BACKSIDE (バックサイド)

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COLUMN

クレイグ・ケリーとBURTONによる産業革命

2016.10.11

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HISTORY OF SNOWBOARDING Vol.6 〜スノーボードをより深く知るための10の物語〜

「クレイグを失ったことは、私にとって痛恨の極みだった。その後、すべてが変わった」
 
SIMS創設者であるトム・シムス氏の言葉であるが、当時最高レベルのプロダクトを誇り、フリースタイルをメインとした人気ライダーが多く所属していたSIMSチームは、彼の離脱により混乱に陥った。
 
その理由。それは、SIMSの商標使用権を持っていたVISION STREET WEARが倒産したことだ。これにより、すでに世界チャンピオンだったクレイグ・ケリーが提示する条件で契約を結ぶことが難しくなってしまった。
 
自身が主催する大会でクレイグの活躍を目の当たりにしていたジェイク・バートン氏は、今後の活動に不安を抱いていた彼をサポートすることに決めた。しかし、VISIONとSIMSはこの契約に関して訴訟を起こし、その結果、クレイグはBURTONロゴが入ったプロダクトの使用禁止と、多額な裁判費用を強いられることになる。
 
そんな逆境ではあったものの、ロゴやグラフィックが何も描かれていないブラックボードに跨がり2度の世界制覇を成し遂げるなど、クレイグの勢いはとどまることを知らなかった。2年の時を経て1989年になると逆転勝訴し、BURTONからクレイグ初のプロモデル「MYSTERY AIR」が発売となり、即完売。ライダーが広告塔であるという価値観をスノーボード界に浸透させていくとともに、金銭的に恵まれていなかったライダー業の改善に努めた。
 
前回のコラムでも少し触れたように、大会で勝つことだけでなく、映像や雑誌での露出に広告としての価値があるということをメーカーサイドに認めさせたのだ。それぞれでインセンティブ契約を結ぶことで、大会で勝つことだけが生業ではない、現在のプロスノーボーダーというフォーマットを築き上げたわけだ。このクレイグによるアクションがあったからこそ、トラビス・ライスなどを筆頭とする、いわゆるムービースターと呼ばれる今日のプロスノーボーダーたちが存在するのだから、この功績は計り知れないと言えるだろう。
 
「クレイグに報奨金制度はマズかった……」。彼のスノーボード人生を収録した映像作品『LET IT RIDE』内でバートン氏はこのように笑うが、BURTONにとってクレイグの存在は、ライディングに長けた広告塔としての存在以上に価値があったのだ。
 
プロスノーボーダーを目指してワシントン大学を中退したのだが、それまでは生物化学の学位を取得するべく勉強をするなど、とても聡明な人間だった。ボード設計やマテリアルなどすべてを理解していたからこそ、プロダクトに対して的確なフィードバックをもたらした。これにより、BURTON製品は目覚ましく進化を遂げ、現在のトップブランドという地位に上り詰めることになる。クレイグなくしてBURTONは語れない。そういっても過言ではないはずだ。その証拠に、バーモント州に位置するBURTON本社に隣接する開発ラボは「CRAIG’S」と名づけられている。ここから同ブランドの最新テクノロジーが生み出されているのだから、今もなお、クレイグの魂はBURTON製品に生き続けているということだ。
 
このように、クレイグとバートン氏の出会いにより、スノーボード界に革命が起こった。プロスノーボーダーとしての道を模索していたクレイグ、そしてその想いに応え、彼のフィードバックを活かして自由なライディングを可能とするプロダクトを開発し続けたバートン氏。90年代に入ると、クレイグは押しも押されもせぬスノーボード界の顔となり、一方でBURTONもトップブランドの地位を確固たるものとした。
 
ライダーとしての可能性が広がり、BURTONを筆頭にプロダクトの品質が上向いてきた頃。新たな潮流がスノーボード界に押し寄せてきたことで、この産業が爆発的に押し上げられることになる。そう、ニュースクールムーブメントの到来だ。
 
つづく
 
※弊誌編集長・野上大介がRedBull.comで執筆しているコラム「SNOWBOARDING IS MY LIFE Vol.7」(2014年11月25日公開)を加筆修正した内容です

rider: Craig Kelly photo: Bud Fawcett

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