COLUMN
元祖キッズライダーのショーン・ホワイトが幼少期に苛まれた孤独を打ち明ける
2021.04.23
今でこそオリンピック種目のひとつとして認知され、幼少期から雪上でスノーボードに跨る子供が数多く存在するが、キッズスノーボーダーとして世界で最初に頭角を現したのは言わずと知れたショーン・ホワイトだ。トリノ、バンクーバー、ソチ、平昌と4大会連続してオリンピック出場を果たし、うち3度も金メダリストに輝いている。さらに、X GAMESではスケートボードを含めて23個もメダルを獲得するなど、スノーボードという枠組みを越えてアクションスポーツ界でもっとも成功したアスリートと言っても過言ではない存在だ。
1986年生まれ、現在34歳のショーンが11歳のときに長野五輪でハーフパイプが正式種目として採用された。13歳でプロスノーボーダーとして歩み始めたショーンにとって、オリンピック種目化は追い風となったのだろう。競技での活躍はもちろん、有名映像プロダクションのムービーに出演するなど、瞬く間に世界中にその名を轟かせたのだ。
本記事で紹介する動画は、アメリカの無料ストリーミングサービスであるFICTOで配信している「NOT A SPORTS SHOW」という番組にショーンが出演した回のプレビューなのだが、その内容がとても興味深い。当時、BURTONのキッズラインだったBACKHILLを着用していたショーン。マルハナバチがロゴとして使用されていたこともあり「誰もオレのことを真剣に見てくれていなかった」と周囲のプロスノーボーダーたちから冷ややかな視線で見られていたことを明かしている。さらに、ショーンがコンテストで勝てば勝つほど、その勝因はキッズポイントが与えられているからだと揶揄されていたことも。
また、次のように当時の孤独感を打ち明けている。
「最初の頃は大変だったよ。というのも、当時は同じ年代の子供たちと大会で争っていたんだけど、大会後に遊ぶこともなかったんだ。みんな落胆しているし、オレは涙を流していたよ。勝てば勝つほど、“アイツがいるよ。打ち負かそうぜ”って突然疎まれるようになってさ」
そんなショーンは19歳で初出場し金メダルを獲得したトリノ五輪から数えて5回目となる北京五輪出場を目指し今シーズン、スノーボードのコンテストに復帰。弊サイトでも速報でお届けした(記事はこちら)とおりだが、結果は4位と表彰台は逃したものの、ワールドカップとの併催だったアメリカ代表の選考レースであるUS GRAND PRIXでアメリカ勢のトップを飾った。これにより、北京五輪のアメリカ代表入りに向けて好スタートを切ったわけだ。
幼少期、才能があるがゆえに孤独に苛まれ悩んできた男は、それを糧にしてこれほどまでに強くなったのかもしれない。天才と称された男のバックボーンを知ったことで、彼が35歳で挑む北京五輪がさらに楽しみになってきた。平野歩夢や戸塚優斗との対決も見ものだ。