたとき、自ずと結果はついてくるということだ。
 
加えて、平昌五輪という大舞台を目指しながらも、すでに2022年の北京五輪やその先のことまでを視野に入れて活動している。多くのアスリートがその先にあるオリンピックに挑むかどうかの明言を避ける傾向が強い中で、さらには競技活動だけでは認められないスノーボードという世界に身を置きながらも、歩夢はこう言い切る。
 

AyumuHirano_VailCO_G.LHeureux

Burton US Open at Vail, Colorado, USA in 2017.
photo: Gabe L’Heureux

 
「スノーボーダーからどう見られるかってことよりも、スノーボードをやってない人たちから“スノーボードと言えばあいつ”って言われるような存在になりたい。そういう影響を与えられることってカッコいいと思うんですよね。テレビとかで見ているうちに興味を持ってもらえるような、そういうライダーって日本にはまだいないから。オレはこうした一般的なことも受け入れてやってきたつもりだし、そろそろそういうことを表現してもいいタイミングなのかなって思ってます。でもスノーボーダーだからこそ、海外や日本の仲間たちのことも大切にしていきたいですね。スノーボードはカッコいいスタイルを大切にする文化価値が強いから、そういう部分でも一流でありたい。でも、それぞれが正反対の方向性だったりするじゃないですか。“カッコいいもの”と“カッコ悪いもの”だったりするのかもしれない。でも、それらを共有していくことをすごく考えてるんです。それがあるかないかで自分の将来もだいぶ変わってくると思うし、そこにスケートボードも巻き込んで横乗りを幅広く自由に表現していきたいと思ってます」
 
歩夢は自覚している。自分にしか切り拓けない道があり、その先駆者として歩むべきなのだということを。
 
「中学3年で銀メダルを獲ってからここまでこれたのも、学校側が自分が求めてるオリンピックとプロ活動を認めてくれたことが大きいと思います。全日制の高校でアスリート科、大学でスポーツ科学部に在籍しながら活動できたことで、スノーボード以外にも大切なことを学ばせてもらってます。だから滑りに集中できる部分もありますね」
 
スノーボードだけでなく、心身ともに19歳として成長している歩夢。小学生時代に感じた劣等感は皆無だ。だから、さらに強くなった。
 
一般的なスポーツに比べると、競技としてのスノーボードはまだまだマイナーだ。テレビ放送としては、2014年から5年連続でTBSがX GAMESアスペン大会を、テレビ東京が2015年と2017年のFIS世界選手権を放映しているのみ。ソチ五輪で歩夢と平岡卓がメダルを獲得したことで、ようやく一歩目を踏み出したばかりである。
 
オリンピックという4年に一度の大きな脚光を浴びる大舞台だからこそ、スノーボード以外のマイナースポーツも含め、その競技の認知を広めるために日本代表として頑張りたいといった趣旨の発言が目につくように思うが、歩夢はどう考えているのか。
 
「オレには自分にとっての理想の幸せがあって、その幸せをスノーボードで手にすることができればいいかなと思ってます。そこにはスケートボードも視野に入ってきていて、それらを両立させることで納得のいくカタチになって、それが自分自身の幸せに変わればいいですね。これまでやってきたスノーボードとスケートボードは中途半端にしたくないから、“自分のため”が“人のため”にもなればいいですけど、最初から誰かのためにとかシーンのためになんて考えられないと思うんですよね。自分のためになったことがほかの人に刺激を与えたり、それが恩返しになったりするはずだから。オリンピックに出るってことは地元の人たちがものすごく応援してくれて、そういう人たちがいなければオレもここまでやってこれたかはわからないから、いつもありがたく(みんなの気持ちを)受け取ってます。でも、そういう気持ちを常に胸にしまって滑るって意味じゃなくて、オレはスノーボードに集中することのほうが大事だと思うんです。自分のやるべきことを達成して、応援してくれた分をスノーボードで返せればいいですね。すごく感謝の気持ちを感じてますけど、オレがやれることはスノーボードしかないから。結果でお返しして、それ以上に応援してもらえるような自分にならないといけないと思ってます」
 
誰のためでもない。自分自身のために。家族のため、地元のため、スポンサーのため、スノーボード業界のため……他者にモチベーションを置いたほうが、もしかしたら気持ちはラクになるのかもしれない。自分のためだからこそ、何ひとつ言い訳ができなくなってしまうのだから。いろいろなものを背負い込みながらも自らのために頂点を目指すという覚悟。課題はものすごく多いが、これ以上に強い信念があるだろうか。
 
「最後に後悔しないために。そのためだけにやってますね」
 

AyumuHirano_Skateboard

Nihonkai Skate Park at Murakami, Niigata in 2017.
photo: Akira Onozuka

 
※一部修正しています

text: Daisuke Nogami(Chief Editor) portrait photo: Akira Onozuka

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