BACKSIDE (バックサイド)

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https://backside.jp/8th_anniversary_issue7/
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FEATURE

【創刊8周年特別企画】弊誌バックナンバー800円引きキャンペーン第5弾「BURTON, SIMS, AND CRAIG KELLY ──フリースタイル温故知新──」

2024.08.23

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2016年8月18日に産声をあげた弊誌「BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE」は、後世に伝えるべき価値あるコンテンツを見極めて紙として残すべく、これまで11冊の書籍を刊行してまいりました。ウェブマガジンは8年間、一日も欠かすことなく毎日更新。熱心なスノーボーダーたちとコミュニケーションを図りながら、創刊8周年を迎えることができました。これもひとえに、読者のみなさまのおかげです。日頃よりご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。

そこで、創刊8周年を記念して、弊誌バックナンバーすべて800円引きのキャンペーンを行います(ISSUE 2、5は完売のため除く)。タイムレスなテーマを題材に編んだ弊誌を読むことで、日本だけでなく欧米のスノーボード文化に対する理解を深め、美しい写真たちを眺めながら紙媒体ならではの手触り感を得る。きたる24-25シーズンに向けて、モチベーションを高めていただけたら幸いです。
 

INTRODUCTION
はじめに

 

Jake Burton (left) and Tom Sims
Purgatory, Colorado, USA in 1988.
photo: Bud Fawcett

 
今号の表紙が撮影された1992年、僕は初めてスノーボードにまたがった。その動機は、雪上でスケートボードのようなアクションがしたかったから。あれから四半世紀あまりが経過し、近年は原点回帰の兆しが垣間見られる。“雪上でマニューバーを描きたい”という想いからスノーサーフィンが誕生し、世界同時多発的に開発が推し進められたことでスノーボードが確立。こうした起源に立ち返るためか、現在はベテランスノーボーダーを中心に、スノーサーフや雪板などが新たなるカルチャーとして形成されている。しかし、90年代初頭に世界中で巻き起こったニュースクールムーブメントは、80年代後期にスケートボーダーが雪上を席巻しはじめたことに端を発し、その結実としてフリースタイルスノーボーディングが築き上げられた。さらに、最古のスノーボード“のような乗り物”はサーフボードではなく、スケートボードから多大なるインスパイアを受けて生み出されていたのだ。
 
1992年冬、現在と比べればプロダクトの性能に雲泥の差はあったものの、カカトが浮いてしまうブーツを履きながら、とにかく飛びたかった。そして、憧れのトップライダーたちの魂が宿ったボードに搭乗しながら、少しでも彼らに近づきたくてライディングに明け暮れていたあの頃。フリースタイルを再燃させることに大義を見出し創刊した弊誌だけに、その原点をたどり、現代に通ずるスノーボーダー精神を探ることにした。フリースタイルスノーボーディングを生み出す原動力となったひとりの伝説の男、そして、その男とともにアメリカ東西のライバル関係が進化させた道具たち。BURTONとSIMS、そしてクレイグ・ケリー。フリースタイル温故知新──道具とともに滑りが進化し、滑りとともに道具が進化してきた系譜をたどる。この一冊を通じて、あなたのスノーボードライフがより面白くなるはずだ。
 
BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE 編集長 野上大介
 

CHAPTER 1
BURTONのプロダクトでたどる
ハードギア42年の歩み

 

 
1970年代から製品化されるようになったスノーボードプロダクトの変遷を探るうえで、現在までの系譜をたどるとなると、1977年に創設されたBURTONのギアを題材として紐解いていくのが妥当だ。なぜなら、ボード・バインディング・ブーツのハードギアすべてを取り揃えており、今なお業界をリードする先進的な開発を行っているからだ。100本のプロトタイプから昨今話題のSTEP ON®が誕生するまで──ハードギア42年の歩みをたどることにする。
 

1977
100本のプロトタイプ

 
1977年、ジェイク・バートン氏は1978年の夏までかけて100本の異なるプロトタイプのボードを製作していた。最初はソリッドアッシュタイプ、そして2番目はスティームベントラミネートタイプ。スティームベントプライウッドタイプは彼の3番目のボードとなり、4番目はコアのないファイバーグラスタイプを作った。5番目はファイバーグラスをラッピングし、ハンドシェーピングのフォームコアを採用したサーフボードのような板を開発。最後にホリゾンタルラミネートのメープルハードウッドを使用したスケートボードライクな板を製作した。初期のプロトタイプから後期にかけて、サーフボードスタイルからスケートボードスタイルのコンセプトへ移行していくのが見受けられる。サーフボードのコンセプトが上手くいかなかった理由として、雪の中に隠れている石に当たったとき、すぐ壊れてしまうことが原因だったとバートン氏は語る。ボードと同時進行で、この年にバインディングストラップを開発し始めた。満足できるボードができるまで販売には至らなかったそうだ。そして、当時のライダーはバートン氏ひとりだった。

 

 

1978
最初のプロダクト開発

 
この年の夏、いよいよ最初のプロダクト開発に取りかかることに。バートン氏が悩み抜いた末に決めたスタイルは、水平にラミネートされたメープルハードウッドのスケートボードタイプだった。そしてオプションとして、滑走時のボードバランスを改良するためにロープを搭載することに。彼が当時追い求めていたテクノロジーは、ワイドな形状のボードだった。

 

CHAPTER 2
BURTON のプロダクト開発者たちに訊いた
クレイグ・ケリーが築いたフリースタイルの世界

 

 
前章「ハードギアの歩み」をご一読いただければわかるように、1988年はフリースタイル元年と呼べるだろう。それは、ビンテージボードの写真を眺めているだけでも気づくことができるかもしれない。また、各年代ごとに誕生するギアの背景には、チームライダーたちの存在があることも理解できたはず。そう、ライダーなくしてプロダクトは語れない。そして、クレイグ・ケリーなくしてフリースタイルは語れない。
BURTONに移籍してきたクレイグは、それまでレースが中心だった同ブランドの方針をフリースタイルへ舵を切らせた。当然プロダクトにも新たな息吹が吹き込まれ、そうしたギアにまたがってクレイグから放たれるライディングスタイルがフリースタイルシーンを確立していったわけだ。プロダクトなくしてフリースタイルは語れず、フリースタイルなくしてプロダクトを語ることもできない。
そこで、米バーモント州バーリントンに位置するBURTON本社を訪ねることにした。歴史に残る数々の名ボードの開発に携わってきたJGことジョン・ゲルント氏、STEP ON®などライダーたちの足まわりを研究し続けているクリス・ドイル氏の両名に、クレイグとフリースタイルスノーボーディングの相関関係について話を訊くことに。こうして浮き彫りになった、クレイグ・ケリーが築いたフリースタイルの世界。
 
つづく

CHAPTER 1 ハードギア42年の歩み 1979〜2018
CHAPTER 2 クレイグ・ケリーが築いたフリースタイルの世界
CHAPTER 3 フリースタイルを創出したトム・シムスの意思を受け継いだ日本人
CHAPTER 4 名機の歴史からたどるフリースタイルの変遷
CHAPTER 5 日本が誇るビッグ3ライダーのプロダクト事情
 
 
ISSUE 7 BURTON, SIMS, AND CRAIG KELLY ──フリースタイル温故知新── 2018年11月20日発売 / A4サイズ / フルカラー / 日本語・英語 / 142ページ / 定価1,500円→特別価格700円
 

 

※編集部が出張中のため、2024年8月26日(月)以降に順次発送いたします

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