BACKSIDE (バックサイド)

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COLUMN

亡き“父”と“友”へ。滑ることでしか伝えられない想いがある。「SNOW LIFE IS BEAUTIFUL Vol.3」

2025.05.05

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本連載「SNOW LIFE IS BEAUTIFUL」は、編集者でありスノーボーダーでもある僕(編集長)が、24-25シーズンを通じて感じたことを綴る全4回のコラム。滑り続ける意味、伝えるという仕事、仲間とのつながり──そして、人生そのものとしてのスノーボーディングについて。

 
3月15日は、「A DAY FOR JAKE」だった。
 
世界中のスノーボーダーが、それぞれの想いを胸に滑る日。BURTON(バートン)創業者であり現代スノーボーディングの“父”、ジェイク・バートンに捧げる、年に一度の追悼セッションだ。
 
おこがましい話かもしれないが、僕にとっても、彼は“父”のような存在だった。直接話した回数はそれほど多くない。それでも、編集者として、ジャーナリストとして、いちスノーボーダーとして、彼の言葉や佇まいから受け取ってきたものは計り知れない。
 
スノーボードを“生き方”として肯定してくれた張本人。彼の存在がなければ、今の僕はなかった。そう言って過言ではない。
 
今年は新潟・関温泉でその日を迎えた。雪は重く、空も暗かったけれど、不思議と気持ちは軽かった。数本のターンに、永遠に消えることのない“感謝”を込めながらのライディング。滑ることでしか伝えられないものがある──そんな想いが、全身を巡っていた。
 
その2週間後、もうひとりの大切な人を訪ねた。“ヅマン”こと朝妻純子。BURTONの元ライダーで、僕と同い年、地元も隣町だった存在。当時彼女のマネージメントをしていて、いまはBACKSIDEのCMOを務めてくれている油井さんとともに、墓前で手を合わせた。
 
彼女とはよく滑り、よく笑った。今はなき茨城・カムイ竜ケ崎に毎週通い、ハーフパイプでしのぎを削った仲。彼女はプロスノーボーダーの道へ、僕は当時の世界No.1スノーボード専門誌の日本版編集部へ。一緒に雪の上で語り合った時間は、いまでも鮮明に思い出せる。伝えたいことが、たくさんあった。スノーボードのこと、メディアのこと、そして、自分がまだこの場所に立っているということ。
 
目には見えないけれど、彼らはいつもそばにいる。滑っていると、そう感じる瞬間がある。ターンやエアのなかに、祈りのような感覚がふっと立ち上がってくる。
 
雪の上で風を切りながら報告することが、僕にとっての追悼のカタチだ。それが、“いまも生きている”ことの証でもあるのかもしれない。
 
つづく

text: Daisuke Nogami(Chief Editor)

 
【次回予告】それでもまだ雪上に立ちたくて。スノーボーダーとして生きる覚悟。「SNOW LIFE IS BEAUTIFUL Vol.4」
 
【前回記事】「滑って」「書いて」「伝えて」──雪の上にいる時間が、僕にとってのリアル。「SNOW LIFE IS BEAUTIFUL Vol.2」

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