BACKSIDE (バックサイド)

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INTERVIEW

村瀬心椛 独占インタビュー「13歳のビッグエア世界女王が日本から誕生した理由」

2018.06.29

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さる5月19日。五輪シーズンを締めくくるコンテストとして申し分のないX GAMESノルウェー大会ビッグエアが首都・オスロで行われ、初出場となった13歳の村瀬心椛(ここも)が日本人女子として同大会(アスペン大会も含む)初優勝を飾ったことは記憶に新しいだろう。同時に、スノーボーダーとしてX GAMES史上最年少となる13歳6ヶ月での金メダリスト誕生という快挙。平昌五輪ハーフパイプ女子で金メダルを獲得したアメリカのクロエ・キムが2015年に記録した14歳9ヶ月という記録を大幅に上回る金字塔を打ち建てたのだ。その勝因は間違いなく、世界中を探しても彼女にしか操ることができないバックサイド・ダブルコーク1260をコンテスト史上初めて成功させたことが挙げられる。いかにして彼女のようなスノーボーダーが岐阜から誕生したのか。本人はもちろん、父・功一さんを交えて話を訊いた。そこには、中2の少女とは到底思えない強靭な精神力の娘と、その娘を愛してやまない父親の姿があった。

 

スノーボーダー・村瀬心椛誕生

BACKSIDE(以下B): どのようなキッカケでスノーボードを始めたの?
 
心椛(以下K): 4歳のときに家族でゲレンデに行ったんです。そのときはソリをして遊んでたんですけど、お父さんの滑りを見たときに「やっぱスノーボードってカッコいいなぁ」と思って始めました。
 
功一さん(以下F): ちょうどその頃、何のスポーツをやらせようか考えていたこともあり、家族でスノーボードをやれたらいいなと思ってたので、ちょうどいいタイミングでした。
 
K: 最初は寒いのがイヤで嫌いだったんですけど、なぜか絶対に上手くなるって思ってました(笑)。そしてヒモ(ハーネス)が取れたときくらいからどんどん楽しくなってきて。ちょっと滑れるようになったくらいから、どんどんハマっていきました。
 

Kokomo_car

photo: Koichi Murase

 
F: 週末はもちろん、ナイター営業している日があれば平日でも滑りに行ってました。僕自身もずっとスノーボードをやってるんですけど我流で滑ってきただけなので、このまま教え続けるのはどうかと迷っていたんです。そのときキャンプに参加させたことがキッカケとなって、さらにスノーボードの世界が広がっていきました。心椛が小1くらいのときですかね。年上の上手いお兄さんやお姉さんに憧れて積極的に滑るようになった感じです。
 
B: お父さんの影響やキャンプに参加していた年上の子供たちに憧れてのめり込んでいったんだね。それ以外でスノーボードにハマっていった理由って何かあった?
 
K: HYWODのDVDを観てハマりました。(角野)友基くんがまだ小さかった頃に出てたDVDを観ると、やっぱすごいなぁって。小学生のときはずっと観てました。こんなジャンプを飛んでみたい!と思ったんです。最初は怖かったけど、やってみるとすごく楽しくなってきて、それで小1からスロープスタイルの競技を始めたんです。
 

負けず嫌いな性格が生み出した高すぎる意識とスキル

F: ちょうどその頃、スノーヴァ羽島(岐阜)で「ぶっ飛びFRIDAY!」っていうストレートジャンプの大会が毎週金曜日にあって、それで勝つために必死になって練習してました。それまでは週1回くらいのペースで通ってたんですけど、週に3日くらいの頻度で通うようになって、グラブのスタイルだったりを研究していて……
 
K: (父の話に割って入る)妹の由徠(ゆら)も幼稚園に通ってるくらいからスノーヴァ羽島に行ってたんですけどノーズグラブが上手くて、ストレート部門で負けちゃったんですよね。私が小3で由徠が小1のときで、そのときは妹に負けることがすごく悔しくて頑張らなきゃ!って思いました。
 

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妹の由徠(右)と photo: Koichi Murase

 
 

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スノーヴァ羽島でライディングに明け暮れた photo: Koichi Murase

 
F: スピン禁止のストレート部門では、由徠も含めてほかの人にも1回も勝てなかったんです。ここまで負け続けたらイヤになっちゃうんじゃないかと心配していました。でも、3年生の冬に草大会やJSBA(日本スノーボード協会)の地区大会に出るようになってから少しずつ勝てるようになってきて。ちょうどそのタイミングで、ユーストライアウトっていうルールができたんです。JSBAの一般クラスに出場するためには滑りの審査があって、そこでバックサイド360とフロントサイド540を決めたんです。それでユーストライアウトに受かって、そのまま東海地区大会で優勝して、初めて全日本選手権に出れることになりました。これが大きな大会での初めてのリザルトになりますね。
 
B: その時点でプロスノーボーダーになりたいという気持ちはあったの?
 
K: その南郷(福島)でやった全日本では負けちゃったんですけど、順位がよかったらプロになれたんだってことを初めて知ったんです。それで、また全日本に出てプロにならなきゃって思いました。そして4年生のときに鷲ヶ岳(岐阜)の全日本で2位になったんですけど、優勝したのが(岩渕)麗楽ちゃん。麗楽ちゃんとは南郷の全日本で初めて会って、その存在を知りました。鷲ヶ岳のときなんてキャブ9してたんですよ! すごいビックリしちゃって。飛び抜けて上手かったからヤバイと思って、羽島とかKINGSでいっぱい練習しました。
 

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ともにX GAMESノルウェー大会の舞台に立った岩渕麗楽(左)と photo: BURTON

 
F: 結果的には、全日本の前にあったプロトライアル(PSA ASIA公認競技会において規定順位をクリアすることでプロ資格が与えられる)で4位に入ってプロ昇格はしてたんですけど、まだ地区大会も全日本も残っている状態だったんです。
 
B: 小6の終わりにバックサイド・ダブルコーク1080の映像を配信したことで一気に全国……いや世界からも知られるようになったと思うけど、小4でプロになったくらいからのトリック習得の流れを教えてもらえる?
 
K: 3年生の時点ではフロントサイド360とバックサイド360ができてて、あとフロントサイド540ができるようになりました。4年生のときはバックサイド540はできなかったんですけど、バックサイド720ができるようになって(笑)。5年生のときもバックサイド540はあんまりやらずに、フロントサイド720ができるようになった。そして6年生のときにバックサイド900とフロントサイド900ができるようになって、フロントサイドとキャブのアンダーフリップとかバックサイド・ダブルコーク1080ができるようになりました。中学に入ってからはフロントサイド1080、スイッチバックサイド720、そしてバックサイド540ができるようになって、今年に入ってバックサイド・ダブルコーク1260を覚えました。
 
B: すごすぎ! バックサイド540と900を覚えた順番が逆なんだね(笑)。どんな練習をしてきたの?
 
K: 最初は神戸KINGSに行ってて、3年生から富山KINGSで練習するようになりました。
 
F: フロントサイド360だけは羽島でできるようにして、それからKINGSに行き始めたんです。富山までは下道だと4時間半くらいかかるんですけど、環境がよかったので通うようになりました。
 
B: 小6で急成長したんですね。小2からトランポリンやスケートボードも並行してやっていて、羽島やKINGSでの練習も含めて点でやってきたことが線でつながったのが小6ってことになると思うけど、自分自身の体感を言葉にできるかな?
 
K: 昔はプロになることが目標だったけど、5年生くらいから世界を目指すようになって変わりました。720じゃ勝てないし縦回転(3Dスピン)も必要だと思ったから、6年生の夏に富山KINGSでいろんな技を練習して覚えたんです。アンナ・ガッサーとか、世界の人たちと戦いたいって気持ちが強かったから。6年生の終わりにアンナがダブルコークを決めたのを知ってたから、横回転しかできない状態で小学校を卒業するのがイヤだったんです。それで縦回転を練習するようになりました。
 

年齢を超越した思考が強さの秘密

B: 意識の変化が大きかったんだね。具体的に世界レベルを目指すよういなったのは小6くらい?
 
K: そうですね。5年生のときは国内のプロ戦を頑張るって感じだったから。でも、5年生で初めてWORLD ROOKIE FINALS(各ルーキー大会の優勝者や推薦ライダーが一堂に会する国際大会)で優勝したんです。この大会自体にはアンナ・ガッサーとかジェイミー・アンダーソンみたいなオリンピックに出てくるような大人はいないけど、世界に飛び出したことでそういう人たちを意識するようになったのが大きかったのかもしれません。
 
B: 今の日本は世界レベルで見てもとてもレベルが高いけど、ひと昔前では考えられなかったことだから、どうしても世界レベルを上に見てしまう傾向が強いんだよね。それを前提に考えると、小学校高学年から世界レベルで戦うことを意識してるわけだから、それについて改めて聞かれることに違和感って感じたりする?
 
K: 逆にそう思わないようにしてやってます。今回もX GAMESで優勝できたけど、まだ自分は一番じゃないっていう気持ちを常に持つようにしてます。だから、世界を相手に戦うのはどうですか?って聞かれたら素直にうれしいと思うし、13歳で出られる国際大会って少ないから出れたことだけでもうれしい。
 

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強豪ジュリア・マリノ(左)やエンニ・ルカヤルビ(右)を従えて表彰台の中央に上った photo: BURTON

 
 

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大舞台にも臆することなく己のスタイルを貫く心椛 photo: BURTON

 
F: あまりこだわりとか執着心がないというか、X GAMESで優勝できたから世界で一番ってことじゃなくて、さらに上を目指せるっていう思いのほうが強いんですよね。
 
K: 優勝して金メダルをもらっても、世界1位じゃなくてただの中2や!ってね(笑)。そういう風に思っておかないと天狗になっちゃうかもしれないから、世界1位とは思わないように自分で心がけてます。
 

超大技の誕生秘話、そして夢に向かって

B: さっきトリック習得の流れを教えてもらったけど、バックサイド540で苦戦したようにスイッチのブラインド着地が苦手にも関わらず、バックサイド・ダブルコーク1260を世界で唯一操れるようになったからこそX GAMESで勝てた。その超大技の誕生秘話を教えてほしいんだけど。
 
K: KINGSでできるようになって、できるって確信を持てたのはKING OF KINGS(各KINGSで予選が行われるオフシーズンのジャンプ頂上決戦)のときでした。大会の前日は調子が悪かったんですけど、大会中は予選から決勝までバックサイド・ダブルコーク1080と1260を1回もコケずにできたことがすごく印象に残ってたんです。それで、アルツ磐梯(福島)の特設キッカーでトライしたら、空中にいるときにここを見て着地を合わせればいいんだとか、すごく自分で感じられて。KING OF KINGSのときの動きとアルツでの動きが完全に一致したんです。KING OF KINGSのときのマットが見えました。本当に! お客さんとか、お父さんがこの辺にいたなぁ、とか(笑)
 
B: なるほど。そこまで完璧にイメージできているトリックだからこそ、X GAMESという大舞台でも物怖じすることなく成功することができたんだね。それでは最後に、2022年に開催される北京五輪での目標は?
 
K: スロープスタイルとビッグエアの両方で金メダルを目指しています。そのためには辛いこともあるかもしれないけど、滑りはもちろん、トレーニングやトランポリンでも集中して、練習したことを思い出しながら大会に臨んでいきたいですね。金メダルを獲っている自分をイメージしてみたりとか、そういうことも大事だと思います。これからはそういうことも考えながら、家族やサポートしてくれている方たちに喜ばれるようなスノーボーダーになりたいです。
 

Kokomo_MomothRiding

今年4月には米カリフォルニア州のマンモスマウンテンでその腕に磨きをかけた photo: BURTON

 
 
 

Kokomo_Profile

photo: BURTON

 
村瀬心椛(むらせ・ここも)
生年月日: 2004年11月7日
出身地: 岐阜県岐阜市
スポンサー: BURTON、ムラサキスポーツ各務原店、SMITH、富山KINGS、GALLIUM、PAP、東京西川AIRアスリートサポート、ネクサスジュニアストリート

interview + text: Daisuke Nogami(Editor in Chief)

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