BACKSIDE (バックサイド)

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COLUMN

上田ユキエのマンモスライフ Vol.1「家族そろってスノーボーダーの聖地で暮らす決意」

2017.07.12

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~表舞台だけでなく“裏側”から支える新たなる生き方~

理想のライフスタイルとは、年齢や家族の形によって変化していくもの。
強い意志と家族の団結があれば、物事はどうにかなるものだ。
母であり妻でもある私の決断。

 

ライフスタイルに自然と雪山を取り入れたい

2017年4月末、マンモスライフが始まった。マンモスとは、カリフォルニア州に位置するスノーボーダーの聖地として知られる有名リゾート、マンモスマウンテンのことだ。
結婚を機にアメリカへ移住し、7年が経とうとしていた。夢に見たカリフォルニアのビーチ沿いの生活は心地よく、この地で生まれた我が子と共にビーチライフを楽しんできた。数年経つと息子はスノーボードで雪山を滑るようになった。日帰りで雪山へも行けるこの環境が最適だと感じていたはずが、いつの間にか海を眺め散歩をする生活に少し物足りなさを感じ、街の便利さより自然を求めるようになっていた。
ひさしぶりにマンモスへ足を運んだ今シーズン、新たな刺激を感じるとともに、私自身が本来あるべき姿を思い出させてくれた。自然の中で思い切り身体を動かしながら子供を育てる道を選ぶことに。それは、スノーボードが好きで、その繋がりで出会った私と夫、それぞれが望むライフスタイルでもあったから。
新たな基地は、結婚前の私たちが7年前に見つけた家だった。自然に囲まれた、大きくはないけれど新しくて小綺麗な建物。その当時は、まだここに移り住むという選択にならなかったが、理想のライフスタイルは変わっていく。私たちの年齢や家族の形とともに。
今の選択は、今だからこその選択なのだ。
 

セカンドハウスとしてのマンモスライフ

夫の仕事がある。子供の学校がある。妻であり母である私ひとりの勝手な決断と行動では、すべてを動かせない。でも、家族を巻き込んでやっていく強い自信と夢が私にはあった。
周りからは心配の声も聞こえてきた。「旦那さんの仕事はどうするの? それでいいの?」
日本人の両親を持ち、このサウスベイエリアで生まれ育った主人はバイリンガルで、この国で需要の多いスペイン語も話す。日系企業やビジネスの多いこのエリアだからこそ、語学を活かした会社で働いていた。結婚して子供が生まれたからには、という考えを持ってきたのだろう。独身時代は自由に雪山での生活を楽しんできたことも知っている。
私の答えはむしろこうだ。「このまま一生これで満足したくないでしょう? もっと理想のライフスタイルに挑戦したいでしょう」
英語がさほど上手ではない私でも何でもできると思うのだから、母国語が英語の夫や息子に何の問題があるのか。もちろん、目先の給料は下がるだろう。もしかしたら、その先の収入も今までとは変わるかもしれない。でもそれ以上のことができる可能性の方が大きいし、何しろ、本当に好きな場所で暮らすという“ライフスタイル”から得られる満足はお金では買えない。
幸いスノーボードも自然も大好きな夫は、むしろラッキーと思ってくれたのではないかと思う。
私は自分が今抱えている仕事を含め、夫の仕事、子供の学校、すべての調整を始めた。人が住んでいる場所だ。学校もあれば仕事だって探せばある。こういう時にスノーボードを通じた友達がこの地にいるということも心強い。
スノーボードって人生の可能性を広げてくれる大きなツールだとつくづく思う。本当にやりたいこと、意志がしっかり固まっていれば、物事はどうにでもなるものだ。
私はまずセカンドハウスとして、マンモスの我が家を稼働させていくことに決めたのだった。
 
つづく
 

上田ユキエ

1973年、東京都出身。プロスノーボーダー。長野五輪出場を目指しコンペシーンで活躍。その後、ガールズムービープロダクション「LIL」を立ち上げるなど、国内の女性シーンを牽引してきた。現在は、アメリカ・カリフォルニア州に身を置き、子育てとプロスノーボーダー業を両立させながら、アメリカと日本を繋ぐ活動やプロダクトの開発などに携わっている。人気ブログ「プロスノーボーダーママ in LA」にて、ライダー活動から子育てに至るまで、あらゆる情報を配信中。

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