BACKSIDE (バックサイド)

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COLUMN

かつての世界トップムービーに日本人として初出演。東京ドームを揺らした熱き男 田原ライオを懐かしむ

2024.08.06

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1990年代から雪上を駆けていたベテランスノーボーダーには説明不要だろう。

スノーボードビデオが全盛だった90年代から00年代にかけて、トップフィルムプロダクションとして名を馳せていた「MACK DAWG PRODUCTIONS(以下、MDP)」に、日本人ライダーとして初出演を果たした男。また、2008年まで東京ドームで行われていた国際大会のクォーターパイプにおいて、テリエ・ハーカンセンやトラビス・ライス、ショーン・ホワイトら当時の世界トップクラスのライダーたちが名を連ねる中、2年連続してハイエストエア賞を獲得するなど、世界と対等に渡り合った最初の日本人ライダーと言って過言ではない。田原ライオだ。

フランスのメディア「BangingBees」がInstagramで、先述したライオが初出演を果たした映像作品『TECHNICAL DIFFICULTIES』(1999年作)の彼のパートをポスト。日本人も含め、世界中のスノーボーダーたちからコメントが寄せられているのを見て、本コラムを綴るに至った。まずは記事下に埋め込んだ、MDP公式YouTubeチャンネルに公開されている同作品をご覧いただきたい。ライオのフッテージは10:05あたりから拝むことができる。

冒頭で述べたように、ライオが日本人ライダーとして先陣を切って世界に殴り込みをかけた。その後、2003年に14歳だった國母和宏が「BURTON US OPEN」で2位となり頭角を現したタイミングに合わせて、当時30代に差し掛かっていたライオは、そのバトンをカズに託したのかもしれない。当時またがっていたFORUM SNOWBOARDS(フォーラム スノーボード)からSALOMON SNOWBOARDS(サロモン スノーボード)に乗り替え、マーケティングスタッフとしての道を歩み始めた。

そのライオが国内で立ち上げたフィルムプロダクション「RED EYES’ FILM(以下、REF)」は、活動休止期間も含めて今シーズン、25周年を迎える。弊ウェブマガジンでもお伝えしている(記事はこちら)が、REFは25周年作品として『RECCA』を今秋リリース予定。中井孝治やカズを筆頭に、日本のスノーボードシーンが世界レベルへと昇華していくストーリーを含め、現在進行形のアクションまでお届け。もちろん、ライオも出演する。

まだ詳細は明らかになっていないが、試写会ではきっとライオに会えるはずだ。REFからの情報を心待ちしたい。

text: Daisuke Nogami(Chief Editor)

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