COLUMN
上田ユキエの全米選手権ルポ Vol.1「私の挑戦」
2018.04.25
アメリカ・カリフォルニア州マンモスマウンテンに居を構え、息子とともにライディングに明け暮れている上田ユキエ。1998年の長野五輪ではハーフパイプ日本代表の座を射止めるべくW杯を転戦するなど、コンペティターとしての20代を過ごしてきた。しかし、以降は映像制作やフリーライディングを追究するためにコンテストからは遠ざかったスノーライフを送ることに。そして、長野五輪から20年が経過した2018年。ユキエは再び大会に挑むことになった。40代半ばを迎えて出場した全米選手権。そこで彼女が感じたこととは。
好きこそものの上手なれ
今季、私はコロラド州カッパーマウンテンで行われたUSASA(United States of America Snowboard and Freeski Association)が主催する全米選手権に出場。レジェンド・ウーマンクラスでふたつの金メダルを手にした。もちろん、やったから得ることができたのだ。もし挑戦していなかったら、当然得ることができなかった。
“やったもん勝ち”という表現はなんだかズルいことのようにも聞こえるけど、結局のところやったもん勝ちだと私は昔から思っている。挑戦したいこと、興味のあること、やりたいと思ったことは何でもやってみたらいい。
25年のスノーボード人生のなかで、センスのある人、天才的な人、私よりもスノーボードが上手い人をたくさん見てきた。そして負けてきた。敵わなかった。でも、今も私はここにいる。それは、ずっと続けているから。“好きこそものの上手なれ”の精神で、今も成長させてもらっているんだと思う。
18年ぶりに出場したハーフパイプの大会は、私が出ていた頃より倍くらいの壁の高さがあるスーパーパイプになっていた。どうやって壁を上ったらいいの? どうしたら飛べるんだろう……。
さらに初めて出場したスノーボードクロスは、コースすら滑った経験がなかった。どうやったら速く滑れるのか? どうやって戦えばいいんだろう……。
45歳の私は“大会出場”という目的に向かって、また新たにスノーボードと向き合いながら練習して、できなかったことができるようになっていった。
失ったものばかりじゃない
20代の頃だったらできていた技がある。あの頃の度胸やスピード、体力も今とは違う。だけど失ったものばかりじゃない。滑り続けてきた自分に自信を持っているからだ。ひと昔前は考えられなかったことを考えられるようになっている。体力の衰えを差し引いても、精神面の成長でプラスマイナスゼロだ。
では、挑戦することで失うものはあるだろうか。練習する時間を作り、体力をつける努力をして、エントリー費や遠征費を払う。もしそれで負けたとしても、何も失っていないじゃないか。むしろ何かを得ていると思う。自分に価値ある物事は、挑戦して失うものなんかじゃない。
20歳で始めたスノーボード。挑戦すれば必ず自分の糧になると思いながら、私は突き進んできた。
誰もやってないことだからできないわけではない。むしろ、誰もやってないならチャンスだと、そう思ってきた。
私は45歳を迎えた。何か自分のなかで大きな一歩を踏み出すことができたような気がしている。そして、次のステージに向かう“覚悟”みたいなものを感じていた。「ガツガツせずにゆっくり行くか」と思う反面、これからの自分にどんなことができるんだろうと企むような気持ちにもなった。もう自分は終わったと悲観的になるのではなく、だったらその舞台で何かやってやろうじゃないかと、むしろ吹っ切れたような気持ちになってワクワクしたのだ。
そんなとき、私を大会の場に引っ張り出してくれたのは、同年代のジョネルだった。昨年、バンクドスラロームの大会で競った彼女は今シーズン、金メダルを首にかけながら「私はユキエと戦いたいのよ」と挑んできた。
90年代、スノーボードの聖地だったオレゴン州マウントフッドで毎年のように滑っていた彼女は現在、マンモスの小学校で先生をしながらスノーボードを続けている。そんな彼女が週末になると大会に出場してパワフルに滑る姿が、私に火をつけた。バンクドでは「ノーブレーキで行くわよ!」とけしかけてきたかと思えば、ハーフパイプではオールドスクールな技をがっつり決めてくる。こんな面白いライバルがいてくれたおかげで、私は戦うことが楽しく思えた。
彼女のおかげで、最高の緊張感が味わえる大会が大好きだったことを思い出した。そしてこれからも戦い続けたいと思う。
つづく
text: Yukie Ueda