BACKSIDE (バックサイド)

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COLUMN

フリースタイル・スノーボーディングが生まれた日

2016.10.06

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HISTORY OF SNOWBOARDING Vol.4 〜スノーボードをより深く知るための10の物語〜

SIMS SNOWBOARDSが世界初となるハーフパイプ種目を大会に導入したという話は前回のコラムでお伝えしたとおりだが、スケーターでもあったトム・シムス氏のイマジネーションにより舞台が整えられ、彼が抱えていた所属ライダーたちの手(足?)によりライディングスタイルが具現化されていく。SIMSのボードに跨がった自由を追い求めるスノーボーダーたちがフリースタイル・スノーボーディングを生み出した、そういっても過言ではないだろう。
 
スノーボードを形作ったライダーは?と問われれば、真っ先にクレイグ・ケリーの名が頭に浮かぶ往年のスノーボーダーたちも多いと思うが、フリースタイル・スノーボーディングのゴッドファーザーといえばテリー・キッドウェルだ。レース競技の総称でもあるアルペン・スノーボーディングが主流だったシーンに風穴を開けたのは、まさしくスケートボードの存在。14歳のときに米カリフォルニア州・タホに移り住んだことを契機にスケートボードに夢中となったテリーだが、特にバートランプにのめり込んだ。バーチカルでのライディングスタイルに魅了され、1970年代後半に差しかかった頃、スノーボードと出会うことに。この時代のスノーリゾートはスノーボードの滑走が禁止されていたため、バックカントリーでのパウダーライディングに明け暮れていた。
 
そして1979年、タホのローカルであるボブ・クラインをはじめとする仲間たちとともにテリーは、天然地形のクォーターパイプを発見。そのR地形を利用して、これまで培ってきたスケートボードでのバーチカルスキルを雪上でトライする毎日を過ごした。エアやスピン、ハンドプラントといった数々のトリックをオンスノーに置き換える日々。スノーボードにおいてバーチカルを滑走するという発想は、まさにこの地で誕生したことになる。このロケーションを彼らは、“タホ・シティ・パイプ”と名づけた。
 

 
その後、シムス氏がタホ・シティ・パイプを訪れた際、テリーは巨大なバックサイドエアを放った。それを見たシムス氏は未来のスノーボードを直感したようで、先に述べたとおり世界選手権にハーフパイプ種目を導入する運びとなったわけだ。
 
後に開催されたハーフパイプの大会において、テリーの右に出る者はいなかったそうだ。メソッド、スロッブエア、アーリーウープ、リーンエアなど、現在でも見ることができるベーシックトリックの原型は、まさにこの時代に築かれたもの。
 
さらに、1985年には世界初となるシグネチャーボードをSIMSよりリリース。このボードは、それまでのスワローテールのように、ノーズ方向へしか進まないことが前提となっていたスノーボード(スノーサーフ)の概念を覆す代物だった。ラウンドテールを採用したことでフェイキー(スイッチ)ライディングを可能にしたのだ。
 
こうして、現在の主流であるフリースタイル・スノーボーディングは、彼らの飽くなき探究心から産声をあげた。そして、かのクレイグ・ケリーもまた、もともとはSIMSのライダーだったのである。
 
つづく
 
※弊誌編集長・野上大介がRedBull.comで執筆しているコラム「SNOWBOARDING IS MY LIFE Vol.5」(2014年11月11日公開)を加筆修正した内容です

photo: Bud Fawcett

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