COLUMN
ジェイミー・リンがスノーボードに与えたアートの息吹
2016.10.14
HISTORY OF SNOWBOARDING Vol.9 〜スノーボードをより深く知るための10の物語〜
前回のコラムで紹介させていただいた『ROADKILL』は、第二次ベビーブーム世代のボリュームゾーンに受け入れられた作品なので反響もよかったが、個人的にはこの作品以上にバイブルと化していたビデオがある。
当コラムですでに紹介している(記事はこちら)のだが、これを語らずして話を展開できないのでご勘弁を。同じくFALL LINE FILMSが手掛けた1994年作『R.P.M.』だ。
この作品と出会い、同世代のひとりの男に魅せられた。テリエ・ハーカンセンを“スノーボードの神”と称するスノーボーダーもいるかと思うが、彼を形容するのであれば“ミスター・スタイル”。フリーライディングの聖地であるワシントン州マウントベイカー仕込みのライディングスタイルを引っさげて、彗星のごとく現れた。それが、ジェイミー・リンだった。
前作『ROADKILL』ではラスト2パートに渡り、バックカントリーでのフッテージを披露。この時点では脇役に徹していたわけだが、『R.P.M.』にてデイブ・シオーネ監督の目に適い、主役に抜擢されることに。こうして3パートにも出演し、バックカントリーからパーク、ナチュラルヒットといったあらゆるロケーションで前作以上に個性あふれるライディングを世界中に発信した。スノーボードが産業として拡大の一途を辿っていた時期も相まって、加速度的に大きな注目を集めることになり、一気にスターダムへとのし上がったのだ。
ここまでのスノーボードはスケートボードとの融合により、飛んだり、回したり、擦ったりという新しい滑り方が斬新で世間から受け入れられていた感もあったが、ジェイミーのライディングスタイルは当時のトップライダーたちの中でも群を抜く美しさを誇り、この作品を契機にアート(=スタイル)という付加価値が加えられた。『R.P.M.』内で超絶スローに回すフロントサイド360のインディグラブで、一度つかみ直してからノーズボーン(現在ではポークが一般的)をするフッテージ(23:59~)には、誰もがビデオテープを幾度となく巻き戻したに違いない。
80年代のクレイグ・ケリーは大会であらゆるタイトルを総ナメにしたことで名を馳せ、90年代初頭になると、現在のプロスノーボーダーたちの活動のベースであるバックカントリーへと足を踏み入れていった。テリエはクレイグからバトンを託されたかのように、1993年のISF(国際スノーボード連盟)主催の世界選手権での優勝を皮切りに、ハーフパイプのコンテストで常勝ライダーと化す。
このように大会で勝つことで名声を得るという、当時のスノーボードも含めたスポーツ界の常識を覆し、ジェイミーは映像というツールで自らの存在を世界中に知らしめたわけだ。いわゆる元祖ムービースター。彼の存在があったからこそ、現在のスノーボード競技においても、トリプルコーク以上に価値のあるダニー・デイビスによるスイッチメソッドが繰り出されるわけだ。だからこそ面白い反面、競技としては素人にとってわかりづらい側面を持つ。でもこの要素が、スノーボードをクールに育んできた芸術的価値なのだ。
さらにジェイミーはスノーボーダーとしてだけでなく、ペインターとしての才能を発揮するアーティストでもある。自ら搭乗するボードに描かれたシグネチャーボードがリリースされると、筆者もそうだったのだが即買い。アートボードに跨がって、彼のようにスタイル溢れる滑りを目指してライディングに明け暮れていた。ジェイミーはライディングだけにとどまらず、プロダクトにもアートという息吹を与えたのだった。
JAMIE LYNN TIMELAPSE: PAINTING THE ASYMBOL MURAL
つづく
※弊誌編集長・野上大介がRedBull.comで執筆しているコラム「SNOWBOARDING IS MY LIFE Vol.10」(2014年12月16日公開)を加筆修正した内容です