BACKSIDE (バックサイド)

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OAKLEY

本場のニオイそのままに視界をジャパナイズした唯一無二のアイウエアブランド

アメリカ西海岸のスケートボーダーたちが雪上を駆け巡り、フリースタイルスノーボーディングが市民権を得ようとしていた1993年。米カリフォルニア州カポビーチにて、アクションスポーツに特化したアイウエアブランドとしてDRAGON(ドラゴン)が誕生した。正統派なイメージを持つアイウエアブランドが多かった時代に、いわゆる横乗りテイスト全開で鮮烈なデビューを飾ることに。

当時、オリジナリティあふれるライディングの“スタイル”を武器にシーンに多大なる影響を与えたジェイミー・リンに始まり、現在は、その彼がフリースタイルスノーボーディングに吹き込んだ“表現力”という息吹を最大限に発揮するダニー・デイビスへとバトンは受け継がれ、今なお、本国・アメリカが生み出したDRAGONの世界観を体現している。そうした個性的であり挑戦的なライダーたちを、長きに渡りサポートし続けているブランドだ。

その裏側で、日本でその価値を広めるためにはクリアしなければならない障壁があることにいち早く気づき、行動に移してきたのが日本のディストリビューターだ。まずは、欧米人と顔の骨格が異なるという課題と向き合い本国に交渉を重ね、1998年にジャパンフィットを実現。アジアンフィットとも呼ばれるように、アジア人に向けたアイウエアブランドとしての先駆けとなった。

さらに、欧米人と日本人は紅彩と呼ばれる瞳の色が異なることに着目。紅彩の色により入ってくる光量が変わるのだが、瞳が黒い日本人よりも明るい瞳の欧米人のほうが多く光量が入るため、同じ条件下でも日本人よりまぶしく感じる。本国では色の濃いレンズが好まれるため、ブランド創設当初はアンバー(オレンジ系)とローズ(ピンク系)が存在していたのだがアンバーばかりが求められ、日本人が好んでいたローズは数年で姿を消してしまうことに。

この問題に真っ向から立ち向かい、本国を口説き続けた。視界の話なのだから、そう見えない欧米人に対して理解を促すことが困難であることは、想像に難くない。長きに渡る交渉の末、2009年、ついに2色のジャパンレンズが誕生。その後も話し合いを続け、2012年には5色のジャパンレンズが開発された。北海道や東北、群馬、新潟、長野、岐阜といった日本屈指の豪雪地帯で、全国各地に点在しているジャパンライダーによるテストが行われ、彼らからのフィードバックを収集。膨大なサンプルの中から選び抜かれたジャパンレンズは国内での信頼を勝ち得た。

そして、時代はハイコントラストレンズの開発競争へ突入。レンズに入ってくる特定の色光線を調整することで雪面の凹凸をより際立たせるレンズテクノロジーだ。DRAGONも多分にもれずグローバル開発チームが着手し、LUMALENSが誕生した。

しかし、話はここで終わらない。ここまで日本のマーケットにおいて独自路線を進めていたジャパンレンズのノウハウを融合させたことで、一歩抜きん出たハイコントラストレンズが生み出されたのだ。このJAPAN LUMALENSが、日本人の視界に革命をもたらすことになる。

日本人と異なる骨格や視界を持つアメリカ人が運営するグローバルブランドに対して、異なるフレームやレンズを開発させることは、ディストリビューターの並々ならぬ努力と本国の理解なしには不可能だったに違いない。こうして、スノーボードの本場であるアメリカ西海岸のニオイはそのままに、日本人の視界をサポートする唯一無二のブランドが2023年、30周年を迎えた。

text: Daisuke Nogami(Chief Editor)

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