COLUMN
スノーボードの原点は、アメリカ東西のライバル関係だった!?
2016.10.05
HISTORY OF SNOWBOARDING Vol.3 〜スノーボードをより深く知るための10の物語〜
SIMS SNOWBOARDSの創設者であるトム・シムス氏の逸話について前回のコラムで綴ったわけだが、今回は、スノーボードの黎明期を語るうえで欠かすことのできないもうひとりの重要人物についても触れておきたい。スノーボードに詳しくない人でもこのブランドの名は知っているだろう。そう、BURTONブランドの生みの親、ジェイク・バートン氏だ。
14歳の頃にSNURFERからの影響を受け、1977年にアメリカ・バーモント州にてJAKE BURTON SNOWBOARD(現BURTON)をローンチしたことについては前々回のコラムで記述したとおりだが、その5年後にあたる1982年。SNURFERの契約ライダーでもあったポール・グレイブス氏のサポートを経て、現在のUS OPENの前身である「NATIONAL SNOWBOARDING CHAMPIONSHIPS」をバーモント州・スノーバレーにて開催した。それまでの大会といえば、1979年に行われたSNURFERによるダウンヒルコンテストがあり、また、世界初のスノーボードコンテストとして多くの記載がある大会が、1981年にコロラド州のスキークーパーで開催されていた。この大会でシムス氏が2位、バートン氏が3位になるなど、若かりし頃のファウンダーたちはしのぎを削っていたわけだ。このような流れを踏襲し、BURTON主催のNATIONAL SNOWBOARDING CHAMPIONSHIPSは、スラロームとダウンヒルのみの大会だったのだろう。
一方でSIMSは、その翌年の1983年、世界初のスノーボード選手権「WORLD SNOWBOARDING CHAMPIONSHIPS」を開催。カリフォルニア州レイク・タホ近郊に位置するソーダ・スプリングスにて行われた同大会は、スラロームとダウンヒルに加えて、世界で初めてハーフパイプの大会を導入したのだ。サーフィンをもとに生み出されたSNURFERからインスピレーションを得たバートン氏、少年時代からスケーターであったシムス氏。異なったバックグラウンドを持つ双方のイマジネーションには違いがあったのだろう。
よって、BURTONはSIMSが主催する世界選手権をボイコット。レースに重きを置く東のBURTON、フリースタイルを重視する西のSIMSという対立構造が生まれたわけだ。
しかし面白いことに、実は両名ともアメリカ東海岸の出身なのだ。バートン氏はニューヨークで生まれ育ち、根っからのサーファーでもスケーターでもなかったものの、前述したようにSNURFERに魅せられ、大学卒業後には雪上でのサーフィンをビジネス化しようと目論んだ。対するシムス氏はニュージャージー州で幼少期を過ごし、当コラムVol.1でも綴ったように13歳の頃、木工製作の授業でスキーボードを発明。その後、ベトナム戦争の徴兵を免れるためにアメリカ西海岸へと移り住むことになった。この時代の西海岸といえば、愛と平和を訴え、徴兵や派兵に反発した若者を中心にヒッピー文化が発祥した地。自由を求める動きが盛んであり、その一部がサーフィンやスケートボードだった。そうした背景も重なって、SIMSにとってのスノーボードとはフリースタイルが重要なファクターとなったわけだ。
このようにライディングスタイルを形作っていくうえで、彼ら創設者らの功績はもちろん大きいわけだが、やはりライダーがいてこその話。次回の当コラムでは、現フリースタイルシーンの礎を築き上げたといっても過言ではない、往年のレジェンドライダーたちにフォーカスを当てて展開していきたい。
つづく
※弊誌編集長・野上大介がRedBull.comで執筆しているコラム「SNOWBOARDING IS MY LIFE Vol.4」(2014年11月5日公開)を加筆修正した内容です
photo: Bud Fawcett