BACKSIDE (バックサイド)

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INTERVIEW

大塚 健 独占インタビュー「17歳でビッグエア世界王者に上り詰めた強さの秘密」

2018.09.05

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2017年2月末、BURTON US OPENが開催されていた米コロラド州ベイルリゾート周辺の寿司屋で、15歳の中学生ライダーと初めて言葉を交わした。その少年は、物怖じしない態度で鋭い目つきを光らせながら筆者の質問に堂々と答え、いわゆる大物の雰囲気を漂わせていたのだが……。その翌日に行われたスロープスタイル・セミファイナルに出場した彼は、2本とも序盤のジブセクションでまさかのミス。そのギャップに拍子抜けしたことを覚えている。
そんな“大物くん”は翌年、同大会同種目でゴーグルのレンズが吹き飛ぶほど巨大なバックサイド・トリプルコーク1440をストンプするなど、見違えるほど勢いにあふれたライディングを披露。セミファイナル5位、ファイナルでは8位と伝統の一戦で爪痕を残した。
さらに、およそ2ヶ月後となる2018年5月19日。ビッグエア種目で世界の頂点に立ったのだ。ノルウェー・オスロで開催されたX GAMESにおいて、地元の英雄であるマーカス・クリーブランドを従えての金メダル獲得。一躍、世界中へとその名を轟かせたのだった。
大塚健、17歳。6月某日、東京・渋谷に位置する彼のサポートブランドであるBURTON本社で待ち合わせると、埼玉QUESTでの練習を終えてからコーチである佐藤康弘氏とともにやってきた。そこには初対面で感じた高姿勢な健はおらず、世界王者ながらも高校2年生らしい穏やかな青年がいた。

 

大物くんが世界王者に

BACKSIDE(以下B): 2017年に出場したUS OPENは散々な結果だったけど、改めて振り返ってみるとどうだった?
 
健(以下T): 15歳で出たときは緊張しまくってたし、自分のレベルも全然低くて、何もそろっていない状態だったので……。あと、アウェー感がものすごく強くてダメでした。スタート地点で震えてましたから(笑)
 
B: それまでに国際大会での経験はあったの?
 
T: その前のシーズン(2016年)にスイスのLAAX OPENに連れて行ってもらったのが初めてでした。当然緊張もあったんですけど、それ以前に一つひとつの技の完成度が低かったし、まだ中2だったから滑りが子供っぽいというか安定してなくて、結果はボロボロで……。その年の夏にはオーストラリアの大会に出たり、冬に入るとヨーロッパの大会を転戦してました。
 
佐藤氏(以下S): LAAX OPENやオーストラリアのMILE HIGHを経験して、やはり大会に慣れることが一番だと考えていたので、2017年の1月にFISのヨーロッパ大会を3戦ほど続けて回りました。大会に出て、その整備された同じジャンプ台で練習っていうのを繰り返してたんです。それで、US OPENの直前に中国であったBANANA OPENで、マックス・パロット(カナダ)やカイル・マック(アメリカ)といった強豪が顔をそろえる中で4位に入ったんです。ついに来たか!って感じで、その勢いのまま意気揚々とUS OPENに出場するためコロラドへ向かったら、健がロストバゲージを食らっちゃって……。飛行機も僕とは別々になっちゃって、当時はあまり英語が話せない15歳の少年だったから大変でした。
 
T: カイル・マックとかと一緒でした(笑)
 
B: なるほど。そんな心労も重なったわけだけど、冒頭で話してくれたように当時はまだ世界レベルで通用する実力はなかった、と。でも、その1年後には同じ舞台で大きく飛躍するわけだけど、その舞台裏ではいったい何があったの?
 
T: あのUS OPENでは本当に恥ずかしい思いをしたし、来年は呼んでもらえない(BURTON US OPENは完全招待制)と思ってたからものすごく練習しました。すべての大会でいい成績が出るように頑張ったつもりです。KILROY(BURTONグローバルの若手クルー)の撮影にも参加して映像をしっかり残せるようにと、とにかくどっぷりとスノーボードに浸かった1年でしたね。オフシーズンはQUEST(佐藤氏が代表を務めるジャンプ練習施設)で練習して、夏はニュージーランドで滑り込み、そこでフロントサイド・トリプルコーク1440を覚えました。
 

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世界中にその名を轟かせることになる目前の4月、米カリフォルニア州マンモスマウンテンでその腕に磨きをかけていた

 
B: X GAMESで繰り出した現在の必勝トリックは、そこでマスターしたんだね。回転力を生み出しやすいことと、着地時にランディング面に正対できることから、高回転3Dスピンの場合はバックサイドのほうが得意というライダーが多いからこそ、フロントサイド方向にトリプルコークを操れる健の強さが際立っていると思う。ちなみに、もうひとつの必勝トリックであるキャブ・トリプルコーク1440はいつマスターしたの?
 
T: キャブのアンダーフリップ1260は中2のときに覚えてたんですけど、トリプルコークはHAMMER BANGER SESSIONのときに覚えました。
 

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X GAMESという世界中のスノーボーダーが憧れる大舞台でも臆することなく宙を舞った

 
B: あの巨大ジャンプセッションだね。最初に行われた2017年4月のとき?
 
T: いや、今年です。1回しかやらなかったんですけど(笑)
 
B: えっ? 今年4月にマスターして、その翌月のX GAMESで成功したんだ。それはすごい!
 
S: この1年くらいでメイク率が格段に上がったことと、メンタルがかなり鍛えられたと思います。あと技術的な話をすると、大会が終わったあとにジャッジとも話をしたんですが、キャブの1620は立てるライダーもいるかもしれないけど、1440の着地は圧倒的に難しいって彼らも言ってたんです。スイッチのブラインド着地になるわけですから。キャブの1620はレギュラー着地になるからといって、いきなりそこにいくんじゃなくて、1440をしっかりやるように練習してきたんです。昔で言えば、キャブ900が得意なライダーは多かったけど、キャブ720は苦手なのと同じ。とにかく健は、フロントサイドとキャブがめちゃくちゃ上手いんです。
 
B: 初出場のX GAMESで頂点に輝いたわけだけど、この結果はかなり自信につながったよね?
 
T: そうですね。でも、どちらかと言えばUS OPENのほうが滑ってて楽しかった印象が強いし、自信につながったような気がします。出場してるライダーたちが声をかけてくれて、やっと(自分のことを)見てくれるようになったのかなって。
 

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マーカス・クリーブランド(右)やクリス・コーニング(左)ら強豪を抑えて世界の頂点に立った

 
B: 初出場で呑まれてしまったときは無名だったから見向きもされず、それでアウェー感が強かったんだね。でも、その1年後のセミファイナルで繰り出したバックサイド・トリプルコーク1440は、飛距離も滞空時間もずば抜けていてすごかった。あのジャンプをキッカケに、それを目の当たりにした世界トップの連中から一目置かれる存在になったわけだ。でも、実はフロントサイドのほうが得意だっていうことは、この時点で彼らは知るよしもなかっただろうから、X GAMESではさらに驚いただろうね。
 
T: ノルウェーではテイクオフのときに、なぜかリップに詰まるような感じでみんなバックサイドスピンで苦戦してたんですよ。それで、公開練習中にバックサイドはやめようって決めて、キャブとフロントサイドで勝負することにしました。
 
S: それで勝負したいっていう気持ちが強すぎて……。予選を抜けるためにはキャブ・ダブルコーク1260で十分だったのに、いきなりトリプルコークをやって手の内を見せちゃって(笑)
 
T: アンナ(ガッサー)にも言われました(笑)
 
B: オレは決勝でここまでやるけど、オマエらはできるのか?って宣戦布告してるみたいでカッコいいじゃん。しかも、それで勝ったわけだから。
 
T: ありがとうございます!
 

世界を制した17歳の原動力

B: スノーボードを始めたキッカケは?
 
T: けっこう、しようもない理由なんですよ(笑)。おじいちゃんがスキーをやっていたので、いとことお兄ちゃんと一緒に連れて行ってもらってたんです。でも、僕だけおじいちゃんの言うことをまったく聞かなかったみたいで、スキーに連れて行ってもらえなくなりました。ひとりだけ行けないのはかわいそうだとお父さんが思ってくれたみたいで、それから一緒にスノーボードに行くようになったのがキッカケですね。
 

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普段は小鳥が大好き(?)でお茶目な普通の高校2年生

 
B: お父さんはバリバリのスノーボーダー?
 
T: いや、一緒に始めました。
 
B: そうだとしたらお父さんは教えることができないと思うけど、どういう感じでスノーボードにハマっていったの?
 
T: とにかく滑ることが楽しくて。独学でしたけど、ひたすら滑ってるうちに気づいたらハマってました。最初の頃は年に何回かのペースだったんですけど、だんだん毎週行くようになったんです。スノーヴァ溝の口に通うようになって、タグケンさん(田栗賢二氏。ショップPASTiMEオーナー)がレッスンをやってたのでそれに入ったりしました。そして、小学5年のときにタグケンさんが小布施QUESTに連れて行ってくれて、初めて(佐藤氏に)会ったんです。
 
S: いろんなライダーを見てきましたけど、その時点で健は違ってました。眼力が強いし、コイツは大物になるって直感しましたね。雰囲気とか器用さ、すべてを兼ね備えてる感じで。それで両親とも話をするようになったんですけど、親もすごかったんですよ。健が小3のとき、ひとりで新潟の石打丸山にコモらせたらしくて。ブチ切れてますよね(笑)。ひとりですよ、ひとり。
 
T: 1ヶ月間、そこに置いてくからって言われて。そこで練習しろよ、みたいな感じでした(笑)。まだ始めたばかりの頃だったので、ジャンプとかジブじゃなくてカービングターンばかりやってましたね。そこでスクールに入って教えてもらってました。
 

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やはり“乗れている”ライダーは画になる

 
B: それで佐藤コーチと出会って、それからはずっと一緒にやってきたと。
 
T: 小布施QUESTでジャンプの練習を始めるまではハーフパイプをやってたんですけど、すぐにまたパイプに戻ったんです。北海道の札幌ばんけいで(工藤)洸平くんのお父さんに教えてもらってました。
 
S: お父さんからパイプに集中したいって話は聞きましたけど、そのときは「うわー、もったいねー」って思ってましたね。その頃はまだソチ五輪の前だったし、パイプのほうがメジャーだったからっていうのもあったと思いますけど。
 
T: それで中1からパイプとスロープスタイルを両立するようになって、中2からスロープに集中するようになりました。
 
B: 中1までパイプをやってきたことによって、今の自分に活かされてることってある?
 
T: 最近はスロープのコースにパイプが入ってきたりしているので、そういうコースではほかの日本人ライダーよりもできてるのかなと思います。あとはパイプを滑ることでスノーボード自体が上手くなると思うから、ジャンプよりもパイプで覚えた技術のおかげで上達してると思います。
 

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多忙なスケジュールながらもパイプライディングを楽しむ時間の大切さを知っている

 
B: なるほど。石打丸山で滑り込んでいた時代も含めて、カービングターンという基礎が土台としてしっかり構築されていることが強みなんだね。その上にトリックが積み重なっていくから上達スピードが早い。
 
S: そうですね。あと、言うことをしっかり聞くんですよ。目標を設定したうえで逆算してトレーニングするんですけど、今のレベルだとやることが多すぎて大体の子が途中で逃げちゃうところを、健は最後までやり切るんです。X GAMESで金メダルを獲って帰ってきたときも、基本に立ち返るためにストレートエアの練習を指示したんですよ。ちょっと離れたところから見てたんですが、しっかりやってましたね。若い子は普通やらないです。これまでもお父さんを含めて3人でミーティングを重ねて、世界トップになるためにどうやって滑りを構築していくか作戦を立ててきたんですけど、それをしっかり理解して落とし込んで自分のものにしてきました。今のレベルには見合ってないちっちゃいジャンプ台でもストレートエアの練習ができる。これが健の強さの秘密ですね。
 
B: 具体的に世界トップを目指したいという意識になったのは、スロープに集中するようになった中学2年くらいから?
 
T: そうですね。でも、もともと小学生の頃からX GAMESが好きで、いつかこの舞台に立ちたいっていう気持ちはずっと持ってました。
 

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憧れの大舞台を心の底から楽しんだ結果だったのだろう

 
S: こっちで用意したプログラムがあって、これとこれを揃えれば必ずこれができるようになるっていう方程式があるんですけど、健はそれを全部きっちりこなすんです。目標を達成するためにやるべきことがしっかり見えている。練習時間もめちゃくちゃ長かったんですけど、嫌がらないでちゃんとついてきてくれました。家族ぐるみで取り組んできたこともあったから、いろいろな制約もあってものすごく長く感じましたね。やっとここまで来れたって。X GAMESで優勝したとき、オレ泣いちゃって(笑)
 

大塚健の未来予想図

B: こうしてX GAMESで優勝したわけだけど、実感としてはどんな感じ?
 
T: なかなかチャンスが巡ってこないから、スタート地点に立つまでが長かったと思います。大会に出るまでが大変でしたね。認められないと呼ばれない世界だから。小学生のときはX GAMESとかに出て、単純に世界で戦いたいと思ってたんですけど、練習してどんどん技を覚えていくうちに14歳のときから金メダルが獲りたいって考えるようになりました。そのときはまだレベルが低かったから、2、3年後には表彰台の真ん中に立てるようなイメージをしてきたので、それが実現できてよかったですね。
 

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イメージしてきたことが現実と化した瞬間にこぼれた笑顔

 
B: 14歳で明確な目標を掲げ、15歳のときにUS OPENに初出場、そしてKILROYクルーに加わったのもその年。環境に恵まれていたんだね。
 
T: 本当にそう思います。大会に呼んでもらえることもそうなんですけど、それ以上に海外のライダーたちと撮影できるチャンスは少ないと思うから、そういう面でもかなりプラスになってますね。ジブに関しては、最初は海外ライダーたちのレベルの高さに圧倒されてましたけど、今は当時に比べると自信を持って滑れるようになったし、すごくいい刺激を受けてます。
 

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目の肥えたマンモスローカルからも熱い視線を浴びるライディングスタイル

 
S: 健のお父さんとも話してるんですけど、KILROYの撮影に呼んでもらえることは最高だなって。アスリートである傍らで、スノーボードの大切な部分を吸収できるのは素晴らしいことだし、それを掛け合わせて表現できるのが一番カッコいいですよね。
 
B: BURTONのチームマネージャーが言ってたけど、コンペシーンだけじゃなくて撮影も楽しめるライダーだからこそ、海外ライダーたちからのリスペクトがすごいんだって。スノーボードが大好きだっていうのが彼らにも伝わって、ライディング技術だけじゃなくてスノーボーダーとしての資質の部分でグローバルのチームマネージャーやブランドマネージャーからの評価がすごく高いみたい。褒められっぱなしだね。
 
T: ホントですね(笑)。コミュニケーションがとれるように英語は頑張ってるつもりです。
 
B: 今後のビジョンは?
 
T: 出られるかわからないけど、X GAMESのアスペンとかUS OPENで活躍できるようになれば、必然的にオリンピックでも結果を出せると思います。4年に一度だからオリンピックは特別だし大事だけど、それだけじゃなくて撮影もしっかりやりたいし、まずはX GAMESやUS OPENで勝てるライダーになりたいです。
 
B: ということは、2022年の北京五輪で目指すはダブルで金?
 
T: ダブルで金……いってみたいですね!
 

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大塚 健(おおつか・たける)
生年月日: 2001年4月2日
出身地: 神奈川県厚木市
スポンサー: BURTON、ムラサキスポーツ、RED BULL、ANON、QUEST

interview + text: Daisuke Nogami(Editor in Chief) photos: BURTON

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