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【七夕スペシャル企画】天の川と白馬とスノーボードが起こした奇跡
2019.07.07
7月6日、BURTONのSNSで投稿された本記事のトップ画像の写真は大きな反響を呼んだわけだが、長きに渡りスノーボード・ジャーナリストとして活動しており、スノーボードの起源に至るまでの歴史も掘り下げてきた筆者ではあるが、このような写真を目にしたことはない。さらに言えばライダーは、ソチ五輪ハーフパイプ銅メダリストであり、現在は競技から離れて表現者としての道を歩んでいる平岡卓。そんな豪華ライダーを起用して前代未聞の作品を生み出したカメラマン、実のところプロフォトグラファーではない。そう聞いて、耳を疑う人は少なくないだろう。七夕の日曜日、この作品が生み出された背景にある奇跡のストーリーをお届けしたい。
本記事で紹介している写真を撮影したフォトグラファーは、ウエアラブルトランシーバーで名を馳せるベンチャー企業に務める @kosuke_shinozaki(以下kosuke)氏。およそ2年前、趣味が高じて写真撮影での奇抜な着想を得ることになる。
と、その前に、kosuke氏の紹介を簡潔に。実のところ彼は以前、BURTONでチームマネージャーの職に就いており、平野歩夢と平岡卓がダブルメダルを獲得したソチ五輪時に、彼らを引率する立場にいた人間だ。オリンピックだけでなくライダーたちと世界中を行脚するなか、世界トップレベルのライダーたちが身近にいたからこそ、自然とシャッターを切るようになる。そこで覚えたカメラは退職後も趣味として継続されていたのだが、転職したことで身近にいたライダーという存在を失ったことで、風景写真に目覚めることに。すべてはここから始まった。
「BURTONで働いていたときはラッキーなことに、世界レベルで一流のプロフォトグラファーたちの撮影風景を日常として見ることができ、そうした環境にいたことで自然とアクションを撮影するようになりました。BURTONを退職してからはライダーたちのアクションを撮影する機会はなくなってしまったんですが、風景を撮り始めたんです。そのなかのひとつのジャンルとして、星景があって。最近のカメラの性能を駆使すれば、天の川が撮影できるということを知りました。それで、天の川とアクションを融合させたら面白いんじゃないかと考え、ネットで海外も含めていろいろ調べたら、スノーボードでそういった画を残してる事例が出てこなかった。だったら、やるしかないなって」
しかし、この撮影には大きなハードルが立ちはだかっていた。それは、天の川を撮影できる条件が極めて限定的であること。トップシーズンである12〜2月は物理的に撮影することが厳しいようで、さらにしっかりと写し込むには月明かりの影響を受けない新月(月が太陽と同じ方向に位置し、地球に暗い半面を向けている状態)期で、かつ雲のない晴天、そして街明かりの光害のない暗い場所、空気の澄んでいる標高の高いエリア、低湿度な環境が望まれる。
さらにkosuke氏はこだわった。
「どうしてもこの撮影は白馬でやりたかったんです。天の川がメインテーマではあるんですが、それを差し引いても、星景写真にスノーボードのアクションが加わった作品は珍しいじゃないですか。なおかつ、その背景に北アルプスである白馬の稜線が写っている写真はさらに価値がある」
氏は長野が世界に誇るスノーエリア・白馬の出身。幼少期からウィンタースポーツに触れ、学生時代にスノーボードを始めると、就職先に選んだのは今はなき世界最大手メディアであるTRANSWORLD SNOWBOARDINGの日本版。編集者として従事した。BURTONで学んだカメラスキルだけでなく、本撮影に挑む根底には編集者として培ってきた眼力も活かされていた。
「欧州のカメラマンって、ものすごくクリエイティブだと思うんですよ。けっこう前になりますけど、TRANSWORLD SNOWBOARDINGの表紙を飾ったニコラス・ミューラーの写真が強く印象に残っています。これを撮影したのもヨーロッパのカメラマン。当時はライダー自体が大きなジャンプをしているわけでもないし、あまり興味を抱かなかったんですが、自分で写真を撮るようになったことで、こうした作品の偉大さに気づいたわけです。やはり、誰も挑戦したことのない作品を生み出すほうが面白いじゃないですか」
2018年、こうした高難度な撮影に挑むための十分なスケジュールを3月以降に確保することができず断念。2019年3月、多忙を極める平岡に本撮影を打診しスケジュールを確保してもらうも、天候不良のためキャンセルを余儀なくされた。より天の川を美しく撮影するべく、さらに前述したように北アルプスの稜線を背景に写し込むため、撮影地は標高2,000mエリアのバックカントリーが選定されていた。3月とはいえ極寒であることはもちろん、天候も不安定。本撮影の条件を満たすことは困難を極めた。
「4月以降になると日中は雪が緩んでコーンスノーになり、夜は冷え込んでその雪が固まるとカチンコチンのアイスバーンになってしまう。こうなるとジャンプの撮影は不可能なので、ライディングに関して高望みすることは厳しいと思っていたんです。ハンドプラントやリップトリックで画を残そうと考えていたんですが、ご存知のとおり季節外れのパウダーが降って。1週間撮影のため有給をとっていたんですが、むしろほとんどパウダーを滑ってました(笑)」
4月11日。いよいよ撮影本番。当日の12時に麓のゴンドラ乗り場に集合。平岡は相棒として今井郁海を連れてきた。ゴンドラとリフトを利用して、標高1,650m付近に位置する山小屋にチェックイン。機材や荷物を置くと、スコップ片手に1時間ハイクアップして撮影ポイントへ向かう。白馬の稜線や天の川が出現する位置を見極めたうえで、撮影の舞台となるキッカーを作るためだ。エイプリルパウダーのおかげでジャンプ台を作ることが可能になったわけだが、その雪量でアイテム製作作業が大掛かりになることを予想していたkosuke氏は、平岡と同じくBURTONチームである中山悠也にも急遽声をかけており、ショベルしかなく作業が遅延していたクルーのもとに群馬からレーキを持って登場。救世主となった。
作業を終えたクルーは山小屋に戻って夕食をとり、2時間だけ仮眠。22時半にはフル装備で再びハイクアップを開始し、撮影ポイントには23時半くらいに到着。本撮影の着想から2年の月日を経て、ついにシューティングがスタートした。
「撮影前半、天の川が見える方向の空は曇っていたんです。なので、最初はその反対側の白馬の稜線が映るアングルで撮影を始めました。ジャンプ自体はそれほど大きなサイズではないので、彼らライダーのレベルからすれば昼間のうちに感覚さえつかんでおいてもらえれば問題なかったんですが、想像以上に現場が暗くて。ヘッドライトを着けた状態で滑られてしまうと光軸が残ってしまうのでそれはやめてもらったんですが、暗すぎて危険な状況。外してもらったヘッドライトをアプローチとランディングに1個ずつ置いて、薄明かりのなかトライしてもらいました。もちろん作品のイメージは共有していましたが、実際に撮影したものをチェックしてもらうと、ライダーたちはかなりテンションが上がっていたと思います。スローシャッターだから、ジャンプのピークが映えるトリックのほうが絶対にいいという話だけは伝えていたんですが、彼らは賢いので指示するまでもなく、自分たちでカメラアングルによってより映えるトリックを判断し、かつ、他人とはかぶらないように技を繰り出していました」
日中のハードなディガー作業、たった2時間の睡眠時間、視界が悪いためリスクが高い撮影環境、4月とはいえマイナス10℃近くという過酷な環境下ながら、撮影クルーは熱気に包まれていた。それは、こうした作品を残せるということを確信していたからこそ。
さらに、このクルーはまたもや奇跡を呼び起こす。
「いい雰囲気で撮影が進んでいくなか、あれほど絶望的に曇っていたのに、いきなり天の川が出現したんです。みんなクールなキャラだからオーバーなリアクションはありませんでしたが、間違いなくボルテージは最高潮でした」
平岡とはハーフパイプでの撮影は幾度となく行っていたものの、氏がチームマネージャーだった当時の彼はコンペティターだったため、バックカントリーでの撮影経験は稀だった。2015年の北海道・旭岳で経験はしていたものの、その頃は事細かにすべてを説明したうえで撮影に望んでいたわけだが、あれから4年が経過。
「もちろん、以前からの関係性があるのでコミュニケーションはとれています。今回の撮影では僕がやりたいことを30%程度伝えるだけで理解してくれ、現場でもウインドリップを見た瞬間にどうすればいいか自ら判断して行動に移してくれました。この撮影も含めて、大きく成長したことを実感できましたね」
暖冬と言われた2018-19シーズンにも関わらず、4月に舞い落ちたエイプリルパウダー。そして、ピンポイントで行われた撮影中にたった40分間だけ出現した天の川。こうしたミラクルが重なり、平岡はフロントサイドグラブで宙を舞い、己のスタイルを最大限に表現したそのとき──もうひとつの奇跡が起こることになる。
平岡が天高く突き刺した左手が彦星を捕らえた瞬間、kosuke氏がシャッターを切っていたのだ。
「タクは持ってる男だなって痛感させられました。これまでずっと携わってきたスノーボードで、なおかつライダーの滑りも同時に自分が撮った写真で表現できたら、彼らも新しいカタチでの露出になりますし、故郷である白馬が素晴らしい場所という認知を得られる可能性があったので、2年越しにこの撮影ができて、僕としてはものすごく充実した一日になりました。やっぱりスノーボードでフリースタイルに表現することは面白いなって、改めて感じましたね」
photos: Kosuke Shinozaki text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)