FEATURE
氷河じゃないのに“芸術的パーク”は、なぜ成立したのか。「SWATCH NINES」を支えたニセコの総合力
2026.07.02
しかし、あの異空間は、豊富な積雪だけで成立していたわけではない。
世界トップライダーたちが創造性を解放できた背景には、ニセコ東急 グラン・ヒラフによる膨大な準備と、現場レベルで積み重ねられていた柔軟な対応があった。
朝4時台から動き出すACE GONDOLA。ライダーやクルーたちの前線基地となった「ACE HILL」。コミュニケーション拠点として機能した「NEST813」と「ALPEN NODE」。天候急変への対応。雪を守り続けた圧雪チーム。そして、世界基準の造成哲学を持ち込んだHelveParkとの共同作業。
SWATCH NINESが求めていたのは、単なる積雪量ではない。世界最高峰ライダーたちがプレッシャーから解放され、創造性を発揮できる環境そのものだった。
その舞台を支えたのが、ニセコ東急 グラン・ヒラフが長年積み重ねてきた施設投資と、それを支える現場の総合力である。
春のニセコで、どのようにフリースタイル革命が成立したのか。その舞台裏を追った。
なぜ、ニセコ東急 グラン・ヒラフだったのか
世界最高峰ライダーたちが自由にセッションを楽しむ。その裏側では、誰かがあらゆる不確定要素を引き受けている。
SWATCH NINESも例外ではなかった。

ライダーたちに自由を提供する芸術的パークの全貌
photo: SWATCH NINES
巨大なパークを造成できる積雪量。長期間にわたり維持できる雪管理。海外クルーを受け入れるオペレーション能力。そして、ライダーたちがストレスなく創造性を解放できる空間。そのすべてが高水準で機能する必要がある。
ニセコ東急 グラン・ヒラフは、その条件を満たしていた。
「この地に降る大量の降雪だけではなく、近年行ってきた投資のすべてが、結果としてNINESの誘致という一大モメンタムにつながっていたのです」

ミスターNINESこと荻原大翔は、アジア初開催となるニセコの地で宙を舞った
photo: Jonas Gasser
そう東急不動産リゾート事業部の宮田佳祐氏が振り返るように、今回の開催は単なる積雪量の多さだけで実現したものではない。
ACE GONDOLAを中心とした輸送インフラ。ライダーやクルーたちの前線基地として機能したACE HILL。ナイトイベントや交流拠点となったNEST813とALPEN NODE。近年積み重ねてきた施設投資やホスピタリティの強化が、世界最高峰イベントを受け止める土台になっていた。

目の前に雄大な羊蹄山を望む絶景テラス「NEST813」。380席の広々とした空間で、極上のブレイクタイムとプレミアムな食の体験ができる
photo: Niseko Tokyu Grand Hirafu

オールシーズン型の体験型ベース施設「ALPEN NODE」。過去と未来、山と街、ゲスト同士、そして季節をシームレスにつなぐ賑わいの拠点
photo: Niseko Tokyu Grand Hirafu
実際、ACE HILLは単なる飲食施設ではなかった。サンライズセッション後に身体を休める場所であり、悪天候時にはコーヒーを片手に天候回復を待つ避難所でもあった。メディアにとってはライブ感ある取材拠点となり、造成チームにとっては資材置き場としても機能していた。

強風吹き荒れる中、ACE HILLに駆け込むライダーたち
photo: Isami Kiyooka
また、NEST813とALPEN NODEも単なるイベント会場ではない。世界中から集まったライダーやクリエイターたちが交流し、夜には「GRAND HIRAFU NIGHT」や「GALA NIGHT」の舞台へと姿を変える。滑るだけでは終わらない、NINESの世界観を支える重要なピースだった。

GRAND HIRAFU NIGHTの会場になったNEST813は、その名のとおり標高813mに位置する。ライダーや関係者たちのテンションは最高潮に
photos: Isami Kiyooka

DJブース・サイネージを使った音楽やエンタメイベントも開催するALPEN NODEは、SWATCH NINESを締めくくるGALA NIGHTには格好の舞台だった
photo: Jonas Gasser
期間中は悪天候の日も多かった。しかし、「ACE GONDOLAがあったことで臨機応変な対応が実現できた」と、グラン・ヒラフの現場を指揮する長畑秋雄氏が語るように、柔軟なオペレーションがイベント全体を支えた。
象徴的だったのがセッション最終日の5日目、4月10日にNEST813で開催されたGRAND HIRAFU NIGHTだ。
「前日には強風の予報も出ていたので、参加者を会場まで移動させられるか不安もありました。しかし、現場管理者と密に連携し、安全対策と細心の注意を払いながら運行しました」

シートヒーターやWi-Fiなどの最新技術を搭載したスケルトン仕様のキャビンは、最大10人が乗車可能
photo: Ethan Stone
このように宮田氏が振り返るように、そこには、“イベントを成立させる”という現場の覚悟があった。
いっぽうで、NINES側もまた、大きな挑戦として日本開催を見つめていた。
「イベントの4、5日前に現地入りしたとき、セットアップは3D設計どおり、100%理想どおりだった」
そう語るのは、NINESを率いるニコ・ザチェクだ。
ヨーロッパを離れ、日本の春雪という未知の条件でイベントを開催する。その判断は、NINES側にとっても賭けだった。
だが、彼らはニセコ東急 グラン・ヒラフという“受け皿”を信じた。
雪を作品へ変える──グラン・ヒラフとHelveParkの共同作業
もっとも過酷だったのは、雪との戦いだった。
世界最高峰ライダーたちが自由に創造性を発揮するためには、舞台そのものが理想の状態で保たれていなければならない。必要な雪量は約9万㎥にも及んだ。グラン・ヒラフは通常営業と並行しながら雪を確保するため、シーズン中から「Snow Farming Area」を設置。雪面へ溝を掘り、効率的に雪を貯め続けていた。

1月に設置された「Snow Farming Area」。3月2日からセンターコースを閉鎖し、雪集めを実施した
photo: Niseko Tokyu Grand Hirafu
「ニセコで雪が足りなかったという実績だけは残してはいけなかった」
長畑氏のその言葉どおり、現場は“絶対に成立させる”という強い覚悟で動いていた。
しかし、雪を確保するだけでは足りない。NINESの象徴ともいえる芸術的なセットアップを実現するためには、世界基準の造成哲学が必要だった。その役割を担ったのが、スイスを拠点とするHelveParkである。
これまでSWATCH NINESの舞台は、氷河帯を含む欧州の高標高エリアが中心だった。いっぽうで、春のニセコは雨や高温、強風と隣り合わせの環境である。だからこそ、多くの関係者が「本当に成立するのか」と注目していた。
プロジェクトマネージャーのナタナエル・シュランツは、日本開催に大きな可能性を感じていた。
「日本の雪はパーク造成に向いていると思う。ただ、今年の暖かい春の気温は本当に難しかった」

アイテムを造るうえで日本の雪質は適しているが、その維持管理はスイスの氷河帯よりもはるかに困難だったようだ
photo: SWATCH NINES
欧州の雪よりも空気を含み、軽い日本の雪。そこへ記録的な高温や雨が重なったことで、造成難易度は想定以上に高まった。
「あるセクションでは、短期間のうちに最大2m近く雪が失われた」
それでも彼らはコンセプトを変えなかった。
「大きな変更はしなかった。代わりに、毎日シェイプの方法を適応させ続けた」

夜通し作業を続けたHelvePark。彼らなくして、SWATCH NINESは語れない
photo: Jonas Gasser
理想を捨てるのではなく、現実に適応し続ける。それがHelveParkの哲学だった。
実際、ニコもこう振り返る。
「現地入りした直後、2日間ずっと雨が降った。一気にパークは崩れたよ。こうしたことはヨーロッパでは経験したことがなかった」
それでも、セットアップは立て直された。
「シェイプクルーは素晴らしい仕事をしてくれたよ。本当にセットアップを救ってくれたと思う」

やり切ったと言わんばかりのHelveParkクルーの笑顔がまぶしすぎる
photo: Remi Fukamachi
その背景にあったのが、グラン・ヒラフとHelveParkによる密な連携だった。
「最初からグラン・ヒラフチームとのコラボレーションは素晴らしかった。どんな場面でもサポートしてくれたよ。良好なコミュニケーション、適切な質問、そして緊密な連携のおかげで、多くの問題が驚くほど迅速に解決されたのさ」

夜を徹してアイテムの土台を造成したグラン・ヒラフのオペレーターたち
photo: Niseko Tokyu Grand Hirafu
ナタナエルは今回のチャレンジを、改めて説明してくれた。
世界基準の造成哲学と、日本の現場対応力。どちらかいっぽうだけでは成立しなかった。

HelveParkとグラン・ヒラフの努力の賜物が、平野海祝の特大マックツイストを生み出した
photo: Jonas Gasser
世界最高峰ライダーたちが自由に飛び回ったあのセットアップは、異なる文化や価値観を持つチーム同士が互いを尊重しながら造り上げた共同作品だったのである。
世界最高峰イベントを支えた、ニセコの現場力
SWATCH NINESの舞台裏には、無数の“見えない仕事”が存在していた。

夜明けとともに造成作業は始まっていた
photo: Niseko Tokyu Grand Hirafu
日本語、英語、ドイツ語が飛び交う現場では、翻訳ツールを駆使しながら細かなニュアンスを共有し続けた。ヨーロッパとの時差による深夜対応も日常だった。世界最高峰イベントを支えていたのは、最新設備や巨大パークだけではない。日々積み重ねられる小さなコミュニケーションの連続だった。
毎日夕方6時になると、給油車が現場へやってくる。

給油車が現場にやってくる、18時頃に撮られた写真。正面に写るグラン・ヒラフでは、外国人と日本人によるドラマが展開されていた
photo: SWATCH NINES
「日本語しか話せないドライバーだったけれど、いつの間にかオレたちマシンオペレーターとの間に、言葉を交わさなくても通じ合う不思議な友情が生まれていた。こうしたささやかな出来事が、この経験を特別なものにしてくれたよ」
ナタナエルはそう振り返る。
世界最高峰イベントの舞台裏で育まれていたのは、極めてローカルで人間らしい関係性だった。
造成したセットアップをめがけ、世界最高峰ライダーたちが羊蹄山へ飛び込むように舞う。その光景を目の当たりにしたとき、現場スタッフたちの意識にも変化が生まれた。

この瞬間のために──造成チームの想いを汲んだかのような、宮村結斗のフロントサイド360
photo: Jonas Gasser
「ニセコで、この規模のイベント開催が十分可能だという自信を得ることができました。今後のパーク運営やスタッフの成長につながる大きな経験になった。世界トップレベルのライダーたちが羊蹄山を背に滑る姿を生で見て、ニセコに対する誇りや意識も高まり、2028年に向けてより結束力が強まると感じました」

GALA NIGHTでは、グラン・ヒラフのスタッフたちもShoey(シューイ)でイベントの成功を祝った。NINESというカルチャーが、友情へと昇華した瞬間
photo: Jonas Gasser
長畑氏はそう語る。
それは単なる成功体験ではない。世界最高峰イベントを受け止めたという自信が、次なる挑戦への確信へと変わった瞬間だった。
SWATCH NINES 2026は、確かに特別な風景だった。しかし、その風景を成立させていたのは、ニセコの雪だけではない。

広がった雲海から羊蹄山が顔を覗かせた奇跡の瞬間、イ・ミンシクがジビングで魅せる
photo: Joshua Stengel
早朝から動き続けたACE GONDOLA。ライダーたちを支えたACE HILL。交流の拠点となったNEST813とALPEN NODE。雪を守り続けた圧雪チーム。そして、言葉や文化の壁を越えて築かれた信頼関係。
世界最高峰ライダーたちが自由に創造性を解放できたのは、ニセコ東急 グラン・ヒラフが積み重ねてきた施設整備と、それを支える現場の力があったからだ。
SWATCH NINES 2026で発揮した総合力こそが、2028年へ向けたレガシーの出発点になっている。
text: Daisuke Nogami(Chief Editor)
top photos: SWATCH NINES




