BACKSIDE (バックサイド)

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COLUMN

時代を超えても変わらない普遍的な価値観

2018.05.24

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スノーボードを始めたばかりの頃、知人から借りた一本のビデオに衝撃を受けた。当コラムでも再三紹介しているが、現シーンの礎を築き上げたと言っても過言ではない名作『ROADKILL』。そこに詰まっていたもの。それは、カッコよさはもちろん、自由な雰囲気、セッションの楽しさ、トリップの臨場感、ニュースクールスタイルなど、あまりにも斬新な映像に心を躍らせ、そして奪われた。
 
あれから20年以上の月日が流れたが、以来、いちスノーボーダーとして、いちライダーとして、いち編集者として、観る目線は変われど、スノーボードビデオを観続けてきた。ビデオテープからDVD、そしてブルーレイへと姿を変えたことでフッテージの迫力が増し、さらに映像のフルハイビジョン化や4Kへと進化したことにより、その迫真のパフォーマンスはリアルに近づいた。もちろん、進化したのは映像だけではない。記録媒体のそれよりも、ライディングは大幅な成長を遂げたのだ。
 
そして現在。そのライディングは、僕らの想像をはるかに超えるレベルに達した。ギアやアイテムの進化もさることながら、常に新しいことを追い求める、いわばプロスノーボーダーの宿命とでも言うやつだろうか。同じロケーションを嫌い、オリジナルのスタイルにこだわり、似通ったトリックやラインでは満足しない。貪欲に楽しみ、カッコよさを追求し続けた結果、現在の領域にまで辿り着いた。
 
さらに“雪山”というエリアや期間が限定されたフィールドでの遊びだけに、その道で生計を立てているプロスノーボーダーと一般スノーボーダーとでは、滑走日数の差が大きすぎる。もちろん、生まれもったセンスやそこに至るまでの努力など、モノサシでは計り知れない部分も多い。しかしこのままでは、その格差は広がる一方ではないか。語弊を恐れずに言えば、“魅せる側”と“観る側”、それぞれの価値観に乖離があるのだ。
 
さらに言えば、ライダーたちが撮影場所のメインとして考えているのはバックカントリー。しかし、一般スノーボーダーが滑るフィールドは、グルーミングされた人工的なコース。野球やサッカーであれば、同じ長さや広さのスタジアムで、同じルールに則ってプレーできる。だからこそ、プロのすごさを実感できるわけだ。スノーボードでもすごさはわかるし伝わってくるのだが、今ひとつ現実味に欠けてしまう。なぜかと言えば、そのロケーションすら想像がつかないのだから。
 
そんな時代だからこそ、各映像プロダクションは試行錯誤を繰り返し、様々な表現方法を模索している。プロである以上、ライディングをプッシュし、スノーボードをクールに進化させるということは大前提だろう。その方向性がトリックの追求なのか、ライディングスタイルの新提案なのか、双方にベクトルが向いているように感じる。前者は、スノーボードの可能性を示唆することやキッズに夢を与えるなど、アスリートとして取り組んでいる側面。後者は、バックカントリーという手つかずの大自然で、いかにオリジナルに表現できるかという、アーティスティックな一面。こういった芸術家(ライダー)たちの表現法(スタイル)を、いかにオーディエンスに届けるか──ここにスノーボードの未来がかかっている。このように言ったら言い過ぎだろうか。
 
ライディングは急成長を遂げた。フィールドも限りなく広がった。スポーツである以上、“技術的”なことは伝えていかなければならない。他スポーツとは一線を画する遊びでもあるからこそ、“芸術性”はさらに強く発信しなければならない。どちらにせよ、ライダーたちがなぜ滑り続け、そして表現し続けているのかを、今一度考えてほしい。根本にあるものは、冒頭で述べたROADKILLの頃から何も変わっていない。それは、ライディングを“楽しむ”こと。そして、その滑りが“カッコいい”こと。
 
それがスノーボードなのだから。

rider: Travis Rice photo: Cole Barash/Red Bull Content Pool

 
※弊誌編集長・野上大介がRedBull.comで執筆したコラム「SNOWBOARDING IS MY LIFE Vol.41」(2015年10月9日公開)を加筆修正した内容です

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