BACKSIDE (バックサイド)

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SPECIAL

<対談> 藤森由香×岩垂かれん【前編】「人生を切り開く、それぞれの選択」【CUTE GIRLS Vol.8】

2022.02.17

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“Cute”と聞いてかわいらしさを連想するのは間違いないが、本企画のそれは色に例えるならピンクではなく濃いレッド。“New Cute”という価値観をガールズシーンに提唱する。
 
女性ライダーたちの血が滲むような努力の末に発展したトリックたちは、ハーフパイプでは1080、ビッグエアでは1260が繰り出されるまでに至った。リスクを顧みることなく己の限界と格闘し続けている「CUTE GIRLS」たちのリアルな姿を本連載では紐解いていく。
 
Vol.8では、スノーボードクロス日本代表のチームメイトとして、ともに過ごしていた藤森由香と岩垂かれんによる対談を行った。対談前日まで白馬で滑っていたというふたりが、懐かしい選手時代のエピソードを交えながら、それぞれの “選択” について語り合った。

20代、30代で選択した新たなスノーボード人生

20代、30代で選択した新たなスノーボード人生

──スノーボードクロス (以下クロス) 競技の日本代表として活動していたという共通点のある2人ですが、当時のエピソードなどを聞かせてください。
 
岩垂かれん: クロスのナショナルチームでは、2年ほど由香さんと一緒に活動していました。フィンランド遠征のときに、由香さんと同じ日に転倒して、同じ病院に運ばれたことはすごく覚えています! 病院で目が覚めて、お互いに「あれ、なんでいるの?」みたいな感じで(笑)
 
藤森由香: あったね! 当時はみんなが引退してしまって、私だけ残っていたナショナルチームにかれんが入ってきたんだよね。ナショナルチームって共同生活が長くて大変なことも多いけど、かれんみたいなおもしろい選手が一緒だとすごく楽しかった。洗い物をしないでコーチに怒られて、かれんが泣いていたエピソードも懐かしい(笑)
 
岩垂: おもしろいエピソードがありすぎますね! 由香さんは、遠征のときにフリースタイルとクロス用の両方のボードを持ってきていましたよね。クロスのボードって特殊だから、私の場合はフリースタイルのボードに履き替えると、ライディングの感覚をちょっと忘れてしまうこともあったので、すごいなと思っていました。
 
藤森: 私の場合は、めちゃくちゃ重いクロスのボードからフリースタイルのボードに履き替えると、すごく軽くて、「こんなに自由がきくんだな」ってラクに感じることが多かったかな。
 

YukaFujimori

 
岩垂: クロスの合宿が終わってみんなは帰るのに、由香さんだけフリースタイルのボードに履き替えて、ひとりで練習しに行く姿にいつも驚いていました。疲れているし、暗くなってきてテンションも上がらないようなゲレンデでボードを履き替えて練習するなんて、「この人はやっぱり違うな〜」って感じていました。
 
藤森: 私は “長くスノーボードがしたい” とずっと考えていて、クロスは選手じゃないとスノーボードの幅が狭まってしまうと感じていたから、昔から大好きだったフリースタイルをやりたいっていう思いはずっとあって……。
 
──クロス競技から藤森さんはフリースタイル競技への転向、岩垂さんは競技からの引退を選択しました。そのときの思いを教えてください。
 
岩垂: スロープスタイルがオリンピックの種目に追加されて、由香さんが競技を転向したことは、両方を練習をしている由香さんの姿を見てきた私にとっては、すごく自然なことでした。
 
藤森: 決心がついたのは、ソチ(五輪)の後。ソチでトラ(ブライト)が3種目 (ハーフパイプ、スロープスタイル、スノーボードクロス) に出場したことにすごく刺激を受けて、私もクロスとスロープスタイルの両方でオリンピックを目指したいという考えもあったんだけど、日本では例がなく難しかったことと、自分のなかでも現実はそんなに甘くないことがわかっていた。トラの場合は、ハーフパイプというスノーボードの技術の頂点のような種目で、オリンピックの金メダリスト。絶対的な技術の高さに加え、クロスやスロープスタイルのジャンプも怖くないレベルでできるというベースがあり、競技をクロスオーバーしているロールモデル。そんな彼女を見ながら、私も自分のやりたいことに挑戦したいと思って、ソチが終わってからは、個人的にスロープスタイルの大会に出たり、練習を重ねて、2015年に行われたクロスの世界選手権を最後に競技を転向することに。
 
岩垂: 私はまだクロスの選手としてやっていたので、お母さんと一緒に由香さんの新しい門出をお祝いしましたよね(笑)
 

Karen_Yuka_TalkSession

 
藤森: そうそう! かれんのお母さんとかれんにお祝いしてもらった(笑)。 私が転向した後にかれんも引退を決めたよね?
 
岩垂: そうですね。2016年で22歳のときでした。私の場合は、世界に出たら自分が通用しないってすぐにわかっちゃって……。平昌(五輪)を目指そうと思っていたけど、ワールドカップを1シーズン回っている途中から、闘争心がプツっと途切れてしまい、楽しいというよりも恐怖心のほうが勝っていたような状態だったんです。私は東京に住んでいて、22歳という年齢は就職が決まっていたり、将来に向けて動き出す子たちが多くて、「自分だけ何をやっているのだろう…… 」という気持ちが込み上げてきました。2015年に全日本選手権で優勝し、2016年に全米選手権で優勝をした後に、引退を決めました。
 
藤森: 年齢的にも “まだやれたかも” という気持ちとかはなかった?
 
岩垂: 引退した後は、やったことがないことをやってみようと思い、就職して働くという経験もしました。働きながらファンなスノーボードを楽しんでいましたが、「 まだできたかも……」というモヤモヤした部分は正直ありました。でも、自分のメンタルがそこを超えられなかったんです。そんななか、メディアへ出演するような機会を頂き、『伝える』という仕事でスノーボードを広めたいという感情が芽生えてきたし、自分にも合っていると思うようになりました。


競技者から、それぞれの道へ

競技者から、それぞれの道へ

──ソチ、平昌五輪を経て、日本のスノーボードシーンもふたりのフィールドもさらに大きく変化していきました。

藤森: 私が10代の頃は、オリンピックでもスノーボードが全然注目されていなかったから、スノーボーダーがアスリートとしてメディアに出演するっていう感覚がしっくりこなくて、慣れるまでに時間がかかった。時代が変わって、ソチ(五輪)のハーフパイプで男子がメダルを獲得してからは、オリンピックではない部分でもスノーボーダーとしてメディアで取り上げられる機会が増えた印象はあるかな。
 
岩垂: 私もメディアに出演して話すという機会が増えてきました。『話す』仕事に関して専門的なことがわからない部分もあったので、自費でアナウンサースクールに通っていたんです。そのあと偶然、平昌 (五輪) の解説が決まりました。オリンピックの解説の仕事をした後に「セントフォース」というアナウンサーが多く所属している事務所ともご縁があり、さらに仕事の幅が広がったので、(アナウンサースクールに)通っておいてよかったと思いました。由香さんはオリンピックに4大会も出場して、その後もメディアに出演しながら、現役のアスリートとして作品や映像を残すという世界でも第一線で活躍していて、本当にすごいですよね。
 

KarenIwadare

 
藤森: オリンピックとか大会という目標設定があったときは、そこに向かっていけばよかったけど、バックカントリーを滑って映像作品を作ることって自分で計画を立てて目標を設定しないと、どこに向かって歩いていけばいいのか、その道さえも見えてこなくて……。そういう点でちょっと四苦八苦している部分はあるんだけど、「NATURAL SELECTION」に選出してもらって、映像を撮るようなチャンスをもらえたり、撮影をして作品を残すという活動が広がったことはすごくありがたいって思っている。
 
岩垂: バックカントリーの世界や映像作品ももっとメディアに取り上げられるようになればいいなっていつも思っています。10〜20代でずっと競技をやっていて、引退した後はそのままスノーボードから退くという選手たちもいるので、引退後もたくさん楽しみ方があるっていうことを、由香さんの活動を通して、発信していってほしいです。

 
<後編へ続く>
後編では、変化していくそれぞれのスノーボードライフのなかで見つけた、新しいスノーボードの楽しみや人生観について語り合った。
 
藤森由香(ふじもり・ゆか)
出身地: 長野県
生年月日: 1986年6月11日
スポンサー: BURTON、ほか
 
岩垂かれん ( いわだれ・かれん)
出身地: 東京都
生年月日: 1993年12月24日
スポンサー: ROXY、ほか

text: Rie Watanabe
photos: Nobuhiro Fukami

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