FEATURE
【創刊8周年特別企画】弊誌バックナンバー800円引きキャンペーン第8弾「KAZU KOKUBO, THE MOVIE STAR ──國母和宏が命を捧げる映像表現の世界──」
2024.08.26
2016年8月18日に産声をあげた弊誌「BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE」は、後世に伝えるべき価値あるコンテンツを見極めて紙として残すべく、これまで11冊の書籍を刊行してまいりました。ウェブマガジンは8年間、一日も欠かすことなく毎日更新。熱心なスノーボーダーたちとコミュニケーションを図りながら、創刊8周年を迎えることができました。これもひとえに、読者のみなさまのおかげです。日頃よりご愛読いただきまして、誠にありがとうございます。
そこで、創刊8周年を記念して、弊誌バックナンバーすべて800円引きのキャンペーンを行います(ISSUE 2、5は完売のため除く)。タイムレスなテーマを題材に編んだ弊誌を読むことで、日本だけでなく欧米のスノーボード文化に対する理解を深め、美しい写真たちを眺めながら紙媒体ならではの手触り感を得る。きたる24-25シーズンに向けて、モチベーションを高めていただけたら幸いです。
INTRODUCTION
はじめに
1993年秋、FALL LINE FILMSが制作した『R.P.M.』という映像作品に出会った。現在はアーティストとして活躍する傍らで、今なお滑り続けているリビングレジェンドとして名高いジェイミー・リン、そして、CAPITAの創設メンバーのひとりとして知られるジェイソン・ブラウン。彼らふたりが出演してトリを飾ったビデオパートをテープが擦り切れるほど観たことで、当時19歳だった筆者の人生観は強烈に揺さぶられた。
そこに映し出された彼らのライディングスタイルはもちろん、ジェイミーがダッジ・チャージャーを乗り回すシーンにも魅了され、それらを演出するTHE SUPERSUCKERSのサウンドも含め、完璧に心が奪われてしまった。当時は大学生だったため、その冬から山にコモるようになると、卒業後は就職せず、スノーボードとともに生きていくことを決意した。
人生を狂わすほどの魅力……いや、魔力のような何か。滑りの上手さやカッコよさだけでは語れない、特別なもの。彼らの滑りから滲み出ていたのは、人生のポリシーのような、生きている証のような。それをスタイルと言うのかもしれないが、彼らの生き様が伝わってくるように感じた。
そして時は流れ、2018年12月。周知の事実であり後述するが、カズこと國母和宏が世界一のスノーボーダーを意味するRIDER OF THE YEAR(年間最優秀ライダー賞)を獲得。それと同時に、彼が主演・監督を務めた映像作品『KAMIKAZU』がMOVIE OF THE YEAR(年間最優秀ムービー賞)に輝くという偉業を成し遂げた。
カズの滑りを長年に渡り見させてもらっているのだが、BURTON US OPENハーフパイプで連覇を達成した実績からもわかるように、その巧みなボードコントロール術はもちろんのこと、ハーフパイプでの滑走と並行するようにして、高校時代から世界中のバックカントリーで多くの経験を積んできた。ライディングスキルの高さについて論ずる必要はないだろうが、彼の場合、その卓越した技術力よりも表現力のほうが明らかに勝っているように感じる。
それは、前人未踏の斜面を手つかずの状態で、いかにして自由自在に滑るか。こうした究極のバックカントリーフリースタイルに照準を合わせ、その可能性を追求し続けているから。ここで言う手つかずとは、飛びやすくするためにキッカーを作ったり、新雪を踏み固めて滑りやすくする行為をしていないということを意味している。
そして、腕に刻まれた家族の名前や足跡のタトゥーに祈りを捧げ、一本一本に魂を込め、命をかけて滑っているから。こうしたカズの生き様が滲み出ているからこそ、そう感じてならないのだ。
時代背景も違えば、ライディングのレベルは雲泥の差。ゲレンデを中心に撮影された『R.P.M.』のフッテージと、一生行くことはできないだろう断崖絶壁のバックカントリーを滑る『KAMIKAZU』を比較するのは難しいし、お門違いなのかもしれない。
しかし、四半世紀の時空を超えて共通すること。それは、彼らが自らの滑りを通じて夢や希望、そして感動を与えるムービースターであるということだ。後者の場合、ロケーションの状況やそこで滑る技術を聴衆が理解するのは困難だが、観た者の心に突き刺さる何かを表現していることは間違いない。
その確かな手応えを胸に、カズは新しいプロジェクトであるINKを立ち上げ、日本のシーンに革命をもたらしたSTONPを復活させることにした。国内から映像作品が消えつつあるなか、彼がプロデュースする2作品がリリースされたのだ。
それは、時代の潮流により映像文化は劇的な変化を強いられているが、その流れに抗ってでもスノーボードにおける映像表現というカルチャーを絶やしたくないから。
おこがましい話だがカズと筆者は奇しくも、同じ1992年の冬にスノーボードを始めている。世代も違えば、滑走スキルなど足元にも及ばないわけだが、見てきたスノーボードは同じだ。そして、映像作品やムービースターを絶やしたくない気持ちも同じ。
だからこそ、この一冊を贈る。
BACKSIDE SNOWBOARDING MAGAZINE 編集長 野上大介
EPISODE 1
燃えるような何かを求めて
「Thank you. Finally, I’m Ichiban(. ありがとう。ついにオレは一番だ)」
ここで綴ることは小誌ISSUE 3「SNOWBOARDING, FRIENDS, AND THEBOND ──スノーボードと仲間と絆──」のSTONP編でも触れているのだが、改めて振り返っておきたい。
2016年12月9日夜、米コロラド州ブリッケンリッジ・リバーウォークセンターにて開催されたスノーボード界のアカデミー賞に位置づけられている授賞式「RIDERS POLL」にて、カズはVIDEO PART OF THE YEAR(年間最優秀ビデオパート賞)を獲得した。この時点で18 回目を数えていたRIDERS POLL史上、全部門を通じて日本人スノーボーダーとして初受賞。テレビや大手ウェブサイトなどマスメディアが挙ってカズの快挙を取り上げていたため、強く印象に残っている読者諸兄姉も多いことだろう。
冒頭の言葉は、その授賞式でステージに上がった際に発せられたカズによるスピーチだ。日本語の“一番”という言葉をあえて用い、その直後に、CAPITAからリリースされた自身初のシグネチャーボードに掲げられている中指を立てた合掌を披露。それは、甘んじることなく命をかけて滑り続けるという、自分自身に立てた中指である。
「この頃はRIDER OF THE YEAR(年間最優秀ライダー賞)よりもVIDEO PARTOF THE YEARに照準を合わせていて、それを獲ることだけに集中していました。これまでもビデオパートを残すからには、どんな人が観ても興奮するようなロケーションだったり、面白いラインどりを考えて作ってきたつもり。それが賞を獲ることによっていろんな人が認めてくれたことになるわけだから、素直にうれしかったですね」
小誌創刊号であるISSUE 1「KAZU KOKUBO ──國母和宏の生き様──」をご一読いただいた方は覚えているだろうか。受賞作品は、同年秋にUNION BINDING COMPANYよりリリースされた『STRONGER.』のオープニングパートだったのだが、その撮影を終えて帰国した直後、カズは引退を考えるほど失意のどん底にいた。
それまでは、競技生活やSTONPのプロデューサー業などを並行して活動してきた彼にとって、スノーボーダーとして初めてひとつの作品制作に集中できるシーズンだった。にも関わらず、トップシーズンにケガをしてしまい、1ヶ月以上に渡り滑ることが許されず。
「やりたいことの理想がめっちゃ高かったから、撮影してるときはずっとダメだと思ってたんですよね。ケガしちゃったこともあって、その理想を下げざるを得なかった。こんなレベルで(映像を)残したところで……」
スノーボードを始めた4歳の頃から毎年ネクストステージへと登り続けてきたカズは、このとき初めて「これ以上は上に行けないのかもしれない」という不安に駆られた。だが、受賞作品となった自身のパート動画がUNION本社から届けられると、「あれ? 意外にいいじゃん」と確かな手応えを感じたというストーリーは、創刊号で綴ったとおりである。
納得のいく滑りはできなかった。しかし、作品としては素晴らしい出来映え。後に自身の名を冠する映像作品を引っさげて世界一に登り詰めることになるわけだが、この大きすぎるギャップを感じたことが彼を成功へと導いたのかもしれない。表現者としてさらなる高みを目指すために、カズが必要とするヒントが隠されていたのだ。
加えて、栄えあるVIDEO PART OF THE YEARを獲得したことで、改めてスノーボーダーとしての生き方を見つめ直した。
「休んでるヒマはないんだなって気持ちに切り替わりました。そのときに、自分が今まで見てきた世界で認められているトップライダーたちが、なぜそのポジションに居続けられるのかを真剣に考えたんです。シーンのトップに君臨しているライダーたちは、常に何かを発信し続けている。さらに、パット・ムーアやジェイク・ブラウベルト、ジョン・ジャクソンといったライダーたちは選手生命が終わるような大ケガをしても、そこからハンパじゃないリハビリに取り組んでまたトップに戻ってくるんです。彼らはケガしたときに休んでるわけじゃなくて、その間も想像を絶するほど自分を追い込んでいるからこそトップに戻ってこれる。一時期だけ世界のトップに立てるヤツなんていくらでもいると思うんですよね。死ぬ気で1 年間やればいいだけだから。でも、常にトップにいるヤツらは自らをプッシュし続けて、滑りを進化させて自分のスノーボードをやり続けてる。トップに居続けるのは本当に難しいことなんだって気づかされました」
これまで、欧米が中心だったシーンの最前線で10 年以上に渡り格闘してきた。日本人というだけで同じ土俵に立つことが許されなかった。文化や言語の壁を乗り越えながら、外国人ライダーよりも何倍も努力し、滑り込み、考え抜いてようやくたどり着いたステージ。疲労困憊だったはずだ。
「本当にいろんなことを考えました。(『STRONGER.』の撮影で)ケガをして、リハビリに明け暮れ、雪がなくなるまで撮影し続けて疲れが溜まり……これがずっと続くのかって考えたら大変だなと思ったけど、これを続けられるヤツこそが常にトップにいられるんだって気づかされて。ここで終わったら、そこら辺のヤツらと一緒だなって。ここで立ち止まっちゃダメなんだっていう強い気持ちが芽生えました」
決意を新たに、次なるフェイズへ向けてカズは動き出した。バックカントリーでさらなる経験を積みライディングの引き出しをさらに増やしたいと考え、スポンサーや仲間たちのプロジェクトに参加しながら撮影に取り組むなかで、己の滑りに磨きをかけることにシーズンを費やした。
また、これまで同様に日本のシーンを顧みていたカズ。やはり、自分のことだけでは飽き足らないようだ。
「コンテストライダーや、バックカントリーを題材としたムービープロダクションはそれなりにやれてると思ってたんですけど、上手いストリートのライダーはたくさんいるのに、そのシーンのヤツらはプロ活動としてまったく成り立ってなかった。みんなどうしていいかわからない状態に陥ってたから、そういうヤツらを集めて大会をやることで、その滑りが世に発信されてスポンサーのメリットにつながったり、新たにサポートを受けて滑る環境が整ったり、どこかのメディアの目にとまって撮影ができるようになるとか、どうにかしてストリートシーンを盛り上げたいと思ったんです。ストリートでやってるヤツらの熱量がハンパじゃなかったから。ハングリーだし、コイツらを集めて何かやったら盛り上がるんじゃないかなって。それで始めたんです」
2016-17、2017-18の2シーズンに渡り、STONPとして新たなプロジェクト「ZETSURIN」をローンチした。オフシーズンに室内ゲレンデで予選会を行い、1 月に工藤洸平がプロデュースするNOVEL MOUNTAIN PARKを利用してストリートコンテストを開催。海外ライダーも招待し、ハイレベルな大会の模様を映像化して配信した。
このようにSTONPのボスとしてシーンをプロデュースする傍らで、創刊号の結びで語っているように、“燃えるような何か”を求め続けていた。2017-18シーズンを迎えるにあたり、『STRONGER.』の制作を担当したPIRATE MOVIEPRODUCTIONSとタッグを組み、カズのシグネチャームービーを制作する方向で動いていたのだが、スポンサー集めなども含めて難航していた最中のこと。
2017年秋。こうした話など露知らず、カズから一本の電話が舞い込んできた。東京にいるので話がしたいということで、待ち合わせ場所の原宿へ。タイ料理を囲みながら彼の言葉を耳にした筆者は、口にしていたフォーを思わず吹き出してしまったことを鮮明に記憶している。
「アメリカのTRANSWORLD SNOWBOARDINGから、オレのシグネチャームービーを出すことになりました」
つづく
EPISODE 2 KAMIKAZUが胸に刻んだ新たな決意
EPISODE 3 世界一のスノーボーダーとして後世に伝えていく文化
EPISODE 4 夢や希望にあふれた新しいシーンに塗り替える
EPISODE 5 “立つかヤラれるか”の精神を再び燃え上がらせる火種
EPISODE 6 國母和宏という生き様
【インタビュー】
遅咲きのムービースター 吉田啓介
孤高のムービースター 高橋龍正
センスが光るムービースター 工藤洸平
本場仕込みのムービースター 小川凌稀
生粋のムービースター 戸田真人
絶対的な記録にこだわるムービースター 長谷川 篤
【短編インタビュー】
今井郁海、五十嵐顕司、佐藤正和、玉村 隆、高橋福樹、大友寛介、久保田空也、片山來夢、大久保勇利、宮澤悠太朗
ISSUE 1 KAZU KOKUBO, THE MOVIE STAR ──國母和宏が命を捧げる映像表現の世界── 2019年11月1日発売 / A4サイズ / フルカラー / 日本語・英語 / 136ページ / 定価1,800円→特別価格1,000円