INTERVIEW
14歳のビッグエア女王・村瀬心椛が大ケガを乗り越えた先に見えている景色
2019.08.30
2018年5月、中学2年に進級したばかりの13歳の少女が世界中を震撼させた。女子ビッグエア史上初となる大技を決め、初出場ながらX GAMES史上最年少での金メダルを獲得。村瀬心椛の名は日本全国へ届くよりも先に、目の肥えた欧米のスノーボードシーンに轟いた。しかし昨年12月、米コロラド州でのトレーニング中に大ケガを負ってしまうことに。1シーズン、滑ることが許されなかった。順風満帆だったスノーボード人生に初めて立ちはだかる巨大な壁。それを乗り越えるべく、女子中学生は己と向き合い苦悩を繰り返しながらも、プロとして歩み続ける日々を過ごした。そんな逆境の先にあった心椛の目に映る景色とは、いったいどんな光景なのか。8月31日(土)にノルウェー・オスロで開催されるX GAMESに向けて、その直前の雪上トレーニングのためにスイスへと出国する前日、彼女に会った。
初めての挫折
2018年12月7日。米コロラド州キーストーンでのトレーニング中、アクシデントは突然やってくる。
「ケガする直前のレールで干されちゃって、けっこう苦しかったんです。だから、次のレールには入るのをやめようと思ってアイテムを避けるように踏み切ったつもりが、ステアレールだったことを知らなくて……。思い切り階段に引っかかってしまい、そのままレールの脚にヒザから突っ込んでしまいました」
心椛はDEW TOURに出場するために渡米しており、4日目の出来事だった。このアイテムに入ったのは初めてだったそう。ステアレールとわかっていれば、テイクオフすることなくキャンセルしていたはず。右膝蓋骨骨折。ヒザの皿が割れたということである。
「右ヒザを触ったとき、なんかムニムニしてたんですよね。これは絶対にお皿が割れてると思いました。痛すぎて全然動くことができず、これはヤバイと。しかも、アメリカに来てまだ4日目だったし、DEW TOURに出るつもりだったからとても悔しかったですね」
緊急手術を受け、翌日には退院。もともと3週間ほどの予定で滞在していたため、ライディングに明け暮れる仲間たちを尻目に安静に過ごす日々を余儀なくされた。
その後帰国し、日本での治療生活が始まる。これまでも捻挫や靭帯を伸ばしたことはあったものの、これほどまで長期間滑れない生活は経験したことがない。アメリカの医師から告げられていたよりも遅い回復具合に苛立ちを覚えながらも、学校に通いながら自宅のある岐阜から2時間半ほどかけて京都までの通院生活を続けていた。
懸命なリハビリ生活を過ごすも、日本のスノーシーズンが終わるまでに雪上復帰という願いは叶わなかった。14歳という若さながら、滑ることが許されないシーズンを初めて経験。13歳の5月にX GAMESノルウェー大会で頂点に輝いてから、1年が経とうとしていた。気持ちは焦るばかり。
「こんなに時間がかかると思ってなかったので、かなり焦っていました。早く滑りたくて。そこで、アメリカでリハビリを受けることにしたんです。ちょうど同じ時期に同じケガをしたマーカス・クリーブランド(DEW TOURの公式練習中に右膝蓋骨骨折)の回復具合が私よりも2、3ヶ月くらい早くて、やっぱり外国のほうがいいのかなって気持ちもありました」
14歳、中学3年に進級したばかりの心椛は、親元を離れて治療のため渡米することになる。
アメリカでの超回復と刺激ある出会い
テニスの錦織圭、ゴルフの松山英樹、卓球の石川佳純などが所属している大手マネージメント会社に心椛は所属している。スノーボードでは、國母和宏や平野歩夢ら錚々たるライダーが顔を揃えており、ニューヨークに本社を構えるグローバル企業だ。國母や平野の海外での活動をサポートしており、当然、心椛に対するバックアップ体制も整っている。
ライダーサポートの担当者に話をうかがったところ、以前に國母が靭帯を伸ばしたことがあり、手術に踏み切るべきか悩んでいたところ、メスを入れることなく復帰に導いてくれた名トレーナーが心椛のリハビリを担当。自身の右ヒザの回復具合に対して彼女は、間違いのない手応えを感じていた。
「日本ではおばあちゃんたちと一緒に少しずつ安静に動かすリハビリだったけど、アメリカではどんどん動かすやり方でした。もっと早くアメリカに行っていればよかった」
こうしたリハビリ生活の傍らで、心椛にとって運命的な再会を果たす出来事があった。同じマネージメント会社に所属しているスケートボーダーであり心椛の憧れの存在、西村碧莉との再会だ。彼女はDEW TOURに参戦するため同じ時期にカリフォルニアに滞在しており、心椛を診てくれているトレーナーにかかる機会があった。
「同じショップなのでイベントで顔を合わせたことはあったんですけど、そのときは初対面だったので全然喋れなかったんです。もともと碧莉ちゃんの大ファンで、死ぬまでに一度はちゃんと話したいという想いだったのに、今では毎日のようにLINEをする関係になるなんて(笑)。今年のX GAMESでも優勝したし、いろいろな大会で勝ち続けていることが本当にすごいなって。滑りはもちろん、服装や声……すべてがカッコいいんです」
こうして、憧れの大先輩から強く背中を押された心椛は、約1ヶ月に渡るカリフォルニアでのリハビリ生活を終えた。アメリカの医師から滑っていいという太鼓判を押され、ジャンプ練習施設でのひさしぶりのスノーボーディング。
「もちろん不安はありました。右脚に力を入れたら折れちゃうんじゃないか、着地は大丈夫だけど、もしも何かにヒザをぶつけたら……」
恐る恐るジャンプの練習を再開。少しずつ手応えを取り戻すと同時に、ある違和感を覚えた心椛。
「めちゃくちゃ苦手な技があったんですけど、好きになったというか。すごく調子がいいんですよね。フロント(サイド)ダブル9です。X GAMESで出そうと思ってます」
2018年5月、女王に君臨したX GAMESノルウェー大会では女子としては世界初となるバックサイド・ダブルコーク1260に成功して世界中を震撼させたのだが、このとき異なる回転方向のトリックで採用された(前回大会では4方向あるスピンのうち2種類のベストポイントの合計得点で争われた)のはフロントサイド720だった。この1年間、雪上ではほぼ滑ることができなかったわけだが、なぜ新たなる武器を手に入れることができたのだろうか。
逆境からの進化
「今でもボルトが3本入ってるので、ちょっとした違和感があるんです。8月末のX GAMESが終わったら抜こうと思ってます。でも、右脚の筋肉量を計ったらケガする前と変わらないんですよね。むしろ脂肪だけ落ちてて。あと、ヒザはケガしていない左脚よりも曲がるんです(笑)」
本人はさほど自覚していないようだが、若さも手伝ってか、リハビリやトレーニングを経て、心椛の身体は確実に進化している。ケガした部位が治癒しただけでなく、フィジカル全体の強化につながったのだろう。その賜物として、フロントサイド・ダブルアンダーフリップ900の回転軸が作りやすくなったのかもしれない。
さらに、食生活の改善も彼女の身体を強くした。もともと気を配っていたようだが、ケガを機に母が骨の強化だけでなく、あらゆる栄養学の観点から食事を見直したことで、ケガの回復だけでなく強化にもつながったようだ。
「私は魚がめっちゃ嫌いなんです。でも、毎日のように出てくるからイヤだなーって思ってたんですけど、しっかり骨もくっついてたし、やっぱりカルシウムとか大事なんだなって(笑)」
ジャンプ練習施設でトリックの練習に打ち込みながら、日本でもトレーナーをつけて肉体改造に取り組んだ。母の協力のもと、身体の内側からも見つめ直した。こうした生活を1ヶ月に渡って繰り返したことで、不安は一切ない。室内ゲレンデでジブにも向き合い、レールに対する恐怖心も完全に克服できた。
「去年、私が(バックサイド・ダブルコーク)1260を決めたことによって、周りのライダーたちはこれまで以上にすごい技をやってくると思います。でも、そこでまた表彰台に上がれないとすごい恥ずかしいし、ケガしちゃったけどまた戻ってこれたことをアピールしたいから、やるべきことをしっかりやって、また優勝したいと思ってます。去年の1260はアプローチが雑で、高さと飛距離が足りなかった。そのせいで慌ただしい感じがあったので、もっといい滑りができたらなって」
前回大会は5月とはいえ屋外で行われていたため気温が高く、アプローチが荒れていたので仕方ないことのように思えたが、プロとして意識の高さを感じるとともに、女王の貫禄が漂っていた。
「実感してます。なんか違うなーって感じ。前とは違うなって感じがします。リハビリと食事のおかげですかね。でも、魚は好きになれません(笑)」
1シーズンを棒に振ってしまったものの、滑り続けているだけでは得ることができなかった確かな手応えを心椛は感じている。大ケガを乗り越えた先に見えている景色とは──平昌五輪スロープスタイル金メダリストのジェイミー・アンダーソン(アメリカ)、そして同五輪ビッグエア金メダリストのアンナ・ガッサー(オーストリア)らを抑えて再び、X GAMESノルウェー大会で表彰台の中央に立つ己の姿である。
村瀬心椛
Kokomo Murase
生年月日: 2004年11月7日
出身地: 岐阜県岐阜市
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text: Daisuke Nogami(Editor in Chief) photos: BURTON